■スポンサードリンク
夢を与える
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
夢を与えるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.28pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全57件 41~57 3/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
インストール、蹴りたい背中と続いての三作目。 あらすじ 子役から現役高校生までのアイドル・女優として生きる夕子の物語。 感想 一旦離れた信頼は取り戻せない。 多いに共感するところだ。 こんなタイトルで吊り上げられたわけですが。 夢を与える。確かにアイドルだとかスターだとかの存在意義だと思う。 職業としてこれほど二面性をもったものもない。今をときめくアイドル・スター達は激務に追われ一発屋で終わらないように務める。焦りがよりあせりを生み、テレビでの表情は冴えなくなる。ネットでの評判は人を傷つける。書いている人は心の表現を自由にしているだけだ。悪意のない悪意。 本作はフィクションだが現実も似たようなものだろう。記者は躍起にスクープを探し、墜落させる。ダイアナ妃のように二度と戻れない場所へ。 二面性を持たずに生きる事は出来るのか。 趣味として仕事をする。 チクセント・ミハイが書いたフローにあるのではないか。 綿矢りさには、取り返しのつかない後悔があるのではないか。蹴りたい背中にあった思いも本作にうかがえる想いも共感するところもある。 三作程度では読みきれない綿矢りさを今後に書いてくれることを期待する。 話としては面白い。落ち込んでる人は読まない方が良い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小説に対する感想なんてものは人それぞれで結構だとはおもいます。 けれどこの「夢を与える」は主にストーリーを取り上げて評価すべき作品ではないでしょう。 展開がベタだとか、伏線がどうのこうの……というよりも、 そういう、(芸能界では一般的であろう)出来事が目の前に提示された際に揺れ動く夕子と、 それを取り巻く人物たちの物語であると、私は(あるいはみなさんもそうかもしれませんが)感じました。 あまりにも生々しいカオスティックな人間の繋がりを浮かび上がらしています。 けっきょくのところ小説が「人間を描く」芸術なのだとすると 綿矢りささんはその点に関して、これ以上ないほどの実力をもっているのはこの作品を読んで明らかです。 人間の、あいまいではっきりしない態度を巧みな文章で描き出している秀作です。 サリンジャーを思い出さずにはいられません。 しかしこれを読んで「共感しなかった」とおっしゃる方がいれば、もっといろんな小説を読みこなした方が良いです。 そういった低いレベルで対象を評価するのは、たんに感情論でしかありません。 少し偉そうですが「夢を与える」で、私は綿矢さんが本物の作家だと確信しました。 あと、綿矢さん独特の文体にはさらに磨きがかかっています。その点でも次回作が待ち遠しいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
河出書房が最年少芥川賞受賞の狂乱の日々から守りに守りぬいた綿矢りさの受賞後第一作である。 多くの方が感じてると思うのであるが主人公の「阿部夕子」は「綿矢りさ」に置き換えられるといえる。きっと綿矢りさ自身も小説を書くことで「夢を与える」ことを目指すことを河出書房から期待されているのだろう。 作中に出てくるパーティーで小さなバックが名刺であふれるとかインターネットで誹謗中傷されて傷つくとかいった類の表現はまさに自身の体験からくるものであろう。 綿矢りさと同世代の方には終盤部分は共感しにくいだろうと思うが、「蹴りたい背中」のように必ずしも主人公に感情移入を求めているのではない小説であるのだろう。 加えて言うならば綿矢りさが恋愛に対しての成長をすれば、引っかかるようなこの部分はきっと変化をとげるのではないか。 しかしながら、私小説によらない物語づくりという点は評価したい。時代性を反映した世俗的なものをちゃんと書けている点も評価する。綿矢りさはもっとエンターテーメント小説を書いてもらいたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
テーマは(これを書くにあたって考えるに)、ずばり、不条理、なのかな・たぶん、と思うんですが、タイトルがどうも引っかかります。 世間のしがらみや近しい人たちとの葛藤のなか、子供なりに誠実に人生を積み重ねてきたつもりなのに、なぜかだんだん違う方向に流されていってしまい最後は空っぽの自分になるというあらすじだと思うんです。 仕事上では、大人顔負けに冷静な判断を習得してブラウン管を通して誠実に(夢を与えていく)も、私生活ではある日、恋に落ちて奔流に流されるままに行き着くところまで行き着き、その後も相手の奔流を(その相手に夢を与え続けるかごとく)受け入れていく、その個人的には一貫した姿勢が、世間とのずれを生じ・・・ 恋をする後半は、とても力強く感じました。前半は、息もつかせぬ仕事の合間のほっとしたときの情景、情感の表現がとても好きです。この作者ならではと思います。 インパクトは、芥川賞作が上かなと思いましたが、力強さと表現の幅の点ではこっちが上だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
結構分量もあるし私は普段小説はあまり読まないのでどうかなぁと思ったんですが、 いざ読み始めたら一気に最後まで読めました。 私はあまり難しいことを考えずに、とにかくその作品がおもしろいかつまらないか、 そこそこかと結局はそれしかないと思うので、そういう意味ではなかなかおもしろかった。 ただ、途中で出てきた多摩という名の男の子や、 その他伏線になっているのかなという部分が、 結局最後まで特に生かされずに終わってしまったのは残念。 それも含めてなんかぶつ切りにされてしまった気がするラストに関しては、 不満と言うか後味の悪さが残ります。 これに関しては各々の好みの問題かもしれないんでなんとも言えませんが。 結構厳しい意見も多いですが個人的にはおもしろかったです。 ただ小説を数多く読んでいる方には物足りなさがあるのかも…ということを付け加えておきます。 少々甘めで星4つです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者の久し振りの作品、かなり身構えて読みました。主人公の夕子さんではありませんが、著者も急激に成長しているんだな、などと想ったりしました。読み終えた時、とても重苦しい恐ろしい悪夢を見たような読後感が残り、半ば呆然としてしまいました。打ちのめされてしまったかのようです。 冒頭の、別れ話から始まって避妊具に細工し続けて妊娠し結婚を迫る、というあたりから、何かが始まる予感に、あっという間に小説の描かれる世界の中に惹き込まれてしまいました。「夕子さん」が理想の子供を演じ始める時から、いつかその理想が崩れ、打ち砕かれるだろう事は想像がついたのですが、然し、その最期があまりにも無残で、またリアルに描かれていて、私はショックを受けてしまいました。 私が大江健三郎氏の著作が好きなのでこう感じたのかもしれませんが、「夕子さん」がモデルとして活躍し始めた時のインタビュー「将来の夢、未来は?」に対してマネージャーから「夢を与える」と応じればいいと受けた時の彼女の違和感、「ほんとうの夢じゃなくない?嘘ばっかりじゃん?」、・・・この下りを読んでいる時など、私は大江健三郎氏の短篇「鳥」の、「嘘だ!」と叫ぶ主人公とダブッて感じたりしました。 著者・綿矢さん、この作家は何か私には得体の知れない恐ろしいものをその裡に秘めているように感じました。読んでいて時々、読者に「本当の私を見つけて!」と密かに叫んでいるかのような、著者の孤独感、寂寥感(作品を創造する孤独な作業に繋がるかのような)を見た気がしました。中盤、”夕子さん”が”本物では無い自分を演じる姿”に悩む場面、私には少し冗長に感じられたのですが、その隙間に、著者・綿矢さんの”書きたい”情熱が滲み出ているように感じられました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最年少芥川賞受賞で大いに注目された綿矢りさ。ルックスの良さも話題になりました。 いまだに綿矢さんをアイドル視するファンもいるようで、本書刊行時に出版社が用意した 顔写真入りの宣伝物が、書店店頭から盗まれるという小さな事件もありました。 アイドルではなく作家。著者はそのジレンマを少なからず感じているのではないでしょうか。 そしてそのジレンマがこの作品を描かせたのではないかと感じました。 というのは、作品からわき起こるメッセージ性は強く、細部に渡り丁寧に描かれ、 約3年かけてこの作品のためだけに力を注いできたのが物語から感じられるからです。 並々ならぬパワーを宿したこの作品は、綿矢りさの進化形であると断言。ぜひご一読を。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
親子も、恋人も、堕ちていくことも、皮肉も、ふつうの素直さと同じくらい、ふつうにひねている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とにかく、面白かったです。話の進み具合も読んでて丁度いい感じでした。 テーマは考えさせられるものですね。特に就職活動中の僕は最後の感じは自分もこうなりかねないな。と思いました。もう一度冷静になって自分の道を考える力が与えられました。作者には感謝してます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
チャイルドモデル、芸能界を生きる少女の18年間の想いが詰まった小説。 読了後、小説のクオリティーの高さに驚愕するよりも、圧迫感を覚えるよりも、 とにかく先に胸がドンと思いきり重くなった。 小説は読み終わったものの、いまだに終わっていないような感覚になり、テレビもつける気がせず、ただ苦しみながらも考え込んでしまう。 いくつか前の、レビュアーの人が「鬱」という言葉を上げているように、読者の気持ちまで思い切り曇らせ、苦しくさせる小説にまず間違いはない。 純粋すぎる故に体感する少女の辛苦が途切れない。 中盤(主人公のブレイク)から、「それ以上、がんばるなよ」とおもい、溜息を吐きながらも読み進めてしまう。 学校と仕事を両立させ、それでも懸命にこなしていく彼女の疲労感がストレートに伝わってくる。 終盤(主人公の恋愛が、仕事に影響を及ぼし始める)に近づけば近づくほど、胸が締め付けられるおもいがしてくる、かなり痛い。 読んでいて、物凄く疲れた。長いから、とかいう理由ではなく。 そういった意味で、思い切り読者の心を揺さぶることの出来る作品だとおもう。上手くかけている。 インストールや、蹴りたい背中よりも、明らかに現実的でありながら小説的だと感じた。 芥川賞を受賞させるなら、こっちのがいいな。 「夢を与える」、という言葉の哀しさ。 この小説が作り出す、悲哀と辛苦に、苦しくならずにはいられないです。 1300円近く買った甲斐があったとおもいます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作品にて、目もくらむような天与の才に加え、努力し続ける才能、文学という芸術に献身する覚悟、本を読まない人/訳知り顔の中途半端な本オタク/玄人衆の勝手援軍などの有象無象に耳を貸さない強さ、その全てを持ち合わせていることを天高らかに証明。 わずか三作目にして、賞を取ったとか取らないとか、著者の若さだとか容姿だとか、評価するとかしないとか言うのがバカバカしくなるぐらいにあっさりと、何もかもをごぼう抜きにして一気に頂点に到達。 雑文稼業やお座敷芸(文化人活動)に精を出さずに、常に全身全霊をかけた渾身の作品を世に問うことが許される作家、という村上春樹のポジションの継承者は、綿矢りさこそふさわしい。 4年にいっぺん、この水準の作品が読めるのならば、どんなにあざとい/自意識過剰な/力を節約した小説を日頃読まされ続けても、一向に構わないぐらいだ。 泣けた、考えさせられた、最後まで読めた、人に話せる、という四条件を満たす、毒にも薬にもならない小説では飽き足りたらず、文学が毒か薬か麻薬であることを求める全ての人に。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読むのに時間がかかりましたが、最後まで一気に読みました。 夕子の行く末が気になって、止まりませんでした。読み終わってみれば、 ああ、こういう結末か。普通といえば、普通かな……で終わりました。 読んだ後、少しだけ小説世界に囚われはしたのですが。 綿矢さんの作品は、前作蹴りたい背中しか読んでいませんが、 そちらに比べると、今回は「作ったなあ」という感じがしました。 感性に任せた作品よりも、個人的には作った話の方が面白くて好きです。 しかし作ったものに、騙されている間はいいのですが、 ちょっとでもリアリティにかける部分が透けて見えてくると萎えてしまいます。 芸能界の描写は、リアリティがあるようで、ふわふわとしていたし、 そこの登場人物が微妙にステレオタイプな気配もしたし。 いくら恋愛にトチ狂っていたとしても、ビデオは撮らさないだろう……とか。 それが原因で破滅というのは、ありきたりだろうとか。 ゆーこがつきあう男の人も、少々古くさいタイプの気がしました。 中学時代の男の子も、もっとこう最後に絡んでくるかなと思ったのですが、 そうでもなかったし。 細かいところは少し気になったのですが、 最後まで飽きることなく読みました。 けど、こういう話は、誰かが前にも書いていそうな気がします。 綿矢さんでなかったら、このネタの話は読まなかったかもしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品を通じて私が感じたのは次のことです。 綿矢りさは「芥川賞を受賞するにふさわしい文章力をもっていて」、「周囲の評 価に浮かれない現実的な感性をもっていて」、「彼女のような特殊な状況に置かれ た人間しか体感しえない感覚を作品に昇華して他の作家との差別化を図る」ことに よって、自分の存在や能力を証明したかったのかなとということでした(村上龍あたりに)。 そして、その試みは実にその通りの成功を収めていて、きわめて優秀な作家になり 得る資質をもっていると感じましたし、途中で飽きることもなく、一気に読み進め ることもできました。 しかし、私はこの作品に満足したのか?ということになると、それとこれとは 全く別だと言わなければならなくなります。 まず、作品に人間全体に対する愛情が感じられない。あるのはあやふやな不信だ けだ。作者が愛情(愛着)を感じていない母親から生まれた主人公の行動に対し て、外見が美しくて素直な性格を持っているという理由だけで、私は親愛感を感じ たり悲劇を共有することが出来なかった。 「蹴りたい背中」では、主人公(自分自身)に共感を放ちつつ批判的でもあると いう絶妙な距離感を発揮して私たちを驚かすことが出来たが、この作品ではその バランスが崩れてしまっているように思えました。 ただ、まだ綿矢りさは大人と呼ぶには若すぎるので仕方のないことかもしれない し、その過渡期的な感覚を、優秀な文章力で切り取ったという意味では悪くないの かもしれない。 今後は、「人間に対する不信感」を克服した、あるいは克服しようとする姿勢を 見せるような作品を期待したいですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
芥川賞受賞第1作。前作「蹴りたい背中」を読んでから、 次回作(文庫版『インストール』に書下ろし短編はあったけど) を楽しみにしていたので早速読んだ。 一人称での小説しか書かないのかな、と勝手に思い込んでいたので、 まずその抑制の効いた三人称の文体に驚かされた。 そして、作品の中で流れていく長い長い時間。 主人公であるところの夕子が生まれる前から物語は始まり、 二十年ばかりの彼女の成長が夕子の目線で描かれる。 「選ばれた容姿」を持ち合わせた夕子に対する世間の狂乱ぶりは、 広末涼子や宮澤りえをマスコミが叩きのめしたさまを思い出させて、 ぞっとした。 そして著者自身が芥川賞を受賞したときの、 報道の異常な加熱ぶりを描いたものなのか、とも感じた。 何というか、特筆すべきシーンは個人的にはなかったのだが、 とにかく「しおり要らず!!」という感じで一気に読まされた。 それだけ文章が上手いってことだろう。 根底に流れるテーマは多分たった一つ。 デビュー作「インストール」そして芥川賞受賞作「蹴りたい背中」と同じ。 「人は生きている上で、自分が思っている以上に誰かに守られている」ということ。 今回の作品には、「守られている」に加え「信頼されている」という キーワードがプラスされている。 自分を守ってくれている手、信頼で繋がれている手。 それを気づかず離してしまい、愚かにも自分をぞんざいに扱うことの怖さ。 それが今のところの綿谷りさの小説のテーマなのだと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読後の感想としては、「何だろうな〜この小説。こんなのが書きたかったのかなぁ〜。」と素直に思った。綿矢さんの小説を期待して(自分の勝手なイメージで)いただけに「何でこれ何だ」という思いが強く残った。独特の「何か。」を残す読後感はあるものの、経過を詰み込みすぎたのか、一気に世界を広げすぎたのか。皆が言う様に自分のイメージを打ち破る反骨的な実験小説なのか・・・。 主人公(作品)の疾走感(本人の意志以外で巻き込まれる大きな流れ)が作者の焦燥感(作品、イメージ等の重圧)と重なり読者の心に訴える。それが狙いか?だったらハマってしまいました。今までの作品を期待している人には?? 次回は切れ味鋭い短編を気持ちよく読みたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者名を見なければ、即座に綿矢りさだと気づく人は少ないのではないか。と思えるくらい、前2作とは何もかもが様相を画している。 まず、全編を通して前作まではほぼ使われなかった三人称を採用している。軽快なリズム感、深遠な心理描写はなりを潜めたが、物語に引き込む、緻密な描写にシフトしていて、全体の完成度は完璧だと感じた。 また、前作までに指摘されていた句読点の少なさも改善されていて、今では、逆にあれは高校生の一人称表現だからそういう書き方にしたのかな、などと思ってしまう。綿矢りさたる独特の表現は減りはしたが、でも、こういう↓表現は、ああ綿矢りさだなあと思える。 「怒りを内へ押し込めたままでいると、憎しみのガソリンがはらわたに染み込み、怒りの火種を近づけてしまえば内臓は勢いよく焼けただれてしまい、下痢になった」 13ページ 極端に長い、上下巻で分かれているものは別として、 一気に、一息に読めない小説は、もうその時点で読者を裏切っていると思う。 辛い描写や重い描写があって本を伏せたり、そもそもしんどくなって閉じてしまったら、物語に入り込むという役割を果たせていないと考える。 本作は重かった。辛い描写もたびたびあった。 でも本をめくる手は止まらず、300を越えるページ(前2作を足しても全然足りない)を読み終わるのは、非常に心地よかった。 本を読むという行為は紛れもなく、一人の世界。そこで感じる事は決して共有出来ないし、傑作と感じたものを他者に理解してもらえない事も多い。 ただ、本作は傑作だった。感じるものは違えど、数あれど、多くの読者の琴線に触れうる作品だと感じた。 「なんでも話すのは心を開くことに似ているが、心を開くことが勇気の要ることだとしたら、なんでも話してしまうのは惰性で、言ってしまったあとに鈍い後悔がつきまとう」 本文212ページより | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
史上最年少の芥川賞を受賞した綿矢りさが受賞第一作として 発表した長篇『夢を与える』。前作の『蹴りたい背中』に比べ ればタイトルも内容も陳腐です。せめてタイトルだけでもどう にかならなかったのかと思いますが、読み終えた今、タイトル はこの『夢を与える』しかなかったんだろうなぁ、と思い直し ました。ストレートに見えて、実はかなりひねってあるタイトル。 それは当の中身にも言えることです。 が!読み終えてから数日して、気が付かされてしまいました。この 小説のどこが陳腐なのだろう? ぜんぜん陳腐じゃない。これはどっ からどう見ても「実験文学」ですね。 芥川賞の史上最年少受賞とその容姿から爆発的人気を得た綿矢りさ。 ストーカーにも悩まされるほどの人気。 つまり、この小説はそんな「アイドル的」人気を集めた作者自身を 反映したものなのです(と、かってに解釈)。 芥川賞受賞第一作という状況下でこの作品を発表したこと自体も一つの 実験なのではないでしょうか。 いやはや、怖い。やはり、この人は天才のようです。 しかしながら、次回作は破天荒なもの、破綻しているようなものを読みたい。 もしかすると、「何か」をやるための「準備段階」なのかもしれません、この小説は。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!