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(短編集)
田村はまだか
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田村はまだかの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全62件 41~60 3/4ページ
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今最も注目されている、北海道小樽市出身で札幌在住の女性作家、朝倉かすみによる’09年、「第30回吉川英治文学新人賞」を受賞した全6話からなる連作短編集。文庫版には連作の番外編とも言うべき「おまえ、井上鏡子だろう」がボーナス・トラックとして特別収録されている。 3月4週の金曜日深夜、札幌ススキノ、小さなスナック・バー「チャオ!」の店内。小学校のクラス会の3次会。5人の40才になる男女が、遠方から遅れてやってくる田村久志を待っている。「田村はまだか」とつぶやきながら。 マスターの花輪春彦も加えて6人の胸のうちに、それぞれ入れ替わるように呼称が形容詞から固有名詞に変わって、なかなか来ない田村を待つ間に、過ぎ去った“痛いところ”が浮かぶ。それらは仕事であったり、不倫であったり、離婚であったり、ほのかな恋心であったりする。40年生きていれば誰もが経験する(かもしれない)し、胸に抱く(かもしれない)類のエピソードである。人生の機微というにはおおげさだが、40才という年齢に達した彼らの、彼らなりの心象風景が、あくまでさらりと描かれてゆく。そしていよいよ田村である・・・。 本書からは、「こころが波打つような」「怒濤の」感動をすることはできなかったが、私にとっては同世代に当たる著者・朝倉かすみがこの物語に託した、「いろいろあったが、『明日』がある」というような応援歌的メッセージを受け取ったような気がした。 | ||||
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自分的には最後の短編「おまえ、井上鏡子だろう」がツボでした。 このほろ苦い話がとても良かったです。 井上チョット可哀想… ところでレビュータイトルですが、かつてプロレス史における有名事件がありまして スーパー・ストロング・マシンという覆面レスラーに対して対戦相手がである藤波が 「おまえ平田だろ!」 と言って正体を思いきりばらしてしまった事があるのです。 さらにこの短編のヒロイン(?)の井上鏡子という名前は、女子プロレスラーの井上京子と酷似しています。 なので作者はプロレス好きだったのかなぁと思いました。 でも話自体は全然プロレスとは関係ないんでプロレス興味なくても面白いですよ。 | ||||
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おもしろいタイトルですよね。 丙午生まれ。 まさに私ですので 最初 ほぉぉ♪と読み進めてましたが、 ダルイかったです。 なんだかなぁ〜〜 文章わかりにくいんだ。 田村が書ききれてないので どうしても会いたい!感じがわからんし。 イメージできないもんから大半を占める登場人物たちの回想も...どうでもエエ感じでした。 え?何で二瓶が 読み終えて。『ふーん... で?』 以上 私の感想でした。すみません | ||||
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旧友がそれぞれの人生でさまざまに違う重たい心象を蓄えて、今一同に会し長い時を越えて同じ望みを分かち合う・・・こういうお話嫌いじゃないけど、むしろ好きだけど、この本もいい本だけど・・・正直なんか物足りないってのが読後最初の感想。深夜にやってる一話完結のTVドラマ、新人脚本コンテスト受賞作品みたいなのを見た時のような感覚に似ている。それなりに余韻はあるけど、所詮作家の創作って覚めている自分も別にいて、さらっとしたまあいい話になってましたねってなことを思っていたりする。 それぞれのエピソードもそれなりに味わいはあるけどちょっと表層的かな。お話の長さというより深さ、感情的な掘り下げが足りないんじゃないかと思う。マスターがメモするちょっと印象的な言葉、もしかするとその言葉が先にあってお話を後から考えたのかな?書評からは、それぞれの人生があって、それが混じり合った時に、それぞれがどう思って、どういう言葉が出て、というような未知の化学反応にドキドキしつつ胸がつまるというような群像ドラマを期待していたので少し残念でした。 | ||||
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ラストには怒涛の感動が待ち受ける。 どこが? 吉川英治文学新人賞受賞作。 これで? そんな感想です。 設定は面白いんだけど、「田村はまだか」と引っ張りに 引っ張った挙句、このオチですか。 どんな結末が待っているのかと期待した分、 かなりがっかりしました。。。 同級生それぞれのエピソードも、中途半端。 もっと田村の人物像を掘り下げた方が良かったのでは? 田村の魅力が全然伝わってきませんでした。 やりたいことは分かるんだけど。 惜しい感じです。 | ||||
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レビューでの評価が高く、帯の文句もカバー裏の文句もすごい。 いったいどれほどのものかと楽しみに読んだが、 正直言って私にはこの小説のよさがわからなかった。 ありきたりな話ばっかりで、 重松清の線を狙ったが、中途半端に終わったとしか見えなかった。 「薄い」シゲマツ物という印象。 巻末にある解説での大家4人のほめ言葉にもまったく賛同できない。 評判の表紙の絵も、関西人の私には、ホームレス中学生でおなじみの「麒麟」の田村にしか見えなかった。 読後、まじまじと見たが、 「これが麒麟の田村で、内容が吉本芸人の話のほうが・・・」と思ったのも事実である。 | ||||
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小学校の同窓会の三次会で、「田村」なる人物を待つ男女五人と、舞台となるバーのマスターが時間と空間をない交ぜにしながら、問わず語りのように紡ぐ物語です。個人的にこういった「ちょっといい話」がとても苦手なので、最後の「いい」場面でもさほどカタルシスが得られませんでした。NHKで最近やっている各回45分の五話くらいで完結するドラマにでもなればまた違った印象をもって接することができたのかもしれませんが、どうも文章で読むと、仕草の描写や台詞には妙に力を入れているのは理解できるものの、全体を眺めてみたときの「緩さ」が鼻をついてしまいます。 | ||||
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話が回想を中心に展開するので、どうしても緊張感に欠ける。 だから章を重ねるごとにだれてくる。 話自体は面白いんだけど、結局、何もなかったんでしょってことが見えてしまっている。 この人にはハードボイルドっぽい作品を期待。 | ||||
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さくさく読めて楽しかったです。 個々のエピソードがありふれていなくて、全体の構成もいいと思いました。 ともすれば重苦しくなりそうな人生ドラマが軽いタッチで書かれているのが逆によかったです。 タイトルと装丁もユーモラスで素敵ですね。 | ||||
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深夜、裏通りのバーでかつてのクラスメートの到着を待つ40才の男女5人。 雪に祟られ遅れに遅れたその旧友「田村」を待つ間に彼らの心の内を去来する「あれや・これや」が思いの他、クールなタッチで描かれております。 最初は5人それぞれがバトンを受け渡しながら「田村くん」との思いでを中心に物語を進めて行くのかと思いきや、それは第一エピソード「田村はまだか」のみ。 後はバーでクダを巻きながら各人が語るそれぞれの人生のエピソードで「田村くん」とは直接には関係がない。 ただ、そんな彼らを外から眺めるバーのマスター(こちらも何かと「訳あり」)の存在感と誰からともなく発せられる「田村はまだか」というコールが物語の輪郭に効果的なアクセントを加えております。 何となく「イイ話OR泣ける話」っぽい売り方をされている雰囲気もありますが実際はそれほど甘い話ではなく、その部分を期待外れと感じる方も多いのでは? 人生の折り返し地点辺りに差し掛かった男女5人、きれい事だけで済ませられるはずもなく、語られるエピソードは赤裸々であったり身も蓋もなかったりします。 ただし、決して嫌味な話ではなく、説教臭さもほとんどありません。 それでいて描かれるエピソードはどこか「ぬるり」としたリアルさがあって読ませます。 個々のエピソードは好き嫌いが分かれるところだが筆力は確かな物を感じさせますし脇のキャラの造形も上手い(特にバーのマスターと会社勤めをしながら「隠居している」二瓶さん)。 「田村さん」の到着をめぐるラストエピソードの展開には意見が分かれそうですが落とし所としては後味の良さを含めて嫌いじゃないです。 | ||||
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小学校時代の田村は、家庭的に恵まれているとは言えなかった。 だが彼は、小学校の頃から常に前向きに生きていた。5人の語る 田村のエピソードには心温まるものがある。そんな田村だから、 5人が必死に待っている田村だから、いつ田村が現れるのかと、 読みながらワクワクしてしまった。私も彼らと一緒に田村を 待つ気分になる。 小学校時代から20数年。さまざまな人生を送ってきた5人だったが、 彼らは思っていたに違いない。「田村に会えばあの日に戻れる!」と。 「田村はまだか。」彼らは呪文のように言い続ける。そして・・・。 ラストは、本の帯に書かれているような「怒濤の感動」とまでは いかなかったが、ほのぼのとしたものが心に残った。 | ||||
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ススキノの片隅のあまりぱっとしないカウンターバー「チャオ」に高校のクラス会の流れで男3人、女2人が飲んでいる、卒業以来28年ぶりというからそれぞれ40歳前後、マスター花輪春彦は47歳それとなくはやした無精ひげが似合う苦みばしったいい男、客はこの5人だけ、時刻はそろそろ深夜12時で、クラス会には出席できなかった田村を待っているというまるで一幕物の芝居のようなシチュエーションでこの洒落れた小説は始まります。 それぞれ家庭があったり、独身であったり、離婚していたりとそれなりの人生を経てきた年齢、まだまだという若さ自慢も、いやいやもう年だねという老け自慢もともに似つかわしい年頃です。酔いがまわるにしたがって小学校から一緒だった彼らの思い出が語られ始めます。先ずはまだ到着していない田村にかかわる思い出話が語られ始めます。母子家庭で小学生の頃から孤高で存在感があったという田村は、クラスでやはり周囲と打ち解けることができない女の子が「どうせ死ぬんだ」といって泣き伏した時に「どうせ死ぬから、今、生きているんじゃないか」と哲学的なセリフを言って皆をびっくりさせ、なお泣きじゃくる女の子に好きだよといいます。読み進むとこの二人は結婚したことがわかります。 それを契機にマスターを含めた6人はそれぞれこれまでに出会った人とのほろ苦い体験を語ったり、あるいは皆にはきかせられない密かな思い出に一人浸るのですが、それはどこかで田村や田村がいた時間とつながっています。そして思い出の主人公が変る度に、誰かがそれにしても「田村はまだか」といって舞台はまた夜更けのバーのカウンターに戻ってくるのです。 そして一渡り全員のエピソードが語られてもまだ田村は現れず、ここで最終章に引き継がれるのですが、残念ながら帯に書いてある慟哭のラストなんて感じではなくやや同級生同士の懐かしい昔話交歓で終わってしまって惜しいなと思いました。 | ||||
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結局 皆、どこかで、 孵卵器のなかのたまごを電球にすかしたときに浮かびあがる、糸くずみたいな血管 の様な か細く薄く頼りない、だけど強い絆で繋がっているんだねぇ マスターは補足としてこれを記してくれるだろうか? | ||||
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小学校クラス会の三次会に流れる四十歳の男女五人。クラス会に間に合わなかった「田村」が来るのを待ちながら各人が過去に思いを馳せる。 人生の約半分が過ぎて感じる自分の将来ポジションについてのあきらめ、子供時代についての懐旧等自分自身同世代ゆえに登場人物の思いに共感するとともに、そのリアルさに心を抉られるような感じ。ラストはちょっと甘い感じだが、同世代への応援歌として受け止めたい。 | ||||
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最初から最後まで、延々と気だるい感じが続きます。特に話が大きく展開することなく、だらだらだらだら、これが新しい小説なのだろうか? | ||||
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40代の札幌での出来事。 まさに私の生活していた小学校時代ですが、ちょっと違う気がしました。 そのリアリティを楽しみに読みましたが、それはなかったです。 40代、札幌で暮らし続けて「したっけ」も使わないのが、嘘くさいです。 何故、北海道弁がお母さんだけなのかがただ不思議でした。 内容は、しみじみとする同級生再会のお話しです。 それぞれの小さな歴史があって、その中心に、子供の頃の小さな思い出がある。 懐かしくも、羨ましいです。 ただ読んでいて彼等の子供の頃の浮かぶ景色は、札幌ではなく、三笠や夕張の 炭坑町並みが浮かんできました。 で、「田村はまだか」 | ||||
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まったく興味がない作家の名前に、新鮮さを与えたタイトル。 「田村はまだか」なんて失礼な名前じゃなくて、 「田村様はまだおいでには?」だったら、 もっとまともな面白みのある小説になったと思います。 同窓会でみんなが待ち望んでいる田村くんは、 貧乏だから、人に感動を与えたのではなく、 バカ正直で、読書家で、大きな愛を持ち、 すでに帝王学を学んでいたとしたら・・・。 こんな事実を知らないまま、小説家が書くと ありそうもない面白い人物造形ができるんですね。 そういうことをわかった上でこの小説を読むと、 本当の田村くんは「孤高の人」などではなく、 「小学校で既にみんなの人気者だった」という事実を覆い隠すようにして 巧妙に練られた小説として ご理解いただけるようになるかもしれませんね。 小説は小説でそのまま面白いですよ。 | ||||
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まだまだ人生の現役だぜ!と強がると同時に、人生にあきらめを覚え始めた世代。 人生の酸いも甘いも経験してきた、40歳の男女。 40ともなれば、今まで色々な経験があったことでしょう。 彼らそれぞれの人生を 人間の持つドロっとした心理を含むエピソードひとつで浮かび上がらせ、 なおかつそれがあっけらかんと軽快に描かれているものだから、 脱力して楽しめてしまう。 読者は、田村というまだ来ぬ人物を想像して、 彼らを身近に感じながら、いつの間にか一緒に田村を待っている。 ひとことでは伝えきれない、痛さと可笑しさと面白さが、 この小説からは漂ってくる。 読み終わってから、じわじわ良さが広がってきて、 心の奥深くをぎゅっとつかまれたような心持ちになりました。 | ||||
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多かれ少なかれ、人生に疲れた中年たちが、小さなスナックで田村の登場を待ちわびる時の、大きな期待感と、感じているだろうかすかな不安感が、読者の心を高揚させると同時に切なくさせる。 と、ここまででやめればよかったのに、田村を実際に登場させるのは、お話としていかがなものでしょうか?登場時のエピソードもとってつけたようで、作者の意図がはっきりしません。おそらく作者もこの話の結末をどうするか迷ったのでは? | ||||
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まだ現れない田村を待ちつつ、小学校のクラス会から流れて三次会。 男3人女2人の元同級生が語る半生。スナックのマスターの目線も交えつつ 田村が登場するまで、ぐいぐい引かれて読まされる。 40歳になる同級生たちの胸に去来するのは、強烈な印象を残した田村にまつわる 思い出であり、その後の人生のどうにもならなさであり、しかしながらこの先への ほのかな期待でもある。 呑みながら、5人がそれぞれに語り、思い、田村を待つ時間はじりじりと読み手をも せき立てるようだ。 小学6年生にして「孤高」の存在であり、生きるということの本質をずばりと 言ってのけた田村。 人がここに「在る」ことの無二の意義を堂々と口にした人物だ。 その田村のその後の話をぽつぽつとはさみつつ、男女5人の半生が交錯する。 日常が語られ、苦い経験が語られ、生きていくことのしんどさも身につけた処世の術も 40歳という年齢相当のリアルさだ。 待って待って、やっと読み手も田村にたどりつく、その登場のしかたも なんという衝撃的な!! 会話がいきいきと躍り、文体も短いセンテンスでテンポよく、なにより ここにいない田村を待つ期待感がこの作品に明るさをもたらしている。 田村に関係するある人物をほのかに匂わせるあたりの塩梅もとてもよかった。 | ||||
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