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ケルベロス第五の首
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ケルベロス第五の首の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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わけわかめです。 高評価をつけている方々のレビューを読めば分かる通り、彼らも話の内容を理解できていません。訳が分からない物を楽しめる私カッケー病にかかってます。 その病にかかりたい方にはおすすめです。 | ||||
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作者のことは全然知らなかった。訳者の柳下毅一郎いわく「日本で最も過小評価されているSF作家」。 柳下といえば、町山智浩のバディで笑えるアメリカ道中を書いた人だ。それは不勉強だった、読まねばーー でもハードカバーでかさばるし、大人買いして外すと痛いので一冊だけ買った。 帯に苦手なアーシュラ・K・ル=グィンの推薦文がついてるので、嫌な予感がした。 結論を言うと、大人買いしなくてよかった。最も苦手なタイプの小説だ。 地球の植民惑星の話だ。何にでも変身できる原住民がいたらしい。 入植している地球人の末裔は、自分たちは原住民が変身した姿ではないかと疑っている。 面白そうでしょう。でも、まったく面白くない。 一部はお屋敷で厳しい教育を受けるボンボンが父に殺意を抱く。 二部は採集された民話で、三部は惑星の成り立ちを探る捜査資料という三部構成だ。 小難しい上に文章の歯切れが悪く、退屈きわまりない。明確な結末もない。 深読みが習性になっている玄人筋には受けるかもしれないが、私は駄目だった。 過小評価されているのではなく、ただ単につまらないから無名だったのだろう。 こういうのが肌に合う人もいるだろうから、否定はしない。 でも、森奈津子流に言うなら、本書では私のSFチンポは立たない。萎えっぱなしだ。 | ||||
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なにがなんだかわからず、まったく面白くありませんでした。 ごめんなさい。 | ||||
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「地球より彼方に浮かぶ双子惑星サント・クロアとサント・アンヌ。かつて住んでいた原住種族は植民した人類によって絶滅したと言い伝えられている。しかし異端の説では、何にでも姿を変える能力をもつ彼らは、逆に人類を皆殺しにして人間の形をして人間として生き続けているという…。」 商品説明や表紙の袖にあるこのプロットを読まないと正直お手上げ状態だったと思う。 いきなりこの本を紐解いたら、「何だこの本は?」と著者の気が触れているのではと勘違いしてしまうだろう。 読書というよりかは、ウルフ氏が引いた霞がかった話の本筋の線をひたすらなぞる作業をしているかのような錯覚に陥る。 冷たく霞がかったうっすらとした線である。 読むヒントとしては描かれている話の舞台が「地球」なのか「惑星サント・クロア」あるいは「サント・アンヌ」なのか見当を付けておくこと。 「姉妹世界」「原住民」の語義を大方でいいのでこれも見当を付けておくことである。 ミステリではないので読み終えても明確な答えは出てこないが、こうしたヒントで自分なりの答えが導き出せると思う。 今作は3つの中篇を通して、プロットの真意に迫る構成なのだがこれがまた見事である。 ウルフ氏は読者に話の輪郭をなぞらせるにあたり、正に絶妙な「答えに触れそうで触れられない」箇所を捉えて、そこに読者の通るコースを置く。 読者は今か今かと真に迫ろうと急ごうとする。どんどん話に惹き込まれていく。読む手は止まらなくなる。 話の流れと共に絶えず暗く沈んだ所で響き渡る重低音を感じられ、緊迫感というか落ち着いた緊張感を常に感じられる。 そこに読書の喜びを覚えるし、読後の自身を振り絞ったかのような感覚は最高の感動である。 難解とまではいかないが、奇書の一歩手前といった一冊である。 | ||||
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表題作の他、「『「ある物語』ジョン・V・マーシュ作」及び「V・R・T」の全3つの作品から構成されるSF連作中編集。更に、この3つの中編が複雑に錯綜して1つの長編を構成するという非常に凝った創り。舞台は地球から遠く離れた双子惑星のサント・クロアとサント・アンヌ。ここにはアポ(オーストラリアのアボリジニを意識している)と呼ばれる原住民が住んでいたが、人類(地球人)が彼らを滅ぼし、代りに住んでいると伝えられている。その一方で、何にでも変身可能なアポがやって来た人類を撃退し、人類の姿を借りて住んでいるとの異説も......。 表題作はサント・クロアに住む青年「第五号」の回想譚。「『「ある物語』ジョン・V・マーシュ作」は地球からやって来た(本当か?)人類学者マーシュが収集した双子惑星の民話。「V・R・T」はサント・クロアにおける士官と囚人との訊問の記録。囚人はサント・アンヌのスパイとしての容疑を掛けられたマーシュで、マーシュのノートも提示される。本来ならここでカタストロフィーが訪れる筈なのかも知れないが、残念ながら高踏的過ぎて、私の理解を越えていた。植民地政策や階級社会に対する風刺と解釈するのは皮相に過ぎるだろう。強いて言えば、歴史や記憶の曖昧性を基にした、「自分とは何か?」、即ち、「アイデンティティの追求」をテーマにしているらしいが、良く分からない。「ケルベロス」は勿論、「ケルベロスの犬」の事だが、五番目の「首」が何を意味しているかも良く分からない(ちなみに、四番目の「首」は処女膜の由だが、これも理解不能)。 SFファンの方の中でも、哲学的思惟を好む方向けの作品だと思った。一般的読者にとっては、歯応えがあり過ぎるとシミジミ感じた。 | ||||
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ジーン・ウルフの「新しい太陽の書」シリーズを読んでいて、この作品が引っかかってきたので、購入しました。 手品師が言葉のシルクハットからとりだすうさぎならぬ虎や豹が、次々に龍や蝶や華に変化するのを見ると楽しいやら怖いやら。 文学は手品師の舞台だったんですね。 | ||||
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三作のうち第一話だけ好きです。もともと単独の中篇としてアンソロジーに収録され、ネビュラ賞の候補になった作品で、当時流行ったクローンテーマの作品群の初期のものと言えると思います。アイデンティティというテーマの面白さ、少年時代を懐かしむような一人称のメランコリックな雰囲気、未来の殖民惑星でありながら中世的な不思議な世界、が好きです。短編『デス博士の島』とよく似た作りです。第二話と第三話で展開されるミステリー的な語りの魔術には私はあまり興味はありません。第一話だけで大満足です。 | ||||
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まず SFミステリ/ミステリSFという呼び方/考え方をやめましょう(確かにそのような途方もない訓戒を義務づける権限があるわけではないが)。 まともなSF作家なら ストーリーを謎めかす語り口を使うのもあたりまえ およそ小説らしくない(?)文書の集合体といった結構を使うのもあたりまえ 登場人物に謎を追わせて狂言まわしの役をやらせるのもあたりまえ です。 "SFとして”傑作といえる作品を読み終えて 改めて裏表紙の惹句を見てみるーと、例の”ミステリ”の文字がーガックリきます、でしょ? 中坊の時 スタージョンのアレを読んで以来 こーゆー作品は大好物です。スタージョン、ストルガツキー、スターリング(?)、ストリーバー(嘘)、そーゆーメソッドを好んで使うでしょ。それをいちいちSFミステリとか言ってた日にゃあ・・・ で、ゴシックSF。ふむ。 フツーにSFとして楽しみましょう。 SFは無慈悲な女教師です。けっして親切丁寧至れり尽くせりではありません。でも こーゆー傑作は何年ものあいだ再読に堪え続け、あなたに薫陶を与え続けるの。 さて、もうお時間がきてしまったようです。またどこかでお会いしましょう。 宿題)文中に隠された三つの引用を指摘せよ | ||||
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ほかレビュアーの方も書いてらっしゃいますが とにかく何度読み返しても驚きがあります。 ジーン・ウルフの魔術に翻弄されます。 ストーリーを読み解くにつれて根幹を失う、いや、むしろ 根幹など無かったと気付かされる「私」と呼ばれる「個」と、 「歴史」という「記録と記憶」。 作者の正確な攻撃が、人が持つ概念の甘い部分を付いてくる快感は 『デス博士〜』の与える混乱とはまた一味違った楽しさです。 アイデンティティを突き崩すSFは結構ありますが 本書はその中でも異彩を放つ、強烈な存在です。 | ||||
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2004年度の傑作との誉れ高き作品です。ジーンウルフは70年代最高のSF作家の一人で、日本で最も過小評価されている作家とのことです。1972年作の本書は彼の最高傑作であるにもかかわらずその難解さのため今日ようやく陽の目を見たとのことです。 物語の舞台は人類が植民した双子惑星。現住種族は絶滅したとされています。しかし姿を変えられる彼らは人類になりかわり生き続けているとも言われます。そして彼らは自分たちが人類ではないことすら忘れているというのです。三つの中編で構成されます。文体も構成も異なる三つの話が複雑に交錯しやがておぼろげに全体像が見えてくるという仕掛けです。全体を貫くテーマはどうやら「アイデンティティの不確実性」です。 確かに不確実です。三話とも読んでいるうちに一人称が誰なのか分からなくなってしまいます。さらに「何にでも姿を変えられる原住民」という設定によっていつのまにか一人称が入れ替わってしまうこともあるかもしれません。現実的な日常を元に描いた作品以外はすべてSFと言っていいかもしれないというSFというジャンルの懐の深さをあらためて思い知らされました。 | ||||
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強烈な作品。 難解で時に私を措いて遠くへ行ってしまう時もあったが、読み終えてみると、これは度重なる読書にも耐える本だな、という感想。 確かに難しいから、理解したとは言えない。けれど、詩的で残酷、そして美しい一冊で、面白かった。こっそりと示唆してある事柄が多くて、誰か解説してくれないかと思ってしまうほど。他の作品も読んでみたかったのだけれど、みつけられなかった。 | ||||
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ジーン・ウルフの作品は難解と言われるが、難解ではない。本書などは 一ページ目から引き込まれてしまう。一ページ目の第2パラグラフまで 読まれたい。作者の巧妙な語り口に捕らえられているだろう。 難解というよりは巧妙・複雑であり、けっして読者を飽かせるような ことはない。このような作者・作品を取り上げた企画に敬意を表したい。 SFマガジン10月号がジーン・ウルフを特集しているので、そちらも 読まれることをおすすめする。 | ||||
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語りは騙り。ジーン・ウルフは巧妙な騙り手だ。思わず舌をまく騙りのワザはふたつある。ひとつは、人間になりすますことのできる異星人を設定したこと。異星人が人間を騙ることが可能な世界では、「私が人間であること」や「私が私であること」の確実性は揺らいでくる。本書は、このような設定の中で、語り口のまったく違う3つの物語が物語られるのだが、ここで「物語を語るうえで客観的な時間を明示しない」という第2の騙りのワザをかけることで、「私」の起源(私はいつ生まれたのか? ニュートン時間で?)はよりいっそう曖昧となってくる。「私とはいったい何者なのか?」――こうして、また、私は本書を本棚から引き出すだろう、何度も、何度も。傑作だ。 | ||||
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