■スポンサードリンク
見たのは誰だ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
見たのは誰だの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.83pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
探偵小説は以前けっこう読みましたが、いわゆるエログロ系はもう満腹というか辟易してまして、現在でも個人的に再読できるのが大下や角田らごく一部になりました。戦前戦後の時代感に違和感なく没入できます。最近の妙にキャラの輪郭ばかり描きたがるエンターテイメント小説は、ずいぶんとムダが多いので、シンプルな筋立てと朴訥な人物造形に清々しい気持ちになりますね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
実に大下宇陀児らしさを満喫できる快作と言っていいだろう。しかし、この“大下宇陀児らしさ”に無頓着であり、無いものねだりをする者にとっては退屈千万かもしれない。そこを説明してみる。まず、この長編小説は、ある男子大学生の冤罪を晴らすまでを描いたものである。第一部「陥穽」で彼は落とし穴に落ちるわけだ。しかし、それは誰かが故意にこしらえた陥穽というわけでもなかった。色々な偶然が重なってそうなってしまった。しかし、この章で彼は警察によって完全に4人殺しの容疑者にされてしまう。これも警察の一方的思い込みからで、決して横暴な警察官たちではなかった。第二章「迷路」で「任侠弁護士」が登場する。しかし、彼ひとりで事件のすべてを解決してしまうわけではない。彼は警察と協力しながら解決の糸口を探っていき、そして「迷路」にはまりこむのだ。第三章「発見」は、だから任侠弁護士と警察がそれぞれ別の観点から事件を捜索していく過程を描く。「時計とラジオ」「風とカレンダー」などという不思議な節立てもユニークだ。任侠弁護士こと俵岩男の「やり方が、まことに地味であり常識的であり、ハッタリや芝居気がないために、それほど世間へは目立たないが、現実の事件に於て、常人には解き難い犯罪の謎を、ものの美事に解決した経験が何回となくある」という人物である。しかも、この小説のタイトル「見たのは誰だ」という言葉が出てくるのは、何と第三部、五節のうち第三節の一等最期である。そこまでタイトルの意味は不明なのだ。こんな悠長なものを好んで読むような人でないと楽しめないかも知れない。急進的な最新ミステリの醍醐味はないかも知れないが、しかし、今や喪われてしまった探偵小説の良心ともいえるものを21世紀の今に読む楽しみはまた格別でもある。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
戦前『新青年』からデビューし、初期には怪奇・幻想ものやトリック重視の本格ものなども手がけたが、やがて、より現実的な存在感をもつ人間ドラマの内に事件を描く、リアリズムミステリの作風を確立していった大下宇陀児の、1955年の書き下ろし長編。 肉体労働をしながら大学に通う苦学生・桐原は、友人・古川の慫慂によって強盗に加担してしまうが、押し入った現場で家人を平然と殺害する古川に激昂し、争いになるうちに彼を死に至らしめてしまう。状況は正当防衛といえるものであったが、桐原を逮捕した警察は、古川のみならず殺害された家人すべての死を、桐原の犯行と断定してしまう…。 平凡な大学生が、出来心から加担してしまった犯罪によって、絶望的な冤罪に捕らわれてゆくサスペンス。気骨の固い刑事や弁護士の魅力的なキャラ立ち。単純な強盗殺人にみえた事件に、より深く複雑な背景が立ちあらわれてくるスリリングな展開。そして、冤罪を晴らそうとする弁護士の微にいり細をうがつ推理や、タイトルの『見たのは誰だ』を核心に収斂してゆく謎解きのプロットも精妙で、一読巻をおく能わずといった面白さがある。 語彙に時代を感じさせるところも少しあったが、読みやすい平明な文章で、時代を現代にうつして書き改めれば、そのまま近年の人気ミステリ作家の作品として出回っていても、おかしくないような内容である。作品自体に感動させられる一方で、本作は今回が初の文庫化ということで、これだけの秀作がズッと埋もれていたという勿体ない事実に、慨嘆させられずにもいられなかった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!