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死に急ぐ鯨たち
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死に急ぐ鯨たちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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安倍公房の本は結構読みましたが、なかには難解で読み難い本も幾つかありました。個人的に気に入っているのはSFチックな『第4間氷期』や、『R62号の発明』などです。 そんな氏の貴重なエッセイや評論集などをまとめたのが『死に急ぐ鯨たち』です。ここでの氏の口調は噛んで含めるような優しいもので、いまの社会が抱えている病根や、人類の所業のようなものが、スッと頭のなかに入ってきます。 氏の作品は大抵新潮文庫で読めるので、この全作品をいつかは読破してみたい!と思っていましたが、大分前に幾つかの代表的な本を残して絶版になってしまったみたいです。ですがこの『死に急ぐ鯨』たちは残して欲しかった。実際に私はこの現実社会を生き抜くための指針として時折読み直しているからです。 こういう本がもっと世の中に広く出回ることを願います。 | ||||
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(前略)国家の外に立つことが誰にとっても不可能なら、抑止力としての核を生きるしかないことになる。だから現代の破滅願望は、反体制として機能するよりも、はるかに国家主義、もしくは民族主義的方向に組織されやすい性格を持っているんだ。けっきょく真の核廃絶は国家の廃絶以外にありえないような気がする。あまり希望は持てないね。兵士への道のほうが、国家の廃絶よりはずっと理解しやすいプログラムだからな(pp.141-142)。 *その後のグローバル化の急速な進展、とくにIT革命を経て、「国家の廃絶」とまではいかなくとも、「国家の弱体化」は、この文章が書かれた時代よりも、はるかに「理解しやすい」プログラムになっていると思います。 | ||||
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言語論関係の話が多く、随筆というより理論を説いているような感じである。氏の作品の内容は感覚的なことが少なくないがここでは論理的知識人として見識を振るう。安部公房は文壇に属していなかったし(文壇は時機にしょうめつするわけだが)文豪、というより知識人と言ったほうがしっくり来る。 対談は『方舟さくら丸』について触れていることが多く、同著を読む上で非常に参考になる。 最も彼は評論することより素直に読んで欲しいとポツリ。これは多くの文学者の思うところであろう。 | ||||
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安部公房の書籍を集めているが、昨今のもので、意外と手に入りにくいものが この作品の初版帯つきだった。全集を見て「初版本」として考えると、この作品のカバーに価値があることが分かる。文庫でも「初刊本」という位置の作品が安部公房さんにはあるので、意味合いを考えて購入していくとよい。 | ||||
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もうかなり前に書かれた本書で、安部公房は、次のように述べている。 「… 誰かが生き延びるために、誰かが死ぬ、この条件がある限り、サバイバルは犯罪になってしまう…人間が人間を所有し支配できるかぎり、生き延びようとすることで誰かを殺してしまうんだ…ファシズムとはすなわち選別の思想なんだ…殺すことも、殺されることも拒否しようと思えば、二人とも死ぬしかない…いまわれわれが置かれた状況は、まさにその選択を迫っているとぼくは思う。どっちかが生き延びることをゆるされるのなら、核戦争も許されてしまうじゃないか」 (p.104-108.) これは決して、「冷戦時代の思考」ではなかったことが、9.11とイラク戦争後、やっと明らかになり始めている。「核戦争も許されてしまう」という鮮明な予感は、今まさに現実のものとなった。核は今や、「偏在する潜在的なものとなった敵」の裏をかくことさえ可能なものとして、それ自身が「偏在する潜在的な力」となった。それは、多様な戦術に応じて、いついかなるときにも、誰に対しても使用され得るものなのだ。 このような状況において、本書だけが語ってくれることは何だろうか。 | ||||
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安部公房は日本語文学が誇るポストコロニアル文学の巨星である。1986年 に出版された、この安部公房のエッセイを読んでみると、ポストコロニア ル理論のエッセンスが、彼独自の言葉によってほとんど語られていたこと がわかる。植民地主義、ナショナリズム、アイデンティティー、ハイブリ ッド、「ロビンソン・クルーソー」、ガルシア・マルケス、カネッティ、 無国籍文学等々。たとえば次の一節を見てみよう。 東は東、西は西。(中略)と、僕が西欧人なら言うだろうね。 もちろん好意的意見としてだよ。日本人がまたそれに乗って、 東は東なんて言いだしたら、まんまと向こうの思うつぼですよ。 東も西もないんだって、なぜ日本人が言えないんだ。(中略) 今東洋という括弧で何かをくくった瞬間、何が起きるかとい ったら、結局植民地主義者と植民地原住民との色分けだけでし ょう。(91-92頁) まさに、安部公房流の脱アイデンティティ論であり、脱オリエンタリズムで はないか。まさに必読の書である。 | ||||
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晩年、メディアへの露出も減少し、文壇とも距離をおいていた安部公房が何を考えていていたかを知ることのできる貴重な資料と思われます。話題は多岐にわたっていて、好奇心を刺激されます。私個人的には、角野忠信氏の「日本人の脳」についてふれているインタビューや、エッセイがお気に入り。「無国籍作家」と呼ばれた安部公房の、一筋縄ではいかない物の見方が非常に面白いですよ! | ||||
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もうかなり前に書かれた本書で、安部公房は、次のように述べている。 「…誰かが生き延びるために、誰かが死ぬ、この条件がある限り、サバイバルは犯罪になってしまう…人間が人間を所有し支配できるかぎり、生き延びようとすることで誰かを殺してしまうんだ…ファシズムとはすなわち選別の思想なんだ…殺すことも、殺されることも拒否しようと思えば、二人とも死ぬしかない…いまわれわれが置かれた状況は、まさにその選択を迫っているとぼくは思う。どっちかが生き延びることをゆるされるのなら、核戦争も許されてしまうじゃないか」(p.104-108.) これは決して、「冷戦時代の思考」ではなかったことが、9.11とイラク戦争後、やっと明らかになり始めている。「核戦争も許されてしまう」という鮮明な予桊??は、今まさに現実のものとなった。核は今や、「偏在する潜在的なものとなった敵」の裏をかくことさえ可能なものとして、それ自身が「偏在する潜在的な力」となった。それは、多様な戦術に応じて、いついかなるときにも、誰に対しても使用され得るものなのだ。 このような状況において、本書だけが語ってくれることは何だろうか。 | ||||
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