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拾った女
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拾った女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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どんでん返しがすごいと聞いて読み始めたのに、 どんでん返しを全く推測することができませんでした。 正確に言えば、どんでん返しが凄いのではなく、作者に自分の心を見透かされているのですね。 私は大馬鹿者でした。 これからまた読み直すのでしょう。 私は大馬鹿者でした。 | ||||
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途中までは本当におもしろく、破滅に向かってゆく過程はすごく良かったです。 ミステリーやノワールというより、丁寧すぎる描写や筆致は純文学作品を読んでいるようでした。 正直ミステリの要素など関係なく、中盤で終わってよかったように思えるくらいです。 読書中妙な引っ掛かりや、靄のような違和感が薄っすらとありながら読み進めることになるけれど それらの胸のつっかえや疑問は後になってから明かされます。 最後まで読めたのでつまらないということはないですが、面白いと絶賛もしがたいです。 少なくともトンプスンやブコウスキーを初めて読んだときの衝撃や興奮は私にはありませんでした。 もう一度読みたいかというと気が乗りませんが、文体は好みでした。本作はおそらく 一回きりの飛び道具的な作品だろうと思うので、また違う作品も読んでみたいと思えました。 | ||||
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正直何が面白いのかわからない。人物に魅力がない。話もありきたり。表現も月並み。 | ||||
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ジャケ買い。 カバー表紙の重要性って増してるんじゃないかな。本屋だと平積みじゃないと見えないけど、ネットだとね。 タイミングによっては「何だよ、この小説」と思ったかもしれないが、面白く読む。 21の章のひとつひとつがちょうど30分ドラマ、しかも複数の監督が演出した連ドラのような感じ。 そういう意味で、章の中の「ん?」という飛躍や、ある章と次の章の「え?」という展開も、ツッコミすることなく読んでしまった。 読後、落ち着いて振り返ると、ノワールなのか悲恋モノなのか反戦小説なのかごちゃまぜカルトなのか、どう言っていいのかよくわからないんだけど、なぜかイヤな感じ悪い感じはない。 アメリカな感じがしたのかな。 映画で言うと、ニューシネマとか「地獄の黙示録」の前後半のギャップとか。 作者の初期の作品のようで、たしかに発展途上な印象を受ける。 その発展途上の書き手の、想いへの熱情と構成への冷静のアンバランスが、読み手には結果として妙なバランスを感じさせる。 そのあたりに活き活きとしたものを感じて、「おもしろいなあ」と思ったんだろう、今のタイミングでは。 | ||||
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解説で題を伏せ触れられている「死ぬほどいい女」に似ていないこともないが、自己正当化のない真摯な転落として好感触。 | ||||
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絶望感を持ったの本である…でも文字は優しいくて、古い本を感じません… | ||||
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少し前から気になっていた本書チャールズ・ウィルホード著『拾った女』を読むことにした。 1919年生れのウィルホードは16歳のときに陸軍に入り、以降1955年に36歳で退役した、と杉江松恋氏が巻末の解説で記述していた。 最終ページのたった二行で読者の意表を突く手法に、あらためてページを遡り、あれもこれも少し気になっていたことの意味を読者は知ることになる。 泥酔したヘレンを探しだした酒場の外で海軍下士官3人にハリーが卑屈なまでの態度で謝るシーンや、精神科医の執拗な問診の最期に「二人の行きつく先には悲劇しかありえない。」などと忠告していたことなどである。 決定的な布石だったのは、 かって画家になろうとしていて挫折したハリーが、ヘレンの求めるまま彼女の肖像画を描くことになったとき、エドゥアール・マネの『オランピア』のようにヘレンを描きながら、背景をどうしても描かなかったハリーの執拗なまでに拘る態度だった。 再読したら、まだまだ気が付く会話や描写があろうと思が、気が滅入るようなストーリーであるからあえて再読しようとは思わない。 本書が発表されたのが1955年だからウィルホードの初期の作品だろうと思う。 この小説が戦後まもないころに書かれたことを考えると、ノアール小説としても斬新なプロット構成であり、著者の特異な才能を認める作品であろう。 浜野アキオ氏の秀逸な翻訳で読みやすかったことも付記しておきたい。 | ||||
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POPな女性のカバーイラストと、「実は読者の手元で変化する曲球」といううたい文句。その二点に惹かれ購入。翻訳物は概して訳の稚拙さから、途中で放棄することが多い私であるが、浜野アキオ氏の名訳により違和感なく読めた。 冒頭の『卵形の顔はしわひとつなく、ひどく色が白い。』というヘレンの容姿の説明から、読者は勝手に思い込まされてしまう。そんな作者の罠に嵌り違った視点で再読するのも良いが、むしろ私はやり場のない、刹那的な恋の道行きとして楽しめた。 | ||||
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2015年度の海外ミステリランキングの上位にいることでこの本の存在を知りました。チャールズウィルフォードを読むのも初めてです。1954年の作品。この時代背景が一つのポイント。ノワールという総称で語られそうですが、。一人称の中に微妙な抒情性があって小説としても魅力的。女が死んでからどういう展開になるのか分からずに読み進めると最後にガツーンと一撃。そして読み返し。「殺人交叉点」は叙述トリックだったが「拾った女」はそれだけではない。私的には2015年のベストかも。 | ||||
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私にはあまり合わなかったかもしれない。ヒロインが駄目でした。 | ||||
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1950年代ぐらいの海外ミステリが好きだ。良い悪いは措くとしてアメリカがアメリカだった頃、この微妙な空気感が好きで、この雰囲気の中でこそ、「拾った女」は際立つ。頁も300頁余りで長くない。この頃の小説はそんなに長くないのが嬉しい。 原題は、Pick‐Up。極めて簡潔である。ノアール小説らしいが、2/3ぐらいまでは、どうしようもない男女の恋愛の淵が描かれ、私は男なので、判る、判ると思いつつも、なぜこうも絶望的なのかが判らず、ラスト2行を待つしかなかった。 先日、黄昏にマックの店に入り、テイクアウトで注文したお気に入りのバベポやシャカチキを待っていた時である。何気なく、「お渡し口」の表示板を見たら、PICK UPと書かれてあり、穴のあくほど見てしまった。 | ||||
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他の方のレビューでも指摘されているが、本書は主人公が自殺志向、心中志向の愛人美女に振り回される13章までが面白く、ここまでは傑作のようにも思えたのだが、償いと救済と再生の話である14章以後は、余計なものを読まされてしまったようで、共感しづらかった。残念。 | ||||
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この本に関して語ろうとするのは、 「シン・ゴジラ」について語ろうとするのと同じ困難がある。 最大の読みどころを語るのが、すでにルール違反になるんだよな…… | ||||
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知る人ぞ知るアメリカのクライム・ノヴェル界の大家ウィルフォードが今から60年以上前に著し後年多くの賛辞を得た秀作ノワール小説の逸品です。本書カバーの赤と黄色がケバケバしく使われた派手さとタイトルの「拾った(拾われた方の)女」という表現の2つが著者の仕掛けた肝心要の罠を上手に覆い隠す事に大いに貢献していたのだなと読後にしっかりと気づきましたね。 サンフランシスコのカフェにブロンドの美女ヘレンが入って来たのが店で働く画家崩れの酔いどれ男ハリーの不幸の始まりだったのかも知れない。やがて二人は意気投合し翌日に再会した後に彼の下宿での同棲生活が始まるのだが、その先には何とも不吉な運命が待ち構えていたのだった。 まず、改めて「ノワール小説」を検索してみると「犯罪の暗部や心理を描く、犯罪小説の一ジャンル。暗黒小説。」と出ていました。本書は読まれた誰もが純愛・悲恋小説と呼ぶのが相応しいと感じられるだろうと思うのですが、隠し味として犯罪とまでは言えないまでも人間が本来持つ嫌らしさを漂わせているのも事実ですね。本書のトリックは相当に古風な趣の内容で、今ではありふれていてもはや誰も書かないだろうなとは思いますが、でも人間が抱える解決が容易に見えて実際は困難で永遠になくならない問題だと言えるでしょうね。ヘレンがハリーと交わした不器用な言葉や医者のハリーへの回りくどい質問にヒントが隠されていますが、一方では乱闘シーンで当然の如く発せられるだろう下卑た言葉がおそらくは省略されているのはややアンフェアでしょうね。ああ!でも私はヘレンの母が獄中のハリーに取った態度に別の意味を見出したくはありませんし、下宿のおばさんやバー店主は実に気の良い人達で、要は人間性が肝心なのだと信じたいです。さて、主人公のハリーは画家を目指した物の夢破れて時々深酒に逃避するだけの善良な男で、窃盗や殺人に走るなどとは全く考えられない本当に良い奴なのですね。きっと重度のアル中女ヘレンとの出会いが誠に不幸な巡り会わせだったとしか言い様がないですが、でも私は正直もう少し我慢してがんばって欲しかったなと思うのですね。この本で遣り切れない気分になるのはその点が全てで、その二人の性格の弱さと悲劇性の故に本書を手放しで気に入るというのは私にはどうしても無理ですね。唯、せめてそこには確かに男と女の真実の愛があったと信じたいですし、きっと彼女は彼を心から信じて決して怨んではいないのだと思いますし、ハリーの命はまさにヘレンから与えられたのではないかという気がして、そんなに落ち込まずにこの物語の終わった後にもう一度気を取り直して違う土地でまた一花咲かして欲しいなと思うのですね。 | ||||
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多面的な読み方を許容する小説だ。 絶望的な男女の道行を描いた小説としてホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』やケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』といった名作に匹敵する悲痛さをたたえ、才能の枯渇した芸術家の焦がれるような苦悶を描いても秀逸であり、読者を襲う最後の一項の驚きは(類例があるにせよ)優れたミステリの快感そのものだ。細部に貼られた伏線の周到さは再読に値する。 男女の心の闇を、そして1950年代アメリカ社会の暗部を描いたノワール文学の傑作。 | ||||
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帯には、幻の傑作ノワールとあるが、ハリーとヘレンの抗い切れない死への願望という心の闇を描いた小説と理解するのが正しいのかも知れない。雰囲気は非常に良いが、物語としては余り面白くはない。 ハリーが働く、サンフランシスコの夜のカフェに無一文で入って来たブロンド美女のヘレン。ハリーとヘレンは意気投合し、束の間の幸せを酒と官能の世界に溺れ、退廃的に過ごすが… ハリーとヘレンの出会ってはいけない二人が出会ったことで、救いも、望みも無いような深く暗い闇の底へ沈んでいく物語が展開する。 | ||||
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悲劇は悲劇だけど半分以上自業自得だよね、な14章までと あれ、まだ続くの?なそれ以降 読後感はもにょっとしてすっきりせず 総合的には何か変なものを喰った、な感じ 「炎に消えた名画」にも出てきたモチーフ(「希望の奴隷」)が反復されているので同作が好きな方なら楽しめるかもしれないが、自分のような「危険なやつら(美術の教師をやってる息子は~ってあたりにはニヤっとするが)」やマイアミシリーズの人を食った感じが好きな人にはあまりお薦め出来ない。 何だかなーわかんないなーなぞと読み進めながらも感触としての近さを感じたのはコリン・ウィルソンがバルビュスの『地獄』から引いた わたしには才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する -アウトサイダー あるいは、この作品が初代「ゴジラ」と「虚無への供物」の同時代に発表されているのは単なる偶然ではないのかもしれない。 | ||||
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