屍衣にポケットはない
- ハードボイルド (136)
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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1937年に発表され、2024年に初めて邦訳されたホレス・マッコイの長編第二作。1930年代、アメリカの地方都市でジャーナリストとしての筋を通し、社会の不正を告発する記者の激情に溢れた生活を描く幻のハードボイルド小説である(著者はハードボイルドに分類されるのを嫌っていたようだが)。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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圧力に屈しない新聞がもうこの世に存在しない―― という主人公の嘆きと怒りが冒頭から爆発する。 古巣の新聞社を退職した主人公は自ら雑誌を発行して 腐りきった町のあれこれを暴露していく。 だからといってジャーナリズムのあらまほしき姿が 描かれるわけでもないところが妙に可笑しい。 スラップスティックでダークなミステリであり、 時に腹を抱えながら読んだ。 第二次世界大戦前のアメリカが舞台だが、 マスコミの在り様や権力者への忖度など 日本の現在もしくは近未来のようではないか。 1937年に出版されたこの作品が 現在のわが国の書店に並ぶことに意味がある。 とはいえ、異国の古い小説だから現代のわれらが すんなりと入っていきづらい場面もある。 翻訳ミステリーシンジケート書評七福神の霜月蒼氏は 巻末の杉江松恋氏の解説を本編より先に読むことを薦めてくれている。 で、そうしました。 確かにそれが正しいと思う。 タイトルはご当地の慣用表現であり、それを知らなかったため、首を傾げつつ読み進めた。意味がわかったのは終盤。あ、なるほどね、でした。 | ||||
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青臭いと言えば、あまりに青臭い。体制への不信と苛立ちに満ちた内容は娯楽小説としては一級とは言い難いが、ホレス・マッコイ自身を投影した主人公の過剰なまでに性急な生き方には胸を打たれる。登場人物たちの言動が唐突過ぎて物語としては破綻する一歩手前という趣があるが、単純に失敗作と断じるには、この疾走感は捨て難い魅力がある。 | ||||
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期待していたので残念でした。。。 | ||||
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若い新聞記者が、町の腐敗を告発する為に、新しく媒体を作るが・・・というお話。 以下、内容を詳しく書くので、ネタばれ風なので、興を削ぐとまずいので、未読の方は読まないでください。 内容は腐敗した町を告発する為に、働いていた新聞社を辞めて、新たに媒体を作り、偽善や腐敗と戦うという内容で、新味はないですが、当時の時代背景を反映しているらしい所(赤狩り、人種差別等)があって、興味深い内容で面白かったです。 最後の方に、台詞で「資本主義は人間を豚にする」とか出てきたりして、最近の資本主義の行き詰まりを先取りしていて、尖鋭的に思えました。ただ、この頃は資本主義の対抗策として、共産主義が支持されていた頃なので、その辺は時代を感じさせたのも真実でした(個人的に、資本主義が上手くいっていないと思うけど、共産主義でもないもので)。 また、最後の方に町の腐敗で、人種差別の集会が出てきて、アフリカ系のキャラが私刑に会う、という場面があり、具体的な描写は控えられておりますが、男性で一番恐ろしい行為が為される様に想像出来て、最近(2024年くらい)もまだ人種差別に抗議するブラック・ライブス・マター運動が続いていたりで、人種の問題がいつまでたっても解決しないで、それを予見しているみたいで、こちらも尖鋭的に思えました(日本でも、純粋な日本の人の肌の色が違うと、職務質問が多いという「レイシャル・プロファイリング」が問題になっていたりしますが)。 「彼らは廃馬を撃つ」がハリウッドの虚飾に翻弄される若者の悲劇を描いていたり、この作品でも新聞記者の理想と現実の間で悲惨な最期を迎える若手記者を描いていて、このマッコイという人はアメリカの社会風潮や理想に馴染めず、叛逆の意志で作品を書いていたのではないかとか、思いますがどうでしょうか。評論家の杉江さんの解説(必読)にも、過去に新聞のスポーツ記者をしていたという事が書かれておりますが、この頃のスポーツ(主に野球)で八百長が多かったそうで、そういう偽善に敏感で(特に若いと偽善に敏感になりやすいそうで)、アメリカの社会の暗部を意図せず告発していたのではないかとか思います(ただ、ハリウッドを告発していた割に脚本の仕事で結構仕事をしていたらしいですが)。 という風にアメリカの大部分から拒絶される感じの作品なので、あまり売れなかったのも判る様な気もします。個人的にはハリウッドの映画であまり出てこない西部のグロテスクな部分を描く事が多かった頃のコーマック・マッカーシーさんとかも想起しました。 この人の作品は今までに二作、「彼らは廃馬を撃つ」「明日に別れの接吻を」が翻訳されていて、どちらも読みましたが、まだ未訳があったら紹介して欲しいと期待しないで書きましたが、本当に翻訳されて、嬉しいです(私の希望は関係ないとは思いますが)。 色々書きましたが、素直に面白いクライム・ノベルなので、お勧めしておきます。「ヒドゥン・マスターピース」枠には大感謝です。今後も期待します(出来ればデジタル・リリースもして欲しいですが)。 アメリカの理想と現実を描いて今読んでも面白いクライム・ノベル。必読。 蛇足ですが、「『若者の読書離れ』というウソ」という評論で最近のテレビ番組でアイドルさんのサバイバル・オーディションの番組が紹介されているのを読んで、マッコイの「彼らは廃馬~」に出てくる「マラソン・ダンス」と似ている様に思えて、「彼らは廃馬~」とかケインの「郵便配達夫は~」とか実存主義の小説を読んでもらうと面白いと思ってくれるかもとか感じました。 | ||||
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ホレンス・マッコイが『彼らは廃馬を撃つ』(1935年)についで刊行した第二長編(1937年)の本邦初訳。大戦後にフランスで高い評価を得たとされる。 新潮文庫が本書の翻訳を出してくれたのはたいへんありがたいが、私はノワールの熱心なファンではなく、マッコイの熱心なファンでもないので、あまりレビューに書けることがない。それで、『彼らは廃馬を撃つ』(常盤新平訳、白水社版。以下『廃馬』と略)と比較するレビューを書いてみよう。無知誤解浅読みご容赦。できるだけネタバレないように心がけます。 一、比較 ①題 『廃馬』では、題はズバリ最後に出てくる。 本書の題はそれだけではちょっと意味がわかりにくく、杉江氏の解説にも書かれていないが、289頁のドーランの言葉が、題の意味のように思われる。「死人にポケットは要らない。✕✕✕✕金を持っていくこと✕✕✕✕✕」。 ②結末のわかる場所。 どちらも、ちょっと意外で、ちょっと予想された結末である。 『廃馬』は冒頭で、読者に結末を知らせている。本書は結末まで読まないと結末はわからない。 ③内容の明るさ。 『廃馬』は全体としてかなり暗い。本書はかなり明るいように感じる。 ④社会正義 『廃馬』でも社会的不公正の問題が出てくるが、メインのテーマではない。主人公の主目的はダンスの賞金等の利益にある。 本書は社会正義の問題がメインテーマの一つとなっている。主人公の主目的は告発記事を載せた雑誌を出して、ジャーナリストとしての信義を貫くこと、巨悪、極悪を許さないことにある。その点では、ヒーローストーリーとしても読める。ただし・・・。 ⑤行動 『廃馬』の訳者あとがきでは、ウィルソンはマッコイの小説の「人物描写の欠如、動機づけの欠如」を咎めたとされている。本書の杉江氏解説は「行動がたびたび主人公の思考や、自分がなんのためそんなことをするのかという弁明によって中断される」と書いている。これは一見正反対の見方のようにも読める。 いずれにせよ、『廃馬』の主人公も、本書の主人公も、行動し続ける人間であることは共通していて、その行動の連続が作品の魅力になっていることは確かだろう。つまり、『廃馬』の主人公はマラソンダンスを踊り続け、本書の主人公は告発記事を出し続ける。 ⑥女性 『廃馬』の主人公は、ダンスパートナーとなるグロリアによって動かされる場合が多く、ほとんどグロリアが主人公のようにも読める。 一方、本書の主人公には、元カノの新妻なのに主人公と寝たがるエイプリル、銀行頭取の娘の美人新聞記者で、親に内緒で主人公と結婚するリリアン、主人公を熱愛(??)していて、ベッドにまで入り込もうとする有能秘書のマイラという三人の女性がいて、この三人との関わりが大衆小説的に大変面白かった。 二、結論 評価は★★★★でもよいのだが、低価格で出た貴重な翻訳であり、⑥女性の部分が特に気に入ったので、★★★★★とした。 | ||||
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