彼らは廃馬を撃つ
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点7.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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1935年に発表されたマッコイのデビュー長編。大恐慌時代のハリウッドでわずかなチャンスに命をかけた男女の熱と虚無を描いた、ハードボイルドな青春ドラマである。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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だがあくまでもドライに。バカな催しを通して生死や人生を食い物にする傾向はより悪化しているように見える。 | ||||
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1935年に書かれ、1970年と1988年に出版されてはいずれも廃版となっては、三度の光を浴びて復刊したのが本書である。しかしこれもまた再版とはならず現在は廃版の状態である。「廃版」とタイトルにある「廃馬」に重なるイメージがあるのだが、本も馬も人もいつかは廃棄される運命にあり、撃たれる運命にあるのかもしれない。 先日読んだばかりの『屍衣にポケットはない』で独特な感性とタフでぶれない軸を持った作家ホレス・マッコイの名を知り、二つの世界大戦の合間に展開するアメリカという社会の、大戦間ならではの独特な歪みをさらに検証することができるのが本書であると言っていいだろう。 『屍衣にポケットはない』では、街を牛耳る悪玉金持ちに新聞という名の報道まで持ってかれようという権力悪に、ただの一匹で立ち向かう男を主軸に据え、彼を支える一筋縄ではゆかない男女のアシスト役も目立っていた孤立チームの奮闘ぶりが何とも言えない魅力に満ちていた。本書はその二年前に出版された、中編というほどの短い物語であり、180ページに満たない物語だが、衝撃度はこちらの方が強いかもしれない。 戦争で儲かる一握りの権力者に対し、戦争で疲弊する社会の悲惨を強く感じ取ることができる本作は、『屍衣にポケットはない』と同様、一握りの金持ち対大勢の貧者という図式があり、そこにたくましく生きようともがく青春群像がはかなくも作品として燃え立っている。 本書で描かれる二人の男女は、さして深い知り合いでもないが、映画のエキストラをお払い箱になり、千ドルの賞金がかかったマラソン・ダンス大会に出場する。一時間五十分踊って十分間の休憩を取るという無期限のダンス競技に勝てば千ドルの賞金を手にすることができる、というほとんど狂気と言っていいような酔狂な金持ち主催の過酷なイベントなのである。 日々の休みなきダンス・レースの中で一日一日と多くの男女が脱落してゆく姿をマスコミが食いつき、見物客も絶えない。金持ちのスポンサーがそれぞれのカップルにつくこともあるらしく、一体この狂騒のダンス大会は何なのだろうと首を傾げているうちに、作品のなかの日々は少しずつだが過ぎてゆく。 ラストの衝撃がちと応えるのだが、そこで改めて本書の風変わりなタイトルのイメージが銃弾のように読者の感性を抉る。本作は1969年代に『ひとりぼっちの青春』という邦題で映画化されている。マイケル・サラザンとジェーン・フォンダ主演のこの英画を当時の映画誌『スクリーン』で知った覚えがあるが映画自体は記憶にない。 本書は最初から最後までカルチャー・ショックである。馬鹿げたマラソン・ダンス大会を道楽で開催する金持ち たちと、そこに参加するしか生活の寄る辺さえ稼げない貧しい男女たち。おまけに本書の主人公たちは知人ですらなく、ただこの大会のために出合頭的にペアを組んだ二人である。だからこそ衝撃のラストが切なすぎる。 時代を投影する作品として『屍衣にポケットはない』とどちらも強烈な印象を残すのがこの時代の作家ホレス・マッコイ。職業小説家とは言え、小説だけで食べてゆけるほどの売れ行きにも恵まれなかったこの作家の才能は、時代を超えて、今のぼくらの手の届くところで生き続けている。食べてゆくだけでも大変なこの時代と、それに負けぬエネルギーを秘めた若い男女とその生き様、滅びの美学、すべてのノワールの要素を凝縮したような震撼の一作と言えよう。 | ||||
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面白い、引き込まれます。 | ||||
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「ひとりぼっちの青春」という名作映画の原作です。ネタバレは他のサイトでたくさん読めるので控えますが、ざっくりしたあらすじを、言うと、メンヘラが、偽りのチープな希望を頼りに、踊らされまくります(物理的に)。絶望から始まり、闇にストンと落とされるような小説です。 映画版とは違い、小説は男らしい筆致というか、あっさり進みます。壮大な感情描写もなく、閉塞的空間の中、突き放すような物語です。 しにたい気分のときに、この小説のラストシーンを読むと、致命傷になり得る魔力があります。同時に、この本を読んでトコトン落ち込んで絶望することで、もしかしたら自分の現実が浮上するきっかけになるかもしれないし、ならないかもしれない。確証がないわ。 私は絶望した時この本のラストシーンを読み返します。そのたび、何度もしにたくなって、そして、なぜか何度も救われた気分になります。 トコトン落ち込んだダークな気持ちの時は、希望を歌いやがる巷の作品より、こうした冷ややかな絶望感を味わう作品のほうが向いてるのかもしれません。 | ||||
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職にあぶれたハリウッドのエキストラが、賞金を目当てに過酷なダンス大会に参加し・・・というお話。 フランスの実存主義文学に、ケインの「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」と共に影響を与えたという事で有名ですが、個人的に実存という言葉が難しくてよく意味が判りませんが、何の為に我々は存在しているのかを探るという解釈でいいでしょうか(違ったらすいません)。 ここで行われるグロテスクなマラソン・ダンスは死の舞踏を踊った20世紀の暗喩にも思えるし、低賃金の為に毎日重労働を強いられ搾取される現代のロスジェネ世代の若者を彷彿とさせもするし、様々な解釈が成り立ちますが、わずかな金の為に過酷な競争に身を投じる若者の悲劇を活写した悲痛な青春群像のお話と思って読み応えのある小説だと思いました。 マッコイはこれと「明日に別れの接吻を」くらいしか訳されておりませんが、非常にいい作家だった様で、未訳の物も翻訳して頂きたいです。 悲痛な青春群像を描いて短いながらも読み応えのある小説。機会があったら是非。 | ||||
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