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変身
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変身の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全288件 41~60 3/15ページ
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主人公がただただ不憫な話でした 最後にグレゴールを除く家族全体で先に進もうとしているのを見ると、グレゴールは虫になる前も後も家族にとってはお荷物だったんじゃないかとも思えてしまいます | ||||
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カフカの「変身」といえば、とりあえず主人公が朝起きたら多数の足がある虫になっていたというオープニングで知っていた。それ以上のことは知らなかったし、凡庸な作者であればその後の展開は単なるB級ホラー以上のものにならなかったろう。本作品において虫というのは、主人公と同様の状況に置かれた人間が持つ、あらゆる属性を代表した形態であり、それが引き起こす不幸を生々しく描く。 本来主人公には築き上げた地位があり、役割があり、与えられるべき家族愛があった。しかしある日「虫」という形態が与えられ、その呪いがもつ強大な力が今まであった関係性と強烈に衝突する。そして圧倒的な現実の重みをもって、過去を征服してしまう。その形態に凝縮されている要素は大病だろうか、障害だろうか。人間には誰にも一定の確率でふりかかる可能性がある不幸であろう。その理不尽に与えられた不幸を前にして、無力にも戦おうとする主人公や家族がとても健気で、涙を禁じえなかった。 本作においては主人公の心情の動きが緻密に描写されており、注目に値する。「虫」という形態においてたとえ正常な思考を持っていたとしても、それを正常に保つことは非常に困難である。それは思考能力に異常をきたしたからではなく、自分の状態や周囲の環境、周囲との関係性の変化がそうさせるのである。例え本人が正常な思考を保ち、貢献しようと努力をしても、「虫」であることが常に重荷となり、思考を侵食し、不可逆的な変化をもたらしてしまう。この過程を見ればこの物語は悲劇である。 だが現実において、完全な悲劇などあるだろうか? この点も本作はとても上手く作品をまとめている。 文章量はそんなにないが、とても密度の高い読書体験を得られるので、一読をおすすめしたい。 | ||||
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商品の状態、包装、到着スピード、全て良かったです | ||||
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通勤往復の一冊。 高校生の時から、何回も読み返している。不思議な事に、毎回感じる事が違う。 今の時代を生きる私が読んでみると、ある日突然毒虫になったセールスマン、グレゴール・ザムザは、ストレスから統合失調症を発症してしまったように思う。彼の視点でつづられていたストーリーは、実は彼の夢で、彼が「知るはずのない」後まで、彼の辻つま合わせの視点で続いて行く感じがする。 虫になっても、現実的に起き上がることや、妹の心配や、母への慕情、父との微妙な関係など、どこか「上手くしなくちゃ」という感じで漂う。上手くするどころの騒ぎじゃない事件なのに!読んでいる私も、なんとかしなくちゃみたいな気持ちになる。虫になってるのになんとかならんけどね…。 足の様子、リンゴが背中に当たった様子、粘液の様子、一部分のみをリアルに描写しているけど、全体的な正確な大きさ、色合いとかははっきりさせず、かえって自分の想像力の中で毒虫が本当のように感じられる不思議。挿絵に虫は描くな!とカフカが言ったそうだが、それはそれで納得。 エンディングの家族の晴れやかさが残酷だけどさわやかに描かれているのが不条理でいっぱい。ザムザが必死で守ろうとしてきたものはなんだったのだろうか。でも人間とはそんなものかも。 いつの時代のサラリーマンも大変だというのは確か。 | ||||
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カフカの変身に救いはない。ネタバレになってしまうのであまり詳しくは書けないが、彼は他人とは違う自分にいつも苦悩していたに違いない。自分を他人に受け入れられないものとして明確に描いたその思い切りと感性には脱帽する。悲劇的な結末には身震いを禁じ得ないが、意識しないだけで、現実にはあらゆる場所で同じようなことが常に起きている。彼の残酷さだけを伝える書き振りには、徹底したリアリストを感じる。これは彼にしかできなかった偉業なのかもしれない。 | ||||
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中1の息子がカフカにはまって夢中で読んでいます | ||||
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カフカの「変身」は人間世界の不条理をきわめて写実的に描写している。この本に共感できない人はおそらく幸福で恵まれた人生をおくってきた人であろう。平等という幻想に支配され、全人生を通していささかの不条理による挫折感を味わったことがない人間であろう。現実の世界はそんなお気楽なものじゃない。この世に存在する不条理は我々の運命をも支配する原則なのだ。 | ||||
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再読しました。何十年ぶりだろうか。面白いので、一気に読み切ってしまいますね。悲しみに満ちて、混乱する主人公と最後には、いつもの日常を取り戻し、未来への重荷から解放された家族。これ¥は、変身しても主人公の心はほぼ人間のままで、外見ほど大きな変化はないこととよく合致していて、変身してもしなくても、変わらないものが貫かれているのが、今回の再読でもまた引き込まれていった所以かもしれません。 | ||||
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Good | ||||
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本編を読み終わったときは、とにかく居心地の悪い気持ちでした。家族のために尽くしてきた主人公グレーゴルは、なんの前触れも、理由もなく、醜い化物に変わってしまう。 グレーゴルは部屋に軟禁、家族はバラバラになっていきます。 グレーゴルはもういない。あの虫は家族じゃない。そう家族で決めたのと同じくらいに、グレーゴルは絶命します。 彼の死から家族の気持ちは皮肉にも上向きになります。 グレーゴルに救いはありません。むしろ、グレーゴルの死こそが家族を救います。 あまりにも冷たい物語だと思っていましたが、巻末にある解説を読むと、当時のユダヤを取り巻く社会状況やカフカの思想などが読み取れます。 難解ですので、解説を先に読んでから本編を読んでも良いのではないでしょうか。 | ||||
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現代人必読 | ||||
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チェコ出身のドイツ語作家であり、20世紀文学を代表するユダヤ人小説家フランツ・カフカの代表作として知られる中編小説。DIE VERWANDLUNGからの原田義人による翻訳。1915年発表。ある朝目覚めると巨大な虫になっていた実直な青年グレーゴル・ザムザが、妹グレーテの世話を受けつつ自室に籠もり奇妙な生活を送る。 | ||||
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日本語で一言に、変態(変体)の話です。和訳ではなく原文で読んでみたいですね。 | ||||
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全部読みましたが、全体のストーリーとしては、あんまり面白くなかったです。 何が主人公に起きているのか、 何が起きているのか、 そういった表現の仕方が独特な所は、面白く感じました。 | ||||
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『変身』の最後: > Während sie sich so unterhielten, fiel es Herrn und Frau Samsa im Anblick ihrer immer lebhafter werdenden Tochter fast gleichzeitig ein, wie sie in der letzten Zeit trotz aller Pflege, die ihre Wangen bleich gemacht hatte, zu einem schönen und üppigen Mädchen aufgeblüht war. Stiller werdend und fast unbewußt durch Blicke sich verständigend, dachten sie daran, daß es nun Zeit sein werde, auch einen braven Mann für sie zu suchen. Und es war ihnen wie eine Bestätigung ihrer neuen Träume und guten Absichten, als am Ziele ihrer Fahrt die Tochter als erste sich erhob und ihren jungen Körper dehnte. (Project Gutenberg) > こんな話をしているあいだに、ザムザ夫妻はだんだんと元気になっていく娘をながめながら、頬の色も蒼ざめたほどのあらゆる心労にもかかわらず、彼女が最近ではめっきりと美しくふくよかな娘になっていた、ということにほとんど同時に気づいたのだった。いよいよ無口になりながら、そしてほとんど無意識のうちに視線でたがいに相手の気持をわかり合いながら、りっぱなおむこさんを彼女のために探してやることを考えていた。目的地の停留場で娘がまっさきに立ち上がって、その若々しい身体をぐっとのばしたとき、老夫妻にはそれが自分たちの新しい夢と善意とを裏書きするもののように思われた。 最後の文のundは原田氏にかぎらず世界のほぼ全員が > Und es war ihnen wie eine Bestätigung ihrer (neuen Träume) und (guten Absichten), als am Ziele ihrer Fahrt die Tochter als erste sich erhob und ihren jungen Körper dehnte. と解釈しているが > Und es war (ihnen wie eine Bestätigung ihrer neuen Träume) und (guten Absichten, als am Ziele ihrer Fahrt die Tochter als erste sich erhob und ihren jungen Körper dehnte). が正しい。英語では > And it was (something of a confirmation of their new dreams) and (good intentions when at the end of their journey the daughter first lifted herself up and stretched her young body). 犬っちが英語から重訳すると > こんな感じで楽しく話をしていたが、ザムザ夫妻はほとんどいっしょに、娘がどんどん動くようになってとうとう花開き、気苦労の連続で頬が弱々しくなったにもかかわらず、美しく官能的な若い女性になるさまに釘付けになった。おしゃべりをやめ、おたがい目をやりほとんど無意識に合意して、娘によいお婿さんをすぐに見つけてやらねばと考えた。それは新しい夢を確固たるものにすべく大事なことであり、旅の終止符として、まずは体を持ち上げ若々しい胴体を伸ばす彼女への思いやりの意向でもあった。 妹はきれいなちょうちょになりました。こちらのほうが単純明快だからカフカのトリックであることは疑いの余地はありません。ナボコフも『文学講義』で > 場面X--この最後の場面は、その皮肉な単純さにおいて秀逸だ。春の陽光がザムザ家の家族を照らしている、いま彼ら三人はそれぞれの雇い主に欠勤届の 手紙を三通書いている─ ─関節、節足、幸せな脚、三匹の昆虫が三通の手紙を書いている。 ちゃんと「三匹の昆虫」と書いています。 | ||||
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かなり好意的に解釈したレビューです。 これは虫になった男が「やっておきたかった事」が出来ず、後悔し、諦め、そして見放される、そんな話。 人間であった時の人との関わりの薄さや驕りを虫になってからの心理描写から読み取ると 虫になった男によって一度崩壊しかけた家庭が、最後は家族の未来想像で光を見る、というオチによって 独りよがりであることの「無意味さ」のようなものを感じる。 | ||||
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突然虫に変身してしまった息子(兄)を家族として受け入れようとする有名な物語です。 本人がいびつな影響に移り変わりしてしまったら、自分の愛する人がそれまでと違う影響になってしまったら、それでも愛せるのか、読んでいて心苦しくなりましたがなんとか読み終えました。 読む人の立場などによって、様々な解釈があるでしょう。 しかしだからこそ「変身」は名作として今後も、色んな解釈がなされ、読み継がれていくのだと思います。 | ||||
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自分が変わったんじゃなくて、周りの反応が変わったんだ | ||||
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グレゴールのことが忘れ去られ、父・母・妹が新しい希望に向かって歩み出す描写が衝撃的だった。と、同時に普通に死んでいったとしてもこれと同じようなことがおこるような、本来あるべき姿に戻っていったようなものを感じた。悲しいが、淡々としていて、面白かった。コミュニケーションすらまともに取れなくなった重度の障害者を、突然抱えることになった家族と本人の物語――と読むのはおかしいだろうか。と思ってたら、似たこと書いている人がチラホラ。例えば脳卒中によって、突然生活が変わることは誰にでも起こりうる。そしてその家族が介護によって疲弊することも珍しくない。何の支援もなく過ごさざるを得なかった家族が迎えるラストシーンの開放感を、誰が責められようか。 | ||||
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中学生の頃以来の読み直しです。当時、正直意味がわかりませんでした。今回も正直なところ意味がわかりません。変身したのは主人公のグレーゴル・ザムザであり、一人称でその変身ぶりが綴られています。それと並行して、家族との関係や家族である父母、そして妹のグレーゴルに対する態度や感情も変化しています。特に妹は大きく変身を遂げているのではないでしょうか。身内に異質な人間が出た時、周囲の人は本音とタテマエを同時に演じます。例えば、今回のコロナ感染で感染者が身近にでたら。変身するのは身体だけではなくこころも変心しうるのではないかと思いました。あくまで私の感想です。正解だとは思っていません。カフカはこの小説をどのように解釈しようが自由だと言っている気がします。 | ||||
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