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ブエノスアイレス午前零時
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ブエノスアイレス午前零時の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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「ブエノスアイレス午前零時」とは,いやにしゃれたタイトルだなと思ったら曲名だったのですね。てっきり南米のブエノスアイレスで午前零時に何かが起きるのかなと想像していました。ブエノスアイレスはいいとして,「午前零時」の意味が作中で説き明かされるのかと思いきや全く出てきません。音楽,中でもタンゴなどの知識がない人にとっては,何これと思ったことでしょう。わたしもそうでした。作品中にカタカナが出てくるたびにネットで検索しました。特に後半は,カタカナ言葉のオンバレードです。もしこのカタカナ言葉を抜いてしまったら,この作品はスカスカではなかったかと思いました。一般の読者は,南米の曲やダンスなどについてそんなに詳しくはないでしょう。カタカナ言葉が出てくるたびにイライラして煙に巻かれたような感覚を持ちました。また,あともう一つ登場人物のミツコは痴呆として描かれています。痴呆という言い方は,今では認知症と置き換えられます。ミツコは,物忘れや現実と空想とがごっちゃになっているところが描かれています。この作品はミツコの言動とそれに対するカザマの応答が作品の基軸になっています。ミツコの言動にわたしたち読者はだれも反論できません。触れられません。ただ,近くから見ているだけです。なぜなら痴呆という特質からの言動ですからどうしようもありません。書いてあるとおり「ああそうなんですね」としか言いようがありません。作者は,敢えて痴呆の人を登場させることによって読者に文句を言わせないように仕組んだのでしょうか。 | ||||
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雪深い山中の温泉宿で働く男と認知症の老女のお話。芥川賞選考委員の評価は高かったが僕の読解力では難しかった。表題作と併録されている『屋上』も、日常に倦んだひねくれた男が主人公なので、そこに入り込めれば面白いかもしれない。 | ||||
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雪深い温泉宿で働く、都会から故郷に戻ってきた男・カザマ。鬱屈したものを抱えながら、毎日同じルーティーンを繰り返す。 その中で、都会の空気をまとってやってくるダンスサークルの、熟年の男女。本来なら未練の残る都会の雰囲気を感じることができるはずなのに、男は嫌悪しか感じない。その象徴が盲目の老女・ミツコ。震えるほどの嫌悪を感じながら、カザマはダンスに誘う。旅館のスタッフだから、というだけではないのだが。 「ブエノスアイレス午前零時」というピアソラの曲が、カザマが感じる閉塞感をさらに助長する。さすがは芥川賞受賞作。 | ||||
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全体的に書き過ぎということがなく、極めて抑制の効いた、乾いた文体で書かれている。特に 屋上 という小説は、作者が意図的に語り手の名前や具体的な来歴を全く書かない。個人的には好きな書き方だった。書かれていない部分について、少し考えたり。そういう楽しみがある。 藤沢さんは わざと書かない。 良くも悪くも 表層の戯れ というものが流行っていた頃の小説である。 | ||||
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第 119 回芥川賞受賞作。 雪深い農村の温泉旅館を舞台に、従業員のカザマと、そこを訪れた盲目の老女ミツコのささやかな交流を描いた作品。痴呆が進んだミツコは、自身の華やかなりし頃、ブエノスアイレスで暮らした往時にいる。旅館のダンスホールで、カザマはミツコとタンゴを踊りながらブエノスアイレスの夢幻を垣間見る ... と簡単にまとめてしまうとこういうお話し。 Uターンで故郷に戻ったカザマは、ひなびた旅館に職を求めた。宿泊客の社交ダンスの相手を務めることに辟易としながらも、殊更不平不満を表すこともせず、淡々と日々を過ごしている。周囲の人々とはどこか冷めた距離感だ。そんなカザマが、横浜で娼婦をしていた70過ぎの老女の手をとりダンスに誘う。 従業員だからでも、同情しているからでもない。その理由は語られないが、東京の広告代理店で働いていたカザマは、今の日常に閉塞感を抱いていたのだろう。カザマの日課である温泉卵づくりにそんな鬱屈した思いが凝縮されているように思える。輝いていた頃に思いを馳せているミツコに、カザマが自身を重ねわせているのかもしれない。 そこはかとない哀しさと美しさを感じる作品である。 | ||||
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第 119 回芥川賞受賞作。 雪深い農村の温泉旅館を舞台に、従業員のカザマと、そこを訪れた盲目の老女ミツコのささやかな交流を描いた作品。痴呆が進んだミツコは、自身の華やかなりし頃、ブエノスアイレスで暮らした往時にいる。旅館のダンスホールで、カザマはミツコとタンゴを踊りながらブエノスアイレスの夢幻を垣間見る ... と簡単にまとめてしまうとこういうお話し。 Uターンで故郷に戻ったカザマは、ひなびた旅館に職を求めた。宿泊客の社交ダンスの相手を務めることに辟易としながらも、殊更不平不満を表すこともせず、淡々と日々を過ごしている。周囲の人々とはどこか冷めた距離感だ。そんなカザマが、横浜で娼婦をしていた70過ぎの老女の手をとりダンスに誘う。 従業員だからでも、同情しているからでもない。その理由は語られないが、東京の広告代理店で働いていたカザマは、今の日常に閉塞感を抱いていたのだろう。カザマの日課である温泉卵づくりにそんな鬱屈した思いが凝縮されているように思える。輝いていた頃に思いを馳せているミツコに、カザマが自身を重ねわせているのかもしれない。 そこはかとない哀しさと美しさを感じる作品である。 | ||||
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第 119 回芥川賞受賞作。 雪深い農村の温泉旅館を舞台に、従業員のカザマと、そこを訪れた盲目の老女ミツコのささやかな交流を描いた作品。 痴呆が進んだミツコは、自身の華やかなりし頃、ブエノスアイレスで暮らした往時にいる。旅館のダンスホールで、カザマはミツコとタンゴを踊りながらブエノスアイレスの夢幻を垣間見る ... と簡単にまとめてしまうとこういうお話し。 Uターンで故郷に戻ったカザマは、ひなびた旅館に職を求めた。宿泊客の社交ダンスの相手を務めることに辟易としながらも、殊更不平不満を表すこともせず、淡々と日々を過ごしている。周囲の人々とはどこか冷めた距離感だ。そんなカザマが、横浜で娼婦をしていた70過ぎの老女の手をとダンスに誘う。 従業員だらでも、同情したからでもない。その理由は語られないが、東京の広告代理店で働いていたカザマは、今の日常に閉塞感を抱いていたのだろう。カザマの日課である温泉卵づくりにそんな鬱屈した思いが凝縮されているように思える。輝いていた頃に思いを馳せているミツコに、カザマが自身を重ねわせているのかもしれない。 そこはかとない哀しさと美しさを感じる作品である。 | ||||
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森田剛さんが演じるというので興味があり購入!劇は見れなかったけど、事らの本でイメージわき楽しく読みました。面白いです。 | ||||
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藤沢周の最高傑作だと、個人的には思っています。是非読んで欲しい。 | ||||
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青年が盲目で痴呆の老嬢とダンスをしたのは、けして哀れみなどの感情からくるものではない。興味本意でもない。 痴呆の老嬢はボケている時とそうでない時がはっきり分かれていて。ボケている時には数十年の時を遡った感情、そして人格になる。 青年はその遡った状態の老嬢に恋のような感情を抱く。だが、けっしてそれは恋ではない。恋に似た何か別なものだ。その感情でダンスを交わしている時、二人は雪国の場末の温泉ではなく、そことは違う別次元のブエノスアイレスにいるのだ。作者はその微妙な感情を描いているのだと思う。 なお表題作は 【第119回(1998年上半期)芥川龍之介賞】受賞作。 | ||||
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芥川賞受賞作「ブエノスアイレス午前零時」と「屋上」の2作品を納めた本です。私としては「屋上」のほうが面白かったです。いづれの作品も自分自身の現状に納得していない30代の男性が主人公という共通点があります。そこから抜け出したいという気持ちが、いつの間にか幻想的な世界に引き込んでいくといった流れです。 作品としては面白いと思いますが、作者がこれによって何を訴えたかったのかが今一伝わってこない気がしました。 | ||||
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もちろんわざとなんだろうけどさ、もう何十年もまえの作品に思えてなんか不愉快。教科書とか、入試に出てきそうな話だなぁって思った。感想はそれだけ。 | ||||
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正直いって芥川賞をとるほどの作品かと言えば、そうではない気がする。 特に題名に騙されたという気持ちは払拭できない。 内容は前半から中盤にかけてが退屈で、 たったこれだけのページ数であるにもかかわらず一気に読もうとしなかった。 ☆が二つなのは、ラスト10ページぐらいの表現は嫌いではないから。 それでも好きとは言えない。 | ||||
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世の中に「ハードボイルド」という言葉がある。 男が男らしく、強く、モテモテな感じの奴だ。 この本の文面、作者の他の作品から判断するに、「ハード」とは行かないが「ソフト」位に止めたと思われる。 表題どおりの「ブエノスアイレス午前零時」。有名な旅行小説「深夜特急」のような、旅が舞台と思わせておきながら、実は日本の雪国にあるしがない旅館の従業員と上品な耄碌ばあちゃんのお話。 他に収録されているのは「屋上」。これはそのまんまで、デパートの屋上にあるさびれたゲーセン従業員のお話。 上記二つに共通するのは、 「どこかエリート意識を持ちつつ、冷めた視点で世の中を眺める男の主人公がいること。」 「情景描写が多いこと」 であろう。 影を背負っている男のイメージから来るのか、斜に構えた印象。文章のほとんどが、人物の特徴だったり独特の比喩。集中して一時間位かけ、ガッと読み通してしまえば面白いかも。 | ||||
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雪の深い田舎の旅館の疲れた男と、盲目の老嬢の交流。惹かれたのは、文章。題名がとても魅力的なので、それを意識して手に取った人はガッカリするかもしれない。雪国の寂れた温泉宿の、疲れた男と、中年老年の人々が中心の、華やかではない話だからだ。この文章の魅力は、高齢の女性を、上品、かつ官能的に描いた表現にあると思う。このように表現できるのか、と驚いた。彼女は、ここではない、どこかの、例えばブエノスアイレスのような異国の街の空気を、纏って現れる。その風景を、ダンスを通して、男は見るのだ。 | ||||
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『ブエノスアイレス午前零時』と聞くと、南米を舞台にした壮大な物語か、と思ったのですが、実際には作品の舞台は辺鄙な雪国のはやらない温泉旅館です。 そういう舞台設定なのでどうしても、川端康成『雪国』のイメージと抒情が先入観となって頭を離れない、という状況で読んでしまいました。ただ、読了後もそのイメージは壊れることがなかったので、この作品自体にも、先入観と期待を裏切らない雪景色の情緒と日本語の描写の旨さがあるということだと思います。 作品には美しい芸者は登場しません。主人公の冴えない孤独な青年と、ヒロインの盲目の物忘れの激しい老女が踊るのですが、どう考えたって美しくはないはずのその場面が、ブエノスアイレスの雪とあいまって、どうしても醜い場面とは感じられないのです。 温泉卵の黄身の半熟加減のような、つかみどころのない味わいです。 | ||||
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タイトルをどこかで聞いたことがあるなと思って、図書館で借りてみたら、22刷にもなっていて、かなり驚きました。。。。 と思うくらい、少し拍子抜けしてしまった感じのフィクションです。2編入っているのですが、そのどちらも無気力(?)な男の人が主人公で、そのまま物語が終わってしまいます。それを挽回するだけの美しい日本語の表現もあるかと思えば、いまいち「男性作家特有」の少しごつごつした文体で、読みやすさとしても…うーんという感じですね。ただ、かなり売れているので、私の意見が一般的ではないのかな、なんて思うのですが。 | ||||
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