王国記
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3編からなる連作です。第1話の「ゲルマニウムの夜」ですが、ドン・セルベラ院長への主人公の性的奉仕は某芸能事務所の長年にわたるカスリマ・トップの性的虐待を連想させ、ある意味予言的小説であると、感じました。白という犬は白人神父を象徴しているのかも知れません。また、以下の表現は深い示唆に富んでいます。→社会は規模を拡大された、しかも壊れかけた修道院のようなものにすぎないのだから。 アスピラントとのセックスの描写で、<女の積極的な行動と体勢は記述をはばかられる>とあり、あえて過激な性的描写を避けたのか不明ですが、その辺をきちんと書いて欲しかったので、少しだけ残念です。 第2話の「王国の犬」ですが、私事で恐縮ですが子供の頃、友人と二人で先輩を漁網にぐるぐる巻きにして泣かしたことがあり、やはり子供や少年にはそのような残虐性が潜んでいるのだと振り返り、結構この主人公に共感してしまいました。 第3話の「舞踏会の夜」ですが、舞踏会とはそう言う意味であったかと、読んでみて納得しました。主人公が三浦の傍若無人ぶりに堪忍袋の緒が切れて、男性性器を強く蹴るシーンは(小説の中では蹴る理由は違っていますが)読んでいてすっきりしました。主人公がこのままやられっぱなしなのは虚構の世界の小説とは言え、辛いものがあります。現代社会に置いても、いじめ問題は学校でも会社でもどこでもありうる話で、この小説もそれに対して深い示唆をあたえてくれます。 全体的な感想としては、作者はキリスト教の矛盾を鋭く指摘していて感心しました。例えば、カトリックが真の宗教ならば、天皇制と相容れることなどあり得ないとか、モスカ神父が「神をつくったのは人間だ」と主人公に反論するシーンなど。ただ、議論の中で説明になっているところが多く見られ、その辺は説明ではなく描写するなりなんなり、別の方法で表現して欲しかったと思います。何れにしても、とても素晴らしい作品で大変気に入っています。 | ||||
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修道院を舞台にしてるだけ。 キリスト教文学になるほどの宗教性も、バタイユのような反キリスト今日的な涜神も感じなかった。 キリスト教の偽善を説きながら、自分のやってることは暴力とエロでしかないという矛盾に全く気が付かない主人公。 | ||||
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今まで読んだ中で最も衝撃を受けた小説です。 花村萬月さんは相当頭が良かったとのことですが、読んで納得しました。表現力とか感性が普通ではありません。「感傷がたけなわだ。」とか大好きです。 主人公は殺人したことや女性を犯したことに自分なりに心を痛めたりするのですが、それでもどこか他人ごとで、飄々としています。頭が良すぎるとそうなっちゃうのかな。とても真似できないですが。 花村萬月さんにはこれからも多大に期待いたします。 | ||||
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殺人を犯し、少年の頃暮らしていた修道院兼教護院に身を隠す青年 朧が主役の連作短編集。 著者の作品には、グロテスクともいえる暴力やあからさまな性的描写が多く見られる。そんな中にも、著者なりの美学があるのだが、本作品集にはどうにもそれを感じとることができない。 本作品集に通底するのは、欺瞞に対する沸々とした憤懣だろうか。読み進めると、朧の自己中心的な正義(?)にゲンナリしてしまう。ただ、こういう露悪的なものにも惹かれるのは事実であり、それは、自分の暗黒面をくすぐるからなのだろうと思う。 嫌悪感と文学的な面白さが同居する作品集だ。 | ||||
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普通に生きていたら想いもしない発想の内容が詰め込まれていた。怖かった.... ただ、巻末の小川国夫さんと花村萬月さんの対談は非常に興味深くて、何度も読んでしまった。 | ||||
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