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王国記
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王国記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 1~20 1/2ページ
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3編からなる連作です。第1話の「ゲルマニウムの夜」ですが、ドン・セルベラ院長への主人公の性的奉仕は某芸能事務所の長年にわたるカスリマ・トップの性的虐待を連想させ、ある意味予言的小説であると、感じました。白という犬は白人神父を象徴しているのかも知れません。また、以下の表現は深い示唆に富んでいます。→社会は規模を拡大された、しかも壊れかけた修道院のようなものにすぎないのだから。 アスピラントとのセックスの描写で、<女の積極的な行動と体勢は記述をはばかられる>とあり、あえて過激な性的描写を避けたのか不明ですが、その辺をきちんと書いて欲しかったので、少しだけ残念です。 第2話の「王国の犬」ですが、私事で恐縮ですが子供の頃、友人と二人で先輩を漁網にぐるぐる巻きにして泣かしたことがあり、やはり子供や少年にはそのような残虐性が潜んでいるのだと振り返り、結構この主人公に共感してしまいました。 第3話の「舞踏会の夜」ですが、舞踏会とはそう言う意味であったかと、読んでみて納得しました。主人公が三浦の傍若無人ぶりに堪忍袋の緒が切れて、男性性器を強く蹴るシーンは(小説の中では蹴る理由は違っていますが)読んでいてすっきりしました。主人公がこのままやられっぱなしなのは虚構の世界の小説とは言え、辛いものがあります。現代社会に置いても、いじめ問題は学校でも会社でもどこでもありうる話で、この小説もそれに対して深い示唆をあたえてくれます。 全体的な感想としては、作者はキリスト教の矛盾を鋭く指摘していて感心しました。例えば、カトリックが真の宗教ならば、天皇制と相容れることなどあり得ないとか、モスカ神父が「神をつくったのは人間だ」と主人公に反論するシーンなど。ただ、議論の中で説明になっているところが多く見られ、その辺は説明ではなく描写するなりなんなり、別の方法で表現して欲しかったと思います。何れにしても、とても素晴らしい作品で大変気に入っています。 | ||||
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修道院を舞台にしてるだけ。 キリスト教文学になるほどの宗教性も、バタイユのような反キリスト今日的な涜神も感じなかった。 キリスト教の偽善を説きながら、自分のやってることは暴力とエロでしかないという矛盾に全く気が付かない主人公。 | ||||
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今まで読んだ中で最も衝撃を受けた小説です。 花村萬月さんは相当頭が良かったとのことですが、読んで納得しました。表現力とか感性が普通ではありません。「感傷がたけなわだ。」とか大好きです。 主人公は殺人したことや女性を犯したことに自分なりに心を痛めたりするのですが、それでもどこか他人ごとで、飄々としています。頭が良すぎるとそうなっちゃうのかな。とても真似できないですが。 花村萬月さんにはこれからも多大に期待いたします。 | ||||
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殺人を犯し、少年の頃暮らしていた修道院兼教護院に身を隠す青年 朧が主役の連作短編集。 著者の作品には、グロテスクともいえる暴力やあからさまな性的描写が多く見られる。そんな中にも、著者なりの美学があるのだが、本作品集にはどうにもそれを感じとることができない。 本作品集に通底するのは、欺瞞に対する沸々とした憤懣だろうか。読み進めると、朧の自己中心的な正義(?)にゲンナリしてしまう。ただ、こういう露悪的なものにも惹かれるのは事実であり、それは、自分の暗黒面をくすぐるからなのだろうと思う。 嫌悪感と文学的な面白さが同居する作品集だ。 | ||||
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普通に生きていたら想いもしない発想の内容が詰め込まれていた。怖かった.... ただ、巻末の小川国夫さんと花村萬月さんの対談は非常に興味深くて、何度も読んでしまった。 | ||||
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芥川賞=文学。文学したぞーって気分を味わいたかったのに、気分が悪くなりました。私は、文学=訳わからんって認識ですが、訳わからんさにも上中下ってあるんですよ。これは下です。次巻のブエナビスタも買ってますが読みません。ブエナビスタはいい競走馬だったし儲けさせてもらったのに。なんてこった。 | ||||
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キリスト教を初めとする宗教等に対する不満と苛立ちとを、虐待と性描写の汚物・毒物とともに吐き出したような話。 思想的な価値はない。 えぐく、エロく、グロく、臭く、汚く、倒錯的。 仏教的に言えば、六道輪廻の修羅・餓鬼・畜生・地獄界の様相を具現化している。 このような主人公をポジティブに評価してしまうような人は、犯罪者や暴力男が時折見せる、「笑顔」や「優しさ」をステキなどと思って受け入れ体勢をとってしまう見当違いな感受性の持ち主なので注意が必要。 | ||||
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読んでいて、面白いとか、良いとか思うことは無い。人に勧めるものとも思わない。むしろ、否定的で批判的なことばかりが脳裏をよぎった。 だが、若い頃にあこがれた悪の世界観や大人びた言動、背伸びした考え方の共感が、最後まで読み切らせたと思う。 | ||||
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主人公の心の動きは面白いのだが表現が少々回りくどいのが難点。狭い世界の中での出来事だからしかたないか。 | ||||
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結局のところ、底の浅いステレオタイプなストーリー だね。具体的に云うと、要するにスプラッター映画程度の「衝撃」でしかない(というか、「衝撃」すら感じられない)。この程度の明らかな暴力性とか狂気が「人間性の最暗部」と思っているであろう著者の基本的な視点からして、すでに甘っちょろく底が浅いんだよな。こんなやつが芥川賞云々とは、芥川賞も実に地に落ちたものだね。 (以上、冥界の柴錬より) | ||||
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カトリックの更正施設を舞台に、宗教の欺瞞を若者の性と暴力で暴くことを主題にした小説。荒々しいロックを奏でているような調子が、全体を纏う筆力は確かなものだが、とげとげしく粋さを感じない。また、古今東西堕落していない宗教を探す方が難しいと思うが、司祭の説教より拳や喘ぎ声の方がリアルだというような主張に意味があるかどうかはわからない。 個人的な思春期の体験や思想を綴ったような小説で、意味深長なようなで、なにか安っぽい空虚なものを感じた。 | ||||
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特に面白かったのは二話目の「舞踏会の夜」でした。主人公の朧の中学生の頃のエピソードです。 朧は賢い子で、なかなかチャーミングだしリーダーシップもある。そんな朧に興味を感じて絡んでくる上級生がいる。好きなら好きと言えばいいのに、上級生はうま自分の気持ちを表現できず、朧も素直に受け止められない。そのへんの機微が変で、描き方を淡く変えたらこりゃBLですよ、しかも凄くリアルな。いやあ書いて欲しいなあ、満月さんのリアルBL。女には書けない暴力衝動も含めたら、余人には到底描けないと思うよ。変な感想だけど、満月さんの凄さを感じました。マジで一個ぜひ書いて欲しいなあ。 | ||||
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単行本には『聖母の祈り』日本語訳がのっていた。この本のそれは隠語で書かれていた。 少年達が自由意志でつくった祈祷文だった。だがその箇所は文庫本から削除されている。 オリジナル作品(単行本)は入試困難。 | ||||
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好きと嫌いとにわかれそうな本。わたしはどちらかというと「嫌い」。 まず、暴力的表現、性的表現に、例えば筒井康隆などのそれでは抱かない嫌悪感を覚えた。これは作品として欠陥品であると言わざるを得ない。たとえそのような表現をしたとしても読者に作品への距離を感じさせずに済ませる方法はいくらでもあるはずだ。少なくともひとり、そうした感想を抱いてしまい、作品が提示するもっと深いところ(恐らく作者の意図するであろうところ)へ行く気もしなくなった読者があったわけである。表現者としてもっと考えるべき点ではないか。 本とは後世に残るものである。被害者を出すようなものはよいものと言えない。まあ、好き嫌いの問題であるが、わたしの場合はこの本から何の感銘も受けずに終わった。 それから気になったのは漢字の用い方。この小説には適当と思われる漢字の用法がなされているが、はっきり言ってこの作者は他人が読む、という大前提を忘れているのではないか。「おれと同じくらい頭のいいやつにしか読んでほしくないんだよ」と言っているようでこの点も減点評価につながった。売れる作家の本を研究すべき気がする。「売れる=よい」とは言っていない。「売れる>=よい」であると信じているから言っているのだ。読者は金を払って本を買う。そんな人を失望させてはならないのだ。 | ||||
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基督教信者の私もこれには心動かされた。 黒いものを書くならこの書の様に反吐が出る面白さは必要だろう。 人間の性が生きている素晴らしい内容と文章がまた読みたいという気持ちにさせてくれた。 文学として希少な宝。 決して時間に劣化しない特殊な輝きを放つ核心がある。 | ||||
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花村氏は本作で芥川賞を受賞した。 十年以上前、芥川賞受賞時の文芸春秋で読んだ。同時受賞は藤沢周の『ブエノスアイレス午前零時』(なぜに『ブエノスアイレス摂氏零度』とそっくり・・・?)。 個人的には、花村氏の書く物は好きではないが、この作品は別格である。 主人公は犯罪者で教会に逃げ込み、そこでも涜神的な行為にふけるという悪漢小説仕立てなのだが、暴力描写やラストシーン近くの妊娠した豚を殺し豚の胎児を火の中に放り込む黙々と赤羽神父の描写などがあまりにも強烈である。それ以来の10年間にわたってこれほど強烈な印象を残す芥川賞受賞作は出ていない。 続編にも目を通そうとしたが、この第一話ほどの凄みは無いのでやめた。一応、この一作で完結している(芥川受賞時に、選考委員の石原慎太郎だったかが完結物として読んだのにシリーズ物かよ、と文句を言っていた)ので、シリーズ物はハードルが高いと思わず、まずはこの一巻から読んでみることをお薦めする。 | ||||
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相変わらず自分の世界を築いて行く花村萬月。だれにでも書けそうなマニュアル化された小説が多い中、彼の様な存在は貴重だと思う。暴力と性に溺れる朧が、誰よりも優しく見えるのは何故なのだろう。 | ||||
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頭脳明晰だが暴力的な少年が殺人を犯し、警察の手の届かない修道院へ戻ってくるところから始まる。 修道院という世俗的には聖なる場所とされるところで本来考えられない、暴力、セックス、同性愛というものを生々しく描き、 神聖なるものの欺瞞を暴いているといえるだろう。 花村氏の暴力やエロスの描き方は生々しく、特に暴力に関しては描写といより、空気感のようなものを伝える力が優れている ように感じる。 そういったグロテスクな恐怖に触れたくない人は本書は読まない方がよいだろう。 | ||||
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花村氏の作品はまだ数作しか読んでいないが、文章の表現、大胆かつ緻密な構成には著者の非凡さを窺わせる。。 また、エロ小説とは違ったいわゆるグロさが随所にみられ、かつての西村寿行氏の作品を彷彿とさせるところである。 本書はシリーズもののようなので続編が読みたくなった。 | ||||
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『ゲルマニウムの夜―王国記〈1〉』です。続編も出ています。第1巻である本書は芥川賞受賞作『ゲルマニウムの夜』を含む連作短編3本です。 この作品には残虐な描写、暴力描写、性描写が書かれています。そういったものに嫌悪感を抱く方は絶対に読まない方がいいです。 まがりなりにも「文学」であるからにはそういう描写もそれなりに必要でしょう。 本作の場合はまるでわざとのように(わざとかもしれませんが)ナマグサくてエグいネタをモロ出ししています。 文章表現は緊迫感があって巧みです。その巧さを、敢えてエグくナマグサく描写するために更に努力しているようです。 問題点を言うとすれば、露悪的すぎるということと、……まぁそのくらいでしょうか。 | ||||
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