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ハーモニー
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ハーモニーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全198件 161~180 9/10ページ
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2008年発表。 34歳で惜しくも夭折してしまった伊藤計劃の最終作にして、幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))、ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)に次ぐ、新たなる人類の到来を描いた傑作。意識ある私たちは偉業に拍手し、そして合掌しよう。 | ||||
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2008年発表。 34歳で惜しくも夭折してしまった伊藤計劃の最終作にして、幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))、ブラッド・ミュージック (ハヤカワ文庫SF)に次ぐ、新たなる人類の到来を描いた傑作。意識ある私たちは偉業に拍手し、そして合掌しよう。 | ||||
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人間のリソースとしての価値が肥大化され、退廃的な嗜好の排除された閉塞的な世界。それを否定したくて友人2人と自殺を試み失敗した女性。彼女の一人称で語ることで、我々のメンタリティがちょっと極端な影響を受けたらこういう社会に簡単に進むのでは、という理解がしやすいものになっています。 そして、この3人の少女という設定も秀逸です。 ふつうに考えるとストーリーの核は語り手のトァンと唯一自殺に成功したはずのミァハですが、もうひとりの少女、キアンの存在が実は大きいと思います。序盤を読んだ限りでは、ステレオタイプなキアンの描かれ方が瑕に思えたのですが、中盤になってその認識をトァン自身が見直すことによって、ミァハとの対峙ががぜんリアリティを増します。 この辺の少ない描写で人物を印象づける鮮やかさは虐殺器官には見られなかったものだと思います。 ただ、作品の中で問題にされる人間の「意識」は、本来人類が種として持つ非常に大きな概念のはずですが、ときおり「近代的自我」と同じレベルに矮小化されてしまっているのでは、というところが見受けられました。 それがなければよりスケールの大きさを感じられたのに、と思うとちょっと残念です。 | ||||
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あらすじなどは他のレビュアーさんが書かれている通りですので省略します。 最初に読了した際は言いようの知れない虚無感に襲われて、食事の時も入浴の時もその理由ばかりを考えていました。何度も繰り返し読み、また「意識」や「私」に関する書籍を購入し理解するうちに、この本が、著者が伝えたいことがなんとなくわかるようになりました。 昨今の小説によく出てくる単語として「空気」があげられます。この作品にもその単語が書かれていますが、著者は「空気」そのものではなく、自分の判断を周囲に委ねてしまっている現代日本人の気質に警鐘を鳴らしているのだと(私は推測し)思います。なんでもかんでも他人任せにしてしまうのは危険です。作中にあるように「つけこまれて」しまうからです。また、SFではとくに宗教と結びつけが強いものですが、この作品はキリスト教が前面に出ています。背後にはケルト神話があります。 それに関連して、人間は「意識」を得る前、つまりキリスト教的に言えば「エデンの園の住人であった頃」は極めて動物的な思考の持ち主でした。「私」はありませんでした。エデンの園は楽園です。つまり作中の〈異端派〉の陰謀の根幹は「意識を失くすことでエデンの園(楽園)に帰り、我々は幸福になる」ということです。作品のラストは意見のわかれるところではありますが、かいつまんで解説するとこのようなことが言えるのではないかと思います。 作品全体に関わる「生命主義社会のわたし」としての個人的な解釈を述べると、 「〈わたし〉は過去の記憶を未来に生かし、より生存と種の保存に適した〈知恵〉を生み出すための受動器官としてある。老い以外で死ななくなったら生存と種の保存という生物の究極的な本質は達成され、極めて恣意的な認識と解釈を行う〈わたし〉は、他者との思想的な摩擦を生み出すだけの存在になる。人間同士の対立は結果的に生存と種の保存という生物的な本質に反すると歴史が証明しているから、〈わたし〉はもはや必要ない」 ということです。 これらを理解したうえでもう一度作品を通して読むと、私はラストに関して「それなら悪くはないのかもしれない」と思うようになりました。トァンがミァハの意見に「異議はない」としたのもわかる気がしますし、また、ミァハが「わたしが無価値であることを証明させて」と叫んだのも、わかります(ここらへんのミァハの主張はさまざまな「意識」に関する書籍を読んでようやくわかりました)。「〈わたし〉の本来的な主体性は脳そのものにある」ということを踏まえてもう一度読むと、また違った面白さが発見できるのかもしれません。 著者の主張は文章だけではとても伝わりにくいと思いました。とはいえ、それも末期癌に冒されながら書いたのだと思うと、このくらいでも十分だと思います。 | ||||
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文庫版をジャケ買いしましたが、その後、こちらもジャケ買い。一人称で語られる物語が好きな方、特におすすめです。 | ||||
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この本は前作「虐殺器官」と併せて、今の若い世代の人間に是非お勧めしたい物語ですね。 言うなればSF版「ファイト・クラブ」とでも言うべき作品です。 ここに描かれるのは誰もが誰もを想いやり、助け合いして行くのが義務となってしまったディストピアです。 現代にも蔓延しているその偽善的精神の究極的な行く末がこのディストピアだとしたら、その崩壊を描くのが「娯楽」としての正しい在り方だったのかもしれません。 けど、この作品はそうではない。その根っこである「心」や「意識」の存在に疑問を呈する、というとんでもない事をやってのけるのです。 「心」という言葉が、その捉えようの無さと利便性によって現代ではとても良く使われます。 そんな物は存在しない、と鮮やかに言ってのけるこの作品は、かえって今一度私たちに、「心」や「意識」が何であるか、そもそもそんな物は存在するのか、ということを真剣に考えさせる機会をくれます。 「感情」を売り物にしつつ、さも「感情」を崇高な物のように扱ってみせる、そんな恥知らずな世界を蹴り飛ばし、私たちが生きている世界を再認識させてくれる素晴らしい作品です。 SFでは無い、という理由や娯楽では無いという理由でこの作品を毛嫌いする方もありますが、はっきり言ってお門違いです。 お決まりの体裁である物語が読みたければ他のジャンルの作品をどうぞ。 この、伊藤計劃という作家の作品群はどれも、そういった決まりきった体裁が蔓延する世界に疑問を持つ人々へ脱出口を提示する、数少ない作品の一つなのですから。 | ||||
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とにかくテンポが悪くていらいらする。 そして登場人物たちの名前にも何か釈然としないものを感じる。未来ではこんな名前が普通なのか? そりゃさすがにないだろう。 評価が高かったので読んでみたが、期待はずれだった。 ……と思ったんだが、ラストでやられた。 鳥肌がたった。 まさかこんな落としかたをするとは思わなかった。 一生忘れられない小説になりそうです。 途中つまらなくても投げ出さずに、最後まで読んでみることをオススメします。 | ||||
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2019年の大災禍(前作虐殺器官の出来事で第3次世界大戦相等)後の資本主義社会が医療福祉社会に変わった究極の管理社会いおいてそれぞれの立場(思想・意思)において戦う大人になった少女達の物語。 著者自身影響を受けたであろうアニメ(ナウシカ・甲殻機動隊・エヴァンゲリオン)、文学(志賀直哉・坂口安吾・村上春樹(ねじまき鳥クロニクル))・哲学(ミッシェル・フーコー)等々の作品・作者へのオマージュを文中に散りばめながら大災禍(現代人におけるハルマゲドンや第3次世界大戦相等)後の人類の進化の一つの形を生命第一主義(健康・長寿)や社会に対する個人の意思(意識・魂)を切り口として深く鋭く描いています。 小説として推敲されるべき所も気になりましたが、東日本大震災や核(原子力)の恐ろしさを体験し、今後、更なる試練を経験するかもしれない日本人が如何にハルマゲドン(第3次大戦・大震災)やアセンション(=次元上昇・ニュータイプや人類補完計画的な人類の進化)について自ら深く考え、取り組むべきかのヒントを与えてくれるミステリーのスパイスが効いた優れた小説です。 | ||||
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伊藤計劃「ハーモニー」を読了。作者の「虐殺器官」を非常に興味深く、そして楽しく読ませて頂いたので、購入。本作もジャンル的にはSFなのであろうが、そのリアリティー溢れる描写にノックアウトされました。現実感溢れる、非現実なのです。ここに描かれている世界観は将来きっと訪れるであろうことを予感させます。テクノロジーの発達と人体や生命の関係性は現実味を帯びています。 そしてテクノロジーはその人間の肉体以上のものをコントロールしようとします。そこに世界の調和(ハーモニー)が生まれるのでしょうか。それは調和が訪れた世界なのでしょうか。 エンターテイメントの要素もふんだんにあり、わくわくしながら読み進めることができます。前作に引き続き、傑作SFであることは間違いありません。がしかし、それにしても考えさせられる書でありました。 | ||||
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すでに国内では、第40回星雲賞日本長編部門と第30回日本SF大賞を受賞している本作『ハーモニー』。 今年の2011年4月23日には、アメリカのフィリップ・K・ディック賞の審査員特別賞も受賞しました。 日本のSF小説がアメリカの大きな賞を受賞するのは今回が初めてらしいです。すごいですねー。 ちなみにフィリップ・K・ディックとは、映画『ブレードランナー』の下敷きとなった名作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 の著者として有名なアメリカのSF作家です。 第一級のエンターテインメントでありながら、ごく自然に哲学的要素を織り交ぜた『ハーモニー』は、その神秘性、普遍性において 『アンドロイド〜』と相通じるものがあり、今回の受賞も納得でした。 少々クセのある文体で、しかも近未来めいた謎の記号がたびたび出てくるので、はじめはとっつきにくいかもしれませんが 主人公が幼馴染と再会するあたりから急速に物語が展開し始めます。 すべての終わりを目にしたとき、あなたは「謎の記号」の真の意味を知るでしょう。 とにかくオススメ。SF小説の枠にとどまらない傑作です。 | ||||
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読むのは2度目。 1度目にはSFなどの意匠に目を奪われて気づかなかったのですが、実はシンプルな物語。 レイモンド・チャンドラーに代表されるような、無くしたもの探す物語。 見つけるのが目的とはいえ、見つけることがハッピーエンドには往々にしてならない。 人の意識の問題は常に物語につきまとう。 精神とは何か、人と神との関係は繰り返し用いられる。勿論未だに解決しないし、これからも解決しないからこそ魅力的なのだろう。 オーグ(拡現)の使い方は数十年以内に本当に実装されそうだ。 実装されている内容や生活様式はつきつめると人類はこうなるというリアリティを感じる。 | ||||
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1974年に生まれ2009年に夭折した伊藤計劃による長編小説第2作である。 第一作の「虐殺器官」(この題名は疑問があるのですが)も十分、そのプロットの壮大さに驚いたものですが、この「ハーモニー」は「虐殺器官」によって国家の中で暴動が吹き荒れた世界のその後の「平和」な世界の物語です。 人類の多くは大人になると体内に自分の健康状態を認識・診断し、疾患を予防し体調をチェックする装置WatchMeを埋めこめられる社会に住んでいます。お互いに労わりあり、自死などは忌むべきものと思われる社会です。 そんな共同体意識が強い世界に生きる女子学生3人がこの物語の主人公であり、語り手もその中の一人です。 彼女らは思春期の中にあり、まだWatchMeを埋めこまれていないのですが、世の中の息の詰まる有様に、自らの生命を断つことで反抗し、存在を示そうと思っています。 そんな彼女たちの13年後の世界が第二部として現れ、世の中を震撼させる事件を追う主人公の前に現れるのは・・・・。 虐殺器官と同様の思考方法で作られた小説であり、その速度も似ています。 XMLのような文体を模した、まるでプログラムのコードのような文章を使用していますが、非常に読みやすく論理的な文体です。 P.K.Dickのヴァリスが神学になってしまったのに、伊藤計画の「ハーモニー」は抒情的かつ活劇的なものにできあがっています。良品です。 | ||||
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21世紀後半に起きた大災禍は人類に滅亡を感じさせた。旧来の政府が弱体化した代わりに、人々は生府という共同体を作り、個人の情報をすべてオープンにして危険を事前に回避し、また、個人の身体を共同体の資産として管理することが常識的となった。 だから、自らの体を傷つけるような行為は常識的ではない。人々はWatchMeという恒常的健康管理システムを導入し、異常には瞬時に対応することにより、人類から病気や苦痛という単語はほぼ駆逐された。その代償として、酒やたばこ、カフェインなどの嗜好品も健康に悪影響を与えるものとして遠ざけられているのだが…。 そんな世界において、霧慧トァンは友人の御冷ミァハの誘いに乗り、一緒に自殺をしようとする。自分の身体を自分のものとして扱えない世界に対して、決意表明をするためだ。しかし、トァンの自殺は失敗し、生き残ってしまう。 それから十数年後、螺旋監察官という世界の生命権を保護する立場に就いたトァンだったが、少女時代の影響はこっそり残り、どこか世界の在り方に対して息苦しさを感じていた。そんなとき、世界中に点在する数千人もの人々が、何の前触れもなく、一斉に自殺するという事件が起こる。その事件の影には、死んだはずの御冷ミァハの影が見え隠れしていた。 この本の結末にもたらされる世界を、ユートピアと呼ぶのか無と呼ぶのか、あるいは地獄と呼ぶのかは読者により異なるだろう。何故マークアップ言語風の記述になっているかも、その時に分かる。 世界の最も効率の良い管理方法は、人々の間に差異を認めないこと、そしてそれを人々が受けられている状態なのだろう。しかし実際には、個人個人で価値観は異なるし、文化圏でもそれは異なるので、世界中の対立の根源としてなくなることはない。 作中世界は、一度滅びを目前に見た人類の世界だ。だから、人々の争いの根源に対する恐怖感は、現代に生きる人々より現実感がある。ゆえにそれをなくそうなどという冒涜的な試みが現実に計画・実行されてしまうわけだ。 みんなが平和に暮らせる世界をユートピアと呼ぶならば、この物語が導く世界はまさにそれであろう。しかし、人間が暮らすという意味は何かと考えてみれば、その答えによっては、作中世界はユートピアとまったく正反対の世界に見えるに違いない。 | ||||
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沢山の方がレビューを書かれているので、内容については 触れませんが、小手先(単に文章が上手いとか、アイデアだ けが良い)の小説ではなく、文字どおりの大作です。 一生のうちに、このような感動を与えてくれる本に何冊出 会えるのか・・・、というレベルです。 SFが苦手な人には、どうしてもとっつき難いでしょうが、 最初の数十頁を読んで世界観・用語を理解できれば、作品の 世界にどっぷり浸ることになります。 架空の(当然ですが)未来でありながら、圧倒的にリアル 世界が広がっており、文字の、本の、力というのを感じます。 このような本は本当に数少ないです、必読です。 著者の早世が本当に惜しまれます。存命であれば、この先 どんな作品を生み出したのかと思うと・・・。 | ||||
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楽しめたか楽しめなかったかというと、非常に楽しめました。作品序盤に感じるいろんな違和感がエピローグで見事に結実する作品構造は「なるほど!」と。前作に引き続きミステリとしても優秀な出来。 ただし前作にあったような近未来SFっぽさはかなり控えられているように思えました。 ところで、物語作品には、ある一つの主張をするための表現と、とにかく触れる人間を楽しませることに主眼が置かれた表現とがあるといえます(もちろん娯楽と主張とが共存している作品もありますが、ここで言いたいのはあくまで目的としてどちらを重視するかということ)。 そして本作は明らかに前者にあたります。作品によっては強いメッセージを発しすぎるあまりに、逆に偏見を助長したり、娯楽性を損ねたりするものもありますが、本作に関してはそのような心配は不要です。娯楽性よりメッセージ性を優先してはいるものの、そのテーマの解に迫る思考過程そのものがエンターテイメント的面白さを持っているので、非常に好奇心を刺激されるものがあります。 本作を貫くテーマは、タイトル通り「ハーモニー」です。最も「調和」した社会とは何なのか?という問いを突き詰める中で、「人間とは何なのか?」という新たなテーマが首をもたげてくるという巧みな展開。そして、究極の「ハーモニー」とは何なのか? それを作者が論理的に追求した結果、導かれる衝撃的なラスト。グイグイと引き込まれるものがあります。 ただ惜しむらくは、極めて演繹的で論理的な展開を見せるこの作者において、この作品世界を支配する「生命主義」という価値観(世界設定)だけがどうしても浮いてしまっていると思える点です。この「生命主義」という価値観だけが、本作の主張をするための舞台装置として作為的に設定されたとしか思えないのです。 その他の展開が極めて論理的であるがゆえに、全体を貫くこの世界設定だけが最後まで違和感を残した、というのが個人的な感想です。 しかしこれはあくまで個人的な感想であって、小説を読む上で「設定は設定」と思えるのならこの点は全く気にならないと思いますし、そもそも違和感を感じる僕のほうがおかしい可能性も否定出来ません。知的興奮を得たいと思う方には強くおすすめできると思います。 また、世界観が直接共通しているわけではありませんのでどちらから読んでも内容の理解に支障はありませんが、個人的には前作を読んでからこちらを読むことを勧めます。 | ||||
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「虐殺器官」が「メタルギア」に強く影響された作品であったことは疑いないが、本作は伊藤計画のオリジナルが開花したすばらしい作品になっている。作品の出だしで女子高生たちの自殺願望と健康至上主義の管理社会への憎悪というありふれたテーマから、人間の欲望、管理社会、自我・意識といった根源的な内容に踏み込んでいく。また、ストーリはミステリタッチになっており、主人公が日本に帰国して友人と再会し、食事中に自殺するところから事件が転がり始め、その謎に迫る展開がとても緊迫感があり読ませる。彼の作品に共通するところは語られる物語の世界観のデティールに対する徹底的なこだわり、そして論理性である。バックボーンがしっかり構築されているので、ストーリが破綻しないのだ。このようなすばらしい作品を病床でがんと戦いながら、作り上げていった作者には頭が下がるし、もう彼の作品が読めないということが残念でならない。 | ||||
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冒頭は奇抜な名前の女子校生トリオの集団自殺の話から、時代が大きく飛んで戦場を移動中という状況。この展開に最初はついていけない。しかし読み進めていくと、前作「虐殺器官」の後、世界はどうなってしまったのか。そして主人公が追いかけるものは何かという点に引き込まれていく。「続編なんだ」という認識が前作を読んだときの興奮を思い起こしてワクワクした。 個人意識レベルからの完全管理社会や、それを実現するテクノロジーギミックは、相変わらずリアルさに満ちていて感心させられる。次々と起こる事件は、モニタに表示される映像のように淡々と描写され、それを見ている主人公と自分の目線が同じであるような気がする。これは結構薄ら寒い感じだ。 何より印象的だったのは、前作のキイとなる現象(というか技術というか)の影響力の大きさである。結局、この連作はその一つのアイデアに基づいている。その現象と個人の存在こそが作家の抱えるテーマだったのだろう。見た目のカジュアルさとは裏腹な、過激な作品だ。 | ||||
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本書の最後の方でミァハの口を通して宣言されているように、本書は1932年に発表されたハクスリーのSF小説の古典すばらしい新世界 (講談社文庫 は 20-1)の換骨奪胎、もしくはオマージュだと思われます。見掛け上のユートピアに異分子が入り込むことによって、その虚構が暴かれていく。その様を通して現代社会を鋭く批判する。ミァハは、“真綿で首を絞めるような”今の日本に生きることの息苦しさや見えない叫びを代弁しています。 多くのSF小説同様、本書も最初の方は状況説明が多く、決して読みやすいとは言えません。そこでは現代の我々の常識が通用しないため、発想をアジャストするのにやや時間がかかりました。しかし、徐々に話の方向性が見えてきてからはいよいよ面白くなっていき、エンディングへと突き進むスピード感には脱帽させられます。 確かに、日本語でしか読めないのはもったいなく、各国語に訳して世界の人にも読んでほしいと思います。また、リドリー・スコットあたりに映画化してもらい(世界観をどこまで描ききれるかは別として)、その主張を世界に知らしめたい作品です。 | ||||
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伊藤計劃さん最期の作品「ハーモニー」読み終えました。 舞台は未来と言えど、現在の延長線上の話。 それなのに、非の打ちどころのない現実感です。 人類の科学は自由と便利を求め、常に進歩している。 すべての人の体内に医療監視システムが導入され、病気のない世界と化したユートピア。 その次の段階はもう、科学の臨界点を突破しようとしていた・・・。 幸福とは何か。 人が死なない世界が幸福なのか。 苦痛のない未来を約束されることが自由なのか。 答えを実現させようとして自殺したミァハと、 答えを探し出そうと彼女の影を追うトァン。 二人の女性が人類の最終局面に立ち会う。 何百年後か、実際に人類はこうなってしまうのかなぁと思いながら読んでいました。 今生きていることが幸せなのか。 死ぬことが自由なのか。 このまま人類は進歩を続けていいのだろうか。 そんなことを考えさせられる、とても感慨深い作品でした。 | ||||
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私の中では「虐殺器官」は正直3に近い4です。 しかし、これは間違いなく5です。 それも、何故か昔読んだアシモフやクラークの名作と同様の 感動・恐ろしさを何年ぶりに感じました。 簡潔的な文章でこれほどの内容とは。 無駄に長編化する現代の作家に対する一つのアンチテーゼでしょうか。 これから読むなら、是非「虐殺器官」を読んだ上で。 焦る必要はない、今後しばらくは(邦洋問わず)これほどの作品は出ないから。 ただ一つの、残念な点は、作者がミァハの言う 「あちらの世界」に既に旅立たれてしまったことだけ。 | ||||
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