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相田家のグッドバイ
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相田家のグッドバイの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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「実家じまい」の松本明子さんの本が流行りましたがそれと似たような内容も一部ありまして、自分もいずれ実家じまいが必要になりそうなので、興味深く読みました。 どうってことのない自伝のようなものなのですが人物描写や考察が興味深く、1日で読み終えました。 | ||||
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作者のバックグラウンドが解って面白かったけど、小説としての面白さは感じられなかったです。 | ||||
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淡々とした物語のなかに両親の生き方に言及してるところが 私の両親と重なるところがあり共感を覚えた、8年前認知症 になり最期は老人病院で多臓器不全で亡くなった父、昨年 認知症になり要介護3と認定され一人で生活困難と判断し 介護付き老人ホームに入居させようとしたが、ぎりぎりま で抵抗して拒否した母、いまだに帰宅願望はある母の姿が、 内容は違えど重なる部分があり共感を覚えた。 | ||||
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私も元大学教員です。新しいことを始めたくて、50歳で退職しました。森氏の感じる変化のようなものが、今の私と重なって、図々しくも同感しました。 印象に残っているのをひとつあげると、森氏の『庭に出て落ち葉を搔き集めると落ち着く』というのは、今の私もまさにそうだなぁと。 また、お母様が、ものを集めて捨てられず、ご自分のルールに従って理路整然と仕舞われているという行動は、私に似ています。 私は丁度いい年齢で、この本を手にしたのかもしれません。私には、しっくりきました。 | ||||
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誰か教えてほしいのだけれど、どこが「ミステリィ」なんでしょう? 紹介文にそう書いてあれば、当然そう思って読みますが、これは甚だしい「ミスリード」ではなかったのでしょうか。 解説を読んでもなぜこれを無理矢理そういう風に読むかなあと首をかしげるばかりでした。 「ミステリー作家が静かに紡ぐ家族の物語をゆっくりお楽しみください」とあれば、読後感もまったく違ったものになったであろうに・・・。 著者ではなく出版社に腹が立った本でした。 | ||||
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自分が成人し、年を取ってくると自分の親と入れ違いのように親が子供のようになっていく。まるで自分が幼い頃のような箸の使い方だったり、簡単に自分にしてくれていたことが指先がなんだか細かいことが出来なくなっていく姿をみていると切なくなります。どうしても小さくなっていく。 こちらの作品も成人し、両親を看取り、見送るお話です。身につまされるような内容でもあり、最近知人のご両親も惚けてきて施設にどうするかの話を聞いたので勧めました。主人公は森先生らしいということですが、なぜ大学をやめて好きなことに没頭する人生へのシフトへのきっかけになったかがわかります。 この作品のご両親はとても自立して、そして子供も。自分の様々なことを世話にならず、自分で自分のことを行って亡くなっていきます。このように親孝行、子孝行な親子関係は理想ですが、今の不況や不安定な世の中では親の先々を子供がすり減らしていくことも多いし、逆もあることでしょうね。 | ||||
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学生時代、名の知れた同人作家であったにも関わらず、 多忙で知られる理系の大学院生としても極めて優秀で 何と修士課程を出ただけで大学教員になってしまった 森氏が、両親を相次いで看取られた。いつも通り、 淡々とそれを記述していくのだが、逆にそれが心を打ちます そして、輪ゴム一つ捨てられなかったお母様の膨大な遺品 (著者自身の幼少期の学校提出物や遊具、お母様の日記を含む)を 整理して行くうちに、あの頭脳明晰な森氏をしてなお、 ご両親の価値基準に基づいた色眼鏡で物事を見ていたことに 気付かれて、もう一度自分自身を振り返った時、氏は 大学教員を辞めることを決意されます 我々読者は、かってその話を聞いたとき、作品が もっと読めると喜んだものでした。しかし、 我々は大切な事を忘れていました。かれは、元々、 趣味である模型工作資金作りの為に小説を 書き始められたのでした。 つまり、彼にとっては、大学の教員生活と同じく 小説を書くことも、雑事だったのです。 ですから、これ以上稼ぐ必要が無いと確信できた 途端、雑音が少ない海外で隠遁生活に入られた のでした。 この小説は、読者への別れのメッセージなのだと思います | ||||
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淡々と物語が進むなかで,主人公が感じるであろう喪失感と自由とを共有していることに気づきました. 人生の後半でいずれは通る路をあらかじめ予見できたのは収穫でした. 非ミステリでも著者の語り口は健在です.お好みでどうぞ. | ||||
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切ない、だけど言い得て妙。親子、夫婦の関係性を考えさせられました。 | ||||
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この父母ように死ねれば良いなと思った。 こんな息子や娘との距離感で死んでいきたいなと思った。 頑張って一人で生きれるとこまで生きて、最後ちょっと手を借りてちょっと迷惑かけて、死んだらちょっと「ホッと」してもらえる距離感。 早く死んでほしいと願って欲しくはないし、私が死んだことを悲しんで欲しくもない。 私の死に引きずられて欲しくないから、この母のようにちょっとしたミステリィを残すか。 それとも父親のように、ちょっと頑固に振る舞って見せるか。 その前に、子供たちに良い人に育ってもらわないといけないかな。 …英語のタイトルが難しい。読んだままの意味でいいのかな。確かにそんな内容ではあった気がする。 森氏の本が面白いのは、一冊として同じような本が無いこと。 全部違います。今から森作品に手を出す人は,どれから読んでもいいですよ。 オススメの本の選び方は、気に入ったタイトルで選ぶか、表紙のデザインで選ぶこと。 | ||||
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この本を読んだ当時、母が亡くなったばかりで心の整理もつかず、仕事もうまくいかなかった頃 ふと図書館で借りて読んだ一冊でした。 相田家のちょっと変わった日常を淡々と描いた作品ながら すっと感情移入している自分がいて すらすらと読み終えてしまいました。 読後に今までの自分の人生を振り返り、あぁ自分も両親に認めてもらいたくて頑張っていたのだな と妙に納得し、心救われた気分になりました! 間違いなく人生を変えた一冊でした。 | ||||
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淡々と暮らしてきた家族の話としてはとても良い 自分とは年代が違うが、共感できるところもたくさんある、良い本だと思う けれど。。 出版社の売り出し方というか、見せ方が良くないと思う 物をたくさん溜め込んだ母のサスペンス的な要素はちっともなかった ただたくさん貯めて、その中にはへそくりも色々あったのねぇ的なもので、変にそこに含みを持たせるから、最後までどんでん返しがあるのかと思って悶々としてしまった 単純にすっきりとした構成のいい本だったのに、なんか煽られた感があってそこが今ひとつ。。腑に落ちぬ。。感じです | ||||
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どちらかと言うと、ドライな小説、日記、工作の印象が濃い作家であるが、 本書は、初期にはなかった方向性が見られる家族小説である。 主人公は、森博嗣をモデルにした人物で、その両親を中心に据えて物語を進められる。 「お父様」と呼んでいたであろう父親が、息子に介護される側に回り、小さな背中をさらけ出す。 今までの関係性が変わってしまう衝撃。 このような、誰にでも訪れうる一般的なことがらに森博嗣が触れ、それまでの人生観が変わっていく、そんな話である。 初期の日記等で軽く触れられていた、ゴミを捨てない母親、工作に対する姿勢、全てそのままになっている実家、 厳しかったと思わしき建築業の父親。妹夫婦の存在。 終期の日記で軽く触れられていた、郵便局での何らかのやり取り、鼠の指人形の写った海外の写真、スバル氏との間に過去あったすれ違い、 大学を辞めるまでの流れ、たびたび行われていると思しかった庭の掃除。社会に出た子どもたち。 引きが良すぎて、詳しく確認したい話ばかりだったが、そのまま日記は終了してしまった。 だが、この小説には、問いかけに対する答えのように、日記で気になっていた事が山盛りに収録されていた。 そして、本人の考え方も過去と違って来ている事が明確に書かれている。 といっても、この小説は森家ではなく、架空の「相田家」について語っているので、どこまでが創作でどこまでが現実をモデルとしたのかは判らない。 それでも個人的には、長い事気になっていた一つの考え方について、それなりに決着が付けられた気がする。 過去作の源泉を、客観的に見詰めた興味深い作品。 | ||||
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帯には森博嗣初の家族小説とうたわれているが、森博嗣本人はHPで家族小説ではないとことわっている。 では、この小説の主題は何か。それはおそらく老いと死、なのではないか。 かつては子供を導く強い存在だった親が、老齢になって弱り子供の世話になる。 そして、死ぬ。残された遺品の始末の描写が長々としている。かつて変質的にものを集める習性があった母だったが、死んだあとはその生き様を写す雑多な品々も消えていく。永劫のものなど世の中にはないかのように。 そして残された夫婦もまた年老いていた。森博嗣も50代で死を老いと死を意識せざるをえなくなった。その心境がこの小説を書かせたのではないだろうか。末尾の文は感動的だ。 あと、この小説は会話文がほとんどないのに読みやすい。 | ||||
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初心者です。 「すべてがFになる」から名前だけは知っていましたが、なんとなく、怖い系?な認識で・・・ 食わずキライでした。 少し前に本屋で平台に乗ってましたが、表紙が素敵なのでよけいに怖い印象でした。 電子書籍のおかげで、なんとなく読んでみました。 大人になると、環境の違いを認識する場面があり、それをなんとなく乗りこなして行くのが 当たり前になりますよね。 それを自分の根底にある強さと感じながら生きていくことを自信というのかもしれません。 いい本ですね。 これも出会いであったり、加齢と伴い、私も森作品を読んでみようと思いました。 | ||||
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カバー&ブックデザインも文章も、極上の仕上がり。 森氏がこれまでブログやエッセイ本でたまに垣間見せていた日常や意志、内情を隠した淡々とした言葉たち。 それらの意味を、事情を、心情を、とても丁寧に曝け出して説明してくれているという印象。 なるほど、あの時のあの言葉は、そういうことだったのか。と気付くことしばしば。 中盤からラストまで泣いてしまった。 解放のカタチ。 なくなってしまったもの、壊してしまったもの。 それらを記憶のなかから引っぱり出し、思い描き、展開図にして設計し、組み立てる。 今はもうないものの形を、息子は物語という形で作り出した。 存在を認識していなかった「ないもの」が、物語を読む事によって「あるもの」になる。今はもうないのに、ここにある。死んでしまった人はもういないのに、ここに居続ける。その人の強い意志は、伝わっている。彼の作りあげた物語をとおして認識することができる。 「ない」のに「ある」。この感覚は、同著者の『ヴォイド・シェイパ』を読んだ際と同じもの。 フィクションという体制をとってはいるものの、著者の想いや意志、悟りのようなものをひしひしと感じる一冊。 | ||||
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"この物語は、彼が両親を失う過程を綴ったものである"(作中より) 森博嗣さんが2007年頃に語っていた「今確実なことは、いつまでも続けるつもりではないこと、今後は少しずつ表に出る機会を減らし、人知れず地味に静かに消えたいと願っていること、である」。 その言葉もあってか、とにかく胸に迫るものがありました。誰にも必ず訪れる"死"。どう受け入れていくのか。会話文もほとんどなく、いつになくシリアスで現実的で。 いまのわたしと数年後、数十年後のわたしとで思うところは変わるかもしれませんが、でもいま読むことができてよかったと思います。 森博嗣さんはこのあとどんな作品を描いていくのだろう。 | ||||
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「親孝行という言葉があるけれど、それは親の面倒を見ることではなく、人間として成長し、立派になり、親の生き方を真似つつ、自分の人生を歩むことだ。」 「そうか、自分の躰だって、借家みたいなものだ。最後は返さなくてはならない。」 十年前のハタチの頃に読んでも分からなかったであろう本。三十歳になる今読むことで色々感じ入るものが多かった本。十年後、ひょっとしたら子供がいたりして、その時また読みたいと思う本。 生きていると思い悩むこの自我が、ちっぽけで不自然な淀みであり、それゆえ愛らしいと思います。 『喜嶋先生の静かな世界』が個人に焦点を当てたものとすれば、『相田家のグッドバイ』は森作品にはめずらしく「家族」に焦点を当てた作品でした。 | ||||
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両親を失う過程について綴られた話。 これまでの著作の中で、数は少ないが何度か出てきていた家族に関するエピソードを拾い上げて、フィクションを織り交ぜて再構築している。 たとえば、既出のエピソードとしては以下のようなことが記載されている。 ・母は、おもちゃは買ってくれなかったが、道具はすぐに、しかもとてもよいものを買ってくれた。 ・父は、あまりしゃべらないけど、ふとしたタイミングにすごさを感じさせるような人だった。 父も母も確固とした価値観があったようだ。いずれにしても普通からは大きく外れた位置にいるような人たちであった。 両親の死について、森博嗣はどのように感じたか。どのように行動したか、なぜそのようなことをしたかについて、考察を述べている。 「喜嶋先生の静かな世界」と似た雰囲気を持つ作品。 淡々として、少し切なくなるのだけど、人生に感謝したくなるような。 そんな内容。 | ||||
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