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(短編集)
女たちは二度遊ぶ
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女たちは二度遊ぶの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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吉田修一氏は、男性、女性、その他の目線、いくつ持っているのだろうか。居そうで居ない、いや、居るかもしれない人達の物語り。短編なので、飛行機や鉄道などでもサクッと読めます。 | ||||
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男性目線で様々な女性たちを描いた短編集。 登場する女性たちは、恋人だったり、そのとき限りのお相手だったり、一目ぼれした見知らぬひとだったり、ちょっとうざい先輩だったりとバリエーションにとんでいる。 ストレートな恋愛話ではなくて、男性から見た、女性の謎な部分が作品のテーマなのだろう。女性の振る舞いの、あるあるが見られるわけなのだが、その内面を掘り下げてはいない。その行動や言動を受けて、とまどう男性を通し、なんとなく女性の心のうちを想像するしかない。 実生活でも似たようなシーンに出くわすことはあるだろうが、男性の引きずっている感が上手く表現されていると思う。男性たちの小ずるいところは、恥ずかしながら共感するところはあるが、女性読者はどうだろう。 十三歳の頃の気になるコとに苦い思い出「最初の妻」がおすすめ。 | ||||
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男の人生に迫ってきては遠ざかっていく11人の女を描いた短編集、出会わなかったような 出会いをした女たち、そんな彼女達との時間が描かれてる、解説にもあるように男や女の何 気ない仕草が自分の忘れていた思い出までも呼び起こしてくれるほど作者の筆力は見事であ る。 | ||||
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恋愛における複雑な選択肢と、その先に待っている2人の結末を描いた、読みごたえのある作品でした。 女と男が惹かれ合い、恋に落ちると、2人は様々な岐路に立たされます。 交際、破局、結婚。 もっと相手を好きになる出来事から、嫌いになるきっかけまで…。 「あの時、あの言葉を、行動を選んで置けば良かった…」 そんな、恋愛における後悔をもった人たちに、是非オススメしたい1冊です。 | ||||
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1編が20ページ程度の短編が全11編。 どれも人生の一時期にすれ違った女性との出会いを切り取ったような短編。 下宿に居座る女、よく泣く女、バイト先、勤め先で出会った女、などなど。 どれも鮮烈で、臨場感あふれる描写が際立ち、読ませる短編に仕上がっている。 映像化されたようだが、確かに短編ドラマにピッタリのストーリー。 「この短編の女性には、この女優が適役かな」などと想像しながら読むのも一興か。 よかった2編。 『殺したい女』。つきあっている女性「あかね」と、あかねの家族との奇妙な付き合いが絶妙。 『最初の妻』。この作品だけが異色で、中学生男女の物語り。甘酸っぱく、せつない1日限りのデートが青春時代を思い出させる。 | ||||
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話だけ掻い摘んでみれば、大して面白いとは思えないはずなのに、吉田修一が書くと面白くなる。視点が独特なのだろうと思う。短い作品が11作。待ち時間や電車の移動時間で、さらっと読むのにとても適している。主人公はすべて男。男から見られる女が題材になっている。 登場する女たちには共通点があるように思えた。 彼女たちはそれぞれ恋愛したり、ある種の関係を男たちと持つのだけれど、実は彼女たちは男たちより、もっと別のなにかにとらわれている。ここに登場する男女はいわゆる「恋愛」とは異質な関係で結ばれている。恋愛がもし相互理解であるとするなら、ここに描かれた男女は恋愛などしていないといえるかもしれない。相手を理解したいと思うのが男性本位の優しさとするなら、吉田修一が描く男たちは女たちを理解しようとはしないように見える。無関心とか包容力のなさとかでもなく、ただ関わろうとする。 決して深みに陥らず、人間の本心の男と女のさりげない姿を描く作風は、淡いんだけれども、リアリティーがある。こういうの書かせると、ホント上手いなと思う。吉田修一は人物たちの表層的な関係を描く。普通短編ならば瞬間を切り取るのが多いのだけれど、吉田はあくまで表層を描く。 前半に掲載されてある作品のほうが好み。これが面白かったら、吉田の初期の『熱帯魚』『日曜日たち』『東京湾景』なども面白く読めると思う。 | ||||
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出会った、かかわった、といってしまうときちんとしすぎているから、敢えて、 偶然行きあった、たまたま一瞬自分の日常を通りすがった…そんな女たちとの あわい、その割に印象があとからあとから濃くなる関わりを、男目線で描いた ショートストーリーが収録されている短編集。 実際、きちんと恋人になった、友達になった、みたいな名前をつけられる関係に なった以外の人って、誰の人生にもいるものだ。私でいうと、日雇いのバイト先で 1日だけ一緒に働いた誰誰さん、とか…そういう「確かに一緒にいたけど、 あれはなんだったんだろう」という人との話を、読ませる小説にして、しかも 「○○な女」というタイトルで括るあたり、吉田修一は、小説を書くのも コンセプトという名の「ハコ」を作ってそこに物語を納めるのもほんとうまいなーと 思う。 力強く怖い「悪人」みたいな小説もいいけど、こういう、人生における魚の小骨的 エピソードを描けるのも、この作家の強みで魅力だなあと思い知りました。 | ||||
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ある時間の経過の後、想い出として語られる十一人の女に関する短編集です。 その時の男性は、学生であったり、フリーターであったりと、未だ確固とした生活基盤を持っていないものばかりです。 従って、男と女の関係はあくまでテンポラリーなものです。 しかし、そうしたものであるに拘わらず、男にしっかりとした印象を残しています。 それは、筆者の鋭すぎるほどのリアリティに表れています。 だからと言って、そこに描かれる女性たちは決して「いい女」ではありません。 しかし、別れを迎える男の目には、焼き付いているのです。 愛されていたかどうか解らないが、彼女らは「忘れられない女」であったことは確かでしょう。 非常に短い短編の連続なので、ちょっとした時間で一編が読めてしまうと言う、非常に読みやすい本です。 しかし、その短い文章の中身は充実しており、そこには「名言」で一杯です。 「短編」とは、こうした小説をいうのでしょう。 | ||||
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急展開で終る各物語の感想は 意味不明・でも分かる気がする といった漠然としたものです。 その不可解さと余韻が感じられる面白い作品でした。 しっかり読めば話のオチにも納得がいくのかもしれませんが さらっと読んで「は?意味不明。でもなんとなくいいなぁ・わかるなぁ」なんて 読み方もありかもしれません。 それにしてもCMの女はいいですね。 「まるで出会わなかったような出会いだったからこそ、何年も経ってから とつぜん懐かしく思い出すこともあるのだ。」 このフレーズが印象に残ります。 刹那の出会いが好きな私にとってはいい名言を得たなと思いました。 | ||||
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11人の男がそれぞれが付き合った11人の女の思い出を語る短編集。「十一人目の女」という作品をあえて十番目に置いたのも洒落てる。それにしても、この、男女にまつわるエピソードのヴァリエーション、リアリティはさすが。枚数も少ないし、軽く読み飛ばせる気楽さもあるんだけど、コンセプチュアルな長編よりも、こういった短編のほうが著者のエッセンスが無防備な形で表出している気がする。 それにしても、著者の観察眼、感じ方、表現は「現代」とずれていない。意外なことに、小説家で「現代」とずれていない人って稀少だと思う。今回、特に印象に残ったのは男女間のビミョーなニュアンスを表現した数々のアフォリズム。 「頭では来るはずがないと分かっているのに、心では来ないはずがないと思っているのだ」 「住みたいところじゃなくて、みんな、住めるところに住んでるんだよねぇ」 「好きでなかったわけではない。ただ、好きだったわけでもない。きっとこれから好きになれると、そう思っていたのは間違いない」 「恋愛でもなんでもそうだが、沈黙に耐え切れなくなるのは、必ず優位な立場にいるほうだ」 こうしたフレーズが象徴するように、どの作品もわりと輪郭がはっきりしていて、シーンや言葉が印象に残る。一番面白かったのは「明るいオーラ」と「暗いオーラ」に関する考察で、これはフムフムと思った。気になる人は是非ご一読を! | ||||
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男性視点で過去に「擦れ違った」さまざまな女を描いた作品。11の短編で11人の女たちが登場する。炊事、洗濯、掃除はおろか、腹が減ってもコンビニ弁当すら買いに行こうともしない女が男の家にいついた「どしゃぶりの女」。新宿の公衆電話で電話待ちをしている時に会話を盗み聞きしてしまった女を勤め先で見つけてしまった「公衆電話の女」…。 淡々としていて「いい女」は一人も出てこないが、どの女も、どの挿話も、リアリティーがあまりにも強すぎる。バーで出会った自堕落な女、別れの言葉を一言も残さずいなくなってしまう下町の女、駅で出会った美形の女、些細なことでも泣きべそばかりかいている女…、本当にさまざまな女が登場し、男であれば誰もがそんな女の記憶をもっている。 どの短編にも小気味のよい「落ち」があり、女は不可解さを残し去っていく。女性から見れば軽薄でつまらない話しばかりなのかもしれないが、男にとっては、その「余韻」が何ともいえない。男には理屈がなくて、映像の残影だけがあるのだから。 これまで吉田修一の長編しか読んだことがなかったが、短編もなかなか悪くない。切れ味は、もしかしたら長編よりも上かもしれない。 | ||||
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11の短編集からなる女と男の日常的な物語。 吉田修一らしく、一貫した気だるさが作品全体に流れている。 私的には、「十一人目の女」が、「月曜日たち」という作品のように このなかの短編のどれかとリンクしているのかなぁと思ったりしたのですが 別にそんなことは無かったようです;笑 オチのない話が嫌いな人にはオススメ出来ないけど、 私は吉田さんの作風が好きなので面白かったです^^ | ||||
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なぁんか、男の人に女の子って。こぉんな風にみられているんだぁ。 って。思っちゃった。 いろいろな、女の子がいたんだけど。 男の子もいろいろ? もしかして?主人公一人かしらん? こーいうトコが吉田修一っぽい。んだけど 時系列のギャップと、視点が定まらないトコ。 短編集だから。ね。 〜の女ってサブタイトルが並んでいるんだけど。ね。 どしゃぶりの女・泣かない女・・・って。 13歳の男の子のお話もあったりして。(これだけ『最初の妻』となっているんだ…。) で、同じ年の子を持つ母として。ね。すごい、ココで身近感を味わって。 さら〜っと読めます!よ! | ||||
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11編のそれぞれに、中心となる一組の男女がいる。半分以上は恋愛関係にある。しかし、ほぼ無縁だったり、あこがれの存在だったりもする。女達に共通点は見つけ出しにくい。美しかったり醜かったり、乱暴だったり気前が良かったりする。 でも、男達はいずれも、適当に通ってる学生だったり、フリーターだったり、徹底的にふらふらしている。たよりない。ふがいない。こころもとない。 それに比べると、女たちは皆、拠って立つところをしっかり持っているように思える。何だか、男って、実在する女のまわりをフワフワ漂っている煙か何かのように思えてしまう。この居心地悪さ、世の中に申し訳ないような希薄で捨て鉢な気分が、読後にじわじわ広がる。 簡潔な文体で読みやすいが、急いで読んではもったいない。 | ||||
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女性が見ている現在は時として既に過去となっていることがある。 現実に夢を重ねて見ているから、夢から覚めた瞬間に次の現実を探し始める。 当然それまでの現在は過去に変わる。 そしてその逆も然り。現実的という言葉がぴったりなくらい毎日をこつこつと生きることが出来る。しかしこの場合にも、ふと全てを投げ出したくなる時、自分のためにということを考える時がくる。その感情に理由なんてない。最近増えているという熟年離婚もそういうものではないかと個人的に思っている。 | ||||
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とても面白かったです。テンポも良くて、本を読んでいるのが気持ちよかった。 今まで、女の私には「男から見た、女の不可解さ」なんて解らないことでした。けれど、吉田修一はそれを見せてくれた気がします。11人の女の出てくる11話の短編は全て、男の視点から見た世界で描かれています。 長編小説ではなく、短編小説であることも良い。11話それぞれの男の心理に集中しながら読め、11人それぞれの女を読者が「観察」できる。 男の迷いや甘えとは裏腹に、女は、密やかな自分の世界を守りながら逞しく生きている。それが、女を不可解なものに見せるのかもしれないなぁ…と、私は思うようになりました。 | ||||
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吉田修一はほぼ同年代だけど、この小説に表れている感覚には特別共感するわけでもない。けれどいかにも「ありそうだ」という意味で、納得はできる。小説を書くのだから自分よりも若い世代にたいして敏感なのだろうし、観察も鋭いのだろう。 話はなんだか出来すぎた気もするし、それは相対的に感じられる超越としてはいい具合なんだろうとも思うし、自分の感覚も平均的なのかもよく分からないし、そもそも近くの本屋で吉田修一をあまり見かけないし、それほど売れる小説家でもないのだろうし。 けれど、少なくとも出版されたものはほとんど読んでいるのだから、自分にとって好きな小説であるには変わりない。そんな意味で、好意的な評価であることを差し引いて予測するに、この感覚には辟易してしまう。そんな人のほうがひょっとしたら多いのではないか。 いや、現代小説を読む人口じだいが今じゃあ少ないのだろうから、そんな少数に対して生き残るには大多数の共感を得られる感覚を選ぶのが作家としての筋だろう。ましてや奇異な小説ではないのだから。そう思うと自分の感覚なんて、凡庸でつまらないものだったのだと興醒めするのだった。 そもそも、そんな微妙な勝負どころを小説は請け負う必要があるのだろうか。これは映画の役目ではないだろうか。吉田修一の小説は、現代日本映画の脚本として読んだほうがしっくり来るのではないか。 デプレシャンなどのフレンス現代映画監督は、きっとこのような意味で同時代的であることを望まれ、またそう振舞うことで評価されているのだろう。大谷健太郎を超える現代日本の同時代性を映像表現するには、吉田修一の脚本は使えるのではないか。そういえば、彼の映画。どうだったのだろう・・。 | ||||
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11人の男がそれぞれが付き合った11人の女の思い出を語る短編集。「十一人目の女」という作品をあえて十番目に置いたのも洒落てる。それにしても、この、男女にまつわるエピソードのヴァリエーション、リアリティはさすが。枚数も少ないし、軽く読み飛ばせる気楽さもあるんだけど、コンセプチュアルな長編よりも、こういった短編のほうが著者のエッセンスが無防備な形で表出している気がする。 それにしても、著者の観察眼、感じ方、表現は「現代」とずれていない。意外なことに、小説家で「現代」とずれていない人って稀少だと思う。今回、特に印象に残ったのは男女間のビミョーなニュアンスを表現した数々のアフォリズム。 「頭では来るはずがないと分かっているのに、心では来ないはずがないと思っているのだ」 「住みたいところじゃなくて、みんな、住めるところに住んでるんだよねぇ」 「好きでなかったわけではない。ただ、好きだったわけでもない。きっとこれから好きになれると、そう思っていたのは間違いない」 「恋愛でもなんでもそうだが、沈黙に耐え切れなくなるのは、必ず優位な立場にいるほうだ」 こうしたフレーズが象徴するように、どの作品もわりと輪郭がはっきりしていて、シーンや言葉が印象に残る。一番面白かったのは「明るいオーラ」と「暗いオーラ」に関する考察で、これはフムフムと思った。気になる人は是非ご一読を! | ||||
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11人の女に関する短編は、男が関わった、見てきた女で彼女以外もある 繰り返した転職の中で関わった女 ただ電車で見かけた女 中学生の同級生だった女 11人の女に関わったきたであろう男は、女を女としてしか見ない 女にまめでもなく、優しい様子でもなく、自分の人生に手一杯だ。 でも、女は結局そういう男に人生を絡めてしまう。 男に絡めてきた女たちの気持ちが時を経てぼろぼろ出てきたような感じで何か面白い。 一人では生きていけない男は、常に女を物色して観察する。 そんな男の思い出の女たちは、ひたむきな感情が隠していても洩れている。 すれ違っていった彼女たちの幸福に思いを馳せてしまう | ||||
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こういう短編小説、一日に一作品づつ読めれば毎日がより充実しそうである。いや、一度にまとめて読んだってもちろんかまわないのだが(私は2、3編づつ読んだ)、なにしろ数も限られているのでちびちびとやりたいところである。今日はどんな女の人だろう、と、思いながら読んでいろいろと楽しんで、その後で現実の女性に会うと、なんだかいつもとは違う気分で彼女たちに出会えたりする。すんなりと読みとおせる短い仮想の文章が、日々の退屈な経験をふくよかにしてくれる。 様々な女性の日常(非日常)の断片が、どれも「うわあ、センスいいなあ」といちいち感嘆させられる描写力でもって表現される。いるね、こういう人、な女性がおり、あるいは謎がありすぎる女性がいる。おお、と、つきあってみたく思わせる女性がおり、もしくは、あまりお近づきにはなりたくはないけれど、微妙な距離にいってもらって話題のネタになってくれるとありがたい女性がいる。 もちろん、これは男性の側の視点である。この本も、どちらかといえば男性からみた女性の姿がたくさんのせられているようではある。けれど、あらためて確認するまでもなく、AV的な非中立性はこの作者にはほとんどない。女性はこうあるべきだ、こうあってほしい、というわがままはそこにはない。むしろ人間ってこうなんじゃないのかなあ、という問いかけが一貫してあり、それがそれぞれ異なるからだとこころをもった女性の姿で書かれている、のではないかと感じた。 | ||||
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