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ムーン・パレス
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ムーン・パレスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全104件 21~40 2/6ページ
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文体が全く合わず自分はダメでした。 どこの書評を見ても評価が高いのに、合わない自分がもどかしいです。 いつかおもしろくなるだろうと我慢して読んだけど ずっと僕は、僕は、ばかり言ってて退屈で読むのがしんどかったです。 金のない底辺生活や、ゲロを吐いてたばこを吸いまくったりする、 自分的には大好きなはずの落伍者の王道のようなストーリーなのに、 どこかどん底までは落ち切れてなくて、いちいち洒落ているというか 品が良い感じがして、孤独や絶望が迫ってくる様子を感じられませんでした。 ドストエフスキーやセリーヌが描いたような貧困層の絶叫や混沌を 求めてしまうとどうにも物足りなかったです。 別の作品に挑戦してみようと思います。 | ||||
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ありもしない設定から小説の世界にぐいぐい引き込まれる村上春樹のような力量はなく、作り物としか思えない作品でした。一生懸命たくさん書いているのですが、こころに残るものはありませんでした。 | ||||
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少年時代に母を亡くした私生児の主人公フォッグが、父代わりとして慕う叔父を亡くしたことから人生の意義を喪うことから物語は始まる。 大学を辞し、公園で寝泊まりしゴミ箱を漁る生活で餓死寸前の状態に陥り、そうした中出会う両親のいない恋人キティ・ウー。フォッグはもう一度人生を構築すべく仕事を探し、息子代わりの助手を喪い、過去を否定する盲目、の車いすの老人エフィングの新たな助手として働くことになる。気難しやのエフィングが語る生き別れの息子の存在。そしてそのエフィングの息子、20年前の恋を追い求める巨漢の大学教授バーバーと出会い時間を重ねるうちにフォッグが気づくひとつの可能性、そしてフォッグはキティ・ウーがわが子を身ごもったことを知る。 喪われた家族への想いを人生の中核の物語として据える3人の男の「その後」は・・・。 「太陽は過去であり、地球は現在であり月は未来である。」 過去が創り出す光は人生を照らす物語であり、その物語を受けて未来への希望は紡がれるものかもしれない。 以下は考察の切れ端です。(ネタバレあり) エフィングが盲目であることは、彼が過去を否定し続けたことのメタファーではないか? エフィングとフォッグがともに洞穴を人生の再定義の場として選んだとすれば、バーバーにとっての洞穴はその肉体(胃袋)であったのか?そして彼が死の寸前までその洞穴に閉じこもり続けたのか? エフィングは自身の意思から妻を喪い、バーンとシュペルという二人の息子のような存在を不可抗力から喪ったことを悔いている。 バーバーは不可抗力から父を喪い、不可抗力から妻となるべき女性を喪ったことを悔いている。 フォッグは不可抗力から父(と叔父)を喪い、妻となるべき女性を不可抗力と自身の意思の弱さから喪い、そして再び自身の意思の弱さから父を喪うこととなる。 3世代に渡る家族探しと喪失の物語は喪失からの再生と4世代目への萌芽が描かれ終わりを迎える。 | ||||
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ストーリー全体を俯瞰してみると、あまり面白くない構成に感じますが、慎ましくも胸に刺さる展開が繰り広げられるおかげでバランスがよい作品にも思えます。 | ||||
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本書は、アポロ11号の月着陸や泥沼化するベトナム戦争の頃のアメリカの世相を背景とした作品です。 作者自身が学生生活を送ったとされるコロンビア大学周辺の郷愁誘うエピソードから物語は始まります。 【何ものもアメリカ人を驚かせることはできない】 陳腐な理想と、軽薄な虚勢に彩られたの能天気な学生生活。 唯一の身寄りを失ったことで自暴自棄になった青年は破滅に向かって突き進む。 辛うじて助け出された彼に訪れたラブロマンス、献身的労働、そして自らの家系を巡る謎解き。 騒々しい時代を背景にしながら、予測不能な事態が次々と展開していきます。 ポール・オースターは本書を「私が今まで書いた唯一のコメディ」と規定しているそうですが、主人公のハチャメチャな言動にもどこか感じの良い知性が漂うハイブロー作品でもあります。 【太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である】 車椅子の老人、肥満の歴史家との出会いは、過去現在未来の多面的な視点をもたらした。 豊かな遺産を手にした彼は、ユタの荒野に向かって意気揚々と自分探しの旅を開始する。 そんな大団円の結末を目前にして、不意に物語の出口が訪れる・・・。 主人公に関わる登場人物にはリアルな人物造形と緻密な関係性が作り込まれていて、そこからさまざまな人生訓や運命論のようなものを引き出すことも出来るでしょう。 また、結末が先取りされたり、語り手が聞き手に入れ替わったり、物語を俯瞰する作中作が挿入されたりと様々な小説的技法は純文学の奥深さを十分に堪能させてくれます。 本書に繰り返し登場する「月」のイメージの意味するところは何なのでしょう? そして主人公が最後にたどり着いた心境とはどのようなものでしょう? さまざまな解釈の余地を残しながら深い共感を呼び覚ます感じは、まるでボブディランが歌うフォークソングのよう。まるであの時代のアメリカに居合わせていたようなノスタルジーが感じられます。 | ||||
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満足です。 | ||||
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近所のお世話になっている喫茶店で店員さんが仕事終わりに読んでいて、気になったのでタイトルを教えてもらいさっそく購入して読んでみました。他のレビュワーの方も仰っているように、著者の文体のせいか翻訳の調子のせいかはわかりませんが、村上春樹っぽいとはどこかのタイミングで自分も感じました。中盤に出てくる「心の避難所」(317頁)という表現など、いかにもかもわかりませんが、諦念の先にある希望、諦念を包み込む希望のようなものを描いているようにも見え、いくつもの悲劇に明るい読後感を与えているように思えます。本書でほぼ唯一傍点(原著イタリック?)強調されている、ある種の政治的な保守性のにおいを感じさせる「世界だけで十分になっていた」(301頁)という表現も、そのような諦念の先の希望という文脈で理解されるものでした。 のちに正体が明かされる重要な登場人物の一人である歴史家の小説を主人公が読み、あらすじを再構成するくだりなど、逆さまになったメタ構造を感じさせ、この小説の全体の形式を整えているように思えました。もちろん、物語それ自体も十分に快楽を与えてくれる面白さを備えていると思います。翻訳も非常に読みやすい素晴らしいお仕事です。初めてオースターの作品に触れるにはぴったりの作品だったのかもしれません。 | ||||
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最後になにもかも失うが、1ヶ月ぶっ通しで歩いて海に来た。そこから人生再出発の決意が素晴らしい。1ヶ月ぶっ通しで歩くってキツイはず。じじいに鍛えられてよかったね。 | ||||
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"不思議なことに、自分のクッキーに入っていた占いの言葉を、いまもそれが手のなかにあるように僕ははっきり思い出すことができる。そこにはこう書いてあった。『太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である』と。"1989年発刊の本書は名訳と共に、失われる痛み。そして青春の終わりを教えてくれます。 個人的には、学生の時に"村上春樹に何か似てるな"と読んで、何十年ぶりの再読となるわけですが。今回感じたのは主に2点。アメリカ文学の主人公の一つのパターン"とにかく逃げる"を踏襲している本書はどこかサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に似てるな。という印象と、おそらく日本一の翻訳者ではないかと思われる東大名誉教授でもある柴田元幸の【見事に読みやすい翻訳の素晴らしさ】でした。 また、今回の再読で、主人公の若者というよりは自分が彼が出会う老人や中年教授といった人物の生き方の方に関心を寄せるようになっていたのにふと気づき、ああ年を重ねるって素晴らしいな。【人生って退屈で複雑で奇妙で】だからこそ楽しいな。そんなことをあらためて感じさせてくれました。確かに深い余韻が残る絶品小説ですね。これは。 青春と家族を巡る物語が好き、村上春樹が好きな誰かに。また翻訳の素晴らしさを実感したい誰かにもオススメ。 | ||||
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ストーリーが読みやすくて面白かったです。 作家の感性が光る作品でした。 | ||||
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初めて読んでから20年以上経ちますが、今読んでも新たな感動を味わえる稀有な作品です。特に最初の100ページ辺りくらいまでが最高に素晴らしい。 | ||||
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著者の作品は10年程前に英語の勉強を兼ねて原書を愛読した時期があって、鍵のかかった部屋やオラクル・ナイトなど印象深い作品は今でも記憶に残っている。本書はその時期にペーパーバック版を購入したが読まずに本棚に置いたきりすっかり忘れていた。本棚を整理していた時に本書に気付き、読み始めたが久しぶりのオースターワールドにすっかり浸ってしまった。 オースターの作品には、日常の世界から知らぬ間に非日常に入り込む不思議な展開を見せることが多いが、本書もそんな作品。普通の大学生に見えたマーコが気付いたら無一文になってホームレス状態に陥り、そこから思わぬ展開で脱出したと思ったら、今度は盲目の車椅子の老人の家に住み込むことなる、という想いもかけぬ展開が続き引き込まれる。 また、英語なのでどこまで理解できているか自信はないが、オースターの文章は美しくて流れるように感じられ、読んでいて心地よい。読み終わって、他の作品にも早速チャレンジしたくなった。 | ||||
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全くの偶然からオースターを知った。以後,彼の作品を一つ一つ読んでいる | ||||
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この素晴らしい本は終わるのが怖かった。 全くの無の世界、身体中が完全に自然に晒される感覚。六本木のマクドナルドで朝になるまでコーヒー一杯で読破したのは何時間ぐらいだったのか? | ||||
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これは村上春樹である。青春の荒唐無稽なところも含めて、みずみずしい再生がある。 | ||||
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全くこれだけの質の高い作品を提供し続けるオースターの底力を感じさせる一冊である。彼の作品を通じて言えることは、"無"そのものに尽きる。とにかく全てにおいて無垢なのだ。余計な主観的な要素を出来るだけ排除し、偶然の重なり合いだけで奇抜で想外な展開を創り出し、読者を混乱の闇に落とし込み、最後には"無"そのものに収束させる。 この作品を通じて、人生が野望の無益さと空虚への飛び込みでしかない事を教えられた気がする。柴田氏は"偶然による愉快な展開のすぐ横に混沌の暗い深淵がぽっかりと口を開けてる古典的なイギリス小説を思わせる"とこの作品の立ち位置を捉えてる。"コメディーは、いつ陰惨な悲劇に転じても不思議ではない事が見える時、正当な切実さを獲得する"と解説してるように、オースター自身唯一のコメディー作品となるこの一冊を"物語の欲望を目一杯満たしてくれる"と評価する。 主人公は、典型の自虐的貧乏学生であるマーコ・フォッグ。その特異な響きの名前と悲しい生い立ちからして、シリアスで陰鬱な物語と思いきや、滑稽な物語と悲劇的な展開が折り重なり、読者を翻弄する。特に、美しく聡明なキティー・ウーの存在は、彼の人生においてもストーリーの色彩においても大きなアクセントをもたらす。彼女はフォッグの全てであり、彼の全てを支配する。彼女の支えなしに、フォッグの人生は先に進みやしない。彼女こそがムーンパレス(安価でささやかな贅沢を提供する中華食堂)そのものであり、常に彼の目の前で輝き続けるお月さまなのだ。 父親も知らず、母親も小さい頃に死に別れ、ビクター伯父だけを頼りに生きてきたコロンビア大学の秀才は、ビクターの死を境に彼の後を追うように飲まず食わずのホームレスの生き方を選択する。餓死寸前の所をキティーに助けられ、九死に一生を得た彼は奇妙な老人の家で住み込みとして働くようになる。トマス・エフィング老人の萬話に近い生涯の物語に浸るうち、フォッグは少しずつ自分に目覚め、生きる目標を見出すようになる。この奇抜な老人にもう一人の自分を見出すのだ。 老人の死後、フォッグはこの老人の息子であるソロモン・バーバーと出会う。これまた漫画に出てくるようなキャラの超肥満の歴史学者にも、フォッグは引きずり込まれる。フォッグの物語が悲しくも貧しい郷愁が備わった水墨画とすれば、エフィング老人も息子のソロモンもキティーも滑稽な世界に生きるポスターカラー調のイラストみたいで、しんみりとした色調の中に鮮やかで奇抜な色彩を加えている所は、見事である。 しかし、キティーとの暮しも安泰ではなく、彼女はフォッグの子を身籠るも若過ぎるとの理由で中絶してしまう。フォッグは彼女と別れ、ソロモンのアパートに居候する。またまた、抽象的な湿っぽい展開が続くと思いきや、ここから流れが激変する。この肥満体の大男こそがフォッグの実の父親なのだ。突然の衝撃的なソロモンの告白に、フォッグはうろたえ自暴自棄になりかける。やがてソロモンは死に、キティーをも失い、車も財産も全て失った。僅か24歳の彼は三たび一人きりになる。太平洋を目の前にして、自身の闇から抜け出し、"無"に終束するエンディングは、何とも言えない郷愁に嵌ってしまう。ずっとずっとそこに留まっていたい気持ちになる。何という無垢な贅沢であろうか。 どんなに滑稽な人生もどんなに悲惨な青春も最後には無に収束する。読み終えた後の無垢な恍惚に永遠に浸っていたくもなる。全くオースターには何時も負かされ放しだ。 | ||||
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今までは バロウズやブコウスキーを愛読していましたが、読後に本作は中でも【勝手に生きろ】のチナフスキーと対照してしまいました。青春期の多様さは懐の広いアメリカならではで、文章も翻訳が苦手な方でもすんなり読めることができると思います。思わず、読書好きの友人にもプレゼントしちゃいました。 | ||||
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この本に出合えたことに感謝。内容も翻訳もとてもよかったです。 | ||||
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私は明確なメッセージとか方向性(?)がある話が好きで、村上春樹さんの一部の作品のような、どこにも向かわないようなゆらゆらした小説が苦手です。 この本はそっち系の印象を受けましたが、その割には楽しめました。 他の方のレビューにもありますが、後半はちょっと締まりがなく感じました。 随所随所で爆笑。 知的なユーモアだと思いますが。 著者によるとこれは”コメディ”らしいですし、そう思って読むのが一番楽しめると思いました。 | ||||
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何かを得ては失っていく、その繰り返しが身体を突き抜けて行くような作品。 怒涛の様に続くこの運動の中からも、何かがしこりのように心に確かに積み重なって行くような感覚があり それを味わうような作品だったという感想が自分には一番しっくりきた。 あと,マーコ達のように,自分もアメリカの西部に行ってみたくなる。 自分の人生にも何かが起きるのだろうか(笑) | ||||
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