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見知らぬ乗客
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見知らぬ乗客の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.62pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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サイトの書評を読んで購入したのですが、なんだか盛り上がりに欠け平坦なまま物語が続き、途中で読むのを断念しました。 | ||||
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スワンソンの本に本書のネタバレがある為、読む前に購入。 学生時代に読んだ事があるのを思い出したが、こんなに素晴らしいと当時は気付かなかった。 紛れも無い狂気と、狂気に引き摺られていく真面目な男。 この内面の葛藤や恐怖、迷い、破滅への道程の表現が巧過ぎる。 職人芸と言ってもいい。 数々の本を読破してきたが、ハイスミスほど書ける作家は稀だと思う。 学生時代の自分は、この狂気の葛藤が理解できず、普通に読み終えて仕舞ったのだろう。 今から買い集めようと思う。 出会えた事に感謝したい。 | ||||
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これは映画を先に観てはいけません!!映画は原作に沿って進められると思っていたら、ここまで違うとハイスミスさんの了解を良く取れたなぁと、感心?致しました。原作は2人の男の心理描写を嫌と言うほど、しつこく長いところが、私にはハズレでした!! | ||||
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所々、意味が判らない 日本語になっていない訳があり その都度、読み返すやらイライラするは 読むなら別の訳者の本を勧めます | ||||
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パトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』(1950年)は、アルフレッド・ヒッチコックが映画化したことで知られている。 映画化されたのは1951年だが日本で公開されたのは1953年である。 評者がこの映画を観たのは、その何年かあとであり、交換殺人というサスペンス映画だったことは記憶にある。 ハイスミスの原作は読んでいないのでAmazonで入手して読むことにした。 以下、ネタバレになるから、これから読まれる方はこのあとのレビューを読むことを避けてください。 チャ―ルスが独走してしまった殺人のあと、チャールスに脅迫され、ガイが追い詰められたのち夢遊病者のごとく殺人を犯してしまう。 チャールスは、エディプスコンプレックス的な性格であり、そのあたりの描写は、たしかにハイスミスは上手い。 が、主人公のガイについての人物像(人物描写)にはどうしても最初のページから感情移入することが出来なかった。 物語が終わるころになり、ガイは逃げ切れないと覚悟し、ヒューストンに住む元妻の愛人だったオーエンにすべてを話しに行き謝ることが一番大事なことだと考える唐突さにはついてゆけない。 後を追う探偵のジェラードが、ホテルの部屋でガイがオーエンに話をしていることを、ドアの外で盗み聞きして終えるところなど平凡すぎる幕引きである。 とにかくテンポの遅いストーリー展開なので緊迫感が読み手に伝わってこない作品である。 さて、ヒッチコックの映画化したDVDも手元にあるから、原作と比べてみながら鑑賞してみようと本書を読み終えた。 | ||||
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『太陽がいっぱい』『アメリカの友人』『リプリー』、近年では『ギリシャに消えた嘘』『キャロル』など様々な映画の原作者として知られるパトリシア・ハイスミス(1921 - 1995)初の長編小説。原題は “Strangers on a Train”(1950)。本書は新訳版です。 本書は「交換殺人」トリックの元祖というべき作品だと言われています。けれどジャンルとしてはミステリーではなくサスペンスの範疇に入るので(著者自身はそのどちらでもないと言っているけれど)、トリックそのものは作中ではさほど重要ではありません。むしろ極限状況に追い込まれた人物たちの心理描写こそ本作の魅力です。 主人公は「交換殺人」を持ちかけられるガイ・ヘインズと、それを持ちかけるチャールス・ブルーノーのふたり。筋立てとしては、ふたりが列車のなかで出会ったことで、彼らの人生がからみ合い、その歯車が狂い始める、というもの。 ふたりの関係は一見すると、建築家として将来を嘱望されている好青年ヘインズが、父親への憎悪と母親への過剰な愛着を抱く “歪んだ” 青年ブルーノーの狂気にのみ込まれていく、という図式で示されます。しかし本書の魅力は、ヘインズがブルーノーの狂気に翻弄されて自己崩壊していくなかで、ブルーノーに反発しながらも共感してしまう心理が説得的に叙述されている点にあると思います。 処女作には作家のすべてがあるとよく言われますが、本作でもそれは同じ。相反しながらも相補的でもある二人の人物というモチーフと、彼らふたりの葛藤を執拗なまでに追いかける心理描写は、これ以後の著者の作品のなかに引き継がれていきます。これ以後の作品でも濃淡はあれど暗示されることになる、同性愛の匂いを嗅ぎとることも可能です。 なお旧訳は時代もあって、古めかしく、かためだったのですが、今回の新訳はずっと読みやくなっていました。 | ||||
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1950年に発表されたハイスミスの長編第一作。 ミステリ史上、交換殺人のテーマを始めて扱った作品だが、単にアイデアに寄りかかった内容では全くない。後年の作品に比べれば、意外な展開が楽しめるウェルメイドなサスペンスとしての色合いが濃いが、作者の人間不信の念に基づいた辛辣な人物描写が生む緊張感は読み手すら苛むよう。デビュー時点で既に、異常な極限状態に置かれた心理を綿密に描く手腕が確立されているのが如実に分かる。 プロットの枠組のみを借用したようなヒッチコックによる映画版も、それはそれで面白いが(余談だが映画のクライマックス、メリーゴーラウンドの件はエドマンド・クリスピンの某長編からの流用)作中人物の盲執や焦燥が恐ろしい程の現代性を持ち、鬼気迫るような原作とは全くの別物である。 | ||||
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アメリカのテキサス州メトカーフへ向かう列車の中でガイとブルーノが出会う。自己紹介し、お互いの家族について語り合い、ブルーノが父との確執について語り、ガイが、妻の浮気が原因で離婚の手続中であることを語る。 ブルーノの描写は、冒頭の登場から退場までブレがない。彼はお金持ちの家に生まれたわがままお坊ちゃまであり、ハーバード大学を酒とギャンブルが原因で2年で追い出されたりと、破天荒で情緒不安定なところがある。 会話を続けながら、ガイは初対面のブルーノの印象をこう独白する。 ブルーノはいかれている。いや、いかれているというより絶望かな、とガイは思った。お金持ちにはやりきれないほど退屈なときがある。 やがてブルーノは交換殺人の話をガイに持ちかける。ブルーノがガイの妻ミリアムを殺害し、ガイがブルーノの父を殺害する。ブルーノはこのアイデアを嬉々として語るのだが、当然ながらガイは取り合わない。ブルーノはこんな話を持ちかけたことを謝罪し、二人は別れたのだが・・・ ガイの性格を一言でいえば律儀である。列車での邂逅からしばらくして、(ガイがその列車に本を忘れブルーノが保管していることを口実に)ブルーノから手紙が届いたとき、ガイはその手紙をおもしろく読み、返事まで書こうとした。ブルーノから電話がかかってくるときちんと応対し、もう一度会いたいとのブルーノの誘いは丁寧に断った。ブルーノがガイに交換殺人を迫るため、ストーカー的行為を始めたときも、ガイは誘われるままに酒をつきあったりもするのだ。 ついにガイはブルーノの父親を殺してしまった。ガイを殺人に向かわせたものは何か?著者の描写では、それは、24通におよぶブルーノの脅迫状めいた手紙であったり、殺人を引き受けなければアン(ガイの現在の恋人)にミリアム殺害の真相をちくるぞとおどかす15回に及ぶ電話であったり、ガイに会いたい一心でアンとの結婚式に乱入したことを含め14回に及びブルーノのストーカー的行為、であったりする。 ガイの弁明はこうだ。 ぼくは精神的に参ってしまったのだ。ブルーノは、手紙や脅迫状や不眠症で、精神的に突きくずしたのだ。彼はぼくを狂人にさえしてしまった。 それでも、ガイのような普通の人間がなぜ殺人を引き受けたのか、読者には不可解である。 ところで、ブルーノは、自分のミリアム殺しをどう考えていたのだろう。彼の独白はこうだ、 あの夜はあぶなかった。両手の痛み、音をたてはしまいかとのおそれ。だが彼女(ミリアム)から生命が離れ去ったと感じたとき、ほかのことはすべて消えてしまった。そして彼がやったという不可思議な事実、生命を止めることのミステリーだけが残った。 確信犯だったはずのブルーノが、自分の殺人を「不可思議な事実」と考えているとは! そういえば、ブルーノもガイも、殺人を犯した後でも、愛する人たちーブルーノは母、ガイは恋人アンや彼女の家族ーとふだんと変わらぬ楽しい会話をしている。これもまた不思議である。ラスト近くに、ブルーノは、ガイやアンとのセーリング中に船から落ちて死んでしまう。ブルーノは自殺したのか、事故だったのか。これも生命が停止することのミステリーとしてなのか、不可解な描写になっている。 のちのインタビューで明らかなように、著者は本作(長編第一作)をジャンルとしての「ミステリー」や「探偵小説」と考えてはいない。著者が本作で描いたのは、人間とその社会が織りなす“ミステリー”なのだ。 | ||||
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建築家ガイ・ヘインズは列車で乗り合わせた男チャールス・ブルーノーに交換殺人を持ちかけられる。 取り合わないガイに構わず、チャールスはガイの妻を殺害し、自分の父の殺害計画をガイに送りつける。 ハイスミスの処女長編である本作はその後の多くの作品にあるように罪を犯した者の心理を中心に描いている。 本作を読むまでにリプリー・シリーズを3作読み、悪に手を染めるリプリーにいつまにか共感している自分に驚いたが、今回は読んでいてもそういったのめり込みまでには至らなかった。 登場人物の独白による描写をくどく感じてしまったのかもしれない。 論理や規範に忠実であろうとする内向的なガイと自己陶酔型で偏執狂的なチャールスを対比しながら物語は進んで行く。 あれやこれや悩みながらも自分のことしか考えられないガイ。独善的でありながら他者との良好な関係を強く求めているチャールス。 チャールスを否定しながらも切り捨てられないガイはどこかでチャールスに対して憧れを感じているのだろう。 それは自己の内にある二面性の隠れた側を肯定することにつながる。 単純な善悪ではなく人間のもつ二面性・両義性を二人の男のあり方を通して描く、その書きっぷりに惹きつけられて面白く読んだ。 ただ残念なのは今となっては(一部は誤訳かと思われるほど)翻訳が古めかしく、それがテンポを悪くしていること。また、明らかな誤植もある。 新訳が登場すれば、星の数が「4」から「5」に変わるかもしれない。 | ||||
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本書は、同名の映画だけでなく、『太陽がいっぱい』、『アメリカの友人』、『リプリー』、近年では『ギリシャに消えた嘘』など、様々な映画の原作者として知られるパトリシア・ハイスミス(1921 - 1995)初の長編小説。原題は “Strangers on a Train”(1950)。 本書は「交換殺人」トリックの元祖というべき作品だと言われているけれど、ジャンルとしてはミステリーではなくサスペンスの範疇に入るので(著者自身はそのどちらでもないと言っているが)、このトリックそのものは作中ではさほど重要ではない。 内容としては、二人の男(「交換殺人」を持ちかけられるガイ・ヘインズと、それを持ちかけるチャールス・ブルーノー)が列車のなかで出会ったことで、彼らの人生がからみ合い、その歯車が狂い始める、という筋立てだ。 二人の関係は一見すると、建築家として将来を嘱望されている好青年ヘインズが、父親への憎悪と母親への過大な愛着を抱く “歪んだ” 青年ブルーノーの狂気にのみ込まれていく、という図式で示される。けれど本書の魅力は、ヘインズがブルーノーの狂気にさらされて自己崩壊していくなかで彼に反発しながらも共感してしまうことが、説得的に叙述されている点にあるように思う。 そして本作で描かれる、相反しながらも相補的でもある二人の男というモチーフ、そして彼ら二人の葛藤を執拗なまでに追いかける心理描写は、これ以後の著者の作品のなかでも頻繁に利用されることになる。 批判的でありながらも共犯的であるという両義性が、どんな人物にも(たとえ本作のヘインズに代表される実直な人物であっても)本質的な、危うい均衡で成り立つ矛盾であり、一度その均衡を失えば、誰しもが破滅へと転げ落ちてしまう。 本書を読んでいいてそんな恐ろしさが強く伝わるからこそ、人間の心理を知り尽くしサスペンス映画の巨匠と呼ばれたヒッチコックの目にとまり、映画化にいたったのだろう(その後も『死刑台に接吻』として、ロバート・ゴールドスタイン監督が映画化)。それは、サスペンスやスリラーを得意とする監督デヴィッド・フィンチャーが現在、本作の映画化を進めていることからも裏づけられる。 本書は1972年の邦訳の改版なだけあって、訳文は古めかしくて硬め。“てにをは” が怪しいところも多いので、読んでいてかなり引っかかりを覚えた。 | ||||
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この原作を映画的に面白くするには、こうゆう変更の仕方があったのか。さすがヒッチコック(と脚本家のお二人)。ハイスミスにとっては面白くない改作でしょうが、私としては映画の方が好きです。アメリカ向け版と欧州向け版がDVDには収録されていますので、原作と合わせて3回楽しめます。映画はあまりに有名ですので、原作はまた別物として新鮮に感じられました。 | ||||
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P.ハイスミスのデビュー作で、ヒッチコックによって映画化もされた。驚くべきは基本アイデアがF.ブラウン「交換殺人」、N.ブレイク「血ぬられた報酬」と同じ事で、しかも同時期に発表された点だ。即ち、3人の作家が当時としては斬新なアイデアを同じタイミングで思い付いたのである。そのアイデアはF.ブラウンがそのまま題名にしている。 溢れる才気のF.ブラウンもの、文学的香気高いN.ブレイクものも捨て難いが、ここはP.ハイスミスの心理描写の巧みさに軍配を上げよう。主人公二人が列車で出会ってから(これが題名の由来)、事件の過程におけるサスペンス溢れる人間模様を描いている点で本書は一頭地抜けている。 作者は普通の文学小説を目指していたのだが、本作のヒットによってサスペンス路線に入ってしまい、不本意だったと述懐していたそうである。斬新なアイデアと巧みな心理描写で読者を魅了するサスペンス小説の傑作。 | ||||
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ハイスミスはこの作品を純文学として書いたと言っているだけあって、さすがに心理描写は文芸作品並みのできばえである。 主人公のガイが偶然ブルーノーという男と知り合ったことから不幸が始まる。ガイは真面目だが弱い性格。ブルーノーは挫折を繰り返した金持ちの息子で同性愛の傾向がある。このふたりの対照的な人間をつかって人間の裏表を描いたところがこの作品の面白いところである。 | ||||
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