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回転木馬のデッド・ヒート
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回転木馬のデッド・ヒートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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村上春樹氏の作品というと、アンニュイでアンビバレントな青年主人公が何らかの精神的傷やトラウマティックな事象をかかえ、そのストーリー進行の過程で、テロンテロンに濃ゆい性的描写が微熱的に描かれ、最終的に自己を回復する、的な展開がなかなかにある気がします。 が、本作はむしろエッセイ・ノンフィクションに近いかと思います。 村上氏が見聞きしたちょっと不思議な話を紙に書き起こしてみるという、言わば村上版「ナショナルストーリープロジェクト」とでも言った作品でありました。 ・・・ 収録作品は、あらすじを語ると実に味気ない素描しかできないほど、普通のお話になりそうなもの。 「レーダーホーゼン」は突然離婚してしまった母親の話ですし、「タクシーに乗った男」は画廊経営者がかつて米国で得た三流画家のかいた作品にまつわる話。 内容は、ありふれた話というわけでもないですが、とても珍しい話というわけでもない。ただ、村上氏のエッセンスをスポイトで2、3滴落としたことで、お料理の味がぐっと変わってしまった、という類のお話かと思います。 その中でも、友人の連れ合いを寝取るのが趣味?である男が嘔吐に悩まされる「嘔吐1979」や、男と別れて会社も辞めてそれでも余った時間にふと体を金で売ってみる女性の「雨宿り」、これらは何というか、惹きつけられるものがありました。 ・・・ 「雨宿り」でもさらりと書かれていますが「僕はごく単純にセックスというのは無料だと考えていた」とあります。私が村上氏の作品についつい入り込んでしまうのは、ここなのかな。 現実には恋人や夫婦ではそうですが、おいそれとそんなにサラリと体を重ねるなんて経験は、望んだり努力してもなかなかできないものである気がします。でも、村上氏の話の中の男性はさらりと他人と夜を共にしてしまう。 きっと私はそういう器用な人間でないですし、そうした性的能力の行使に強い憧れを持っていたのかなあと、今更ながらに感じるところであります(文学好きではなく単なるエロ好き!?)。知らんけど。 逆に、女性からみた村上作品の良さってのはどういう所なのか、とふと疑問に思った次第です。他の男性諸氏も村上作品のどういうところが好きなのでしょうね。 ・・・ ということで村上氏の割と初期のころの作品(1985年)でした。 時に現実を幻想的な描写をするのも村上氏らしく、また性描写がさらりと描かれるのも村上氏らしかったと思います。 短い冊子ですので、気分転換等に読んでいただくには丁度よいかもしれません。昭和の文学、などとそろそろ言われるのでしょうかね。 | ||||
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作者が他人に聞かされた話、と言うのが、違和感なく文字通りに受け取れる、特に脈絡もなく、テーマもない掌編集。ヒマ潰しで手軽に読める利点はあるものの、それ以上でも以下でもないと言う感想を持った。 | ||||
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村上春樹が実際に聞いたという話を元にして作られた短編集。 上記の通りほぼノンフィクションということなので度肝を抜くような村上春樹色は控えめ。 ただ、どこか不思議で幻想的な(或はセカイ系の)匂いは漂っている。 | ||||
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ネット検索してて指摘してる人を見つけたのですが、タイトルはジェームズ・コバーン主演の1966年の映画『現金作戦』(げんなまさくせん)の原題『DEAD HEAT ON A MERRY-GO-ROUND』の引用らしいです。女性を口説き落としながら犯罪を繰り返す、軽いタッチの犯罪物で、なかなか出来のいい作品です。たぶん映画の中でタイトルへの言及はありませんでした。村上春樹はタイトルを戴いただけだと思いますが、マニアな方はチェックしてみてください。 | ||||
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大ベストセラーとなった「1Q84」を買いに行ったら上巻が見事売り切れだったので、その代わりと言っては何だが購入した一冊。 わりと評判の良い短編集で、「はじめに」に書かれているように、「ここに収められた文章は原則的に事実に即している」とある。 そう、つまりこの小説は、村上春樹の人生経験・体験に即した小説なのだ。 読後感じたことは、「彼の小説は優れているんだろうけども、やっぱりこの人のことを僕は好きではないし、同級生だったら絶対に友達になっていないだろうな」ということだ。 ていうか村上春樹の小説を読むと、毎回そう思う。 (ただし「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンスダンスダンス」は除いて) だけど読んじゃう。 今回非常に心苦しいと言うか何と言うか不愉快と言うか、感じたのは、村上春樹は基本的に鼻に付く。 いつも以上に僕の中のそういった感情のそういった度合いが増しているのはなぜかと言うと、この小説が「原則的に事実に即している」と冒頭で堂々と宣言されて書かれているからだ。 今に始まったことではないが、彼の小説の主人公や登場人物の男たちはいとも簡単にSEXする。 なんなんだっていうくらい簡単に。 低俗な表現になるし、ちょっと彼の小説のニュアンスを伝えるには適した表現ではないが、「モテる」のだ。 そして彼の小説には沢山のクラシックや洋楽が出てくる。 なんだかそれらの楽曲はとてもお洒落で素敵でセンスフルな感じがする。 上手くいえないけど、僕が生理的に彼と分かり合えないのはそういった点だ。 今回最も不愉快だった箇所を抜粋しよう。 P156 「そして僕はその昔、セックスが山火事みたいに無料だった頃のことを思い出した。本当にそれは、山火事みたいに無料だったのだ。」 繰り返すが、この小説は「原則的に事実に即している」のだ。 ということは、この「僕」は村上春樹なんだろうか。 みなさんどうだろう。 彼の顔を少しだけ思い浮かべて見て欲しい。 読書しながら思わず軽い舌打ちをしそうになってしまった、あわよくばおろかな僕は、やはり自信を持って舌打ちしてやったけども。 | ||||
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村上さんが聞いたままの話を書きとめているうちに「話してもらいたがっている」と感じた文章をそのまま公開した作品だそうです。 普通の話のようで読んだあと妙に説明のつかない気持ちになります。「今はなき王女のための」など作品中に筆者も一登場人物で出てくるのでさらに不思議な感じが増します。言葉にしてみるなら悲しみ・どこかずれた感覚・でもそれがふつうであること、といった感覚でしょうか。 このような感覚を楽しみたい方におすすめです。 | ||||
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作者が知り合った人々から聞いた話をまとめた短編集です。 全部で八つ、うちふたつは作者自身の体験談でした。 どの話も、現実にありそうな小説のようなって雰囲気だった。 そしてやっぱりハルキワールドを感じた。 小説のベースにしておく話をとりわけたせいなのか、類は友を呼ぶかのごとく同じ人種を引き寄せた結果なのか。 どちらも有り得るけれど、やはりインタビュアーとしての村上春樹の腕によるところが大きいだろう。 それが小説家としての才能なのかもしれない。 村上春樹がまとめることで小説のような日常生活ができあがる。 どんな所にでもドラマがあるんだと思いました。 | ||||
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この短篇集の前書き? めいた作者の前言で「フィクションではなく、実話である」との断り書きがあるが、はたして本当なのかと疑ってしまうところがある。もしかすると村上春樹は大そうな嘘つきになる。それが作家としての処世術なのか、あるいはそれ以前からの世慣れた世間知が土台になっている言質なのかもしれないが、どう考えてもこのような体験とは無縁の風貌としか思えないのはご愛敬か。作り話としては面白い。 | ||||
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