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回転木馬のデッド・ヒート
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回転木馬のデッド・ヒートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全62件 41~60 3/4ページ
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私が初めて読んだ村上春樹の短編集です。この作品は私にとってはもろツボでその後、村上春樹の他の短編集を買い漁るきっかけとなった本ですが、結局読んだ中では、これがダントツに好きです。 この作品を面白いと感じる最大の理由は、「物語が未完成であるから」だと思われます。実際、著者自身が前書きでこの短編は人間群像を描いたスケッチのようなものであると述べています。しかし、スケッチであり、伝えたいことが曖昧、もしくは無い、からこそ、読者の想像を掻き立てているように思えます。ちょうど、ミロのビーナスは腕が無いからこそ、無限の腕を持っているように。 また、描かれている人々に読者が共感しやすい何かを持っているため、読者の個人的な経験を登場人物に投影しやすい、つまり想像が描き立てられやすいようになっていると思います。 非常にオススメです。 | ||||
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「原則的に事実に即している」という短編8編。これより後に出版された、筆者が体験したことを書いたという「東京奇譚集」があるが、本書は筆者が聞いたことを書いたという。どちらも読後感は似たものがある。煮え切らない何かが残るような感覚。それが何かを確かめようと読み直すが掴みきれない。 個人的には、「今は亡き王女のため」が一番リアリティを感じる。その逆は「タクシーに乗った男」。どちらのタイプも面白い。 | ||||
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人間は生きていく以上大切なものをどんどん失っていく。けれどもたとえそうであったとしても別の「何か」を心の支えにして生きていくしかないのである。この社会から降りるという選択肢はないのだ。 | ||||
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村上さんが聞いたままの話を書きとめているうちに「話してもらいたがっている」と感じた文章をそのまま公開した作品だそうです。 普通の話のようで読んだあと妙に説明のつかない気持ちになります。「今はなき王女のための」など作品中に筆者も一登場人物で出てくるのでさらに不思議な感じが増します。言葉にしてみるなら悲しみ・どこかずれた感覚・でもそれがふつうであること、といった感覚でしょうか。 このような感覚を楽しみたい方におすすめです。 | ||||
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本書は、村上春樹さんが、人から聞いた話を装飾することなく再現した短編集です。 本当の話でありながらも、ここまで楽しませることができるのは、 他のレビュアーの方がおっしゃるように、村上春樹さんの聞き手としての力量のおかげであると思います。 それは、のちの作品で、地下鉄サリン事件関係者にインタビューをした「アンダーグラウンド」にも通じていきます。 インタビュアーとしての、村上春樹さんの力量もなかなかのものです。 そして、それを文章化することにも秀でているから、本作もおもしろいのです。 | ||||
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旦那にドイツで半ズボンを買う「レーダーホーゼン」、自分のために買った「タクシーに乗った男」の絵、知人のパートナーと寝る「嘔吐1979」、好きな女の部屋を覗く「野球場」など、「事実に即して」村上氏がまとめた短篇/ドキュメンタリー(?)8篇を収録。 どの短篇も緻密な構成で、言葉の一つひとつ、単語の一つひとつを徹底的に吟味して紡いだ物語という印象を受けます。その短篇はどれも完成度が高く、よく書けている、と感じさせると同時に、奇妙なあと味を残します。それは、人の感情の井戸の底のほうにある、得体の知れないいびつさを垣間見てしまった、そんな感触なのかもしれません。 | ||||
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作者が知り合った人々から聞いた話をまとめた短編集です。 全部で八つ、うちふたつは作者自身の体験談でした。 どの話も、現実にありそうな小説のようなって雰囲気だった。 そしてやっぱりハルキワールドを感じた。 小説のベースにしておく話をとりわけたせいなのか、類は友を呼ぶかのごとく同じ人種を引き寄せた結果なのか。 どちらも有り得るけれど、やはりインタビュアーとしての村上春樹の腕によるところが大きいだろう。 それが小説家としての才能なのかもしれない。 村上春樹がまとめることで小説のような日常生活ができあがる。 どんな所にでもドラマがあるんだと思いました。 | ||||
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いくつかの短編集で、作者曰く全て実話とのこと。 これが本当に実話だったとしたら、真実は小説よりも奇なりとはよくいったものです。 私自身、昔読んだ「ノルウェーの森」以来の村上春樹作品だったのですが、それを読んだ当時は若かったというのもあって評判ほどのよさがわからなく、それ以降は敬遠していました。 これはしみじみとした面白さを感じることができ満足できました。所々に村上さんの考え方とかを垣間見ることができ、それもよかったです。 これを機に長編作品も読みたいと思わせてくれる一冊です。 | ||||
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村上春樹が他人から聞いた「語ってもらいたがっている」話を小説としてまとめたもの。どの話も奇妙な味わいがあり、これが本当の話だったら、なんだか人間の奥深さ(あるいは、村上春樹の語り手としての奥深さ)を見せ付けられたような気がする。嘔吐1979なんかはとにかく魅力的。突然に嘔吐するようになって、知らない男からの電話がかかってくるようになる、まるで都市神話のような趣の話なのだが、奥になんだかすごいダークなイメージが漂っていて素晴らしい。 | ||||
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本書の中で、登場人物の一人であるスイマーが次のように言っています。 「僕にはいったいこの話のどこが面白いのかがまるでわからないんだ。」 私には、この台詞が本書全体にも、もっと言えばほとんどの村上春樹作品にも、あてはまるように思えました。読後に「どうだった?」と聞かれれば「面白かったよ」と答えるけれど、「どういうところが?」と聞かれると何と答えていいか迷ってしまう。本書はそういう本だし、村上春樹はそういう作家だと思います。 ちなみに、『回転木馬のデッド・ヒート』というタイトルの意味は「はじめに」で語られていますが、この文章もなかなか味わい深いものです。 | ||||
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この短篇集の前書き? めいた作者の前言で「フィクションではなく、実話である」との断り書きがあるが、はたして本当なのかと疑ってしまうところがある。もしかすると村上春樹は大そうな嘘つきになる。それが作家としての処世術なのか、あるいはそれ以前からの世慣れた世間知が土台になっている言質なのかもしれないが、どう考えてもこのような体験とは無縁の風貌としか思えないのはご愛敬か。作り話としては面白い。 | ||||
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著者の村上春樹さんが知り合いに聞いた話や、自身が経験した現実とはわずかに離れた出来事を文章にしたというこの作品。前書きのようなものを読むと、そう書いてあります。真実のほどは分かりませんが、まあそんなことはどうでもいいことなのでしょう。 この本に載っているいくつかの話にはある共通したものがあると作者は言っています。それは何か?それが掴めれば何かこの本を通じて感じるある「不思議さ」のような霧が晴れるような気がします。 やはりヒントは前書きにあるように思えます。そして題名の「回転木馬のデッドヒート」。村上さんはメリーゴーラウンドを使って他人とのデタッチメントというものを表したいのではないでしょうか?コミットメントとデタッチメントの葛藤が全ての話に中に共通する事柄なのかもしれません。そして、その葛藤から生まれる喪失感。 本作品のいくつかの話をスケッチブックと呼んでいるだけあって、そこには完成されていない物語と言うものがあります。感じ方は人それぞれですが、そこには確かに作者の堅い意思が強く感じられます。 | ||||
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がははと笑う面白さとは別に、じわ~とくる面白さがあるだろう。 じわ~とくる方は、話す側にも聞く側にもすこしばかり我慢が必要なのだと思う。 日常生活では、じわ~と面白さがくる話よりも、がははと笑う話が溢れていると感じる。さて、僕はこの本を読んで、じわ~とくる面白さをすこし体験できた。 村上春樹のように、日常生活において、じわ~とくる面白さを吸い寄せるオーラを発したい。 僕にとってこの本が初めての村上春樹。また別の本も読んでみようと思った。 | ||||
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様々な人物がそれぞれのドラマを持っていて、村上春樹というレンズを通して その生き様や出来事を垣間見ることができる。 僕はなかでも「タクシーに乗った男」と「プールサイド」が好きです。 現実世界の中にある、どこにでもありそうだけど少し考えさせられる。 そんな物語が描かれております。 | ||||
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村上春樹の短編集の中で もっとも粒が揃っているし 他の短編集には見られない透明感に充ちている。各編は各々設定も場所も全く異なっているが 底辺に流れる 一種苦味に満ちた基調は共通している。短編集に対し 珍しく村上がつけている前書きも秀逸であり 表題となっている「回転木馬のデッドヒート」という言葉の意味も語られており親切な短編集になっている。 あなたが村上春樹を読んだことが無い人ならば ラッキーです。 本書は丁度良い入門書になると思います。。あなたが 村上フリークで 但し本書を読んだことが無い人だとしたら ラッキーです。きっとすごく楽しめます。 | ||||
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「はじめに」で語られている通りです。これは小説でもなければノンフィクションでもない行き場を失ったストーリーであり、言葉であると思います。目的はなく、終わりもなく、ただの「おり」でしかないのでしょう。よって、旨く表現できる言葉が見当たりませんし、著者もコメントを望んでいないはずです。あえて読後感を語るとすれば「面白く不思議」とでもいうのでしょうか。読了したとき、本の中のストーリーと現実との境界を曖昧にしてしまうような雰囲気をもっている本です。そして村上春樹さんだからこそ「おり」となって残るストーリーだったのでしょう。他の作家にはきっと書けません。 | ||||
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この短篇集は、村上春樹の作品の中で私にとってベスト3に入るものです。初めて読んだときはとても衝撃を受けました。最初の「レーダーホーゼン」で引き込まれ、その後は夢中になって一息に読みました。どの作品もとても透明感のある出来でありながら、読者一人一人の生活感や感情にとてもダイレクトに訴えてくるものがあります。短篇集で読みやすいので、村上作品をまだ読んでいない方も老若男女全ての方にオススメしたい本です。読後感がなんともいえません。 | ||||
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こちらに収められている短編は、全部生身の人間に起こった出来事であるというのに、全くそうとは思えない。村上春樹の他の小説と共通して、心情の描写はとても生々しいのだけど、いつのまにか巻き込まれてしまった感じというか、そうなることが前から決められていて、自分の力ではどうしょうもならない感じというか、、、とても現実とは思えない。私も水泳をするのだけれど、決めた長さを泳ぐ時は必ず今何分の何とかんがえていた、それを他のことに置き換えるということはしなかったのだけど、そういう風に考えると、もう自分は随分と進んできてしまったことになる。泳いでいると振り返って見るということが出来ないのだけど、折り返したときに直面するのかと思うともっと一生懸命泳がなきゃなと思う。 | ||||
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こちらに収められている短編は、全部生身の人間に起こった出来事であるというのに、全くそうとは思えない。村上春樹の他の小説と共通して、心情の描写はとても生々しいのだけど、いつのまにか巻き込まれてしまった感じというか、そうなることが前から決められていて、自分の力ではどうしょうもならない感じというか、、、とても現実とは思えない。私も水泳をするのだけれど、決めた長さを泳ぐ時は必ず今何分の何とかんがえていた、それを他のことに置き換えるということはしなかったのだけど、そういう風に考えると、もう自分は随分と進んできてしまったことになる。泳いでいると振り返って見るということが出来ないのだけど、折り返したときに直面するのかと思うともっと一生懸命泳がなきゃなと思う。 | ||||
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村上春樹は、よく『喪失感』を描く作家だといわれる。それは、村上さんが1920年代アメリカのロストジェネレーション世代、たとえば『華麗なるギャッツビー』を書いたフィッツジェラルドなどを好んでいることからくる(翻訳もたくさん書いているしね)哲学だとか評論などを好む人以外は、『喪失感』?っていわれてもピンとこないだろう。実際僕もそうでした。 よく「ハルキのおもしろさって、どういうもの?」と質問されると、 へなへなとしゃがみこんでしまいそうになる。読まないと分からない、 というのは、なんだか逃げの気もするし(笑)でも、説明しづらいのだ。僕は、喪失感というものを「ああ・・・わかった」と思ったのは、この 回転木馬の「プールサイド」を読んだときだ。 読みやすいし、短いし、それでいて、深く心に残る・・・村上春樹の導入の本としては、『神のこどもたちはみな踊る』とともに一番優れているように感じます。たぶん、みなさん経験があると思うけど、なんでこんなに恵まれているんだって思う自分よりスゴイと思うやつがいたとします。プールサイドの主人公は、そんな人生の成功者。でも、35歳で、男が望むだいたいのモノを手に入れてしまった彼は、なんとなく違和感みたいなものを抱えてていて、村上さんに 相談します。 前に日経ビジネスの特集で、有線ブロードネットワークス会長のコメントで、「目的のためだけに生きている自分を時々どうしようもない気がする」といったコメントをして、驚いた事がある。彼のほどの若くして成功者(インテリジェンスの創業者でもある)が、何をそんなに諧謔するのだろうかと、でも、この本を読んで、その理由がわかった気がしました。 | ||||
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