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回転木馬のデッド・ヒート
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回転木馬のデッド・ヒートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全62件 21~40 2/4ページ
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「はじめに」の中のデッド・ヒートにおいて、 「のだ」とか「である」調の断定文が多い。これが興味深い、のである。 理由: べらんめー調の「べん」ににて、にてもやいてもくさくてくえんからである。 いまわデッド・レビューを書いてるボクは「である」調はでえきらいである。 であるのではないか、ならゆるす。あるのかないのかわからんから、である。 好きだ、好きだ、っていやあすむのに、好きなのであるとか、好きなのだ、 とかふわふわしたへりくつをぬかすやつは、くつをぬがしてやつざきにして やる。これはボクのやつめうなぎの八つ当たりなのである。いつもの。 吾輩は猫である、とかいっても猫にひっかかれないですむのは 夏目せんせえのように、えれーひとだけである。 ボクなんかえらそうになんか言っても「勝手に猫をなのるなよ、なめんなよ、 ふん」と猫からそっぽむかれることひっし、なのである。 「である」なんてえのは、ながやでは、しようきんしのことばである。 うっかりくちをすべらそうもんなら、猫にひっかかれるわ、犬にしょうべん ひっかけられるわ、猿には・・・るわ、とてえへんなもんきー、である。 しぬまぎわにはどう考えているのかしらん、のである。 少なくともいまわのボクはそう考えている、のである。 | ||||
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村上さんの、初期の短編集です。 長編を読む時間がない人は、まずは気になる 村上さんの短編集でも読んでみたらいいかがですか。 | ||||
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村上春樹が実際に聞いたという話を元にして作られた短編集。 上記の通りほぼノンフィクションということなので度肝を抜くような村上春樹色は控えめ。 ただ、どこか不思議で幻想的な(或はセカイ系の)匂いは漂っている。 | ||||
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飢え が ないのが 村上だと 知った どんな作家にも 飢えが 現代にはないのだろうか?? | ||||
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この作品は「レーダーホーゼン」「タクシーに乗った男」「プールサイド」「今は亡き王女のための」「嘔吐1979」「雨やどり」「野球場」「ハンティングナイフ」の8篇からなる短編集である。 冒頭、著者は「はじめに・回転木馬のデッドヒート」として、これらの短編の考え方と経緯について詳しく説明をしている。ここに収められたものは他人から聞いた話であって、まったくの事実とはいかないけれど話の大筋は事実である。このような文章を小説と呼ぶにはいささかの抵抗があるし、小説と区別して〈スケッチ〉と呼ぶことにするとも・・・ また、小説の材料として今後このようなスタイルにしたものを無意識にその断片を選びとることがあるかもしれないけれど、ここにある〈スケッチ〉には同じ共通項があって、それらはいずれも「話してもらいたがっている」ものだとしている。 なるほど、この作品を読んでみるとそのことはよく分かるし納得できる。 ここで村上春樹は「他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていく。」として大変興味深い指摘をしている。どういうことかといえば、「我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリーゴーラウンドに似ている。」というのだ。 誰が云ったか忘れてしまったけれど、「人間みんなチョボチョボや!」ということかもしれない。だからという訳でもないのだが、僕は全篇を読み終えて共通の密度といえばいいのか個々の〈スケッチ〉についてある種の均質な空間を感じてしまった気がする。それは村上春樹ご自身がいうように紛れもなくこのテキストが小説だからなのだと思う。 〈スケッチ〉におけるマテリアルが事実であろうがなかろうが、楽しみ方はいろいろあっていいのだとも思う。まして小説として云々なんてナンセンスのきわみという他ない。僕はそう思う。何はともあれ、本著『回転木馬のデッドヒート』は不思議な話でいっぱいだ。どうぞ、お楽しみください。 | ||||
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村上春樹の小説は長編をいくつか読みましたが、短編は初めてです。 八編が収録されていますが、どの話も文句なしに面白かった。 | ||||
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著者は、この作品は事実をスケッチしたものであるとくどいようにことわっています。 他人に聞いた話が自分の中に貯まって、発酵してきたかのように自らが書かれることを望んだのだと。 その話をそのまま文章にしたものであると。 さて、この言葉をそのまま信じていいのでしょうか。 人は奇妙なことに出会ったとき、すぐに忘れられる人とずっと憶えていて人格の一部になっている人と2種類あるのではないかと思います。 普通の姿をして普通の暮らしをしている場所に、実はとても奇妙な物語が宿されているようなのです。 他人の言葉にじっくりと耳を傾けるのが面白そうだと思いました。 村上氏の世界は案外近くにも存在しているのではないでしょうか。 | ||||
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村上春樹の作品群の中でも特に好きな作品です。日常の中の普通の人なら 見逃してしまうようなこと。 少し不思議に感じてもふっと、なんとなく通り過ぎて しまうようなもの。そんな形にならないものを繊細にすくいあげている作品です。 圧倒的に引き込まれるわけでもない、末梢神経を刺激するような作品ではなく脳みその やわらかいところをそっとふれる、そんな印象を私は持ちました。 | ||||
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村上春樹氏再読第三段。これまで短編『中国行きのスロウ・ボート』『蛍・納屋を焼く〜』と続けて読んできたが、この三作目になって一挙にレベルが上がっている。特にその中でも『今な亡き王女のための』の完成度は白眉である。立体感溢れる文章で描かれた該当作は冒頭から引き込まれる。ここに来て著者の文章力はほぼ完成したといって良いと思う。一見何気ない筋なのだが、とにかく文章の巧さで読ませる。この技量は相当なものだ。〜序文で著者は「これは実話」と本書に断り書いているが、それをトリガーにしていたとしても、全作品の9割はフィクションで糊塗されているだろう。記憶とは誰にとっても曖昧極まりないものだし、混濁を避けられない。それだけでなく自己と外部との関わりを言語化する事はそれ自体が-自覚的か否かにかかわらず-自己意識による取捨選択と創造化を回避する事は、原理的に出来ないからだ。〜本作は書かれた時系列を観ると、あの大名作『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』と同時期になる。『回転木馬のデッドヒート』の内容を俯瞰した結果、このあたりから村上氏は『自己』という世界を確立する作業に本腰を入れ始めたのだろう。 | ||||
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学生の頃、本書を初めて読んだ。中でも「プールサイド」は少なからず、生活全般に影響を与えた。35歳を迎え、改め読む。本書の主人公のような完璧な人生の分岐点は迎えていないが、肉体は完璧に維持できている。ふと、懐かしくも極めて現代的な感覚を持ちうる作品群である。 再読にあたり、図書館で全集で読むと「解題」にこれらは全て創作であるとの告白がある。やられたなと思いつつ、それがどちらでも深い意味は持たないのであろう。 | ||||
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村上春樹ワールドを手軽に8つも楽しめるお得な本だと思いました。 教訓とかメッセージとかを理解しようとするのではなく、雰囲気を楽しむべき作品群だと思いました。 私は、”レーダーホーゼン””タクシーに乗った男””ハンティング・ナイフ”の雰囲気を好ましく感じました。 | ||||
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村上春樹の中で最も好きな作品集の1つ 氏の小説は現実感を排した設定と巧みな隠喩を用いることで、読者を遠ざけているかのような印象を受けますが、 この作品集はスケッチ・ブックというだけあって、素材の良さをいかした表現方法は読者の胸に入っていきやすいと感じます。 僕はこの作品と、アンダーグラウンドが大好きです。 氏は自分の事を表現するより、相手の中から大切な物をすくい上げることの方が上手な気がします。 一度読んでみませんか? | ||||
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村上春樹が、小説を書く上で人から見たり聞いたりした内容。 それはある部分は長編小説にの一部として活用されるかもしれないが、ある部分は不要なものとして彼の記憶の中に埋もれていく。 しかし、そんな不要物の固まりが自ら意思を持って表面に出て来ようとすることがある、と彼は言う。 そうやって表面に出てきた事実の破片が、この「回転木馬のデッド・ヒート」だ。 この本は8つの短編からなっている。 そのひとつひとつがそれぞれにまったく異なる特徴を持ち、当然だがリアリティを持って私たちに迫ってくる。 原則として事実に即して書かれているからだ。 私はこの短編集に出てくるような事態に遭遇したことは一度もない。 しかし、生きていればこの先、いずれかの話に似た話を自分以外の人から聞かされることがあるような気がする。 そして、残念ながらこの短編集に網羅されている話はすべて愉快な話からは遠いところに位置している。 ドイツ人用の半ズボンが原因で母が夫と娘を捨てた話【レーダーホーゼン】。 上手くもないチェコ人の画家から買った何気ない絵に描かれていた男に偶然出会う【タクシーに乗った男】。 人を傷つけることが天才的に上手い女が人生でたどり着いた先は【今は亡き王女のための】。 出版社に勤め不倫をしていた女が職を失い、休暇中に男を買う話【雨やどり】。 特に私が好きなこの4つの話は事実であるにもかかわらず、作り話のように完成されている。 あまり愉快な話ではないけれど、だからこそリアリティに溢れている。 | ||||
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ネット検索してて指摘してる人を見つけたのですが、タイトルはジェームズ・コバーン主演の1966年の映画『現金作戦』(げんなまさくせん)の原題『DEAD HEAT ON A MERRY-GO-ROUND』の引用らしいです。女性を口説き落としながら犯罪を繰り返す、軽いタッチの犯罪物で、なかなか出来のいい作品です。たぶん映画の中でタイトルへの言及はありませんでした。村上春樹はタイトルを戴いただけだと思いますが、マニアな方はチェックしてみてください。 | ||||
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大ベストセラーとなった「1Q84」を買いに行ったら上巻が見事売り切れだったので、その代わりと言っては何だが購入した一冊。 わりと評判の良い短編集で、「はじめに」に書かれているように、「ここに収められた文章は原則的に事実に即している」とある。 そう、つまりこの小説は、村上春樹の人生経験・体験に即した小説なのだ。 読後感じたことは、「彼の小説は優れているんだろうけども、やっぱりこの人のことを僕は好きではないし、同級生だったら絶対に友達になっていないだろうな」ということだ。 ていうか村上春樹の小説を読むと、毎回そう思う。 (ただし「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」、「ダンスダンスダンス」は除いて) だけど読んじゃう。 今回非常に心苦しいと言うか何と言うか不愉快と言うか、感じたのは、村上春樹は基本的に鼻に付く。 いつも以上に僕の中のそういった感情のそういった度合いが増しているのはなぜかと言うと、この小説が「原則的に事実に即している」と冒頭で堂々と宣言されて書かれているからだ。 今に始まったことではないが、彼の小説の主人公や登場人物の男たちはいとも簡単にSEXする。 なんなんだっていうくらい簡単に。 低俗な表現になるし、ちょっと彼の小説のニュアンスを伝えるには適した表現ではないが、「モテる」のだ。 そして彼の小説には沢山のクラシックや洋楽が出てくる。 なんだかそれらの楽曲はとてもお洒落で素敵でセンスフルな感じがする。 上手くいえないけど、僕が生理的に彼と分かり合えないのはそういった点だ。 今回最も不愉快だった箇所を抜粋しよう。 P156 「そして僕はその昔、セックスが山火事みたいに無料だった頃のことを思い出した。本当にそれは、山火事みたいに無料だったのだ。」 繰り返すが、この小説は「原則的に事実に即している」のだ。 ということは、この「僕」は村上春樹なんだろうか。 みなさんどうだろう。 彼の顔を少しだけ思い浮かべて見て欲しい。 読書しながら思わず軽い舌打ちをしそうになってしまった、あわよくばおろかな僕は、やはり自信を持って舌打ちしてやったけども。 | ||||
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回転木馬がデッド・ヒートすることなんてあり得ない。 もしそんなことがあったら・・・・・・・ そう思える作品群なのだ。 作者の設定自体がフィクションだと考えた方が理解しやすいのかもしれない。 こういう世界での話なのだと。 そう考えると,理不尽に思える設定も妙に納得できるのだ。 | ||||
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村上春樹は長編を中心にほとんど読んでいる。電車の中で何か軽く読めるものがいいなと思って読み始めたが、冒頭の「はじめに」から広がる村上ワールドに魅了された。8本の短編が収められており、どれも10分ほどで読むことができるが、バイキングで様々な料理を味わえるように、楽しむことができた。短淡々とインタビューを記録しているような話もあるのだが、一見平凡な日常生活の少し不思議なエピソードにカタルシスを味わい、また人間や人生に関する考察を得ることができた。 | ||||
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登場人物はすべて実在する。そして各々のエピソードを筆者に話す。それを筆者がまとめた本。 登場人物は客観的な事実だけをそのエピソードから読み取ると、とても魅力的な人達ではない。ドイツに行った時に夫へのお土産として、半ズボンを買う中でその夫との別れを決心する妻だったり、友人の彼女や妻と寝る男だったり、彼氏と別れて寂しくて売春する女の子だったり。 でもこの筆者が書くと、その人たちはすごく高貴で、その行動はごく自然なことのように感じられてくる。やはり不思議な書き手。 | ||||
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人生の信号は、それが危険を知らせる信号でも、 安全を知らせる信号でも、劇的ではなく、静かに起る。 それらは存在感を徐々に大きくさせて、後に影響を残す。 ↑ それ→人生の信号 それら→安全を知らせる信号、危険信号 そのような、過去に起った、大きな変化の折り返しを記す。 短編小説のように実話がまとめられた、経験による説話集。 他の村上さんの多くの小説と、ずいぶん違うタイプだと思います。 20世紀から起る説話のような話を、短編でまとめた本。 | ||||
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「誰に追いつかれる訳でもなく、誰に追いつく訳でもない。 一つの場所で、グルグル廻り続け、壮絶なデッド・ヒートを 自分自身の『内部』で展開する。」 別に石川R太郎氏に阿呆な説教をされるまでもなく、 こんな事は、20代の頃から知っていた。 その伝で言うのならば、「欝」に為るのは 単なる「デッド・ヒート」の遣り過ぎに過ぎない。 従って、SSRIを飲みながら、自分で治す。 他人は関係無い。そいつ自身の「こころの問題」は そいつ自身の「個人的な問題」に過ぎない。 他人にとっては、如何でも良い事だ。 そう、確かに「水臭い時代に為った」と 旧人類世代が、嘆いていたのが、本書が刊行された 80年代後半と言う時代だった。 他人の事は如何でも良いし、自分には関係無い。 そいつが如何言う人生を歩もうが、私の人生では無いから、 全然、知った事では無い。 インタヴュー集か、または、ルポルタージュ文学の体裁で編集された短編集。 他人が自らの口で語る「他人の人生」の様々な断片。 しかし、所詮は「他人事」。 | ||||
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