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屍者の帝国
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屍者の帝国の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全59件 21~40 2/3ページ
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とても上から目線のコメントで申し訳ないです。でも、正直な感想です。そもそも、私は伊藤計劃さんの映画が公開されるというのがきっかけで本書などを読み始めました。「虐殺器官」から「ハーモニー」、そして本書をと、発行順に読んできました。3作品を比べると、明らかに本作品は伊藤計劃さんのテイストというか色が薄いのです。違う色だと言った方がいいかもしれません。もちろん、ほとんどの部分は円城氏が執筆しているのだから仕方ないのですが。そんなわけで、伊藤計劃さんの作品として読もうとするのはやめた方がいいです。 ところどころ、あえて伊藤計劃さんを意識した文章もあります。意識の定義みたいなものは「ハーモニー」のそれのようだし。生きている者と死んでいるものとの絡め方は伊藤計劃さんの考えに近いのかなと感じます。 最初に書きましたが、読み方としては、伊藤計劃作品というのを忘れた方が楽しめます。単体の作品として良くできているので、円城さんの作品として楽しむべきなのでしょう。そうしないと私のように何か物足りなさを感じてしまうので。 最後に、伊藤計劃作品として読もうとする人は、読む順番を考えた方がいいかもしれません。もしかすると、最初に本書を読んで、次に「虐殺器官」、最後に「ハーモニー」と続けるのが、個人的には良いと感じました。「ハーモニー」を最後にするのがポイントです。 | ||||
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前半は19世紀末を舞台にした歴史改変SFの常道を行くかに思えたが、後半すこし雰囲気を変える。 円城塔の言語へのこだわり、問いの深まりが物語を停滞させ、世界観に歪みや亀裂を生じさせている。 屍体を物理的に保存して産業に利用するという設定がどこまで実現できて、どの程度奇抜なのかは19世紀の科学に詳しくないので分からない。 先行作品への目配せがハンパなく多い。 個人的に、日本篇は山田風太郎へのオマージュかなと思ったが、どうだろう? 古代宗教で言葉がどう扱われていたかに興味を持った。 言葉の感染力が意識を可能にするのか? | ||||
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作者のお二人の作品をどちらも読んだことがないです。 劇場で見る前に予習しようかな、くらいの軽い気持ちで書店で購入しました。 劇場アニメの公開順に読もうかと思ったので『虐殺機関』『ハーモニー』未読。 冒頭30Pのみが伊藤計劃先生執筆というのは知っていたのですが、読む中で他のの作品を読んだことがない私でも、どんどん続きが気になりページをめくる手も軽いのが自分でも分かり、(言い方は失礼ですが)「あ、この作者アタリだ!」と思いました。 対照的に円城先生の執筆になった途端、途端に読むスピードが落ちました。文章が重いというか…説明的、なのに切り替えが早く理解が追いついていけないという箇所が多く、3回読み返したところもありました。私自身読書家ではないし活字に強いというわけでもないので、読みやすいか否かは単にお二方の作風が自分にあっているかあってないかだったと思います。題材の「屍者」はとても興味深いテーマでしたし、『虐殺機関』『ハーモニー』を読んだあとにこの作品を読んでいたら世界観をより理解しやすかっただろうし楽しめたと思います。 読みづらい印象を受けたとはいえ、面白かったので、この作品がどのように映像化されるのかとても楽しみです。 公開までに同シリーズの2冊も読了したいと思います。 | ||||
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読み終わって、しばらく涙が止まりませんでした。 「虐殺器官」、「ハーモニー」で、伊藤計劃は世界への壮大なレクイエムを描いてきた。 この「屍者の帝国」のプロローグも、これから始まる荘厳なミサを予感させるものだったが、めくる頁の先に始まったのは世界を股にかけたドタバタのオペレッタ。斬鉄剣は出てくるわ、ノーチラス号は特攻するわ、何度読むのを止めようと思ったことか。 世界を一周してたどり着いた礼拝堂で、やっと壮大なミサが始まり、物語の幕は閉じられた。そして、すべての頁を閉じてはじめて、この物語が円城塔が伊藤計劃に宛てた、哀切に満ちた、類い稀なる弔辞であることに気づかされた。 数多の平行世界のどこかで、伊藤計劃はまだ活躍し続けているに違いない。 | ||||
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設定が素晴らしいです。 舞台は大英帝国がグレート・ゲームを展開している19世紀。 実在した米国の大統領とか、英国の“あの医者”とかが出てきます。 大きな違いは、人類が死者を操る技術を確立しているということ。 この技術と、国際情勢とが複雑にからみあって、壮大な物語が紡ぎ出されていきます。 ストーリーは掛け値なし。本当に面白いです。 ただ、いかんせん、多少の予備知識が必要となってしまう。 また、物語のテンポが良すぎる反面、「もうちょい背景とか記述してほしかった」と思ってしまうところはありました。 この点が気になってしまい、☆4つです。 それでも、ストーリーは大変に面白い。 アニメでも実写でも、映像化したらなかなか面白い作品になるんではないかと、素人ながら思ってしまいました。 | ||||
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伊藤氏円城氏の両名は日本を代表するSF作家である。SFの題材は屍者である。屍者という題材を通して意識や、命のありかについて社会に問いただしているような内容である。プロローグ後はすべて円城氏が書いている。氏の過去作品のどれよりも分かりやすい文章になっている。 理系向けだと書かれたレビューもあったが全く的外れだと思う。作品における論理や構成に文理の差異は無い。違いをあるとすればそれは表現技法である。作品の内容も示唆に富むものであった。読んで損は無い1冊である。 | ||||
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作者が亡くなってから作品を知ったのですが、とても好きになりました。限られた作品ですので大事にしたいと思います。 | ||||
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屍体蘇生技術が進歩し、「屍者」が労働力として使役されていた十九世紀後期。医学生ジョン・ワトソンは、民間伝承の研究家にして精神医学教授ヴァン・ヘルシングに、とある場所へと連れて行かれる。そこでワトソンは諜報機関にスカウトされるが…。 伊藤計劃が残した原稿用紙三十枚ほどの未完の遺稿を、円城塔が完成させたのが本書です。 円城の作品は難解なことで有名ですが、本書は伊藤が残したあらすじに基づいていることから、充分に娯楽作品としての性質を残しています。じっさい本書はもともと「荒唐無稽な軽い読み物として構想されて」いたと円城があとがきで述べていますし、円城も伊藤の意向を尊重しているのだと思います(ほかのレビュアーも指摘されていますが、あとがきは最後に読んでください)。くわえて物語の定型的な “文法” に従っているので、円城の諸作品のように(内容はともかく)形式として難しいところはありません。 伊藤の作品は多少の瑕疵があっても、気にせずぐんぐんとページをめくってしまわせるほどの推進力が持ち味でしたが、残念ながら本書でそれは失われています。伊藤のドライブ感ある文体が、円城のロジカルで緻密な文体に置き換えられているからです。 反対に、伊藤の(否定的な意味ばかりではなく)着飾ったような “軽さ” はなくなり、“密度の濃い” 文体になっています。ですので伊藤単著の作品よりも読み進めるうえでは遅くなりますが、個人的には収支としてはゼロだと思いました(もちろん伊藤ファンにはおおきなマイナスでしょうが)。 本書はいわゆるパステーシュ小説です。主人公兼 “語り手” は『シャーロック・ホームズ』のワトソン。『吸血鬼ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』のキャラクターたちも登場し、それらフィクション上の人物と史実上の人物が織りなす「荒唐無稽な」物語となっています。 したがって名だたる諸作家のオマージュやパロディが散りばめられていたり、過去に実在した人物や団体や出来事に関連するネタが随所に仕込まれています。もちろん読み飛ばしてもいいのですが、そのつどネットなどで調べながら遊び心ある仕かけを探して読んでも楽しむことができるでしょう。 テーマとしても “言語” や “意識” という伊藤が好んだものがあつかわれています。ほかにも現在の社会、経済、政治に対する風刺がふくまれていますが、もしかすると、それも作品に政治性を取り込むのを好んだ伊藤に対する円城なりのオマージュなのかもしれません。 なにより読解の鍵となるのがエピローグ。そこに本書が “共著” であることの意味が示されています。物語の “語り手” とはどのような存在か、他者の物語を語るとはどのようなことかを考えさせられる内容や構成になっているからです。 生前、〈メタルギア ソリッド〉という “他者” がつくったゲームのノベライズを執筆した伊藤。彼はそこで「人が他者の物語を語り継ぐことの意味」について考察しています。彼によれば、「人が物語っていくその方法というのは、『物語そのもの』と同じくらいの意味や価値を持ちうる」。それゆえ「他者の物語」であっても「語り口において自らの物語を語」ること、すなわち批評的視点から「他者の物語」を語り直すことが可能である。だからこそ、語り継がれた「他者の物語」とは、「物語を語ることの意味を語る、物語についての物語」となりうる、と彼は語っています(『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』あとがきより)。 言い換えれば、伊藤はたとえ「他者の物語」であっても、雰囲気をなぞっただけの模造品を描くことを潔しとはせず、自らの語り口で語ろうとしました。 伊藤の遺稿を引き継ぐとき、そうした彼の想いに対して円城は自分なりに応えようとしたのではないでしょうか。本書で語られた物語は、伊藤の物語を語り継ぐことの意味を円城自身の語り口で語った、「物語についての物語」なのです。エピローグまで読むと、そう思えてなりませんでした。 | ||||
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悲しい造り物が描いた、儚く慎ましい理想の世界観が美しい。 感性が鈍い読者は、理解できない、使い古された登場人物の模倣と批判するに違いない。 されど、故人となった作者はそれほど浅はかで軽率ではない。 私は「ザ・ワン」=「伊藤 計劃」となぞらえ読み進めた。 ワトソンの最期が「病魔を悟った伊藤 計劃の願望」と詠んだ。 日本の文壇は惜しい人をなくした。 わかるまで何度も読め!言わずにいられない名作です。 | ||||
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伊藤計劃も円城塔も初めてでしたが,プロローグのみの遺稿から引き継いだ作品ということを聞いて読んでみました. 他のレビューでは,伊藤さんらしさが失われているという意見もありますが,わたしはおもしろく読めました. 円城さんはあとがきで「伊藤計劃ならどう書くかということを考えなかった」とつづられています.友人への手向けとして素直で,真摯な姿勢だと思いました. | ||||
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安価にもかかわらず非常に良い状態でした。大変満足しています。 | ||||
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第1部のみ書き上げ作者はなくなりましたが、後を引き継がれた方の努力により遜色ない作品で大変面白く一気に読んでしまいました。 | ||||
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ほかの方もお書きになっているとおり、やはり伊藤計劃と円城塔で別物、という感じはします。 ただどこからどちらの作家が書いたかが明確なので、割りきって読めば、これはこれで楽しめるのではないかと思います。 で、肝心の本文は、伊藤計劃のプロローグに引きずられたか、円城塔にしては「ふつうに読める」文章。 難しいという意見も多いですが、他の作品に比べれば平易です。 この辺りは伊藤計劃の作を期待して読み始めるか、あらかじめ円城塔の作家性を知ったうえで読み始めるかで、印象が変わってくるかと。 3と4の中間ですが、おもしろく読み進めることができたので、4にしました。 | ||||
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伊藤計劃さんの新作をもう読むことが出来ないことを残念に思います。 | ||||
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圧倒的なスピード感と奇想天外な展開。一気に最後まで読み切りました。 | ||||
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円城さんが伊藤計劃さんを悼み、手向けた小説なんだなあと感じた。ワトソンくんが伊藤計劃さんでフライデーが円城塔さんかな。そしてフライデーには伊藤計劃さんが内包される。様々な小説や映画のコラージュでもありその変容が面白い。そしてとても映画的。歴史改変ものとしても面白い。文学や映画の人物たちと実在した人物たちが絡み合う。文学と映画ではわかるのだけでも『名探偵ホームズ』、『ドラキュラ』、『フランケンシュタイン』、『カラマーゾフ』、『007』シリーズ、『風と共に去りぬ』、『地獄の黙示録』など。 | ||||
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時代は、1800年代。 登場者は、ワトソンをはじめとして、フランケンシュタイン、カラマーゾフの兄弟のアレクセイ、副島や寺島ら明治の初めの人たちがいたり、何とも壮大なお話。 死んだ人たちを、あらためて動かして、生者の力、助勢にするという考え、いわゆる復活は昔からあったのだろう。 それがこんな物語となりました。 アニメーションとか、ゲームとかの、原作っぽいかなぁ。 とても楽しめるが、あんまり、いつまでも心の中に印象を残すというより、その場を楽しむって感じ。 でも、これはこれでありだと私は思う。 円城さんが、伊藤さん亡き後、書きついで物語として終結させたことに☆1つ、上乗せ! | ||||
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もう一度じっくり読み返したいと思ったのは久しぶり。詰め込み具合が贅沢すぎて…堪能させていただきました。気力のあるうちに読むべき本の一つ。 | ||||
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伊藤・円城両氏の手になる人類の存在意義を問い掛けた壮大なスケールの作品。伊藤氏の執筆箇所はプロローグのみの由だが、全体構想は伊藤氏が立てたものだろう。死者の脳に"霊素"を注ぎ込む事によって、死者をフランケンシュタイン化した「屍者」を作製・使役する事が可能となった多次元世界(19世紀の大英帝国中心)を舞台に物語は展開される。導入部はアメリカによるアフガニスタン侵攻を多分に意識した気配を感じた。帝国主義批判の書かと......。 一応は、「屍者」作製の基になったと思われる暗号文書の秘密解明、「屍者」第一号であるザ・ワンなる人物の追走劇が物語の軸。そこに、円城氏が幾つかの物語を織り込んだ。その最たるものは、「カラマーゾフの兄弟」の幻の続編のテーマの再構成とも言えるアリョーシャによる「屍者の帝国」だろう(一時はこちらが本線かと思った)。この他、時空間、言語、進化等の考察、人(生者)が物語を必要とする理由、更には、上述の暗号文書が物語を紡ぎ出す(チューリングマシンは作家側ではないという円城氏の持論)と言った円城氏ならではの言説が披歴される。アシモフの"ロボット三原則"を模した"フランケンシュタイン三原則"が出て来た時には遊びが過ぎるかと思ったのだが、これも後で効いて来る。ただし、舞台を多次元世界明治時代の日本に移した辺りは流石に冗漫だろう。円城氏の手によって韜晦性とユーモア味とを加味した多角的展開になったとも言えるし、紆余曲折した展開になったとも言える。 しかし、舞台をアメリカに移した以降の展開は瞠目すべきものがある。それまでのストーリーがこうした形に結実するとは予想だにしなかった。この結末は伊藤氏が構想したと想像されるが、ここに到って、途中の円城氏の奮戦振りが改めて際立って映った。深いテーマ性と豊かな構想力とが融合した秀作と言って良いのではないか。 | ||||
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これは円城塔の作品なのだ。そこに伊藤計劃の面影を探すのはなんというかひたすら不毛だと思う。 たしかに伊藤氏の作品は、圧倒的な映像喚起力がある。そればかりが「文章」を用いて「理論」を重ねていく円城氏が どう転んだって得られないものだ。だがそのロジックや洗練された文章には映像では得られない陶酔と、無限のイメージ の展がりがあるではないか! 文学や映像ネタ、歴史なトリビアや、はーこれとこれは同じ時代なのかという知的興奮、ゾンビパニックもののぼんくら男子随喜なの エモーションを『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』のシェア世界的なルールのフライパンで炒めて、 極上の料理を仕上げた円城塔には脱帽。 物語中盤で登場する歴史的な超大物のあつかいと、作者にその知性が憑いているとしか思えない語りには度肝を抜かれたしね。 執筆の背景や、作者の交代など、座組的な問題で本を読むべきではないが、 それらをひっくるめてもこれは傑作だ。 ワタクシ寡聞にして円城塔の作品は二、三しか読んだことがなく、そのワカラナサに撃沈したくちだが、 本作ではその円城が全身全霊をかけてエンタメに徹している。 円城塔という前衛をゆく作家の、100%の本気を見た気がして、ワタクシは震えた。 | ||||
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