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レベッカ
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レベッカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.26pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全67件 41~60 3/4ページ
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1938年刊行の「20世紀ゴシックロマンの金字塔」と言われる、ヒッチコックの映画でも有名な作品の新訳版である。 うら若きヒロインの‘わたし’は、20才以上も年の離れたイギリスの貴族に見初められ、マンダレーという地所の、豪壮な館で新婚生活を始めるが、そこには前妻レベッカの影が・・・という物語である。 序盤は抒情的な恋愛小説の趣があるが、中盤は使用人や夫の親族はもとより、近所の人々からも「才色兼備で活動的で誰からも好かれていた」レベッカと比べられ、右に左に揺れ動く‘わたし’の心理描写がなんとも頼りなげで切ない。 そして終盤、一年前に溺死して下流に流され、夫マキシムによって確認されていたはずのレベッカの本当の遺体が、ヨットのキャビンに閉じ込められて湾の底で発見されるに至って物語はミステリー的な急展開をみせる。 不可解なラストは、もう一度第一章と第二章を読み返してみないと分からない仕組みになっている。 それにしても、この物語の骨格をなしているのは、いうまでもなくマキシムの告白の中でしか描かれず、作中一度も登場しないレベッカのその存在感であろう。70年もの間読み継がれ、今なお高い評価を得ている秘密はそこにある。 | ||||
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1938年刊行の「20世紀ゴシックロマンの金字塔」と言われる、ヒッチコックの映画でも有名な作品の新訳版である。 うら若きヒロインの‘わたし’は、20才以上も年の離れたイギリスの貴族に見初められ、マンダレーという地所の、豪壮な館で新婚生活を始めるが、そこには前妻レベッカの影が・・・という物語である。 序盤は抒情的な恋愛小説の趣があるが、中盤は使用人や夫の親族はもとより、近所の人々からも「才色兼備で活動的で誰からも好かれていた」レベッカと比べられ、右に左に揺れ動く‘わたし’の心理描写がなんとも頼りなげで切ない。 そして終盤、一年前に溺死して下流に流され、夫マキシムによって確認されていたはずのレベッカの本当の遺体が、ヨットのキャビンに閉じ込められて湾の底で発見されるに至って物語はミステリー的な急展開をみせる。 不可解なラストは、もう一度第一章と第二章を読み返してみないと分からない仕組みになっている。 それにしても、この物語の骨格をなしているのは、いうまでもなくマキシムの告白の中でしか描かれず、作中一度も登場しないレベッカのその存在感であろう。70年もの間読み継がれ、今なお高い評価を得ている秘密はそこにある。 | ||||
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1938年刊行の「20世紀ゴシックロマンの金字塔」と言われる、ヒッチコックの映画でも有名な作品の新訳版である。 うら若きヒロインの‘わたし’は、20才以上も年の離れたイギリスの貴族に見初められ、マンダレーという地所の、豪壮な館で新婚生活を始めるが、そこには前妻レベッカの影が・・・という物語である。 序盤は抒情的な恋愛小説の趣があるが、中盤は使用人や夫の親族はもとより、近所の人々からも「才色兼備で活動的で誰からも好かれていた」レベッカと比べられ、右に左に揺れ動く‘わたし’の心理描写がなんとも頼りなげで切ない。 そして終盤、一年前に溺死して下流に流され、夫マキシムによって確認されていたはずのレベッカの本当の遺体が、ヨットのキャビンに閉じ込められて湾の底で発見されるに至って物語はミステリー的な急展開をみせる。 不可解なラストは、もう一度第一章と第二章を読み返してみないと分からない仕組みになっている。 それにしても、この物語の骨格をなしているのは、いうまでもなくマキシムの告白の中でしか描かれず、作中一度も登場しないレベッカのその存在感であろう。70年もの間読み継がれ、今なお高い評価を得ている秘密はそこにある。 | ||||
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ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、日本では国家総動員法が施行された1938年に刊行された本である。すばらし作品は時の試練に耐えるということをあらためて発見させられた。 以前の翻訳が手元にないので比較できないが、前半は表現がもたつく感じがあるが文体になれると主人公の気持ちが丁寧に表現されており好感が持てる。さらに、いくつかの会話表現は結構大胆な言葉づかいが選ばれており、現代の読者を対象にしているんだという明快な翻訳者の意図が読み取れて心地よい。 ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た。 という有名な書き出しで、やや唐突ともいえる形で、読者は主人公の回想に引き込まれれていくが、本書を最後まで読んで、はじめて、第一章の意味が明確になるあたりが、映画mimentを見ているようでなんとも斬新な感じがする。 貴族マキシムとの出会い、恋に落ち、そして結婚。その後、豪華な邸宅、マンダレーに踏み入れた後、少しずつ明らかにされて行く前妻レベッカの秘密。主人公はそこで、前妻を慕う家政婦頭の敵意に満ちた視線にさらされ、少しずつ、精神の安定を失っていく。レベッカとはいったいどんな女性だったのか。夫マキシムとの間に横たわる秘密とは。主人公、わたしの視点で、数多くのなぞが少しずつ、そしておどろおどろしく示されていくのが上巻の展開である。 | ||||
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上巻が謎編とすると下巻は解決編。マンダレーで開かれた豪華な仮装舞踏会の翌日、海底から前妻レベッカのヨットとその死体が引き上げれる。話はこの事件を気に急展開を示す。レベッカとはどんな女性だったのか。夫との間に何があったのか。そして主人公、夫の運命はどうなるのか。 ミステリーを読む楽しみは物語の前半で示された謎が、一気に解決されていくことにあると思うのだが、このあたり、しっかりとこの作品は読者のつぼを心地よく刺激してくれる。 そして思わぬラストの後に、本書上巻の第一章の意味が明確になり、事件の後の主人公とその夫の人生までもがすべて一気に明らかになる展開になっている。 ゴシックロマンスというと何だかよくわからないのだが、ヒッチコックが映画化したのでわかるように、本書はまさにミステリーなのだ。難しいしことは、考えず是非、下巻のこのカタルシスを楽しんでください。 | ||||
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両親をなくし、夫人の話し相手として働く「わたし」は 滞在先のホテルで出会った紳士・マキシムに心を奪われた。 彼と結婚し、美しい屋敷として有名なマンダレーに 女主人としてすむことになった「わたし」だったが 屋敷や近所の人々の口から知るマキシムの前妻・レベッカの すばらしい評判と強い影響力に、飲み込まれていく。。。 「わたし」の感情がむきだしに鮮やかに書かれていて 引き込まれます。 わけがわからなくなるほどマキシムを想う気持ち。 20歳ほど年上のマキシムに、妻として愛されているか不安に想う気持ち。 慣れない、人を使う立場におろおろする気持ち。 屋敷や人々の口の端、マキシムの心に残る、前妻レベッカの影と レベッカを慕っている家政婦頭のダンヴァーズに追い詰められる恐怖。 ひとつひとつが痛々しいほどむきだしで、 「わたし」のマキシムへの愛を感じます。 美しく優しく有能で、マキシムとつりあう年齢と家柄のレベッカ。 ことあるごとに比較されるだけでも大変なのに、 ダンヴァーズ夫人はさらに「わたし」を追い詰めようとし。。 レベッカの強い印象とともに、下巻へ続きます。 | ||||
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有名なお屋敷に住む紳士・マキシムに、 拾われるように結婚した、身よりのない「わたし」。 美しく有能な前妻・レベッカの影と、 彼女を慕う家政婦頭ダンヴァーズに追い詰められていくが。。 ダンヴァーズに陥れられ、マキシムを怒らせてしまった「わたし」。 けれど翌日、レベッカの死体が新たに見つかったために、 事態は思わぬ展開へと動き出していきます。 ロマンス小説的な雰囲気だった上巻とは異なり 下巻では推理小説的な趣が加わっています。 とはいえ、お話の中心は「わたし」の気持ちです。 マキシムの秘密を告白された「わたし」がむかえる気持ちの変化。 それは「わたし」の望むものであったし、成長なのでしょうが あざやかな彼女の感情が消えたことは残念でした。。 上巻冒頭でも示唆はされていましたが。。。 そして衝撃のラスト。 思わぬ終わり方だったので、落丁かと思いました。 上巻のはじめ、回想部分を読み直し、納得。 もう少し、その後の説明がほしい気もしますが、 このラストゆえに名作と挙げられているという気もします。 | ||||
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実家にあった大久保版の旧旧訳のころから愛読しており,新潮文庫の旧訳も持っていて愛読していました。しかし,今回の新訳を読んでみて,まるで別の本を読むかのようにはまりました。 旧訳は,「わたし」やマキシム,周囲の使用人等の会話が,時代を反映してとても丁寧で貴族的(上品かつ敬語多数)なのですが,新訳では(たとえていえばハーレクインロマンスのヒロインと恋人の会話のように)くだけた口調になっています。これには賛否両論あると思いますが,ロマンス性はぐっと高まって,マキシムも「かっこいい彼」度が上がりました。 あとは,昔の日本人には理解できなかったために誤訳やとんでもない意訳をされていたイギリスの生活習慣や単語が,新訳ではオールクリアされていること。 たとえば,旧旧訳や旧訳ではヘアブラシが「刷毛」と訳されていたり(汗),バターたっぷりのクランペットが「汁の垂れる焼き菓子」だったり,ロブスターが「海老のお料理」に成り果てたり,春に咲くブルーベルが「桔梗」になったり,クレソンのサンドイッチが「野菜サラダのサンドイッチ」になったり,と,なんだか意味不明の謎世界だったのですが,新訳ではとてもスタイリッシュになっていて,流れるような訳で安心して読めます。 (二度目以降はついつい新旧両方並べて読んで,旧訳の誤(?)訳部分を探してしまいます…) ということで,旧版を持っている方にも,はじめての方にも,とにかくおすすめできる作品です。H20.3.1に文庫版も出ましたので,どうぞお楽しみください。 | ||||
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年若く内気な「わたし」は妻を亡くした伯爵に見初められマンダレーと呼ばれる美しい館に移り住む。しかしそこでヒロインを待ち受けていたのは前女主人に心酔する厳格なダンヴァレー夫人。屋敷のそこかしこに今だ蟠る亡き人の気配が次第に彼女を追い詰めていく……。 女性らしい感性が紡ぐ細密な情景描写が美しい。白い小浜に打ち寄せる波、燃え盛るような椿の生垣、昼下がりの薔薇園の気だるさ。幸せの谷の豊かな自然が目に浮かぶようだ。 ヒロインの身辺にじわじわ忍び寄ってくるレベッカの気配は、ダンヴァレー夫人の慇懃無礼さと相俟って監視の緊迫感を帯びる。 特にダンヴァレー夫人が怖い。 あくまで敬語を崩さず、ねっとり絡みつくような言葉責めを仕掛ける彼女は本当に怖い。 絶対に密室でふたりきりになりたくない人物だ。 作中レベッカそのものは登場せず、ヒロインの空想の他は彼女を知る人間の口から語られるのみだが、それでもその存在感は凄い。血がでるまで荒馬を鞭打った幼少時のエピソード、ベンの「蛇のような」という形容が、鮮やかな悪女たるレベッカの本性を巧みに際立たせる。 常にレベッカを意識し、劣等感を持たざる得ない引っ込み思案のヒロインに同情していた読者は、マキシムの口から真実を告げられた彼女の変貌ぶりに驚かされるだろう。 ところで英国人はあんなにお茶ばっかりしてて太らないものなんだろうか……。 | ||||
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レベッカは現在の精神医学では反社会性人格障害(精神病質)にあたり、良心をもたず、策略で善人を陥れる陰湿な人ですね。 その呪縛から逃れることができたのは、新しい真の伴侶を見つけたからだと思います。レベッカの影響から逃れられない女中は最後屋敷と主に葬られるわけです。 これは心理サスペンスドラマですが、実際にもこのような人は紛れていますので、教訓になると思います。 | ||||
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レベッカ後編の読みどころはなんと言っても 「登場することが無い主人公」であるレベッカの実像に迫る点にある。 他のレビュアーの方の言われる通り 前編は ゆったりとした時間で物語が語られてきたが 後編に入ると俄然スピード感が出てくる。あれよあれよという間に物語は レベッカが仕掛けたトリックの解明と 死んだレベッカに今なお支配されている女中頭のデンバース夫人の豪邸マンダレイ破壊へと連なる。そこまで一気に読ませる著者の手腕には感嘆するしかない。 後編を読んでいて 前述した通り「レベッカこそが 本書の主人公である」点がはっきり解る。読後の余韻も素晴らしい。 ヒッチコックが映画にするわけだ。 | ||||
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ヒッチコックが作った映画「レベッカ」は相当の傑作だが これはやはり原作が優れているからに違いない。それほど 原作の「レベッカ」は面白いからだ。 まずサスペンス小説としての筋の巧みさがある。特に徹底した心理劇であり 読んでいてスリル抜群だ。なんといっても 題名の「レベッカ」という女性は 話が始まる前に既に亡くなっているわけだが その存在は全編を覆うものがある。そう 主人公は「レベッカ」であり しかも一度も登場しないわけだ。これは お世辞抜きに大技だと思う。 次に 抒情性だ。誰もが挙げる冒頭のマンダレイの描写はまことに美しい。ヒッチコックがこれをきちんと映像化したのは当然だ。この冒頭無くして この話は始まらない。 ヒッチコックも読んですぐに映画化に取り掛かったに違いないと僕は思っている。それほどの作品なのだ。 | ||||
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悪く言えば、有産階級の内幕をのぞくいやらしい楽しさ、スキャンダラスな事実を期待してしまう三面記事的な下世話さもある。「元祖・昼ドラマ」とか、「老舗・2時間ドラマ」「本家・サスペンス」といった惹句がついてもおかしくない内容だ。 イギリスの旧家・有産階級の暮らしぶりや、その拠点となるリゾート地のお屋敷や調度の詳細な描写は物珍しさを感じる。そこに主人の新妻としてやって来た主人公の浮いた感じが、一人称で語られる中で、いかにも落ち着き悪い。先妻レベッカの時代に確立されたであろうしきたりに馴染めない様子を使用人の立ち居振る舞いや、自分の身だしなみ、道具類に感じる違和感として記述されている。このあたりはいかにも女性的な視点であると感じられた。 前半の居心地悪さから、ある事件を発端に物語は一気にサスペンス味が増していき、ますます目が離せなくなる。最後のシーンはやや唐突でもあるが、過去を精算して将来に進んでいく二人のためにむしろ良かったのではないかと思えた。 なお小説の内容もさることながら、本訳版では訳者によるあとがきが非常に良かった。著者の生い立ちを読んで、本来読むべきは作者自身の物語なのだと感じた。 | ||||
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完璧な令夫人だと誰もが思っていたレベッカの実の姿と 死の真相が明らかになる下巻。 夫・マキシムがもっと早く話していれば、ヒロインはこんなに苦しむこともなかったのに…と思ってしまうけれど ずっと不安を抱えて怯えてばかりいたヒロインが 自分に自信をもって強さを得て、大人になることができたのだから 良しとするべきなのでしょうね。 サスペンスだけではなくヒロインの成長物語としても読むことができます。 夫婦の絆も深まり、名家の女主人としての自信もついて これから…というときに マンダレイが失われるラストは衝撃的だけれども 上巻の冒頭を思い出して、またすぐに再読したくなります。 | ||||
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恵まれた境遇の育ちではないヒロインが 偶然モンテカルロで知り合った紳士にプロポーズされ、花嫁となる。 しかも紳士が所有するマンダレイという土地は広大で美しく、大邸宅もあって…。 と、ここまでのあらすじは まるで子供の頃に親しんだ 少女小説のよう。 でも、ヒロインは末永く幸せに暮らしました、では終わらずに この作品はスリリングに展開していきます。 若い女性らしい結婚の喜びと 大邸宅の女主人になるということにプレッシャーと不安を抱えて マンダレイに入ったヒロインを待ち受けていたのは、亡き前妻レベッカの影。 ヒロインが内気ではみかみ屋で、容貌から自分の育ちまでコンプレックスを持っているのに対して レベッカは華やかな美貌も屋敷を切り盛りする女主人たる手腕をも持った素晴らしい女性だったらしい。 召使の態度からそれを悟ったヒロインは、姿のないレベッカの存在感に恐れつつも惹かれ、 読者である私たちもヒロインと一緒にレベッカという女性に対して想像力を膨らませていきます。 ドキドキするような展開。下巻への期待が高まります。 | ||||
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70年前の小説とは思えない普遍性がわたしを惹き付けて離さない。 婚家での疎外感、劣等感、不安に脅えて過ごす主人公の毎日は、 そのまま自分が経験したことだ。いまもしているとも言える。 それが70年前ではなく、上流階級でもないだけだ。 必死になじもうとする主人公を嘲笑うかのように、マンダレーでの日々は過ぎてゆく。 死してなお元女主人であるレベッカの影はそこかしこにつきまとい、被害妄想を生み出す。 マンダレーでの居場所がつかめるかもしれないと思ったきっかけさえ、 足下をすくわれるのが落ちだということが、読者にもわかる。 主人公に感情移入して読んでいたはずなのに、 いつのまにかダンヴァーズ夫人の目で彼女を見ているのだ。 自分の心にもひとを嘲り蹴落としてやりたいという昏い部分があることを認めずにはいられない。 ひとによっては冗長とも思える前半の部分が、終盤の息をもつかせぬ展開を引き立てる。 はげしく揺さぶられてしまい、ただマキシムのように先を急いだ。 その先には平穏があったと思いたい。 序章に戻り、再びゆったりとした気持ちを味わおう。 訳者あとがきに作者の履歴が詳しく、小説の背景がよくわかることもこの本の魅力。 旧訳や映画を知らなくても心理劇の醍醐味が味わえる一冊。 | ||||
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外国作品は活字文化よりも映像文化のほうがわかりやすくて、最近はもっぱら映画ばかり見ているが、それは翻訳小説の文章がきこちなくて読みにくいことと多いに関係がある。だが久しぶりに訳文の奇妙さにいらつかず、自然に感情移入できたのがこのレベッカの新訳だ。昔読んだレベッカは、ミステリアスなストーリーだけが印象に残っているが、この新訳は、世慣れない若い女性の心の成長の物語という読後感が強く、それだけ味わい深い。俗物の雇い主の元で抑圧されていた若い女性が、恋をし、愛されることで自信を得、喜びの人生を歩み始める。だがその歓喜もつかのま、彼女が選んだ人生には予想もしていなかった様々の試練が待ち受けており、それは彼女の心に不安と孤独の影を投げかける。その不安を乗り越えて生きていくには、主人公はまだいくつかのめぐりあわせを体験しないとならなかった・・・昔別訳でレベッカを読んだときには、単純な娯楽小説としか思えなかったのに、今回は若い女性の繊細な心理を描写した小説、と感じるのは、わたしが歳を重ね、自分自身の心の軌跡を重ね合わせて読んだからだろうか、それとも主人公の心の動きを浮き彫りにして訳出した訳者の力量のたまものだろうか。久しぶりに小説の醍醐味を感じる本だった。 | ||||
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先に英語版を読み、あまりにも夢中になり日本語版も購入してしまった。原作のイメージそのままにヒッチコックの映画は白黒にもかかわらず主人公の不安を 立ち込める嵐の雲を代表とする暗い影の演出が見事であった。 読み手もハラハラさせていき、レベッカの影に主人公と同じように 不安になりながら読み進む時間も秋の夜長にはまた一驚かも。 | ||||
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後編は益々、レベッカの影を身近に生身に感じる。時間をかけ本を読む楽しみを与えさせてくれる。 白黒の映画画像も一気に黒(暗黒色)とレベッカの怨念の色が見えるような錯覚をおこしてしまう。 不安になりながら読み進む時間も秋の夜長に読むにはお勧め。 安っぽいサスペンス物が読めなくなるかも・・・。??? | ||||
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ヒッチコックの映画化のほうも見事。しかしそれ以上の魅力でひとを捉えて放さないのがこの本である。物語のはじめのほうは、ある意味でシンデレラストーリー的要素もある。 身分違いの家柄に嫁いだ地味なキャラクターのヒロイン。コンプレックスに苦しむ彼女の妄想のなかで、ライバルである美女レベッカのイメージはどんどん限りなく膨らんでいく。 ゴシック小説的な美しい道具立て、女性特有の繊細な心理、シンプルで詩的な文体。永遠に色あせることのない名作である。 | ||||
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