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ラブレス
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ラブレスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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氷平線という短編集は、とてもいい出来だった。この人のなら間違いないと思って購入したが、ただずるずる長いだけの作品。 途中で飽き飽きして、読むのを辞めてしまったほどだった。まるでどこがいいのかさっぱりわからず、消化不良だけが残った。 | ||||
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氷平線が硬質ですごく良かったのですが、こちらはいまいち……。 氷平線は格好いい女性を格好良く描いてくれていたのに。 こちらは女性の生き方の美しさを全く感じない……。 ヒロインは、たくましく生きているにもかかわらず、女性のたくましさが上手に描かれておらず、愚かで馬鹿な母親な感じ。 男性に振り回される、カス男を安易に許してしまう、体も安易に許すくせに女郎ではないという変なプライドある、みっともない女性をみっともなく描いている感じがしました。 なのにラストは雰囲気だけ美しいところが、却って安っぽい。 何でだろう……。硬質で知的な作者だと思っていたのですが、三浦綾子のように俗っぽいイメージになってしまった。 | ||||
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実はまだ半分ほどしか読んでいないのですが、あまりにもやもやするので書かせていただきます。 心理描写・当時の風俗描写・ストーリーの展開、いずれについても納得できません。 例えば、旅芸人一座の公演を見終えた場面で百合江が「美江、あの歌芝居すごく面白かったよね」と言った数行後、「美江に手を振り、会館ヘ向かって走った」と描かれ、次の場面では既に楽屋の中で鶴子に弟子入りを申し出ています。そこで疑問に思うのです。十五歳の女の子が初めて見た芝居を見てすぐに弟子入りを決意するものでしょうか。もし結果として決意するとしても、ふつうの小説であればそれに至る逡巡を描くものではないでしょうか。また、当時の劇団がどのようなものか知りませんが、一般人が容易に楽屋に入れるものなのでしょうか。そうした説明をするのも作者の仕事の一つではないかと思います。 次に、十五歳のあとの経緯が飛びすぎている感じがします。弟子入りした次の百合江が早くも二十五歳になってしまいました。興味をもって読み進める読者にとっては唐突すぎです。この作品は百合江という女性の一代記だと思いますが、それにしては省きすぎではないかと感じてなりません。 また、百合江が宗太郎とともに東京に出てきた時のことです。ベテランの流しの人に、地元のヤクザにショバ代を払う義務を教えられますが、二人はまんまと払わずに流しを続けます。そういう展開もありだとは思いますが、当時のヤクザはそれを快くなく思ったりしないのでしょうか。二人は一度たりとも追いかけられるなど危険な目には遭いません。ストーリーが主人公たちに都合よく進みすぎる印象があります。 長くなるので最後にします。百合江が綾子を出産したあと、宗太郎が黙って失踪します。これについて何の伏線もありませんでした。宗太郎がふだん何を考えていたのか全く表現されていないのです。この作品の昭和の頃のパートは、百合江の視点からのみ描写しているため、他の登場人物の心理描写が一切ありません。そのため、この場面に限らないのですが、展開が早急で読者がついていけないことが多々あります。こうした点を作者はどうお考えなのでしょうか。 たくさん述べさせていただきましたが、一言で表現すると、この作品はまだ完成していない草稿に近いものだと感じました。ただし、レビューした方の評価が総じて高いので、単に私の嗜好とは合わなかっただけなのだろうとも思います。 | ||||
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まず描写や表現について述べる。 冒頭の登場人物たちの関係は書かれているが、一人ひとりの性格やら容貌などの基本的な作業がないので、人物の特定に時間がかかる。逆に言えば、宗太郎や綾子や卯一などは分かりやすい。ラブやら女性の人生やらを描くのに、登場人物の詳しい設定は不可欠だと思えるのだが、職業やら、現状(職業や妊娠など)ばかりでは、人物の設定が理解しにくい。 作中で人称(視点)が変わることがあるようで、いわゆる神の視点で書いているのが突然、何の脈絡もなく登場人物の視点に変わるような不自然な場面がある。視点の切り替わりのタイミングが分かれば、切り替えても問題ないのだが。 同じように現在の話として語っているシーンで突然過去形の表現が入る。あるいはその逆もある。 時間の推移を述べる時に例えば「その年の暮れ、街に例年よりひとあし早い積雪のあった週末」という表現がなんか所か出てくるが、突然シナリオのト書きのような表現に代わることには違和感を覚える。 山の端とか青空も繰り返し使っているが、表現の貧弱さを感じさせてしまう。自然を暗喩として使うならば、もう少し違う使い方があるだろう。 理恵が新人の小説家だということが何カ所か出てくる。新人賞をもらったとか小夜子に取材なのかとか、夫が推敲するとか。この話がなぜ必要なのだろう。いやむしろ理恵という百合江の娘である登場人物の価値を貶めてしまっていると思われる。娘が老衰になった母の過去を追いかける気持ちを純粋なものとして描くことが、女たちの生き方に対する描写として効果的なのではないか。 さて、女性の生き方を姉妹の話として書き、愛を自分のアイデンティティーとしようとするが、子供や生活のために打算的に生きざるを得なかったという現実を、ラブレスと作者は言いたかったのかもしれないが、百合江と里美は愛を持たなかったわけではない。子供への深い愛、一度は結ばれても結実しなかった男たちとの愛はこの小説の根幹だろう。さらに宗太郎や石黒も慈愛にあふれている。なぜラブレスなのか、わからない。確かにボリュームのあるストーリー展開、そして極寒の地の赤貧の生活という設定は非凡なもので圧倒される面もあるが、私には時代設定などを無視すれば、現代にもあるありふれた話のように思える。ただし、この類の話はあまり小説として見たことはないような気がする。超現実のライトノベルにはありそうだが。 | ||||
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こういう女の人生もあるのかなと思って読んだ 途中はストレスが溜まったが 続きが気になって最後まで読んでやっと救われた 生活に困らない幸せな暮らしが出来そうな男は愛せなくて 子どもを産んだばかりの女を捨ててしまう男を愛し続ける 妥協点がナゾ | ||||
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