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薔薇の名前



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薔薇の名前の評価: 4.19/5点 レビュー 117件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.19pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全92件 21~40 2/5ページ
No.72:
(5pt)

最高のエンターテインメント

知的な刺激に満ちた至福の時を味わった。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.71:
(5pt)

良い

良い
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.70:
(5pt)

良い

良い
薔薇の名前〈下〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈下〉より
448801352X
No.69:
(5pt)

攻める読書をする人向き

ウンベルト・エーコ当人曰く彼の小説の中で最低の出来だそうだが、どうしてどうして楽しめます。
映画化、ドラマ化もされているが、話の面白さ、わくわくする謎解き、残酷&過激な描写においてそれらは原作の1/10にも及ばない。翻訳もとても良いので是非小説で味わうことをおすすめします。
西洋史やキリスト教史に詳しい方は難なく読めるでしょうが、私のような無学な者は自前にせめて教皇ヨハネス22世やその時代背景についてとアリストテレスの詩学についてくらいをWikipediaででもざっと調べておくと楽しさが更に広がると思います。(が、ざっとで大丈夫です。それらの詳細は本の中でエーコが詳しく説明しています。)
そして如何に名訳でも異型の建物の形状について、3階の図書館部分の部屋の頭文字で謎解きをするための間取りなどは、想像力だけでは補えないので、下巻108ページにある見取り図を参照にしてみてください。
そして時々立ち止まって地図や年表を、又○○の☓☓城に似た外観とあればその画像を調べる等、攻める読書をすると知的好奇心が満たされます。
とても良い小説で、あちらこちらに哲学者らしい事物の真理が散りばめられています。

実はイタリア語の原書を先に読んだのですが、難航してこちらの和訳版を改めてもとめました。素晴らしい翻訳だと思います。
作者も訳者も共にお亡くなりになってしまいましたが、イタリアでは2020年に何度目かの再販があったそうです。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.68:
(4pt)

面白い

上下巻および「バラの名前 覚書」を読んでの感想です。
この本を読むことに途中で挫折した人は、どのようなことが原因だったでしょうか。
私の場合は、まずは冒頭の手記。「こんなの要る?」という違和感があり、出鼻をくじかれました。
つづいて「プロローグ」にある14世紀の歴史的背景。馴染みがなかっのでこれは少しだけ調べました。
次の「第一日」の章では、主人公ウイリアムの鋭い推理が披露されて、やっと話の調子が出てきたかと思いきや、同章内の「六時課」で語られる聖堂の扉上部の装飾の長々とした描写でうんざりして、ここで読むのを中断
でもその後、意を決して続きを読み進めると、下巻の後半の怒涛の展開にすっかり魅了されました。
通読して思ったことは、この本は気持ち良く読める部分と、そうでない部分が混在する変な本だなということで、これが作者の意図したものなのか気になり「バラの名前 覚書」を読んでみたら、どうやら読みにくい部分は中世のペースを受け入れられるか否か、読者をふるいにかけているみたいです。
買ったまま放置している方は是非がんばって読んでみてください。今生きている時代の古典作品として、読んで損はないと思います。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.67:
(5pt)

まだ読み終わっていませんが、当然映画より描写が細かくて

素晴らしい内容の本です。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.66:
(5pt)

まだ下巻の途中ですが

興味深い内容で良かったです!
薔薇の名前〈下〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈下〉より
448801352X
No.65:
(5pt)

エコの表記論を具現化

何回読み直しても、解釈が色々できる作品です。文を読み言葉が表象している物は一つではなく、一方目の前にある物がそこに存在するときは、一つの物に過ぎない。見るものによって記憶される時には多様な解釈がなされ、時間とともに(解釈している人間の人生にもより)変化する
薔薇の名前〈下〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈下〉より
448801352X
No.64:
(5pt)

〈信仰と理性〉:専門知識の有無でなく

本書『薔薇の名前』は、刊行当時に読んで、とても楽しめた作品でした。
今回このレビューを書くことになったのは、『薔薇の名前』のなかで言及される、アリストテレスの『詩学』を(『薔薇の名前』を読んでから、約30年を経て)読み、そちらのレビューを書こうと思ったのがきっかけでした。
その下準備として、こちらの「Guraddosuton ha-Hatol」氏の懇切なレビュー(「必要な予備知識の概略です」)を再読したところ、『薔薇の名前』とキリスト教に関する予備知識の関係について、すこし解説しておいたほうが良いように思ったのです。

『薔薇の名前』を読んだ当時、私にはキリスト教についての知識は皆無でした。当時の私は、一介のミステリファンであり、その文脈で『薔薇の名前』を読んだのです。ですから、キリスト教に関する専門知識的な部分は、いわば「雰囲気」だけで読んだのですが、それでも十分楽しめました。
レビュアー「風よ雲よ」氏も書かれていますが、『薔薇の名前』を中世ヨーロッパ版『黒死館殺人事件』だと思えば、キリスト教に関する専門知識の部分が正確には理解できなくても、かえって想像を膨らませる要素(『黒死館殺人事件』の名探偵・法水驎太郎のペダントリと同様の要素)として十分に機能していたからだと思います。(ちなみに、P・K・ディックの「ヴァリス」三部作も、同様の楽しみ方をしました)

その後、もともと「宗教=宗教心」というものの不思議に興味があって、独学でキリスト教を研究するようになり、それなりに知識を蓄積してきて、今回「Guraddosuton ha-Hatol」氏のご文章を再読させていただきましたところ、たいへんわかりやすくて便利な解説だと思った反面、氏の解説文自体、キリスト教の歴史について、ある程度の知識が無くては、なにがなにやら分からないのではないか、という危惧も抱きました。それくらい、日本においては、キリスト教に興味のある人と、そうでない人の溝は大きいということなのだと思います。

そうした意味では、東京創元社の翻訳版『薔薇の名前』に、そうした点での詳しい註釈が付けられていなかったというのは、あるいは賢明な選択だったかも知れません。
なぜなら、そうした詳しい註釈が付いていようが付いていまいが、そうした部分については、分かる人は分かるし、分からない人は分からないであろうからですし、逆にほとんどわからない難解な註がたくさん付いていたら、それに怖れをなして『薔薇の名前』という一級のエンターティンメント小説を敬遠した読者も、少なからず出たかも知れないからです。

ですから、『薔薇の名前』は、二度楽しめる作品だと思います。
キリスト教の知識が無くても、ミステリ小説として楽しめますし、知識があればあったで、エーコの仕掛けたキリスト教そのものに対する問題提起といった側面を楽しむことが出来るからです。

ただし、本書は、ミステリファンなら誰でも楽しめる、とまでは言えないでしょう。
と言うのも、前記の小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』は極めて特異なミステリ作品ですから、これを読了できないミステリファンというのも結構いるからです。
読みにくさという点では、『薔薇の名前』は『黒死館殺人事件』ほどではないので、その点は安心してもらってかまわないのですが、『黒死館殺人事件』はもとより中井英夫の『虚無への供物』や夢野久作の『ドグラ・マグラ』、竹本健治の『匣の中の失楽』といった作品の面白さが分からないというタイプの読者には、『薔薇の名前』も楽しめない公算が高いように思います。

映画版『薔薇の名前』のパンフレットに中井英夫が寄稿していましたが、『薔薇の名前』という作品と、『黒死館殺人事件』『虚無への供物』『ドグラ・マグラ』『匣の中の失楽』といった日本の特異なミステリ作品との間には、たしかに、ある種の類縁性が認められると思います。
私の見るところ、それは「知と超越性幻想」と言っても良いかと思います。

「ミステリ=推理小説」というのは「科学的合理主義に基づく知」によって「謎(ミステリー)=理解(知解)できない状態」を解き明かす(解体する)小説だと言えますが、一方『黒死館殺人事件』『虚無への供物』『ドグラ・マグラ』『匣の中の失楽』といった作品は、「科学的合理主義」を超えた部分での「謎」へ踏み込んでいく作品だとも言えます(だからこそ、これらの推理小説は「アンチミステリ」と呼ばれたりもします)。そして、そうした性格は「キリスト教信仰と近代的知の相剋」を描く『薔薇の名前』も同じなのです。

つまり、これらの作品には「近代的知とそれを超えた部分の相剋」が描かれています。
ですから、そうした「哲学的問い」に興味がある読者には、無類に楽しい作品ということになる反面、哲学的なものを「面倒くさいだけ」と感じる読者には、これらの作品が楽しめないということにもなる。したがって、これらの作品は「読者を選ぶ」作品にならざるを得ないんですね。

このようなわけで、『薔薇の名前』という作品を読む上で、私たちが注目すべきな「人間は矛盾に満ちた存在である」ということでしょう。
ある面では、科学的合理的に物事を見、判断して生きているのに、その反面、宗教的な感情を捨てきれないで、それに依存してもいます。そして、こうした「矛盾」が『薔薇の名前』では「連続殺人」というかたちで顕在化してしまう。
「理性的なものと非理性的なもの」が、上手く共存できればそれに越したことはないのだけれども、真面目に考えれば考えるほど、それらは矛盾葛藤を生むものとならざるを得ません。そこを無視することもまた、非理性的な態度だからです。

こうした難問を、私たちの誰もが抱えています。
そして、こうした「矛盾葛藤」を描いたのが『薔薇の名前』という作品だと言えるでしょう。
映画版を観た人は、思い出していただきたいのですが、本編の主人公であるバスカヴィルのウイリアムは「修道士にして名探偵」という、「二律背反」を最も先鋭化した存在です。だから、彼がこの修道院連続殺人事件の謎を解いた後の表情は、決して晴れやかなものではあり得ません。
なぜなら、彼のそんな合理的知性は、いやでも自身の信仰の合理性を問い、やがて解体せずにはおかないものであることを、彼自身が自覚しているからです。
言い変えれば、修道院連続殺人事件の謎を、合理的に解こうとはせず、それもこれも「神の意志(思し召し)」ということで済ませられれば、彼の信仰は揺らぐことはありませんでした。しかし、彼には、そんなことは出来なかった。彼の近代的知性が、それを許さなかったのです。彼のモデルである、オッカムのウィリアムがそうであったように。

したがって『薔薇の名前』という小説は、単にキリスト教のお話でも、単なる推理小説でもありません。この「二律背反」する性格のものの接触面で、激しく暗い火花を散らす、極めて普遍的で人間的な問題を提起した作品だと言えるのです。
だから、誰にでも読めるし、読みたくない人には読めない作品になっている、とも言えるのではないでしょうか。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.63:
(5pt)

〈信仰と理性〉:専門知識の有無でなく

本書『薔薇の名前』は、刊行当時に読んで、とても楽しめた作品でした。
今回このレビューを書くことになったのは、『薔薇の名前』のなかで言及される、アリストテレスの『詩学』を(『薔薇の名前』を読んでから、約30年を経て)読み、そちらのレビューを書こうと思ったのがきっかけでした。
その下準備として、こちらの「Guraddosuton ha-Hatol」氏の懇切なレビュー(「必要な予備知識の概略です」)を再読したところ、『薔薇の名前』とキリスト教に関する予備知識の関係について、すこし解説しておいたほうが良いように思ったのです。

『薔薇の名前』を読んだ当時、私にはキリスト教についての知識は皆無でした。当時の私は、一介のミステリファンであり、その文脈で『薔薇の名前』を読んだのです。ですから、キリスト教に関する専門知識的な部分は、いわば「雰囲気」だけで読んだのですが、それでも十分楽しめました。
レビュアー「風よ雲よ」氏も書かれていますが、『薔薇の名前』を中世ヨーロッパ版『黒死館殺人事件』だと思えば、キリスト教に関する専門知識の部分が正確には理解できなくても、かえって想像を膨らませる要素(『黒死館殺人事件』の名探偵・法水驎太郎のペダントリと同様の要素)として十分に機能していたからだと思います。(ちなみに、P・K・ディックの「ヴァリス」三部作も、同様の楽しみ方をしました)

その後、もともと「宗教=宗教心」というものの不思議に興味があって、独学でキリスト教を研究するようになり、それなりに知識を蓄積してきて、今回「Guraddosuton ha-Hatol」氏のご文章を再読させていただきましたところ、たいへんわかりやすくて便利な解説だと思った反面、氏の解説文自体、キリスト教の歴史について、ある程度の知識が無くては、なにがなにやら分からないのではないか、という危惧も抱きました。それくらい、日本においては、キリスト教に興味のある人と、そうでない人の溝は大きいということなのだと思います。

そうした意味では、東京創元社の翻訳版『薔薇の名前』に、そうした点での詳しい註釈が付けられていなかったというのは、あるいは賢明な選択だったかも知れません。
なぜなら、そうした詳しい註釈が付いていようが付いていまいが、そうした部分については、分かる人は分かるし、分からない人は分からないであろうからですし、逆にほとんどわからない難解な註がたくさん付いていたら、それに怖れをなして『薔薇の名前』という一級のエンターティンメント小説を敬遠した読者も、少なからず出たかも知れないからです。

ですから、『薔薇の名前』は、二度楽しめる作品だと思います。
キリスト教の知識が無くても、ミステリ小説として楽しめますし、知識があればあったで、エーコの仕掛けたキリスト教そのものに対する問題提起といった側面を楽しむことが出来るからです。

ただし、本書は、ミステリファンなら誰でも楽しめる、とまでは言えないでしょう。
と言うのも、前記の小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』は極めて特異なミステリ作品ですから、これを読了できないミステリファンというのも結構いるからです。
読みにくさという点では、『薔薇の名前』は『黒死館殺人事件』ほどではないので、その点は安心してもらってかまわないのですが、『黒死館殺人事件』はもとより中井英夫の『虚無への供物』や夢野久作の『ドグラ・マグラ』、竹本健治の『匣の中の失楽』といった作品の面白さが分からないというタイプの読者には、『薔薇の名前』も楽しめない公算が高いように思います。

映画版『薔薇の名前』のパンフレットに中井英夫が寄稿していましたが、『薔薇の名前』という作品と、『黒死館殺人事件』『虚無への供物』『ドグラ・マグラ』『匣の中の失楽』といった日本の特異なミステリ作品との間には、たしかに、ある種の類縁性が認められると思います。
私の見るところ、それは「知と超越性幻想」と言っても良いかと思います。

「ミステリ=推理小説」というのは「科学的合理主義に基づく知」によって「謎(ミステリー)=理解(知解)できない状態」を解き明かす(解体する)小説だと言えますが、一方『黒死館殺人事件』『虚無への供物』『ドグラ・マグラ』『匣の中の失楽』といった作品は、「科学的合理主義」を超えた部分での「謎」へ踏み込んでいく作品だとも言えます(だからこそ、これらの推理小説は「アンチミステリ」と呼ばれたりもします)。そして、そうした性格は「キリスト教信仰と近代的知の相剋」を描く『薔薇の名前』も同じなのです。

つまり、これらの作品には「近代的知とそれを超えた部分の相剋」が描かれています。
ですから、そうした「哲学的問い」に興味がある読者には、無類に楽しい作品ということになる反面、哲学的なものを「面倒くさいだけ」と感じる読者には、これらの作品が楽しめないということにもなる。したがって、これらの作品は「読者を選ぶ」作品にならざるを得ないんですね。

このようなわけで、『薔薇の名前』という作品を読む上で、私たちが注目すべきな「人間は矛盾に満ちた存在である」ということでしょう。
ある面では、科学的合理的に物事を見、判断して生きているのに、その反面、宗教的な感情を捨てきれないで、それに依存してもいます。そして、こうした「矛盾」が『薔薇の名前』では「連続殺人」というかたちで顕在化してしまう。
「理性的なものと非理性的なもの」が、上手く共存できればそれに越したことはないのだけれども、真面目に考えれば考えるほど、それらは矛盾葛藤を生むものとならざるを得ません。そこを無視することもまた、非理性的な態度だからです。

こうした難問を、私たちの誰もが抱えています。
そして、こうした「矛盾葛藤」を描いたのが『薔薇の名前』という作品だと言えるでしょう。
映画版を観た人は、思い出していただきたいのですが、本編の主人公であるバスカヴィルのウイリアムは「修道士にして名探偵」という、「二律背反」を最も先鋭化した存在です。だから、彼がこの修道院連続殺人事件の謎を解いた後の表情は、決して晴れやかなものではあり得ません。
なぜなら、彼のそんな合理的知性は、いやでも自身の信仰の合理性を問い、やがて解体せずにはおかないものであることを、彼自身が自覚しているからです。
言い変えれば、修道院連続殺人事件の謎を、合理的に解こうとはせず、それもこれも「神の意志(思し召し)」ということで済ませられれば、彼の信仰は揺らぐことはありませんでした。しかし、彼には、そんなことは出来なかった。彼の近代的知性が、それを許さなかったのです。彼のモデルである、オッカムのウィリアムがそうであったように。

したがって『薔薇の名前』という小説は、単にキリスト教のお話でも、単なる推理小説でもありません。この「二律背反」する性格のものの接触面で、激しく暗い火花を散らす、極めて普遍的で人間的な問題を提起した作品だと言えるのです。
だから、誰にでも読めるし、読みたくない人には読めない作品になっている、とも言えるのではないでしょうか。
薔薇の名前〈下〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈下〉より
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No.62:
(5pt)

ケネディ・センター表彰の時、ロバート・プラントの表情が曇ったのよ

下巻に突入すると事件は連続殺人の様相を呈し始め、風雲急を告げる修道院、
100ページ付近からいよいよお待ちかねの悪役ベルナール・ギーが登場し物語りはがぜん活劇調を帯びてゆく(この娯楽性があったから映画化されたわけだ)、
異端信仰を隠し修道院に身を寄せていたサルヴァトーレの運命やいかに?
ウィリアムとギーの宿命の対決に論理的決着はつくのか?
再三映画を鑑賞してしまっているので、さて、脚色と原作にどのような差があったのかばかりに注目して読み進んでしまう(読書としてはあまり健康的な読み方ではない)、
まだ途中だが小説に映画版のようなカタルシスあるクライマックスが訪れるのか楽しみでしょうがない(べつになくても何の問題もないのだが)、

冒頭の8ページに”使用人たちは十字を切って、魔よけの呪文を唱えた。”とある、
十字を切るとはキリストへの信仰だが、すると魔よけの呪文とは聖書にある言葉のはずだがそれは記されていない、
十字を切っただけでも魔よけになるはずだが、さて、魔よけの呪文はキリスト教の外、キリスト教浸透以前の古い呪術の名残か?などと考え始めるとすこしもページをめくれなくなってしまうまことに不健全で文字数は膨大だが実は中途半端な叙述ばかりにも読めてしまう、
上記のたった二十文字ほどを劇化するなら、どんな言葉を何語に発声するか決定する必要があるのである(ここで、おれは脚本家か?っと自分で突っ込んでおく)、

長い物語の大分を占める教義問答を読むと、英語の文脈で主義・主義者 -ism / -istと多用される淵源が教会にあったのだろうと想像できる、
日本の仏教でも宗派間の問答はそれなりに実施されてきたし、事実論敵を論難・論破した記録も残っているが、それが一般市民の思考なり会話なりにまで英語圏ほどには影響していない、
同じ阿弥陀如来を崇めながらも浄土宗と浄土真宗の一般の信徒・門徒達が他力と絶対他力についてあいてを強く非難するような日常をわれわれはもっていない(せいぜい、門徒物知らずと見下す程度のはなしだ)、

この稿未了、
薔薇の名前〈下〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈下〉より
448801352X
No.61:
(5pt)

神が善良なのは自然を産み落としたからだ

と、P.102にある、
P.32には”神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されていくであろう”とも記されている、
この物語の中ではウィリアムが語る予言だが、20世紀末を生きた著者が歴史を振り返った時の偽らない感想なのだろうと思える、

ロードショーで映画を見た後に一度読んで以来なので30数年ぶりに現在上巻を読んでいるが、当時感じた読みにくさを現在ではまったく感じない、
極度の衒学趣味部分もにやつきながら楽に読み進められるようになった自分にしょうしょう驚きもある、
衒学趣味を除去しても本作のミステリーとしての優秀さはいまでは古典化しているとも思う、
多くの読書家の感想に同じくシャーロック・ホームズ・ファンには必読作品だと思う、
そして映画化に際し練り上げられた脚本の素晴らしさにはいまさらながら深い感動を覚えてしまう、
訳文がめんどうな宗教用語や歴史に触れながらもとても読みやすく、14世紀が語られながらもまるで現代人が語っているようにしか読めないのは、さて、原文はどうなのだろうと疑問はあるのだが、

で、読み始めてまず驚いたのが、この物語が1968年に作者がアドソの著書を発見した体裁で書き始められている点だ、
つまり14世紀のアドソが観察した修道院の過去の出来事、それを読み解く20世紀の著者と三段構造になっているのである(より正確には17世紀の手記の発見、19世紀の手記の出版と入れ子構造がさらに複雑だが)、
映画はアドソの追憶としてのみ語られる娯楽映画らしいシンプルさだったわけだ、

1968年8月20日のソ連軍によるチェコ侵攻はハンガリー動乱に続いて共産主義の横暴を再度世界に知らしめた大事件だが、そのさなか持ち出された手記によって語られる本書の内容は?と考えると、もしやこれは「存在の耐えられない軽さ」と対を成している可能性を考えてもいいのかもしれない(存在の、、は小説も映画も未読未見なのでただの憶測だが)、

自然さえも制御してしまいたいと考える邪悪な政治思想である社会主義や共産主義がまだそれなりの支持を集めていた時代において、神の善良さを説く物語がなんらかの政治目的をもっていた可能性を読み取ることも可能だろう、
そして、笑いを封印してしまう教会の横暴さが異端審問と比べられる描写が下巻で繰り返されるのだと思う、
当時の王侯貴族が道化師を意図的に自らの傍に置き、自身を風刺させたような余裕がキリスト教にはなかったことになるのだが、この点は非キリスト教の価値観を歌ったロック・クラシックの中でも突出した名曲である"Stairway To Heaven"と"In The Court Of The Crimson King"を聞き込むべきと改めて感じてしまう、
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.60:
(5pt)

すべてを理解できなくとも興味深く読めた。

28年前に、本書『薔薇の名前』を読んだ時には、ただミステリとして楽しく読んだようである。
 その後、ショーン・コネリー主演の映画も観ているから、おおよそのストーリは把握していたつもりだった。
 今回、再読してみて、著者エーコの才能の奥深さを思い知らされた(といっても全て理解できたわけではないが)。
 理解できない理由の第一に、評者はキリスト教徒でないから聖書など読んだことなどないからである。
 それに中世ヨーロッパの歴史に暗いからでもある(多少の知識はあるものの)。
 今回この『薔薇の名前』を読み進みながら、事件の元凶が一冊の古書(アリストテレスの『詩学』の『第二部』)であることから閃いたのが、先に読んだ『哲学散歩』の「書物の運命 これもまた?」という章で下の・・・・・内のようなことを木田先生が述べていたからである。
 少し長くなるが転載したい。
 ・・・・・
 <前文略>当然、しばらくのあいだは以前の著作とこの新しい著作集が共に読まれていたのであろうが、次第に「専門聴講者用」の著作に関心が集まって、こちらばかりが読まれ、以前の著作はほとんど散逸してしまったということらしい。
 プラトンのように芸術的才能に恵まれていたわけでもないアリストテレスが、先生のまねをして書いた作品より、推論を積み重ねてゆく理論的著作、例えば『形而上学』などのほうが彼の本領であったにちがいない。
 こうして、残るべき書物はどれほど回り道をしてでも残り、消えてしまった書物は所詮それだけの価値しかなかったのだ、書物にはそれぞれ定められた運命がある、というのがアリストテレスの著作の新旧交替劇についてのかっての定説であり、この交替劇は「書物の運命」なるものの好例とみなされてきた、と、私は長いあいだ信じこんでいた。<後文略>(『哲学散歩』P44~45)
 ・・・・・
 このあと、このような思い込みは木田先生の思い違いだったと多くの例をあげて述べていたのですが・・・。
 しかし、評者は『薔薇の名前』最後の7日目を読み進みながら、『哲学散歩』のなかで木田先生が述べてした言葉を想起してしまったのです。
 蛇足ながら手練れのミステリフアンなら誰が犯人なのか?、何を使って殺したのか?、などは推理可能でしょう。
 本書『薔薇の名前』は、読み手の知識があればあるほど知的好奇心を満たすだろうと思いながら読み終えたのです。
薔薇の名前〈下〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈下〉より
448801352X
No.59:
(5pt)

木田元著『哲学散歩』を併読すると興味深い。

先に読んだ木田元著『哲学散歩』から触発され、もう28年も昔に読んだ単行本『薔薇の名前』を、本棚から取り出して読むことにした。
 木田先生は、『哲学散歩』のなかでこのエーコの「薔薇の名前」について哲学者ならではの解説をしていたので興味深く読みました。
 木田先生は、1987年に、この「薔薇の名前」が映画化され、1990年に、翻訳出版されたと語っていた。
 が、評者は、この「薔薇の名前」を、本で先に読み、後から映画を観たのです。
 本を読んだときには、中世末ヨーロッパの歴史的背景などほとんど知識(特にキリスト教について)がなく、ただミステリとしての興味だけで、それなりに面白く読んだのですが、映画も何度か観てから、本では理解できなかったことも多少知ることができたような記憶です。
 木田先生の『哲学散歩』のなかの「『薔薇の名前』遺聞」の章を読んでから、この本を再読したのですが、なるほど碩学ならではの解説なので上巻を、より興味深く読み進むことになりました。
 ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)、オッカムのウィリアム、ヨハネス22世 (ローマ教皇)、ロジァー・ベーコン、などなど歴史に実在した人物像なども調べながら再読すると興味津々で読み進むことになる。
 ウンベルト・エーコの「隠し玉」には、木田先生も瞠目していたが、さすが記号学の権威と思えば納得です。
 ただ、エーコの叙述の饒舌さに多少戸惑うところもあり、訳者がもう少し易しい同義語(単語の)を、選択してほしいと思ったのは評者だけだろうか?
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.58:
(5pt)

西洋の「黒死館殺人事件」

・骨子は単純なのに修飾だらけでカオス状態
・他の僧との宗教論争が多い
・中世暗黒時代の雰囲気は映画が上
・迷宮図書館の構造と設計意図がよくわかる
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4488013511
No.57:
(5pt)

宗教に関する意識の高い西洋において、言語と言うメディアは西洋の思想史を考察するにふさわしいエーコの中世言語エンタメワールド。

記号論者であり思想家であるエーコは、メディアのディテールを惜しみなく披露するので、読んでいて興味深いです。
本書は主に西洋に関する宗教史を追っている言語のメディア性について論じていると思うのですが、
それはすでに崩壊され、再生するのは困難で、再生などしない方がいいとエーコは言っていると思います。

日本の無宗教の家に生まれた私からみると、カオスな状態が当たり前なのですが、世界はまだ宗教戦争が終わっていないとも言えると思います。
ですから、本書はすごく真っ当で、読み継がれてほしいとも思うのですが、思想史や言語学の分野は堅苦しい用語を覚えることから始まりますので、このように文学として読まれた方が面白いかもしれません。

本書はエーコの中世言語エンタメワールドを感じるにふさわしい一冊であり、私は中世を思い浮かべる時に、いつもエーコのこの世界にタイムスリップしてしまうほどトラウマになりました。
エーコの厄介な文章に中毒性を持ってしまった方、エンタメ性よりもよりエーコのエッセンスを感じたい方は「完全言語の探求」も読まれることをおすすめします。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.56:
(5pt)

宗教に関する意識の高い西洋において、言語と言うメディアは西洋の思想史を考察するにふさわしいエーコの中世言語エンタメワールド。

記号論者であり思想家であるエーコは、メディアのディテールを惜しみなく披露するので、読んでいて興味深いです。
本書は主に西洋に関する宗教史を追っている言語のメディア性について論じていると思うのですが、
それはすでに崩壊され、再生するのは困難で、再生などしない方がいいとエーコは言っていると思います。

日本の無宗教の家に生まれた私からみると、カオスな状態が当たり前なのですが、世界はまだ宗教戦争が終わっていないとも言えると思います。
ですから、本書はすごく真っ当で、読み継がれてほしいとも思うのですが、思想史や言語学の分野は堅苦しい用語を覚えることから始まりますので、このように文学として読まれた方が面白いかもしれません。

本書はエーコの中世言語エンタメワールドを感じるにふさわしい一冊であり、私は中世を思い浮かべる時に、いつもエーコのこの世界にタイムスリップしてしまうほどトラウマになりました。
エーコの厄介な文章に中毒性を持ってしまった方、エンタメ性よりもよりエーコのエッセンスを感じたい方は「完全言語の探求」も読まれることをおすすめします。
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No.55:
(4pt)

書物の書物、徴の徴

記号論の勉強を始めようという矢先に読んだ。正直なところ私は彼の論述スタイルを存分に楽しめる性分ではない。彼の文章は以前に一度だけ触れたことがあるがその時も同様に感じた。それはつまり、固有名詞の列挙を楽しめないことだ。本当にそれを味わおうとすれば一語一語検索していかねばならない。その観点から見て、翻訳にも若干の不満が残る。例えばいくつかの漢字に対して、3回目の登場の個所ではふりがなをふっているのに、最初の登場箇所にはふりがなをふっていなかったりする。もちろんこれは、それらの事物をよく知っている教養豊な人々なら存分に楽しめるということを意味する。
まだ一読した限りであり、一体なにを受け取ったのか、判然としない段階で言うとすれば、私が最も興味を持った側面はおそらく異端審問だ。現代にも異端審問は広く行われていると言ってもいいだろう。いや、むしろ異端審問が行えなくなってしまった時代だともいう方が正確かもしれない。もはや赤狩りは存在しない。次なる異端を探し求める欲望が渦巻いているように思えてならない。そこで笑いはある閾を通り越し、ほとんど嘲笑と暴力の道具と化す。本当に歴史は単に繰り返されるのか。
こうして私にさらなる書物を求めさせるという点において、この書物は成功していると言えるだろう。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.54:
(5pt)

久しぶりに映画を観て、こちらも再読。

改めて、あの映画はこの結構な長編を素晴らしい映像に描き出したと感服。そしてこの名作。何度も何度も、深く多彩に、広く幾重にも思考が伸びていく。ハリー・ポッターならなんとか…の私の英語力では、こちらは今はない言葉遣いや習慣、宗教の専門用語が多く、原作読破は厳しかったので、真摯な翻訳には感謝。
この時代は…と思いかけて気付く。
いや、問題の本質は、現在もたいして変わりはしないことに…。
薔薇の名前〈上〉Amazon書評・レビュー:薔薇の名前〈上〉より
4488013511
No.53:
(4pt)

キリスト教の教義問答を推理小説の枠組みに当てはめたアンチ・ミステリーの力作

中世のイタリアの修道院で謎の連続殺人が起こり・・・といいうお話。

この小説に関しては原著刊行や日本に翻訳されてから色々散々言われてきてそのどれもが適切な論評だと思うので個人的な感想を書かせて頂く事にしたいと思います。

まず、推理小説としてはその枠組みを利用してはいますが、厳密に言えば推理小説とは言えない、というかアンチ・ミステリーに分類されるべき作品ではないかと思いました。日本で言えば中井英夫の「虚無への供物」に当たる様な作品だと思いました。勿論、推理小説としても良く出来ていて殺人の動機や謎の手がかりである「アフリカの果て」を巡る暗号の解読、迷宮の文書館等はスリリングで知的興奮を煽りますが、一般の推理小説とは位相の異な推理小説風哲学小説に思えました。

次に作品の骨子になる「キリストの清貧」に関する論考は興味深くはありますが、個人的に私が信仰心が無く、キリスト教もあまりよく知らないので些か読むのに苦労したことを告白しておきます。著者がこの小説で一番言いたかった部分であろう事はよく判りますし、その熱気には強く心を揺さぶる所ではありますが、私や私を育んだ日本がキリスト教と距離を置いている事を鑑みればこういう感想になったのもしょうがないという事で・・・すいません。

更に、著者は記号論の学者だそうですが、あまり小難しくならずに平易に読める所は素晴らしいと思いました。その作品世界の構築度は凄まじく、実際にこの時代に生きた人が書いたのではないかと錯覚しそうな完成度でした。あと、あまり言われませんが、舞台の僧院が巨大な館だと思えば、所謂「館ミステリー」に分類出来るかもとか思いました。

最後に私事ですが、一番最初に日本で翻訳された時は嬉しくて版元に電話して発売日を聞いて買いに行ったのが懐かしいです(確か上巻と下巻で発売日が異なった様に記憶しております)。その後にこの版元で一番金蔓なのか、私の知る限り未だに文庫にしてもらえないのがむかつきますが、それ以外は今読んでも十分読み応えのある作品でした。☆五つにしなかったのは上記の理由を色々鑑みた結果であまり気にしないでください。

キリスト教の教義問答を推理小説の形に当てはめて読ませる力作。機会があったら是非。
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4488013511

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