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イエスの涙
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イエスの涙の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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イエスが十字架で人類のため罪のあがないをしたのは事実。弟子が祈らなかったからどうのこうの言うのは変です。神様は始めから、イエスを拒まれるのはご存知だったはず。全知全能ですから。十字架の否定は神の否定につながるきがします。素人考えですが。 | ||||
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特段のキリスト教の知識がなくても無理なく読み進められます。 必要な知識は作品中、紹介されていますから。 逆に一定以上の関心がある人にはつまらない作品ではないかと 思いました。 論争のシーンが最悪です。 人々が建前をいっているのか本音をいってるのかわからない。 切迫した心の揺れ動きが表現されない。 肝心のイエスの涙についても、 そのいみを最終結論としてしめしているのにすぎず 文学的には示されない。 わかりきった登場人物の動きは冗長に書かれるが 本当に人なら感じるであろう瑞々しさを持った 人の感情は皆無である。 つまり、文学的にも神学的にもつまらない。 大それたことと言うわりには、社会的な影響も描かれない。 かわりに、恋愛エピソードとミステリーが入るが、 これ余分なのではないか? 神学者である作者はだれにこれを示したいと おもったのか。アイデアに抜けがありすぎて 自然には受け入れられない。 焦点をいくつかに絞ってでもいいから、もう少し描いてほしかった。 登場人物の浅い穴だらけの推論だけですまされるのでは、 つまらなさすぎる。説得力にも欠ける。 神学者である作者はどのようにして、この考えをもったのか? 葛藤はなかったのか? 小説を書く実力がないのなら、 赤裸々にその過程を話してもらった方がよい。 こんな中途半端な作品では、作者がこの考えに賛成なのか、 それともお遊びでかいてみた、というだけなのか、わからない。 | ||||
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「神にとってイエス様の十字架は失敗だった」とする考え方、 若しくは「神はイエスをユダヤ人の王とするつもりで遣わした」 とする考え方は、結局のところ、イエス様がキリスト(すなわち 人間の心と魂との救世主)であることを否定していることになり ますね。 ということは、この書で展開されている考え方は、結局のところ、 イエス・キリストを信仰するものではない、ということになり ますね。 この書の著者の方が本当のイエス・キリストを信仰することがで きるように、私達はイエス様をキリストとしてこの地上にお遣わし になった神にお祈りしています。 | ||||
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本書を「ダヴィンチコード」のような小説だと思って読む人は、その内容にがっかりするのではないでしょうか。日本とアメリカでプロテスタントとカトリックの神学を学んだ著者が、自身の神学上の見解を小説という形で発表したものと感じます。小説の中にユングの説が登場しますが、本書の内容はユングのキリスト教理解に近いと感じました。十字架上で死んだイエス・キリストの最後の言葉とされる「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」は、詩篇22篇1節、後に神への賛美が続く出だしである。イエスは神をたたえる言葉を述べようとして、途中で息絶えたものと考えられる。とキリスト教では解釈されていますが、本来の訳である「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味そのままに、人間イエスの言葉としてユングは解釈しています。また、キリスト教では偽書とされる「ユダの福音書」や「マグダラのマリアによる福音書」の内容に近い考え方をしており、現在正統とされているキリスト教会の教えから判断すれば、異端的な内容と映るのではないでしょうか。ただ、本書にも書かれているように日本におけるキリスト教信者は日本の人口の数%にすぎず、キリスト教に興味を持たないほとんどの日本人にとっては、興味を持てない小説と感じることでしょう。その一方で、本文に書かれた次の言葉は、まさに著者が本書を通じてキリスト教信者に訴えたい言葉だと思います。宗教が和解し協力し合わずして、具体的な世界平和の実現はあり得ないのです。十字架による救いを唱えるキリスト教は、他宗教との関わりにおいてしばしば大きな障害となってきました。イエスの十字架の死は神の願いではなかったという「心情の啓示」は、他宗教との和解の道を切り開く鍵となることでしょう。 | ||||
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