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ミザリー



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ミザリーの評価: 9.00/10点 レビュー 2件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点9.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:5人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

ファン、怖い…

私も映画化作品を観たこともあり、またガーディアン紙が読むべき1000冊の1作に選ばれた、数あるキング作品の中でも1,2を争うほど有名な作品。
映画も怖かったが、やはり小説はもっと怖かった。

説明不要のサイコパスによる監禁物であるが、驚かされるのが作品のほとんどが監禁状態で語られることだ。しかも物語の舞台は95%以上が狂信的なファン、アニー・ウィルクスの家で繰り広げられている。

限られたスペースで物語が繰り広げられるキング作品は先に書かれた『クージョ』が想起されるが、あの作品もメインの舞台となる車の中での監禁状態に至るまでの話があった。
しかし本書は始まって5ページ目には既にアニー・ウィルクスの部屋にいるのである。文庫本にして500ページもの分量をたった1つの部屋で繰り広げるキングの筆力にまず驚かされる。

とにかく主人公ポール・シェルダンを監禁し、自分だけの新作を書かせる熱狂的なファン、アニー・ウィルクスが怖い。

元看護婦でもある彼女は夫と離婚して1人ひっそりと町の外れの一軒家に住む女性。彼女はポール・シェルダンの小説の熱狂的なファンだが、彼が書いているミザリー・チャステインという女性を主人公にしたシリーズ物だけを愛読している。彼女がかなりの躁鬱症であることが次第に解ってくるが、それだけでなく非常に残酷で厄介なサイコパスであることが物語が進むにつれて明らかになってくる。

彼女は雪嵐に見舞われて、交通事故に遭って瀕死の状態だったポール・シェルダンを助ける。彼は事故によって両足に重傷を負い、歩くのもままならない。彼女は元看護婦であり、治療となぜか大量に薬を所有しているため、献身的に看病する。
九死に一生を得たポールは感謝しつつもしかし主人公はなぜこの女性が一向に病院に連絡しないかを訝しむ。いや、意識を取り戻し、彼女と最初に話した時点でこの女性がまともではないことを悟る。

そこからはポールの災難、いや災厄の日々の始まりだ。

このアニー、とにかく自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起す女性だ。
そして彼女は狂人でありながら理性も備えており、ある一定の自分なりのルールに従って生きていることも解ってくる。

例えば彼女は無断でポールの鞄の中を物色し、そこに彼が2年がかりで仕上げたばかりの渾身の新作『高速自動車』の原稿を勝手に読むが、その中にある財布の中の金は取らない。

また一ファンとしてミザリーの続編についてアイデアを出すが、それを強要したりしないし、また早く続きが読みたくなっても、鞭打って書かせるわけでなく、作者ポールが作品を書きやすいように色々と世話を焼いたりする。

しかし上に書いたように彼女はサイコパス。それも長続きはせず、突然虚ろになったかと思うと、憮然としてポールを見捨てたり、またポールが笑うと自分が嘲笑われているように勘違いし、ポールに嫌がらせ、もしくは体罰を施すのだ。その拷問とも云える仕打ちがまたすさまじい。

もう痛々しいどころの騒ぎではない。これほどまでに人に執着し、自分の思い通りにならないことに癇癪を立てる人がいただろうか。
いや、いるのだ、実際この世には。

愛。
それは何ものにも代え難い感情で困難に打ち克つ力として愛をテーマに人は物語を書き、詩を書いて歌にする。人が誰かと一緒になるのも愛あればこそだ。

しかしこの強い感情が実は最も人間の怖さを発揮することになることを本書は知らしめる。

アニー・ウィルクスはポール・シェルダンの書くミザリーシリーズという小説が大好きで大好きで次作が出るのを待ち遠しくしていたのに作者がこの主人公を殺してしまったから、それが許せなかった。
自分の好きな作品を返してほしい。そして彼女にはそれが出来た。なぜならその作者が満身創痍の状態で自分の家にいたからだ。

彼女は献身的に重傷の作者を介護し、自分に逆らうとどういう目に遭うかを知らしめるために彼を支配した。

それもこれも自分の大好きなミザリーシリーズの、自分のためだけに作者が書いてくれる続きを読みたかったからだ。

ファンというものは有難いものだが、一方で恐怖の存在にもなりうる。
そしてこれはただの作り話ではない。キングが遭遇したある狂信的なファンの姿なのだ。

そして面白いのはこの事実に基づいて書かれた作品でありながら、本書でも他の作品とのリンクが見られることだ。
まず主人公ポール・シェルダンの母親が彼が12歳の頃に一緒にボストンに行く隣人ミセス・カスプブラクは『IT』に出てくる喘息持ちの少年エディのあの過干渉の母親のことだろう。

またアニーが殺害したアンドルー・ポムロイが絵に描こうとしたホテルは『シャイニング』の舞台になったオーヴァールックで『シャイニング』の事件のことが触れられる。

つまりキングは自らの実体験に基づいた話もまた彼の作り上げたキング・ワールドに取り込むのである。それは恐らく自らの経験を現実から切り離す必要があったからかもしれない。

これがもしキング自身が抱いたトラウマだったら、彼は本書を著すことでトラウマを克服し、解消しようとしたのではないか。
つまり彼は自分の紡ぐキング・ワールドに狂信的なファンの幻影を封じ込めようとしたのではないか。

そう、忘れてはならないのは本書がサイコパスによる監禁ホラー物だけの作品ではなく、小説家という職業の業や性を如実に描いた作品でもあることだ。

上述したように本書は95%がアニー・ウィルクスの家で繰り広げられるが、この長丁場を限られた空間で読ませるのは狂えるアニーのエスカレートするポールへの仕打ちとそれに対抗するポールの生への執着だけではなく、ポール・シェルダンという作家を通じて小説家の異様なまでの創作意欲、ならびに創作秘話が語られることも忘れてはならない。

とてつもなく非人道的な仕打ちをうけながら、なおもミザリーの新作を完成させようとする彼は作者キングの生き写しだ。

最初はどうにか助かりたいと思って苦痛を抑えるために屈辱的なことも敢えて行った彼が次第に回復するにつれ、自分の命を繋ぎ留めるミザリーの新作に次第にのめり込んでいく。今までファンのためだけに書き、自身では早く終わらせたくて仕方がなかったミザリーがアニーという狂信者によって続編を書くことを強要され、文字通りその身を削って命懸けで案を練るうちに彼の中に今までになく充実したミザリーの物語が展開するのだ。それはさながら極限状態から生まれたアイデアこそが傑作になりうるといった趣さえある。

一度始めた物語は最後まで書きあげたい、自分の頭にある物語を形あるものとして残したい。
満身創痍の中、必死に『ミザリーの生還』に取り組むポールはキングそのもの。

そしてそこここに挿入されるポールが小説を書くことに纏わるエピソードもまたキング自身のそれだろう。

ある駐車場でそこの係員が鉄梃で車のドアを開けようとしたのを見て2,3ブロック歩くと頭の中に1人のキャラクターが生まれていた、物を書くときには目の前にある向こう側の世界の穴に入り込む、昼寝をしているといきなり爆弾めいた閃きが起こり、メモを書き留める手ももどかしくなるほどアイデアが泉のように沸く、本当は他人のために小説を書くわけではない、全ては自分が書きたいから書くのだ、そんな自己本位な態度が空恐ろしいから本の初めに献辞をつけるのだ、等々。

本書を著した1987年頃、キングはアルコール依存に加え、薬物依存症に陥っていたと云われている。アニーがくれる痛み止めを欲するポール、そして最後に涙を流しながらインスピレーションに従い、タイプを打つポールの姿はキングそのものといっていいだろう。
話を続けること、それしか小説家は前に進めないのだ、と自身に云い聞かせているように思える。

そしてアニーが獲得した状況はまたファンにとって理想的な物だろう。

自分だけにポール・シェルダンという作家が自分の好きなミザリー物の新作を書いていること、新しいページが出来るたびにそれを読む恩恵にあずかっていること、そして早く続きが読みたいこと、時に自分からアイデアを出し、それが採用される喜びなどからポールを繋ぎ留める。
それは一種彼女にとっての愛情であり、恐らく同様のことを思うファンもいることだろう。

支配欲の強い彼女は相手が自分に逆らうことを忌み嫌う。
自分がこれほどしてやっているのに何が不満なのか?
なぜこうまでしているのに自分の許から離れようとするのか?
彼女はいつも自分の行為に対して相手に代償を求めているのだ。それも自分がした以上の代償を。
だから自分の意に反することを相手がやられると裏切られた気持ちになり、それによって生じる憎悪が生じる。
しかしこれはごく普通の人間が抱く感情でもある。ただ彼女の場合はそれが強すぎ、そして普通の人が超えられない一線を超えることが出来るだけなのだ。

作中で頻りに語られるようにポール・シェルダンとアニー・ウィルクスの関係は自分の命を繋ぎ留めるために王へ千夜一夜話を続けたシェヘラザードのそれと同じなのだ。つまりこれはキング版アラビアン・ナイトなのだ。

そのアラビアン・ナイトに相当するのが作中でポールが書くミザリーの新作『ミザリーの生還』。本書ではこの新作もまた断片的に作中作として挿入される。

本書のタイトル『ミザリー』はこのポール・シェリダンが続編を強要されるシリーズ作品の主人公の名前ミザリー・チャステインから採られているように思えるが、やはりポール・シェルダンが出逢ったこの途轍もない悲惨な状況を示していると云える。
この決していい意味では使われない単語を名前に冠する主人公の物語は本書では再生の物語として書かれる。それは今まで書けなかった傑作となるミザリーの新作。悲惨な状況が傑作を生む皮肉を表している。
そして当時薬物依存という最悪の状況に陥っていたキング自身の心理状態をも表しているようだ。

またアニーのような人物を生まれるのは物語に対して人が感情移入をするからだ。物語の主人公、つまり虚構の存在であるのに、それが次第にそれぞれの読者の心に住まい、恰も現実の世界の住民となっていくことが作中ポールの独白で語られる。

シャーロック・ホームズを葬り去った時にファンたちのみならず実の母親からも猛抗議に遭い、結果、ホームズを蘇らせ、その後数十年間シリーズを続けたコナン・ドイルの話から自分の好きなシリーズキャラクターが死んで喪に服したファンの話―そういえば日本でも力石徹が死んで葬式を行ったファンがいた―、作品の中で強烈に印象付けられたシーンのせいで眠れなくなる、云々。

単に一人の人間が想像した人物・世界がもはやその作者のみものではなく、共有されることで作者の手を離れた1つの人格、世界として認識されてしまい、そしてそれぞれの心の中にそれぞれの世界が築かれるのだ。それが物語のマジックである。
つまりこのマジックにアニーは取り込まれてしまったのだ。そしてそれをマジックの生みの親である作者が逆にファンによって虐げられる皮肉が描かれているのだ。

狂信的なファンによる監禁ホラーというシンプルな構造の本書は上に書いたようにファン心理の怖さ、そして自己愛が強すぎる者の異常さと執念深さのみならず、小説家という人間の業、更に物語が人から人へと広がっていくマジックなど、非常に多面的な内容を孕んでいたが、それだけでは終わらない。

実はここに書かれていることが現実となるのである。

交通事故に遭い、満身創痍になったポール・シェルダンは本書を著した12年後のキング自身の姿である。彼自身も車に撥ねられ、重傷を負い、そして片脚に障害を負う。

この作品が他のキング作品と異なる怖さを秘めているのは、そんな現実とのリンクが―しかも未来を暗示していた!―あるからこそなのかもしれない。

キングは本書をフィクションとしてキング・ワールドに封じ込めたのではなく、実はキング・ワールドが現実にまで侵食してしまったのだ。

一人の作家が描いた世界がとうとう現実世界へ波及した稀有な作品として本書は今後私の中で忘れらない作品となるだろう。


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