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監禁



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【この小説が収録されている参考書籍】
監禁 (Hayakawa Novels)
監禁 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

監禁の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

味気ない邦題は何とかならないものか

前作『眠れぬイヴのために』は追う者と追われる者の物語だったが本書もまたその構成は同じである。『眠れぬ~』では逃亡した精神分裂症患者をそれぞれの事情を抱えて複数の人物が追い求めるという構成だったが、本書も娘を監禁した誘拐犯がその離婚した両親、娘の元彼氏、娘の父親と親しい刑事に追われる物語になっている。
つまりこの2作は実に似通った作品だといえよう。

精神異常者が主要な登場人物として扱われていることもまた同じだ。『眠れぬイヴ~』では追跡者であるマイケル・ルーベックは精神分裂症患者だったが、本書では被誘拐者のミーガンが情緒不安定でセラピーを受ける人物になっている。
そして誘拐者で敵役のアーロン・マシューズもまた小さい頃に父親から虐待を受けており、神父でありながらも殺人を厭わない残忍さを兼ね備えている。

このアーロン・マシューズという敵役は実に凶悪で底知れぬ恐ろしさを兼ね備えた人物だ。十代の頃に父親を凌ぐ説教を行う神父の卵として数々の信者から篤い信仰を得、さらに独学で心理学の書物を読み漁って無免許のセラピストとして開業もしている。そのため無敵なまでの腕力を誇るわけではなく、相手の心理を読み取り、信頼感を抱かせる声音を使って、追跡者を出し抜き、あの世へ送るサイコキラーなのだ。どんな人間も心の弱いところを突かれると冷静さを失い、いつもの自分の実力の半分も出せなくなる。
アーロンは人が持っている心の弱い部分を探り、その隙を上手く突いて相手の一枚も二枚も上に行くのだ。通常の作品であれば残るべき登場人物が次々と一人、また一人と彼の手によって抹殺されていく。従来の連続殺人鬼のイメージを刷新するキャラクターだ。

そんな相手に対峙するのがかつて敏腕検事として鳴らしたミーガンの父テイト・コリア。彼はそのあまりに弁が立つため、その切れ味の鋭さからかつて陪審員を見事に誘導させて無罪の人間まで死刑にまで持っていった苦い過去を持つ。
つまり相手の心理を読み、説得し、納得させることに関しては一流の男なのだ。人間の情理を操る2人の男の対決が本書の読みどころだ。

しかしもっと掘り下げて考えてみると、無実の罪の男を死刑に追いやるほどの説得力を持つ検事もまた、乱暴な云い方をすればある意味殺人者と云えるだろう。
つまりテイト・コリアとアーロン・マシューズは表裏一体の存在なのだ。しかもお互いがお互いの正義に従ってそれを成しているところが共通している。
検事であったテイトは法の名の下、犯罪者を死刑にするため、弁舌を揮う。
牧師であったアーロンは神の名の下、信者が自ら死を選ぶよう、人の心を揺さぶる声音で導く。
それぞれが善を司る職業に従事しているだけにこれは怖い。

そしてこの類稀なる頭脳を持った人間同士の戦いという構図は後のリンカーン・ライムシリーズの萌芽を感じさせる。そういった意味では本書が後のディーヴァーマジックの源泉と云えるのかもしれない。

彼アーロンがなぜテイトの娘を誘拐し、生贄に捧げようとするのか?その理由は実はかなり前からエピソードとして読者の前に提示されている。
テイトが自らの弁舌で死刑に追いやった青年が実はアーロンの息子であったのだ。アーロンは息子の敵を取るため、神の言葉に従い、テイトの娘ミーガンを誘拐したのだった。
しかし彼は幼い頃から誰にも愛されなかった経験ゆえに、唯一の理解者で話し相手だった息子が恋人に取られてしまうのに焦燥感を持ち、彼の恋人を殺してしまう。その罪を数ある証拠から息子本人に被せてしまったという皮肉な過去があった。このことからも実に利己的な孤独な男としてアーロンが描かれているのが解る。

しかし本書は『眠れぬイヴのために』の冗長さを感じさせない物語巧者としてのストーリーテリングの上手さが光る。上にも書いたようにアーロンが次から次へ追っ手を葬り去る手際といい、セラピストとしてミーガンの両親であるベットとテイトに直接対峙する綱渡りさえも見せる演出といい、サスペンスの盛り上げ方の腕が上がったように感じた。

しかし不幸なことに本書はディーヴァーの名を日本の読者に知らしめた『静寂の叫び』の後に刊行されたため、さほど話題にならなかった。逆に云うと『静寂の叫び』を未読の私にとってどれほどの出来栄えなのかが実に愉しみではある。

さて本書の原題は“Speaking In Tongue”という。解説の児玉清氏によればこれは「神の言葉を話す」という意味のイディオムらしい。
実に物語の性質と言葉を駆使するアーロンとテイトという2人の人物を捉えている題名だ。しかしこれを上手い邦題に訳すのは難しいだろう。
確かに邦題が示すように「監禁」が主題なのだが、これではあまりに素っ気無さ過ぎる。もっといい題名を考えてほしかった。

しかし追う者と追われる者というプロットといい、悪役の設定、精神を病んだ人物が出てくるあたりといい、実にクーンツの匂いを感じてしまう。前にも述べたがこの売れない時期、ディーヴァーはベストセラー作家であるクーンツにあやかろうと彼の作品をつぶさに分析し、自家薬籠中の物としようとしていたのではないだろうか。

しかし既存作家の翳を感じるようではまだオリジナリティがあるとはいえない。ディーヴァーが現在ミステリシーンを代表する作家となったその瞬間に早く立ち会いたいと思う。
それはもうそんなに遠くは無いはずだ。

Tetchy
WHOKS60S

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