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鏡の国の戦争



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鏡の国の戦争の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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(7pt)

三者三様のスパイの重圧と孤独

前作『寒い国から帰ってきたスパイ』は世界的ベストセラーとなり、それがきっかけでル・カレは専業作家となった。その第1作が本書である。

さて前作は何がそれまでのスパイ小説と異なっていたかといえば、それまでイアン・フレミングが創造したジェームズ・ボンドのような超人的な能力を持つ万能型スーパーヒーローとして描かれていたスパイを一介の組織に雇われた人間として描き、その隠密任務ゆえに常に孤独と忍耐を強いられる辛い境遇の人間であること、そして個人よりも組織、いや国家の利益を優先するがゆえに決して彼らの命は保障されないこと、いや寧ろその存在自体もないものとして使い捨てのコマのように扱われている事。さらには一般人には到底理解できない原理原則論に基づいて生殺与奪がなされることをまざまざと思い知らされたことがあげられる。

そして本書はさらにそれが色濃く描かれている。潜入工作員をスカウトし、そして育てる一部始終が色濃く綴られる。但し、前作と異なるのが諜報部(サーカス)と呼ばれる英国情報部ではなく、ルクラーク・カンパニーというルクラークという人物が率いる陸軍部内の諜報機関である。このルクラークはちなみにジョージ・スマイリーとは知己の間柄である。

さて本書では3人の潜行員の様子が語られる。

最初の潜行員ウィルフ・テイラーは今回の物語の発端となる、東ドイツの一角にあるとの情報が入ったソヴィエト軍のミサイル基地を上空から収めた写真のフィルムを、英国情報部の息の掛かったフィンランドの航空会社のパイロットから受け取って帰国するだけの任務だった。彼は空港でフィルムを受け取るが、ホテルへの帰路に車に撥ねられて亡くなってしまう。

2番目の潜行員ジョン・エイヴリーはその亡くなったテイラーの身柄と彼が受け取ったフィルムの受け取りに彼の弟という身分でフィンランドに入国する。しかし彼はマグビーと名乗っていたテイラーが本名を記した運転免許証や服を持っていたことで疑いを掛けられ、魂の冷える思いをする。一応命じられた任務のうち、テイラーの遺体の英国への移送は果たすが、フィルムについては受け取ることが叶わず帰国の途に就く。

まだ32歳と若い彼は自国に利益と平和をもたらす諜報機関という仕事に誇りと意欲を持っていたが、この初めての潜行任務で拘束されるかもしれない恐怖と周囲のフィンランド国民全員が自分をスパイであると見破っているかのような疑心暗鬼を陥り、自分の仕事に自信が持てなくなる。

そして最後の潜行員ライザー。彼はかつて20年前に陸軍に所属していたの青年兵士でポーランド人である。
ルクラーク・カンパニーの一員であるアドリアン・ホールデンが過去のファイルから見つけた強い意志を感じさせる目を持った風貌の写真から彼はライザーを今回の潜行員に選ぶ。

面白いのはこの三人の任務での待遇が異なることだ。

例えばテイラーは古参の部員であり、今回初めて潜行員に選ばれた男だが、彼にとって海外での任務とはそれまではマドリッドでどんちゃん騒ぎをし、トルコにも再三行った、いわば“美味しい出張”を体験してきた身だ。しかし単にパイロットからフィルムを受け取って帰国する任務で彼は車に轢かれて亡くなってしまう。

エイヴリーは部のボスであるルクラークを信奉し、彼の地位を押し上げるのに貢献したい、そのためには初の潜行任務を成功させなければならないと決意する、極めて真面目な部員である。
しかし彼は国の機密任務を話せない妻の不満を買い、そして初めての潜行任務で危うい橋を渡ったことで自分にこの仕事が合っているのかと疑問を覚えるようになる。特にフィンランドで孤独な夜を過ごしたことで自分には似合わない、荷が重すぎると感じる。

そして最後のライザーは退役した後、修理工場で働いていたが、かつての上司であったホールデンの訪問を受け、潜行員の任務を受けることにする。しかし元々兵士だった彼は今回要求される基地の情報を送るモールス信号に不慣れで、無線技術の専門家ジャック・ジョンソンの指導を受けながら訓練するが、何度も根を上げ、悪態をつく。

この3人を通じて諜報活動が私生活に及ぼす影響についてもル・カレは描く。

潜行先で亡くなったテイラーの妻と娘は政府からの援助も受けられるか解らない状況で明日を生きていかなければならなくなる。

エイヴリーは自分の仕事のことを妻に打ち明けることが出来ず、妻はそれが何も知らないまま、一人息子の子育て夫が帰ってこない家を守る日々に疲弊して離婚を切り出す。

そして独身のライザーは訓練の最中にロンドンで自由時間をもらうが女を買うことはできず、孤独な夜を過ごすだけだ。唯一彼は訓練に連れ添うエイヴリーに心を開いていく。そして彼は最後の最後で拠り所を見つける。

さらにスパイの心得や取るべき行動なども微に入り細を穿って記述する。

例えば初めて潜入任務を行うエイヴリーに対し、スマイリーはフィルムのサイズから質問し、泊まるホテルについて自分の一押しを勧め、ホテル内のレイアウトや贈る花束の花の本数や花の値段、時計をホテルの時刻に合わせること、タクシー代は渋らず、正規料金を払うこと、フィルムを受け取ったらポケットに入れて、カバンに入れてはならないこと、特にスーツケースは周囲の目を引くので危険云々。

このように細かい指令も含めてまさに一挙手一投足、指示通りに行うことを強いられるが、その3人の潜行員の任務を通じて知らされるのはどれほど綿密に計画を立てても、全くそのようにはスパイ活動は進行しないということだ。
常に変化し、また想定外の事態が起きる。それは事前の調査不足であったり、万に一つの最悪の事態に遭遇したり、もしくは協力者の感情の揺れによって余計な言動がなされ、そこから周囲の注目を浴びたりもする。

しかし何よりも潜行員自身が被る多大なプレッシャーによる焦りと緊張が生むミスによるところが大きい。

そして本書でもジョージ・スマイリーが登場する。物語の通奏低音のように彼は腕利きの諜報員としてその名を轟かせる。

彼こそは諜報に不慣れなルクラークたちに本当の諜報活動というものを教えるために来た、英国諜報部の原理原則そのものなのだ。

しかしよくよく考えると物語の発端は東ドイツにソヴィエトのミサイル基地が建設されているという情報を得て、それを探るためのスパイを潜入させよという内容。つまり本書ではアメリカが体験したキューバ危機をイギリスに準えたもので、本来ならばその事実が判明し、そこから国防のためにミサイル基地の殲滅を計画し、遂行するという流れになるのだが、本書はそこまで物語は続かない。
あくまで基調としては前作の流れを汲む、一介のスパイの悲劇を描いた物語なのだ。
つまり本当の諜報活動を熟知しているル・カレにとって基地の殲滅という行為は国際問題に発展する、いわば戦争であり、そんな戯画的なアクションは現実的ではないとして描かないのだろう。描くとすればあくまで国際間の政治家たちの駆け引きを描いて道筋をつける方向に進むことになるだろう。

しかし物語がシンプルなのに対して、細部に力を入れ過ぎたためにバランスの悪い作品になったことは否めない。特にメインの潜行員フレッド・ライザーの章は約250ページと420ページ強の本書でも大半を費やされているが、彼が実際に東ドイツに潜行するのは160ページ以上費やしてからだ。
つまりそれまではほとんど訓練シーンにページが割かれているのだ。

それはひょんなことから潜行員に選ばれた男の訓練の苦しみと任務の想像を絶する緊張感と国益優先のためにはリスクを排除するために命を切り捨てることさえ厭わない諜報の世界の非情さを対比させるには充分であったが、動きが少なく、地味すぎた。

しかし『寒い国から帰ってきたスパイ』と本書に共通するのは孤独なスパイの心の拠り所は女性ということか。

スパイがスーパーヒーローでもなく我々と同じ普通の人間、誰かの愛を欲する人間と変わらぬことを本書は前作でのメッセージを更に推し進めたように感じた。

▼以下、ネタバレ感想

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