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Tetchy さんのレビュー一覧
Tetchyさんのページへレビュー数889件
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美術館学芸員であるクリス・ノーグレンシリーズがあるのに何故新たにベン・リディアという主人公を要して絵画のミステリを執筆するのか?まずこれが本書を手に取った際に念頭に浮かんだ疑問文だった。
だが読了後、本格ミステリでなくサスペンスという形式をとるために新たにシリーズを打ち立てたかったという回答に行き当たった。 エルキンズの作品はしかし安心して読める。エンタテインメントに対して忠実な下僕であるからだ。 しかしクリス・ノーグレン同様、本主人公の顔が今は見えない。エルキンズ作品に似つかわしくない邦題と共に消えてしまわないか心配だ。 |
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これは珍しい!島田荘司のショートショートなんて初めて読んだ。従来書いているミステリとは違い、論理的帰結のない、SF小説というか幻想文学めいた内容であるのは興味深い。つまりいわゆる幻想的・魅惑的な謎の下地がここにある。
その他の短編も島田荘司ならではの着想がやっぱり面白い。ページを繰る手がもどかしいとはこのことで、その疾走感はたまらない。 名作名高い「糸ノコとジグザグ」もメタ御手洗物でなかなか良かった。 |
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キャラクターに魅力があるとそれだけで作者の勝ちは決まったものである。私の場合はそれに文体が加わってくるのだがこのギデオン・オリヴァーシリーズ、いやアーロン・エルキンズ一連の作品群の醸し出す独特のユーモアとウィットに溢れた作品は本当に毎回心地よく愉しませてくれる。
またミステリを読む楽しみの1つに自分の知識を増やしてくれる事というのがあるが、この骨の専門家のお話にはその辺が横溢しており、かつ全体のユーモアのスパイスとして十分に活かされているのが良い。 眠気のせいで物語に没入できなかったこともあったが、今回も十分満足できた。 |
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前半、軽妙なリズムで話が流れて、主人公ネド・ボーモンの曲者振りがいかんなく発揮され、かなりの手ごたえを感じた。特にネドが敵役のシャドの手下達にリンチを受けるシーンは徹底した第三者視点の描写ながら、その執拗な攻撃に身震いを起こしてしまった。
だが後半になると、人物間のドロドロした話となり、いささか辟易してしまった。 |
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良くも悪くもサーヴィス精神旺盛である。畳み掛けるようにこれでもか、これでもかとばかりに山場を積み重ねていく。
主人公に他の皆とは違う特異性を持たせるのがクーンツの特色だが、『殺人プログラミング』同様、その根拠というか蓋然性はいまいち説得力に欠ける。そこが瑕と云えば瑕だが、これだけエンタテインメントしてれば良しとしよう。 |
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G・K・チェスタトンの『ブラウン神父』シリーズと並び称されるほど、世評の高い本書は、私の期待値が高過ぎたためか抱いた感慨は世間のそれとは隔たりを生じてしまった。
1つ1つの短編については、今になってみれば過去の名作へのオマージュのように受け取れなくも無い。特に最後の「黒い霧」はブラウン神父の「青い十字架」の裏返しといった作品である。ただ真相解明に至った時のパンチ力が無い。理路整然とし過ぎているのだ。 しかし、私の本シリーズへの関心はもっと別の所にある。各編に登場する「三角顔の老婦人」、この人は果たして何者なのかという事である。 |
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エラリー・クイーンやエルキュール・ポアロ、さらにHM卿が活躍していた時代にサム・スペードのようなリアルな探偵が出てきたことは正に衝撃だったろう。事件を解決して自らの何かを失う探偵なぞ当時の本格派の探偵にいただろうか?
社会の裏側で生きる者たちに対抗するには探偵それ自身がその手を、その身を汚さなければならない。己が生きるためにはかつて愛を交わした女でさえも売らなければならない、こんな探偵は存在しなかったはずである。 生きることのつらさと厳しさ、そして卑しさをまざまざと見せ付けた本書は、自身が探偵であったハメットでなければ描き得なかった圧倒的なまでのリアリティがある。 故に本書の軸となる黄金の鷹像の存在が妙に浮いた感じを受けるのである。 マルタの鷹は何かの象徴か?マルタの鷹は存在したのか?私にはマルタの鷹が誰もが抱く富の憧れが生み出した歪んだ幻想だと思えてならない。 |
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正直云えば、歴史に残る名作とされている『黄色い部屋の謎』よりも数倍面白かった。短編であるが故、贅肉が削ぎ落とされ、主題が明確だったからだ(尤も、登場人物達の芝居がかった台詞回しは相変わらずだが…)。
各短編共、それぞれ持ち味があり、個性豊かなのだが、好みで選ぶとすれば「金の斧」と「蝋人形館」の2編。前者は結末が結構意外で現代ならば絶対に書けないオチだから。後者は、身震いするような蝋人形の描写と、皮肉なラストを賞して。 |
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今までミステリとは、事件が起こり、その事件に関する犯人、動機、手法といった様々な謎を主人公とともに探り当てる、その過程を愉しむものだと思っていたが、本書を読んでいる最中はそういう風には思わなかった。
ミステリとはある事件をきっかけに、それに纏わる人々を活写し、またそれによって起こる登場人物達の様々なドラマを読み解く物なのだな、そういう風に感じた。 前者は「推理」小説であり、後者は推理「小説」となるのだろう。しかし本作はその双方の魅力を兼ね備えていた事を、結末で思い知らされた。 デイジイという人物の位置付けは結末に至る前には判ってしまったが、それでも尚、本作は面白い。 原題「ガンナーの娘にキスをする」その警句が「ガンナー」=「拳銃使い」=「サム・ホガース」という暗示めいた等式に歪められ、皮肉な響きを胸に残した。 |
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今回起こる事件が単に吉敷刑事と加納通子とを再開させるきっかけに過ぎない事からも判るように、あくまで主題は吉敷と通子の2人の関係の修復である。いや、正確には吉敷は通子の忌まわしい過去を取り払う憑物落しの役割を果たしている。
最近特に見かけない純愛を扱っているだけに通子の結婚恐怖症の重要なファクターとなっている麻衣子の自殺に関する解明が、どうも飛躍した発想に思えてならない。非常に勿体無いと感じた。 島田の提唱する魅力的な謎の提示とその論理的解明が仇になってしまった。そんな印象を覚えた。 |
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マンディ・プライスという従来の作者の作品にはいなかった現代的な娘を要所要所に活用する事で、何か軽快なテンポのいいストーリー展開が生まれ、非常に愉しく読み進めることが出来た。
とは云え、改行の少ない文字のぎっしり詰まった文章は相変わらずだし、最後の最後に来て救済のない結末を持ってくる所などは、ああ、やはりP.D.ジェイムズか、と嘆息してしまった。 しかし、ある種吹っ切れた感があるのは確か。『策謀と欲望』、『死の味』に比べると遥かに読みやすく、しかも解りやすい。当時の自らの読書力の無さが最大の要因であろうが、原子力発電所の世界なぞ、およそP.D.ジェイムズに似つかわしくない世界を扱った点がまずかったように思える。 やはり今回のように出版業界のような勝手知ったる世界を舞台に扱う方が俄然物語に勢いがついてくる。本当に今回は面白かった。 |
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前作『推定無罪』で主人公サビッチの弁護人として快刀乱麻の活躍ぶりを見せたスターンが今回の主人公だが、前作とは打って変わって妻の自殺で始まる冒頭から肉欲に溺れていく凋落ぶり、はたまた長男ピーターに鼻で笑われるダメ親父ぶりをこれでもかこれでもかと見せつけ、結局スターンも“人”に過ぎないのだなと思わせる。
人間ドラマとして本書は最高の部類に入るだろう。それは人物描写の緻密性、物語としての結構を見ても間違いない。 しかし、私は今回求めたのは“切れ味”だった。前作『推定無罪』に九ツ星を付けさせる原動力となったスターンの、弁護士としてのそれ、物語としてのそれである。 ディクスンの、スターンに対する羨望は中盤で判った。だからその点では胸を打つものは無かった。ただ、解説の北上次郎の云うように、私が初老の域に達した時に本書を読み返せばまた全く違った感慨を抱き、採点も(良い方向に)変わるであろうことは想像に難くない。 |
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光文社による裏表紙の紹介文によると本書は「異色の旅行推理集」となっている。確かに“異色”である。収録された3編全てにおいて主人公は名前すらない男で、しかも「早見優」、「カトリーヌ・ドヌーブ」といった実在の人物が出てくるあたり、実話のような錯覚を憶える。
だが“推理集”というのは些か大袈裟だろう。確かに各編において謎はある。しかし本書は異国での恋を主体にした短編集であると私は認識した。恋愛にはある程度謎はつきものである。ここに収められている謎はその範疇を超えるものではないし、ミステリへと昇華しているものでもない。従って私は「異色の旅行恋愛集」と呼びたい。 翻って内容について述べると、ほとんど実体験に基づいたエッセイに近く、それに現地女性との交流を絡めた恋愛短編集といった感。3編全てに共通するのは『異邦の騎士』に脈絡するある種の喪失感。この作家、根っからのロマンティストらしい。 |
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短編集とは云えど、いまや絶版となった角川文庫の短編集から選りすぐりを選んで編まれた物で、全くさらの作品集でないところが残念。前半7編がノン・シリーズ物で後半4編がウェクスフォード物。率直に云えば、順番は逆の方が読後感は良かったように思うし、評価も星1つ上がっただろう。
ウェクスフォード物については措くとして、ノン・シリーズ物について云うと、長編におけるそれは、砂の一粒一粒までを描くような木目細やかな心理描写を幾度となく畳み掛ける“重量感”があり、時にはそのために辟易してしまう所があるが短編のそれはほぼ20ページ前後の長さに集約された“切れ味”が際立っており、心地良い。久々にレンデルを読むならば長編だろうが、レンデル漬けになるとこういった短編が息抜きとなってちょうどいい。 |
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ミステリとしての骨格はごく普通で謎はあるが、その一点のみで読者の興味を魅いていくものではない。寧ろ明らかにわざとらしい演出で犯人を露呈してしまっているだけだ。
この本の魅力は前作『古本屋探偵の事件簿』同様、古書に纏わる人達の各々の個性を軸にしたエピソードにあるのだ。 本に歴史を見出す者や純然たる収集欲を満足させる者、又はそういった人達を金蔓に単なる金の成る木として扱う者。 前作のインパクトよりは劣るものの、やはり捨て難い一品。 |
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大傑作『11枚のとらんぷ』でもそうだが、奇術をミステリに絡ませた泡坂作品は、やはり物語自体に躍動感があって、しかも形式美に溢れている。
今回7作品中、表題作が最も優れていた。そのあまりにもシンプルな題名から連想される内容は、正に連想通りの展開を見せるのだが、結末はG・K・チェスタトンばりの逆説で鮮やかに決めてみせる。 あとは「虚像実像」の犯人消失ネタも捨て難いが、これはある程度の水準の奇術の知識が必要なのが残念な所だった。 |
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