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(短編集)
私が語りはじめた彼は
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私が語りはじめた彼はの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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楽しく面白く、先を急いで読んだが、さて、何が楽しかったかと自問すると、…分からない 考えてみると、全部身も蓋もなく「相互理解は不可能」ってお話なんだよねー でも暗さを感じない。新品じゃなくて「中古廃品の山からお手頃なパーツを探しましょう」に、分別と分相応という弁えを感じ、そこに好感を抱いてしまったからだろうか? 単純に「どうしてか分からないけど、なんか、好き」 ちなみに、「大人になっても『パパ』『ママ』呼び」は自分も尻が座らない。身内に『ちゃん』付けも同様 冬と灼熱の一瞬なら、迷う事なく灼熱がいい 残酷描写はエロ本代わり、に同意 巻末の解説に膝を打った 言われてみれば、三浦氏には「悪戦苦闘して書いてる」イメージが、ない ひねくり回して何とか絞り出した、のイメージもない 「おっと、あらぬ方に行っちまったぜ。いかんいかん」位しか浮かばない 大変楽しく読みました | ||||
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レビューを読んだうえで、期待して購入。 読む側のコンディションにも寄るのかもしれませんが、何が言いたいのかよく分かりませんでした。 短編ごとに「私」が代わり、しばらく誰なのかよく分からない。全体として、どう考えたら良いのか分からない。もやもやと、欲求不満感が残りました。 ただ、3章目の「予言」は分かりやすかったし、面白く引き込まれて読みました。 沢山のレビューにあったように、文章は上手いし文学的で美しさを感じます。 でも、文学的な文章によく感じるのですが、作者の「上手い」比喩表現の羅列によってあの手この手で強調される文章に「意図」を感じてしまい、「自己陶酔」という言葉が頭に浮かび、内容に入り込めず、興醒めしてしまいました。 上手いけど、くどい所があって残念、という感じです。 20代に書かれた作品ということで、こうした意欲作を経たうえで、近年の話題作のような分かりやすさにたどり着いたのかと考えると、作者の才能と進化に好感が持てます。 今後に期待! | ||||
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短編連作。 “村川教授”を取り巻く様々な人たちを描きながら、 当の“村川教授”は出てこない。 弟子と妻、 浮気相手の夫、 息子、 義理の娘、 義理の娘の婚約者、 そして、元弟子。 6つの短編である。 ベースにあるのは、 研究熱心なだけで、 特に取柄もないような村川教授が、 なぜが女にもてる。 で、結局離婚して、 一番微妙な相手と再婚。 そのせいで、大学を追われ、 地方の大学へ行くことになる。 そんな“村川教授”に、 振り回される人々。 まぁ、 当人は期せずして、 そうなってしまう、周りに人の問題もありますが。 ちょっと人物描写が乾いた感じで、 その距離感はいいかもしれないけど、 内容的に、ドロドロ感はぬぐえず。 結局人の連関は、 断ち難い、ということだな。 | ||||
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恋愛小説、というのとも少し違う。 現代小説、純文学というのとも少し違う。 でも、しんしんと愛について、それも愛の情念というかおどろおどろしい部分というか沈鬱な部分についてこうもやもやと考えさせる本でした。 構成は、中国古代史が主研究の大学教授、村川融のその周囲の人物たちをメインにした短篇連作集。村川はプレイボーイというわけでもないのですが、周囲の一部の女性達をがっちりと取り込んでしまう魅力があり、離婚し、家を出て再婚して、それでも浮気をやめることはありません。そして、その中でまわりの家族、奥さんや娘さん、息子が苦しみます。その苦しみの中で成長するものは成長し、挫折するものは挫折してしまいます。うちも離婚家庭だったからかも知れないけれど、親が別れる・愛情が保てなかったという家庭にいると、愛についてはひどく考え込んでしまいます。そんなに簡単に心変わりしたり、今までの生活をあっさりと捨てたり忘れたりできるのかなとか、いろいろ思ってしまいます。 そして、愛なのか連帯なのか、それとも諦念なのか、そういう仲で暮らしている夫婦というのも結構多いのか(いや、口ではそういうこともいうけれど、心の底ではやっぱり家族愛になったにせわ愛は愛で強くあるだろうという幻想があったりするので)なんて色々考えてしまいました。 特に、三浦しをんという作家に対する自分のイメージが、こういう小説と全然あわなかったので余計に意外感があって考え込んでしまいました(自分が読んできたのが「格闘するものに○」とか「白蛇島」「ロマンス小説の七日間」とかなもので特に)。 | ||||
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物語の核になる教授が、どういう人物なのか今ひとつわからない。わからないままでいい、 という著者の考えなら、前振りの割に「さほど語るべき事のない男」と推測します。 でなければ、彼の視点からの話が一つはあるべきではないかと思いました。 純文学の好きな人が書いた、純文学の本という気がしました。 一人称なので仕方ないのですが、相手のことをよく伝えないまま、 こうである、と見た側から言い切ってしまうところに、都合のよさも感じました。 そう言われたら、読んでる方はそう思うしかないし。いや、そう思って欲しいんでしょうけど。 ひたすら美しくて鬱陶しい。紙の上の美しさと言葉では、あまり共感できません。 なので、最後の彼の告白も少々上の空に聞こえてしまいました。 あなたがそこまで陶酔して語る心理過程が、こっちには見えてこないよ?と思いました。 ちょっと退屈でした。 | ||||
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~ まず、文章がしつこいです。しつこさの是非を問うのは、こってりラーメンの是非を問うのと同じくナンセンス。ただ、しつこいのです。 内容は村川という男のぐるりを描いた作品。彼は女はいつでも誰でもウェルカムで、でも相手の女はもちろん世間もそうではないので色々確執が起き、その確執に翻弄されるかよわき男たちの視点から事を描くという、かなり~~込み入った方法をとっています。 各章の筋は純粋に面白いです。著者が女性であることを忘れてしまいます。描かれているのは村川を我がものにしようとする女の姿ですが、そこには我々が普通考えている「愛」がすっぽり抜け落ちています。なぜ村川が好きなのか、どんなに愛しているのか、がきれいさっぱり抜けています。それは込み入った記述方法のせいで、~~描かれているのが第三者である男の目を通した女たちの姿だからです。だからなのか、人物描写は正直ぎこちないです。 で、結局どうなったの、というのが最終章ですが、ここはちょっと承服しかねます。村川は誰からも理解されなかったのではなく、込み入った記述方法が読者に(そして作者自身に)村川を見えなくしているだけです。~ | ||||
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いろんな読み方があるのだろう。愛ってなんだろう。簡単に言葉にするけど。答は本書を読み終わってもわからないが、愛と呼んでいたものの内実に、急に不確かな心もとなさを感じる。 愛は人を不安定にする。本書の登場人物たちは皆、危なっかしく揺れ動いている。不可能に近いからこそ、「永遠の愛」などという言葉があるのかも知れない。愛というものを手に入れようと本気になってしまったから、登場人物たちはどちらかというと不幸になったのかもしれない。「愛」ではなく「愛」に限りなく似たあきらめのようなものこそ、私達が愛と呼んでいるものなのかもしれない。 | ||||
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しをんさんは「おちゃらけの人」と、思いこんでいた私はこの小説を読んで驚き自分の無知を恥ました。端正で凛とした上質な美文です。・・・が連作短編の核となる「女の人にやたらともてる大学教授:村川」の魅力がさっぱり読む側に伝わってこないのです。どう読んでも彼がなぜもてるかわからない。容姿端麗でもないし性格が魅力的でもないしジゴロのようにホルモンが染み出てるわけでもないし・・・。せっかくこれだけの文章が書ける方なのにこれはとても致命的で、結局は人が書かれていないということになるのではないのでしょうか。なんでこんな半端な男に女が振り回されるのか・・・これがわからない私のほうが人生経験が浅いつまらない女なのかしらと自省もしたりはしたのだけど・・・。あっ、なるほどと思える一文(短文でかまいません)があれば星4つでした。もう一度、背筋が伸びたさえた文章がよみたいので次回作を待っています。 | ||||
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中国古代朝廷の研究をしている村川は「肝臓を悪くした狸」のような容姿をしているが、女性を惹きつける魅力を持ち、そのおかげで結婚して十年以上経つ彼の家庭はほぼ崩壊している。ある日大学に村川を告発する手紙が届く。教え子の三崎は犯人を突き止めるべく奔走する。この物語は六篇の連作から構成されている。それぞれの短編は、村井という自己中心的な欲望が生み出した歪んだ現状を映し出す。そして他者間のコミュニケーションの不可能性を描き出し、恋愛も最終的には成立しないことをこの連作は告げる。だから三崎には結局誰が犯人なのか突き止めることは出来ないし、村井の子供は彼の方法で現実を乗り越えるが、なぜ村井に捨てられたか分からない。いつまでも佐原直絵には村川綾子の死の真相は分からないし、村川ほたるの婚約者は以前仁和興産社長の「愛人の愛人」をしていたが、その女の真実を知ることはない。村井「先生は女たちに愛を求め、女たちは先生を愛した。だが、先生を理解したものはなく、先生に理解されたものはいない」のだ。他者との関係性において共感、共鳴をすることはできても、根本で他人の内面の真実を自分の内面の問題として引き受けることは出来ないという事実を描き出している点で、恋愛だけに終始する通俗小説とは一線を画する。しかし、作者も三崎も他者間の交通の関係性の不可能性を熟知しながらも「愛ではなく、理解してくれ。暗闇のなかできみに囁く私の言葉を、どうか慎重に拾ってくれ」「きみと話がしたい。きみの話を聞かせてほしい」と、最後に希望の欠片を持ったような語りで物語が閉じられることに私は不満を抱く。『私が語りはじめた彼は』とは、要するに物語内の様々な「私」が発話しているが、「彼は」に続く述語の不在によって、コミュニケーションの不成立の前提を端的に指し示している。間違ってもこの物語世界では、他者との関係性に希望を持ってはならないのだ。 | ||||
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身持ちが非常によくない古代中国史の教授にまつわる 人間関係の断片が連作されています。 前の話の一部を引き継ぎ次の人のことが語られてゆく趣向で, ミステリのような楽しみ方もできます。 三浦しをんは,力が入りすぎると少し文章に装飾が多くなる傾向があるものの, 非常に優れた書き手であることをこの小説は示しています。 著者の愛に関する心の秘密を明かしたような本です。 | ||||
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身持ちが非常によくない古代中国史の教授にまつわる人間関係の断片が連作されています。前の話の一部を引き継ぎ次の人のことが語られてゆく趣向で,ミステリのような楽しみ方もできます。三浦しをんは,力が入りすぎると少し文章に装飾が多くなる傾向があるものの,非常に優れた書き手であることをこの小説は示しています。著者の愛に関する心の秘密を明かしたような本です。 | ||||
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一気に読み終わりました。。。最初2ページが非常に衝撃的で、精神的にショックが残った印象です。それが序章であったかのように、文章全体が非常に張り詰めた表現で満たされており、繰り広げられる緊迫した状況に心拍数が上がっていくのを感じました。登場人物がそれぞれの想像によって自身を追い詰めて行く様が印象的でした。人は想像力を勝ち得た分、自身の苦悩をも背負わなければならなくなってしまったのかもしれません。自分自身のエゴをもつきつけられるようでした。 | ||||
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