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二流の人
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二流の人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全39件 21~39 2/2ページ
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うーん、何となく散漫な書き方だな、と感じました。こういう歴史ものを書くのがダメというより、力いれてないな、という。得意分野でもないな、と感じました。 | ||||
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坂口 安吾と言う作家今となってはとても新鮮.................... | ||||
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大河ドラマとは異なる視点で、興味深く読むことができました。短くて読みやすかった。 | ||||
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300円の武将兜フイギュアにまで手を出しながら黒田官兵衛を調べるなか、人一倍ピュアなくせに人を喰ったような文章を書くツンデレ作家(あくまで現時点での自分の理解です)・<偉大なる落伍者>安吾さんに到達しました。安吾さんからはバイロンやワイルドやヴェルレーヌと似た匂いがして、しかも経歴を軽く調べたところ岡本太郎さんともコラボしたことがあるということで、「道理でなー。気が合うだろうな」という感じがしました。僭越を重々承知で申し上げますが―ロマン・ロランはシェイクスピアを「ウィル」と愛称で呼んでいたらしいのでこういう馴れ馴れしさは古今東西読者好き共通の病弊かと思いますが―、なんかまたひとり兄さんを見つけた気分です。 内容としては、黒田官兵衛の半生を安吾さん一流の人物観から解きほぐした語り物です。他のレヴュアーさんも書かれていますが、朝鮮出兵の部分は大抵の作家があっさり書く傾向があるのに対して、安吾さんは非常に力を入れ紙幅を割いて書いています。 安吾さんの官兵衛は、火坂雅志さんの解釈などに代表的にみられる「いくさ嫌い」「誠実」といったスマートな紳士のイメージではなく、秀吉や家康ら<一流の人>と比較しながら、頭はいいが身の程をわきまえることができず、晩年の三成らとの対立においては時代遅れの老兵となった自分に気付かず、戦場における自己表現欲を抑制しきれないどこか子どもっぽい人物として描かれていると思いました。直江兼続や上杉謙信も「しょうがないいくさ好き」的な感じで安吾さん流に景気よくバッサバッサと捌いていきます。直江山城のことはかなり好きらしいです。皮肉っぽい文章を書く割に「性根が素直だから直江が好き」というところがこれまた素直な安吾さん。安吾さんはたぶん正直を愛する人なのだ。 何作か作品を読ませていただいて感じたのですが、安吾さんは、好きな人物を肉親か友達のように感じて肉化して書くところがあるのかもしれません。『青春論』では宮本武蔵について熱く語っている部分がありますが―例によって時々史実とは違うであろう小次郎との巌流島決闘の逸話などに基づいて武蔵を語ってるのですが、安吾さんのものの考え方が分かるのでそれはそれとして楽しむということで―、すっかり入り込んでいる書き方というか、心の中で武蔵と自分が一体になっているのではと思うような不思議な書き口なのです。書き手が対象に愛着しているという感覚を受けます。 なので、たとえば阪神ファンが負け続けの阪神の悪口を言ったとしても、それは愛ゆえであるということがあるように、字面通りに「官兵衛は二流」だと考えているのか、または「二流の人生は悪いもの」だと考えているのか、ということからしてまず怪しいなと思ったのですが読後調べたら安吾さんが官兵衛をどう思っていたのかは微妙でした(少し前に調べた時は官兵衛好きの証拠になる情報が見つかったと思ったのですが、改めて調べたら不確かな情報でしたので書き換えます。すみませんでした)。 安吾さんを師とあおいでおられる半藤一利さんは著書『安吾さんの太平洋戦争』で、「家康、秀吉は安吾さんを彷彿とさせる」としていて、官兵衛については、魅力的ではあるが一番大切なものが欠けた二流の人物として素直に捉えておられました。が、人によっては「二流はむしろ秀吉ではないか」と感じるようですし、わたしも何となく愛しさを含めた批判という風に感じるので、官兵衛の肩を持ちたいのですが、『青春論』での武蔵に対する書き方を見ると、安吾さんがよしとするのは「最後まで詩人の心を失わない、死ぬまで青春な人物」であり、晩年の悟りすました武蔵を批判しているので、「二流の人」も晩年青春精神を失った官兵衛を批判していると素直にとるべきかもしれません。 ただ、当時は清廉な半兵衛との対比で官兵衛はやや腹黒という見方が主流であったらしく、今と比べると官兵衛は損な役回りだったようです。 それにしても安吾さんの文章は読んでいてぐっときます。 呪われた詩人、精神の貴族、誇り高い落伍者、おのれもまたその流れのひとつであるという自負、今や失われかけている、このなつかしくまぶしい一文の得にもならぬ度し難い意地、襤褸をまとい、不潔な匂いで道行く人の顔をしかめさせる、酒と薬物にまみれた、痩せさらばえた骨と皮の高潔!志高き朽ちかけの酔いどれ船! ・・とか安吾さんとの出会いの感動を詩的に表現すると、言語表現に実質を追い求めた安吾さんには嫌がられるかもしれないのですが。それにしても偉大なる落伍者、こんな言葉は実に懐かしいです。堪らない気持ちになります。時代の虚偽や形式を憎み、勝ち目のないことが分かりながら反逆した芸術の殉教者たち。ある人々には不可解な愚かさとしか映らないこの純粋な情熱。 しかし安吾さん、囲碁を打つのも京都に来た時は伏見のへんうろうろしてるのも(官兵衛は伏見で亡くなったので)官兵衛の影響だったらどうしようと思いながら自分も官兵衛と安吾さんに影響されて囲碁アプリをダウンロードしました(実際は、京都に来たのは時代物をか書き始めるかなり前なので違うかも…歴史の本は小さい頃から読んでいたらしいですが)。 なお蛇足ながら、安吾さんが熱を込めて武蔵武蔵と言うので、気になって武蔵の本を読んでみたら、驚いた事に、武蔵は関ヶ原の時、九州で父の無二とともに黒田如水の旗下で戦った可能性が高いのだそうです。関ヶ原に参戦していたのは知っていたけれど、まさか黒田軍、それも長政ではなく如水の軍とは。官兵衛と武蔵は同じ播磨の生まれなのですね(ちなみに安吾さんは新潟)。しかも譜代の家臣だったという記録があるそうなので、無二は関ヶ原以前から黒田家中にいたようです(魚住孝至『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』参照)。歴史ロマン! 読書って、知識を吸収するためだけのものだと思っている人がいますが、ある種タチが悪いほどに<出会い>ですよね。 無料でがばがば読めますので、本作に限らず安吾作品をぜひご一読ください。『青春論』や『堕落論』『続・堕落論』などが個人的には面白かったです。ただ、現代のあらゆる人にまんべんなく受ける作風かというとそんなことはなく、イメージよりも遥かに正直で熱いメッセージと皮肉な角度ながらも平易な文体の人なので、耽美とかひねこびとか複雑さを求めると期待はずれかもしれません。その点ご承知おきください。 海援隊さんの同名歌「二流の人」は、やはり黒田官兵衛を歌ったものですが、歌詞がしょっぱくて面白いのでよろしければググってみてください(笑)。 | ||||
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初めて手にした一冊がキンドルです。 ありがとう。 この一言につきます。 | ||||
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まず、この題名が気に入った。自分が二流だと自覚した人が、それでも実力の範囲内で精一杯の力を出して生きてゆく、そのような謙虚な姿勢が感じられたのである。それで、主人公はサラリーマンのような勤め人がイメージされた。 本を開いてみて、びっくりしたというか、がっかりしたというか、とにかく僕がイメージしていたものとは全く違うものだったのだ。秀吉、家康、黒田如水等が出てくる時代劇だったのだ。どうも二流の人というのは黒田如水を指すようなのだが、まあ誰にしたって、僕のイメージしていたサラリーマンとは、えらい違いである。ここまで食い違ってしまっては、僕としては、誰が一流だろうと二流だろうと、もうどうでもいいことだ。もう全く関心がない。こういう時代劇はNHK大河ドラマの脚本家が自分の深読みをひけらかすだけの下らない番組の中によく見られる。 坂口安吾は「堕落論」の仲で、日本の伝統文化の否定、廃棄を高らかに宣言した。地獄のような戦禍をようやく脱することが出来た日本の民衆は坂口のこの宣言を熱狂的に歓迎した。この「二流の人」は、そうした坂口の宣言とは全く相容れないものである。執筆年代が不明なので、僕の推測を言うと、恐らく学生時代かその少し後、坂口の習作時代に書いたものと思われる。戦後の坂口なら、みずから否定するような作品だろうと思われる。恐らく本人は存在すら忘れていたのではないか。これを発掘する価値はないと僕は思う。 | ||||
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大河ドラマで黒田官兵衛をやっている。そういえば海援隊の倭人伝というアルバムの「黒田官兵衛苦笑い 一生ツキがなかったと」という歌詞を思い出した。ネットで検索したら坂口安吾の小説から取ったらしいので、読んでみた。登場人物の切り取り方がシャープで、キャラが立っていて面白い。特に小西行長や伊達政宗。いい意味で漫画的。 | ||||
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なんてことはない、前回読んだ【黒田如水】はこの本の、最初の部分の抜粋だったのである。 したがって、この本は小田原城の攻防から朝鮮出兵と続き、関が原の戦いで終わる。 表題の「二流の人」とは黒田勘兵衛を指す。 NHKで大河ドラマが始まったばかりなので、この本の存在は伏せておきたいと思うくらい、勘兵衛に対する評価は辛らつである。 ドラマにするには、主人公を英雄とか神格化?しがちだが、本当の勘兵衛像は安吾が描くこちらの方に近い感じがする。 彼は無類の戦争上手で、本人はいつかは天下を取るとの野望を抱いていたらしい。 でも、結局参謀としての生き方しか出来なかった。 天下を取る器ではなかったのである。 本人も馬鹿ではないから、最後の最後にそれを悟るわけだが、そのときの悲しさといおうか、哀れさといおうかが伝わってくる。 同じ参謀でも、諸葛孔明は自分の器量を知っていて、最初っから参謀に徹したわけだが、そこが一流と二流の差なのだろうな。 自分を冷静に評価することは至難の技でありますな。 それより何より、この本で触れている秀吉の朝鮮出兵がとても面白かった。 朝鮮の人々が今でも恨みに思っている災害について、全く知らなかったので次はこれが書かれている本を読んでみたい。 | ||||
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小説、エッセイ、コラムが一緒くたになった短編集ですが、一冊を読み通してみると、坂口安吾の丁寧で客観的な世界観、人間性に触れた心地よさがありました。 心許せる親友と一晩語り尽くし、満足して朝帰りする気持ちの良さを思い出しました。 「木枯らしの酒蔵から」 1931年。24歳のデビュー作 デビュー作らしい新鮮で斬新な文体です。酔っ払いの主人公が「〜う、ぶるぶるじゃよ。」「あべべい、酒は茨だねえ、」などと呟くのが楽しい。 「風博士」 同年に発表された出世作 ライバルの蛸博士を呪って自殺した風博士の遺書ですが、全くもって、ナンセンス。「否否否。千遍否。」とリズミカルに蛸博士を否定しつつ、自殺と言っても「POPOPO!」とシルクハットを被り直し「TATATATATAH!」と消えて無くなってしまうのです。う〜ん。 「紫大納言」 1939年に発表された荒れた平安の都で、色恋に生きた男のファンタジー。 1932年3月に発表した小論「FARCEに就いて」を具現化した小説です。 「真珠」 太平洋戦争開戦当時の風俗を描きつつ、人間魚雷回天で自爆した兵士へ捧げたもの。 特攻の翌年1942年3月に執筆されました。 特攻兵士や戦争で死ぬ事に対する当時の一般市民の「声」として参考になるような気がします。 「二流の人」 戦中、戦後と継続して書かれた時代小説です。 竹中半兵衛重治没後、豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛孝高が生きた時代を描いています。 「正義」「大義」「信義」など、何かと精神論で描かれる事が多い時代小説と毛色を異にした快作。武将の心理描写、平たく言えば「好き嫌い」を丁寧になぞりながら物語を進めています。 「白痴」 新潮1946年6月号に発表された小説。 「人間性とは何か」を問うた問題作である、と聞いていたので、てっきりヒロイン「白痴」を健常者が忘れている美点を持つ模範として描いた作品だと思い込んでいました。 そうではなくて、 「我々は、浮世の気まぐれに白痴を見習うべき人間本来の姿と賞賛しがちですが、結局のところ人間らしいと言う事は、雑事に紛れ、煩悩に苦しみ、孤独なのです。」 と著者が説いている、と理解しました。 「風と光と二十の私と」 文芸1947年1月号に発表。 小田急線が開通する直前の草深い世田谷下北沢で代用教員を務めた一年の回想録です。 大人にとってはどうでも良いように思えることでも子供にとっては大問題であることをくみ取る丁寧な人間観察眼に目を見張ります。 作中で、道徳観について触れている箇所が印象に残りました。本来自分なりの基準を持つべき善悪の判断を、他者との比較を言い訳にして放擲してしまう危険性を指摘しています。 一部要約しながら引用します 「教育者は人の非難を受けないよう自戒の生活をしているが、世間一般の人間は、したい放題の悪行に耽っているときめてしまっていて、だから俺たちだってこれぐらいはよかろうと悪いことをやる。当人は世間の人はもっと悪いことをしている、俺のやるのは大したことではないと思いこんでいるのだが、実は世間の人にはとてもやれないような悪どいことをやるのである。」 比較対象の他者も、架空の(悪どい)他者であるため、判断基準は際限なく甘くなって行く危険性を指摘しています。僕も「教訓とせねば。」と思うところがありました。 「青鬼の褌を洗う女」 1947年10月に発表された小説です。 坂口安吾が理想とする女性を主人公に据えて、女性の立場から描いた作品として読むことが出来ます。僕は、「カッコ良い女性だな。」と思いました。 しばしば女性に対して言われる「結婚しても、ぬかみそ臭い女になるなよ。」と言う男のダンディズムを女性の立場から書いたものと理解できます。 | ||||
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初めてKindleを使ってみて、無料のものをダウンロードたくさんしてみました。図書館でも本を借りますが、場所をとらないし、これはなかなか良いです。 | ||||
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途中が冗長気味で何度も中断やっと完読。 主人公が曖昧になる下り有り。 この時代の話が好きなひと向き。 | ||||
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黒田官兵衛が好きだったので試しにどんなものか呼んでみた。 官兵衛の性格が良く書かれており、家康、秀吉との関わりも良く書かれています。 戦国好きの人には読んでもらいたい本です。 | ||||
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天皇との関係で、道鏡について知りたく、また坂口安吾氏の著作を読んだことがなかったので、こちらを購入してみました。 道鏡と孝謙天皇の関係は、本当にたくさんの作品で、様々な描き方がなされているようですね。 坂口氏は道鏡が王位の簒奪を企てたのではなく、あくまで天皇が主体的に譲ろうとしたというように描写なさっています。 もはや真相は誰にもわかりませんが、古くは豪族同士の争い、その後の皇族間の血みどろの構想を経て孝謙天皇が存在したことを考えると、現代において考えるほど、当時は道鏡が天皇になったとしてもそれほどの違和感はなかったのかもしれないと思うに至ります。 何事についても、現在の尺度で図ろうとすると誤ることが多くなるのかもしれません。 | ||||
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匂いって何だろう? 『白痴』『青鬼の褌を洗う女』は新潮文庫版でも読んだけど、面白かった。 『二流の人』は、奇を衒った時代小説かと思いきや至極全うな時代小説で、すごくおもしろかった。 黒田如水が一応の主人公だけど、小西行長や豊臣秀次を総括的に「二流の人」と呼び、時代に翻弄されつつも味のある人生を送った、一流ではないヒーローたちの物語。な気がする。 スティグマを持ったヒーローは、決して主役にはなれないということですね。そんなヒーローのほうが個人的には好きだけど。 苦しまなければならぬ。 できるだけ自分を苦しめなければならぬ。 人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。 君、不幸にならなければいけないぜ。 うんと不幸に、ね。 そして、苦しむのだ。 不幸と苦しみが人間のふるさとなのだから、と。 | ||||
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匂いって何だろう? 『白痴』『青鬼の褌を洗う女』は新潮文庫版でも読んだけど、面白かった。 『二流の人』は、奇を衒った時代小説かと思いきや至極全うな時代小説で、すごくおもしろかった。 黒田如水が一応の主人公だけど、小西行長や豊臣秀次を総括的に「二流の人」と呼び、時代に翻弄されつつも味のある人生を送った、一流ではないヒーローたちの物語。な気がする。 スティグマを持ったヒーローは、決して主役にはなれないということですね。そんなヒーローのほうが個人的には好きだけど。 苦しまなければならぬ。 できるだけ自分を苦しめなければならぬ。 人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。 君、不幸にならなければいけないぜ。 うんと不幸に、ね。 そして、苦しむのだ。 不幸と苦しみが人間のふるさとなのだから、と。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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この短編集に入っている「風と光と二十の私と」を読んで、わたしは一発で安吾のファンになってしまった。これは安吾のエッセー的作品になるのだが、その中で彼は繰りかえし「人を嫌いになりたくない」と書いている。子供達の描写が細やかで驚いた。安吾という人は様々な面をもっている。そう感じさせたのが、次に読んだ「白痴」。これは文体からして全く違う。 正直最初は何の話がしたいのかわからない。しかし、物語が進むにつれ、物語の芯が見えてくる。此れを自然に出来るのが安吾に天性の才があったからとしか思えない。 同書にはこの他6編が収められている。 | ||||
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この短編集に入っている「風と光と二十の私と」を読んで、わたしは一発で安吾のファンになってしまった。これは安吾のエッセー的作品になるのだが、その中で彼は繰りかえし「人を嫌いになりたくない」と書いている。子供達の描写が細やかで驚いた。安吾という人は様々な面をもっている。そう感じさせたのが、次に読んだ「白痴」。これは文体からして全く違う。 正直最初は何の話がしたいのかわからない。しかし、物語が進むにつれ、物語の芯が見えてくる。此れを自然に出来るのが安吾に天性の才があったからとしか思えない。 同書にはこの他6編が収められている。 | ||||
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