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二流の人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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黒田如水を描いた短編集『二流の人』を読んだ。 秀吉・家康は超一流、黒田如水は一流、と評してあげたい(評価甘め?) | ||||
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今市、内容のパッとしない内容であり、ゆえに筆者は結局、何が言いたいの。少し読んでいて感情的になってしまいました。。。(笑) | ||||
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如何せん、女なので、昔の武士物で語り口も硬い物は先に進み難く、現代口調ならすんなり読めたかもしれませんが、途中で挫折しました。ただ、安吾さんの人物描写は素晴らしく、黒田如水の策略家としての心の変遷のようなものが、手に取るように伝わります。人間は策略に飛んでいるだけでは天下を取れない。人にはそれぞれ器というものがある。信長はすばらしかったけれど、秀吉は小者だったのでしょうか。続きは気が向いたら読もうと思います。但し家康嫌いなのでどうしようかなあ | ||||
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奥付に、昭和四十九年三月十日 初版発行改版、昭和六十三年十月三十日 改版二十九版発行、とある。1988年に購入し「白痴」を読み始めて投げ出した記憶がある。読み続けるのは厳しいと感じたからだ。改めて読み始めたが、やはり読み続けるのは厳しいと感じながらも、我慢して読了した。 「賤業」、「会社員的」と面白い言葉も飛び出すが、文体が統一されているわけではなく、幾つかの文体で書かれていて、概ねスッキリしない叙述である。ゆえに読み続けるのが厳しい。 太平洋戦争で日本の戦況が極端に悪化していく中で、蒲田辺りの路地のような町内会に住む27歳の伊沢。気違いと白痴という美男美女夫婦、そのうち婦の白痴が、伊沢の部屋に転がり込んできて肉体関係をもってしまうが、伊沢はそのことを町内の連中に知られたくないがための行動をとる。一方で、伊沢は文化映画の演出見習い勤務であり、芸術と戦意発揚映画製作とのはざまで葛藤する。また空襲が迫る中、伊沢は生き延びるために白痴の手を引いて必死に逃げながらもどうにでもなれとも開き直る。 ただ伊沢にとって、犬でしかない、肉の塊でしかない白痴という女の存在は何なのか、最後まで分からない。それは伊沢自身の何かであったり、伊沢自身の一部、あるいは、くだらない人間というものを暗喩しているのかもしれないが、読了後も分からずじまい。 戦時下での状況と心持ちを表現するには、白痴という仕掛けが必要だったのか、白痴という存在が必要だったのか、戦時下での状況と心持ち自体が白痴なのか、定かではない。 「白痴」にも出てくる、安吾の談論風発は痛快である。だが、文学が主張するためだけにあるのではないとすれば、白痴が何であるかを主張するのではなく、白痴のありのままを書き綴った「白痴」は、まさしく文学である。 | ||||
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うーん、何となく散漫な書き方だな、と感じました。こういう歴史ものを書くのがダメというより、力いれてないな、という。得意分野でもないな、と感じました。 | ||||
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まず、この題名が気に入った。自分が二流だと自覚した人が、それでも実力の範囲内で精一杯の力を出して生きてゆく、そのような謙虚な姿勢が感じられたのである。それで、主人公はサラリーマンのような勤め人がイメージされた。 本を開いてみて、びっくりしたというか、がっかりしたというか、とにかく僕がイメージしていたものとは全く違うものだったのだ。秀吉、家康、黒田如水等が出てくる時代劇だったのだ。どうも二流の人というのは黒田如水を指すようなのだが、まあ誰にしたって、僕のイメージしていたサラリーマンとは、えらい違いである。ここまで食い違ってしまっては、僕としては、誰が一流だろうと二流だろうと、もうどうでもいいことだ。もう全く関心がない。こういう時代劇はNHK大河ドラマの脚本家が自分の深読みをひけらかすだけの下らない番組の中によく見られる。 坂口安吾は「堕落論」の仲で、日本の伝統文化の否定、廃棄を高らかに宣言した。地獄のような戦禍をようやく脱することが出来た日本の民衆は坂口のこの宣言を熱狂的に歓迎した。この「二流の人」は、そうした坂口の宣言とは全く相容れないものである。執筆年代が不明なので、僕の推測を言うと、恐らく学生時代かその少し後、坂口の習作時代に書いたものと思われる。戦後の坂口なら、みずから否定するような作品だろうと思われる。恐らく本人は存在すら忘れていたのではないか。これを発掘する価値はないと僕は思う。 | ||||
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大河ドラマで黒田官兵衛をやっている。そういえば海援隊の倭人伝というアルバムの「黒田官兵衛苦笑い 一生ツキがなかったと」という歌詞を思い出した。ネットで検索したら坂口安吾の小説から取ったらしいので、読んでみた。登場人物の切り取り方がシャープで、キャラが立っていて面白い。特に小西行長や伊達政宗。いい意味で漫画的。 | ||||
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途中が冗長気味で何度も中断やっと完読。 主人公が曖昧になる下り有り。 この時代の話が好きなひと向き。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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エッセイを書かせては天下一品の安吾は小説家としては残念ながら"二流の人"であった。その安吾の特徴が良くも悪くも出ている作品集。 安吾はエッセイを通じ、漱石の諸作品が男女の愛を扱っているのにも関らず、生身の人間が描けていないと批判していた。ところが、安吾自身はもっと描けないのである。「白痴」では女性を無垢の存在にする事でしか、男女の愛を描けない。「二流の人」は皮肉な題名だが、竹中半兵衛の後継として秀吉の参謀を務めた黒田如水が、秀吉の天才的なアイデアの前で、二番手に甘んずるしかない様を描いたもの。だが、如水の深謀配慮のおかげで黒田家が徳川時代まで繁栄した事を考えると、やはり如水は一流の人だったのである。大阪の陣の際、家康が最も警戒した武将は如水だったと言う。 小説家としての安吾の評価が何故今一つなのか、実感できる作品集。 | ||||
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