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ベロニカは死ぬことにした
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ベロニカは死ぬことにしたの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全48件 21~40 2/3ページ
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真ん中あたりまで読むと、なんとなくラストがわかってしまった。 わかってしまったけれど、つまらないとは思わない。 最後まで読ませ、魅せてくれるドラマがある。 ページをどんどんめくってどんどん読んだ。 パウロ・コエーリョの力量は、なかなかだと思う。 | ||||
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そのタイトルの通り、ベロニカは死ぬことにする。 しかし、未遂に終わった。ベロニカが次に目覚めた場所は精神病院だった。 自殺未遂の影響でベロニカの体は衰退し、もう死が目前の状態だ。 自分は生き返ったのに、死ぬことは確定している。 逃れられない。 しかし、次第に生きたい、という思いが彼女を突き上げ、 残された時を懸命に生きる。その懸命さが周りのものに影響を与え、 周囲も生きる欲望に満ち、人々に変化をあたえてゆく。 死にゆくベロニカが、生きる希望の象徴となった。 実は著者パウロ・コエーリョは、自身も青年時代をそんな施設で 過ごした経験があるというが、著者が昔みた光景が表現されているのだろうか、 情景が目に浮かぶようだ。精神病院の中は通常はなかなか知ることがないから、 その様子を垣間見れるのも興味深い。 そして、設定が面白い。 「死ぬことにした」、と最初から宣言してしまった物語がどう展開されるのか、 興味があって読み始めた。かるい気持ちで読み始めてしまったのだが、 結構考えさせられた本だった。 深夜までかかって一気に読み進めたほど印象的だったのだが、 この本はぜひ元気があるときに読んだ方がいい。 なんと、最後に驚くべき結末がベロニカを待っているのだが、 それは読んでのお楽しみ。決して最後から読まないように、ご注意を! | ||||
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中盤辺りから、面白くなるかも。 まあ何だかですが・・、よろしいのでは・・。 わたしが思っていた、もしも自殺に失敗した後、 大変なことになったら厭だなあとか。 毎日が同じ事の繰り返しだから、死んじゃうかなと 思ったりしたのは、わたし中学1年でしたが・・。 ストーリー中、まあ上手く事が運んだから良かったようなものの、 でなければ大変な事に・・。 著者は入院歴とかあるようで、その辺も詳しそうだし、 薀蓄というか、理論的な思考も結構面白いかも。 それにしても、著者はブラジルなのですね、 映画界のみならず、文学界も世界中が一定レベルに差し掛かって いるようです。 読み易い本です。 アルケミストは買ったまま、まだ放置中・・、読むかなあ・・。 それは、海外の某結婚詐欺師が、大富豪主婦実業家のその趣味も悪用して、 騙すのにも使われたとか・・、おほほ、凄いですわね、タイトルにもぴったりね・・。 わたしは死ぬ気は無いですな。 | ||||
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「ベロニカは死ぬことにした」タイトルからしてショッキングです。でも妙に心惹かれるものがあり手に取りました。 舞台は「狂人」たちが集まる精神病院の中。睡眠薬を飲んで自殺を試みて運ばれたうら若き女性が主人公です。 自殺未遂による薬の多量摂取による後遺症で、あと1週間ほどの命と告げられます・・・。 ー人生の時間は無限にあるように思われがちですが、実際は有限なものです。明日、何が起こるかは誰にも分かりません。 もし、自分があと1週間の命と言われたら・・・? そういう普段は見過ごしてしまいがちな事を、考えさせてくれる本でした。 絶望の中に希望を見出す、ひとすじの光のような読後感でした。 | ||||
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エンディングにたどり着くまで暗くて憂鬱な話しだと思い込みながら読んでいた。 読み終わってみたらとてもすがすがしい本だった。意外。 | ||||
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翻訳物にしては珍しく面白い。○○することにした、という文体でずっとつながっていく。 変わったタイトルやけど原タイトルの直訳なんやな。 お前が「死にたい」と言って無駄に過ごした今日は昨日死んだ奴が一生懸命生きたかった明日なんだ。 | ||||
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映画観てから、本へ。 なんという題名!というところから、惹きつけられました。 仕事で精神障害者と関わる機会が多く、精神科病院の設定もリアルだな、という違う視点からも読みました。 狂ってる?狂ってない? 境目はいつも動いていると私は思います。 この作品を通して、精神疾患のこと、少しでもたくさんの方に知ってもらえたらいいな、と思います。 | ||||
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テレビを見て、ご飯(えさ)を食べ、寝て、社会経済を維持する事を目的とする。 我々は、無意識的に、この目的が、人生になっている。 ほとんどの人は、意識せよそうでないにせよ、自分の人生は、自分の幸福に基づいたものではないように、社会的に、なっている。 なぜなら、自分の消費、生産活動によってのみ、我々の社会は維持されているからだ。 消費、生産活動に必要な知識、技術を取得することが、優先する。 その活動に費やす、資源である時間を、死が遠いものであると思い込んでいるから、結果的に、自分よりもシステムに使うことになってしまう。 そして、社会は、繁栄し続けることになる。 しかしながら、ベロニカは、差し迫る死によって、自分を、自分以外のものを排除して、知ることができたのではないだろうか? そこで知ったものとは、彼女の存在意味だった。 それは、愛という他者に対する結びつきを、強化させるものだった。 それこそが、彼女が存在してきた意味で、これ以上素晴しいことはない。 そして、彼女のような経験をほとんどの人がしない。 だから、その意味を知ることは、彼女の人生を無意味にしたのではないと思う。 我々は、近づく事によって、真剣に、考え、自分を知ることになるのである。 | ||||
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奇妙なめぐり合わせにより精神病院に入院したベロニカという若い女性が 残された数日間の心の葛藤と純愛を描いたパウロ・コエーリョ独特の世界が 醸し出す素晴らしい作品です。 作者のこれまでの作品でも見られる、自分探しというテーマの系譜にも 沿っていると思いますが、ベロニカが心の内的側面を深く洞察して導き出した 結論に従い行動を始める瞬間は感動的です。 すでに物質的に満たされた世代に生きているものの、何故か心が満たされず、 ふとした瞬間に暗澹たる風が心を吹き抜けてしまっている様な人には 是非一読いただきたい本です。 | ||||
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この作品は、精神病院を扱ったものなので、当然のことながら、人間の「狂気」を題材にしています。ただ、作者はこの「狂気」を捉えるにあたって、それに対応する概念として「普通」ということを定義しようとしています。「普通」とは何か?と言うことで、タイプライターのキー配列の話や、時計の針の回り方を例にとって、大勢が納得すればそれが合理的であろうとなかろうと、それが「普通」だと言います。そうした大勢が「普通」と考えることに反する人を「狂気」の人と言うんだとします。 そんな中で、主人公を中心に4人の男女が「生きる」意味を見つけて、それを乗り越えようとします。「普通」の集団の中にいようと、「狂気」の集団の中にいようと、人間として一番大切なのは、「愛情」であり、「生きる」意味を知って生きることだと言っています。 この作品自体は、やや哲学的な部分もありますが、昨今騒がれている精神疾患を考える上で、面白い小説だと思います。 | ||||
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みなさんは、自分の中に潜む狂気を知っていますか。他に向けられることだけでなく、自分に向けられる狂気をです。誰もが感じだことがある自虐心を通し、そこから、混沌とした「生きること」をベロニカが表現しています。そして、ベロニカを取り巻く狂気の本質を知る人々が、ベロニカを通し、「自分とは」「生きるとは」を見出し、それらを全うするための道を見つけます。読み方や感じ方は「みなさんの中の狂気」で読むと違う世界を見ることが出来るかもしれません。 | ||||
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仕事も恋も充実していたベロニカ。だが毎日同じことの繰り返しに飽き、死ぬことを決意。大量の睡眠薬を飲んだ。気づいたとき彼女は精神病院に入院させられ、医師から死の宣告を受ける。「薬の影響であと5日しか生きられない」と。一風変わったその病院で、他の入院患者と共に過ごすうちに、彼女は迫りくる命のタイムリミットに震え、過去を振り返るようになる。人生とは?生きることとは?いままで自分に何が足りなかったのか?やがて来る死に備えて、たとえ短くても悔いのない生き方をしようと決めたベロニカ。その若さと健全さは周囲の患者にも影響を与え、それぞれが現実と向き合いつつ生きる道を模索し始める。作中の医師の「死を意識することで、より密度の高い人生を送るよう力づけられることがある」という言葉に納得する。人間誰しも「こんな人生や~めた」と思うことがあるだろう。でもそういうときには本当に死を理解していないのだと思う。それが現実として迫ってきたときに、人間はどう生きるのか?その答えがこの本の中にはある。 | ||||
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「結局は自分は一人なんだ」、「他人が自分を完璧に理解してくれる事なんてありえない」、「誰も助けてくれない。自分で決断し実行しなければ」、ってゆうような、騒がしい町の中でぱったりと自分の世界だけが切り離されて痛い位の沈黙の中に取り残された様な孤独感を感じた事のある人は、他人と自分との境界線をはっきりと持っている。他人と向き合えば向き合うほど、自分と向き合えば向き合うほど、その境界線ははっきりしてくる。それが、はっきりすればはっきりするほどに、孤独感は強まる。そして、自分が生きている意味に疑問を感じる。あれ?私は毎日何やってるんだろう、何でこんなことしてるんだろう、みたいな。世間体、一般常識、何だそれ、みたいな。<<普通>>という言葉に押しつぶされて、自分を見失っている人が、読んでみると共感できるんじゃないかと思います。自分の中の押し込められている想いが掘り起こされていく感じで不思議と気持ちが楽になっていく本です。 | ||||
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パウロ=コエーリョを読むのはこれで4冊目になります。「アルケミスト」では彼の正の理想をさらした。「第五の山」は彼の信仰の一般性が小説と結びつき、純粋な物語として現れた。「星の巡礼」はさすがについていけなかった。この本は違う。哲学的な問答が行われるあたりはパウロ=コエーリョそのものだ。けれども、この本では、「アルケミスト」と逆行し、彼の負の内的世界、彼の心の奥底にあるものをあるがままに示している、と思った。熱心なキリスト教徒であったはずの彼が書いたとは思えないような描写もある。主人公達に彼の何かが乗り移ったかのように話が展開される。とんでもなくリアルで、とんでもなく共感してしまう。これまでにない経験だった。大学の生協に売られていたのを衝動的に買い、図書館で取り付かれたかのように読んだ。時間も、周りの雑音も、全てが消えてしまうほどだった。主人公達の心の葛藤は、全てにおいて深く自己にシンクロし、自分がいるかのような錯覚さえ感じる。正直、「アルケミスト」は一度読んだ時は強く引き込まれたものの、改めて読んでみると冷めていく自分がいた。でも、この小説は違うと思う。あまりにリアルで、真実を映し出している。死を前にしたベロニカ、深い混乱を抱えた登場人物たちの生き様は本当に本能のままで生々しい。エンディングは少しだけ書きすぎているようにも思えたが、この小説に共感し、同一化してしまった自分が怖くなった。あまりに不思議で、他人事とは思えない、そんな小説である。刺激がかなり強いので、精神的に不安定な人は心が強く落ち着くか、強く乱れるか、わからない。私は少し中毒っている。冗談ではなく、受験生に「車輪の下に」を読ませるよりも危険かもしれない。それほど人間の内面をえぐりだしている。私はえぐりだされて困っている。 | ||||
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平凡な日常生活の中で繰り返される変わりのない日々。そこでは、思いもかけない危険や困難は遠ざけられているものの、人々と変わらぬ生活スタイルを頑なに守ることが要求される。でも、そういった日々を繰り返していると、やがて自分の生来の願望や、秘められた強い欲望を自分で封殺してしまう。 自殺しそこなった後に余命を1週間までと宣告されたベロニカは、狂人たちとのコミュニケーションを通じ、自分の生命が無意味に感じられたのは、狂うことなく、自分を抑圧し続けていたことに気づき始める。その気づきは、周りの入院患者たちにも影響を及ぼし始める・・・・。 自分の日常生活をかえりみつつ、一気に読み終わりました。見事なストーリー展開だと思います。 | ||||
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この本を読んだ方々のレビューをみて、(カバーも気に入り)読んでみました。自分が抱えてたわだかまり、苦しみ、不安に思うことが、ページを捲る毎、少しずつ取り払われて行くのを感じました。(言葉で表すのはとても難しいけれど)それはパウロ・コエーリョは、ベロニカや他の人物について、いらない語句で装飾していないから。登場人物の過去や現在をありのまま記し、これらの事柄を、それ以上にもそれ以下にも、大袈裟に(わざと同情をあおろうなどと)表現することは望んでいなくて、それが読み手の、現在の自分の心に素直に届いた感じがします。なにも、考え方が180度変わったとか、憂鬱から開放された、とまで言いませんが、しかし実際に読み終わった後から今日までの1週間と、今までの何十年、かなり視点を変えられた気がします。悪役のいない小説、だと 私は思います。 | ||||
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「悪魔とプリン嬢」そして本作、私は個人的にとても気に入っています。訳が悪いと言われてますが、作風の雰囲気が良くでているのではないかと思います。一気に読んでしまいました。ガルシア・マルケスに独自の世界があるように、最近のパウロ・コエーリョはとても魅力的な世界を作り始めているように思います。 | ||||
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検索してこの本にあたった方の中には,一度は死を考えた覚えのある方もいるのではないだろうか。 それに対する各人の答えはその人なりに異なるだろう。 しかしまだ答えの出ていない人にささげる本である。 ただし断っておくと,この本に答えは書いてない。書いてあるのは,答えを探すための処方箋である。 死を考えるのは,決して生に背くことではない。むしろ,体が生きているという事実だけにだまされたくないという魂の声である。耳をふさがず,自分の本当の気持ちに気づいてほしい。 生きることに,この世にあることにタブーはない。そんな,実はあたりまえのことを思い出させてくれる一冊である。 | ||||
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この本に対する感想は、読者の置かれている心理状態によって大きく左右されるだろう。現在進行形の恋愛の渦中にある人には、とっておきの恋愛小説として。そして日々の生活に疲れた人には、希望を与えるファンタジーとして。短い小説ながら、その時の心理状態で様々な輝きを見せる作品です。そしてもっと大きな意味で言うと、年間自殺者3万人を超える自殺大国日本(日本よりも人口の多い先進国アメリカをも超える自殺者を出している事実)に暮らす、私たちに対する自殺問題に対する一つの回答として読む事も可能です。コエーリョの他の作品同様に、人が生きていく為に必要なものは何なのか?これがコエーリョのテーマですが、愛だけでなく、家族愛だけでなく、豊かな生活を営む私たちに一番必要と!されるものは何かを教えてくれる小説です。作品内にも豊かな(世界の他の国々と相対的に比較して)日本に触れているくだりがありますが、他のコエーリョの作品と切り離して読むとよいと思いました。特に多忙なビジネスマンにお奨めです。 | ||||
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若くて、きれいで、恋人もいるし、仕事もあり、両親の愛も足りているのに、死を決意する主人公。運び込まれた精神病院で、あと数日の命という宣告を受け、自分のこころをみつめていく。ひとはみんなオリジナルな存在であり、それぞれどこかヘンなのだ。でも、いろいろなものに適応しようとするうちに、何か大切なものを抑圧してしまうのかもしれない。この小説の中の精神病患者は抑圧された何かを持ち、それに耐えられずに逃避してしまった「ふつう」の人たちであるように思う。ベロニカは、自分が知らない間に抑圧していたものの存在を認め、死が迫る中、自分のこころにしたがって生きようとする。自分のこころに忠実に生きることが、生きることであり、そうでなければ、体が生きているだけで、死んでいるのと一緒なのかもしれない。命に期限が迫っていることに気づいて、ベロニカはこころのままに生きようとする。でも、実はすべての人の命に期限があるのであり、良く生きるにはこころのままに生きるしかない。(時として、勇気のいることだが。)エンディングも暗いものではなく、とにかく、パウロ・コエーリョの他の作品と同様、生きる勇気を鼓舞するメッセージに溢れた作品である。 | ||||
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