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下山事件 最後の証言
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下山事件 最後の証言の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.09pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 61~80 4/5ページ
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下山病という言葉がある。下山事件の真実が知りたくて資料を漁り、関係者達の新たな証言を聞けるなら、時間と金と労力を惜しまない人たちのことをいう。勿論、この私はその熱意もないし、またその任でもないと心得ているが、彼らの著作は出来る限り読んできたつもりだ。そういう意味ではこの私も下山病患者の末席をよごす一員かもしれない。 何故そうなったのか? 入口はやはり松本清張「日本の黒い霧」の中の「下山国鉄総裁謀殺論」を読んで昂奮したことによる。「黒い霧」は「文藝春秋」昭和35年1月号から1年に亘って連載され、単行本化は翌年だったように思う。ただこの時点で小学生だった私は、この本を読めるわけがなく、読んだのは後年の中学時代だ。ちょうど清張の推理小説に傾倒していた頃で、勿論、下山事件は推理小説ではないが、ミステリ度のかなり高い事件なので興味はもっていた。 1949年7月5日の朝、いつものように上池上の自宅を公用車で出た下山は、この日に限って、国鉄本庁には行かず、運転手に頻繁に行先の変更を指示する。最終的に三越百貨店前で降りた下山は「5分ほどで戻ってくる」と告げて百貨店に入っていく。運転手が生きた下山を見たのはそれが最後だった。 翌早暁、国鉄常磐線北千住―綾瀬間、東武線ガード下付近で下山の轢断死体が発見され、自殺、他殺の大論争が起き、当時の時代背景と密接に絡みあいながら、この大事件も迷宮の淵に入ってしまうのだ。 さて、それから、半世紀以上経過したにもかかわらず、2000年代に入って立て続けに関係する本が出た。「葬られた夏 追跡・下山事件」(諸永裕二)「下山(シモヤマ)事件(ケース)」(森達也)、そして本書である。ただこの3冊のネタ元は一緒なのだ。 ここで唐突だが、映画「パッチギ!」の監督・井筒和幸が登場する。井筒は森も柴田も知っていて、柴田の身内が下山事件に関係している事を森に話し、興味をもった森が井筒に柴田を紹介してもらう。その後、森は何度も柴田に会い詳細を訊く。やがて森は「週刊朝日」誌上で、柴田からのスクープを載せることになる。 短期集中連載の過程で、森と朝日新聞社とでトラブルがあり、朝日新聞記者の諸永が見切り発車的に本を出してしまう。それが「葬られた夏 追跡・下山事件」だ。いかにも新聞記者的な筆致で過不足なく仕上がっていた。 出遅れた森は翌年、思い入れたっぷり、かつ情緒的な文体で「下山(シモヤマ)事件(ケース)」を出した。 そして、満を持してというか、本来書くべき人が書いたのが本書である。そして日本冒険小説大賞の特別賞を受けたのである。 本書は地を這うように微細な資料を紡いで検証した作品ではない。偶然によって一級の事実を知り得た事から、その事実に蓋然性を持たせるべく演繹的手法をもって構築した作品である。 従って、これがほぼ決定版であると云っていいだろう。一級の事実をどう納得するかだが、それは、あなた(読者)が決めることだ。 | ||||
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亜細亜産業というのは初めて聞いた。下山国鉄総裁が謀殺されたつまり他殺であることは間違いないが。いったい誰が指示して実行したのかは異論錯綜して今もよくわからない。下山総裁謀殺、三鷹事件、松川事件が国鉄労働組合をターゲットにした三点セットの謀略とすればghqの諜報機関の関与が疑われるのは当然である。ghq諜報機関の了解がなければあんな大規模な謀略工作が成功するはずがない。私が興味を持ったのがシベリア帰りの読売新聞記者と現在もあるピアノ線会社の経営者が山形県天童市の同郷でどうも知り合いだったということ。このことに鋭敏な松本清張も感ずいて小説に書いている。推理するに読売新聞記者はシベリアから帰国時の諜報機関の面接でヒモがついた。読売入社も諜報機関の斡旋だろう。つまりスパイである。役割は情報操作である。つまり本筋からもっともらしい情報を出して逸らす、ciがよくやる情報操作である。下山を殺したのは特務機関だろ。 | ||||
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「下山事件」は戦後史最大のミステリーといわれる。松本清張が「日本の黒い霧」で米国の謀略論を展開したがいまだに謎だらけ。戦後史の忘れがたい事件のひとつだ。 本書は、自分の親族が深くかかわったという著者が、関係者のなまなましい証言をもとに従来の定説をくつがえしている。その追求の過程もミステリーなみに面白い。特に、よく言われるようにGHQではなく当時潜行していたCIAの関与によるものという指摘や、実行犯は満鉄や731部隊などの満州国関係者だという指摘も新鮮。 新たな視点の中核は、事件の動機に関することである。従来説は、国鉄合理化(大量馘首)や共産党壊滅を狙いとしたGHQの謀略というものだが、著者は国鉄民営化をめぐって利権を守ろうと暴走した日本の保守層が真犯人だとほのめかしている。 なかでも、三菱財閥が米国鉄道資本や金融資本と結託して民営化後の国鉄を支配しようとしていたという指摘は斬新。下山総裁は技官あがりの正義漢で、この路線に沿って汚職や不正利権を告発しようとしていたので消されたとも示唆している。米資本浸透に抵抗した保守層を支援したのが、その米国のCIA。この流れは、CIAの資金提供と鉄道利権を政治資金としてのしあがった岸(元満州国革新官僚)やその実弟の佐藤(元鉄道省長官)による親米政権につながっていく。 強烈な反共親米でありながら利権確保のためには外資や自由化に徹底抵抗するという得も言われぬ日本の保守層の本質を言い当てていて感慨深い。 誰が犯人とも言わず、多数の人々の複雑な思惑が交錯したあげくの暴走・偶発をほのめかす結末にかえって事件の深刻さとリアリティを感じさせる。とにかく面白い。 | ||||
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他の方のレビューにあるように、よい編集者がついて、もっと力量のある筆者なら、 素材を活かして、さらに確固とした構成で練られた本が出来上がっていたかもしれません。 それはさておいても、本書は本書で昭和20年代の日本を描きだしつつ、 そこに下山事件をおいてみせて、読ませられる本でした。 読み始めて、思いがけず一気に読み切ってしまいました。 最後、断定的に書ききるだけのものが著者には見つけられなかったのだとは思いますが、 やはり著者なりの結論をもっと端的に示して欲しかったなと 最後、ちょっと拍子抜けした面はあります。 白州次郎や昭和20年代の日本、そこから金と権力を掴みのし上がっていった人々の 本を次によみたくなりました。 | ||||
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森達也版から流れてきました。 下山事件は教科書でならったくらい、という私には森版も十分面白かったのですが あそこでやめなくてよかった。柴田版を読んだ後には、森版はエッセイだったのか?と 思うほどです。 森版では結論までたどり着く前に著者が息切れするというひどい構成でしたが こちらは、きちんと読者を納得させるだけの仮説(しかも新説)を提示してくれて 歴史ミステリーとしても陰謀説としても面白かったです。そしてかなり事実に近いのでは ないかと思わせてくれました。事件からこれだけの時間が経っているので、真実だと 証明しろ、というのは厳しいかと思いますが、逆にこれだけ時間が経ってさまざまな ジャーナリスト・小説家が題材にしつくしたテーマで新説を持ってきた実力に 感動です。時間が経ったからこそ書けたのかもしれなませんが、時間が経てば証言者も 減りますし 著者のいうとおりこの時期を逃したらこの説は誰も発表できなかったのかも しれません。 当初は、それでも森氏のほうが文章はうまいな、次へ次へとひきつける文章の 書き方ができているなと思いましたが、途中から柴田氏の筆ものりはじめ、また 事実や仮説のおもしろさで後半一気にひっぱられました。ただ、前半がやや 退屈なのと人名や事件が次々出てきてわかりにくいので、全く事件をしらない人にとっては 「どういう事件で」「誰が登場して」「当時世間ではどういう風に扱われたのか」が わかりにくいかもしれません。それを知るための準備として 森氏の【下山事件】を 準備運動的に読むと楽になると思います。 | ||||
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とあるバンドの元ギタリストの方がブログで紹介なさってたので興味をもちまして。 下山事件にお詳しい人から真実に込み入ってないという批判が結構多く見受けられますが わたしは事件があったことすら知らなかったので読み物として楽しみました。 このころの人たちは国鉄の総裁であれ、亜細亜産業の人たちであれ、 殺し殺される側に回って何かに必死になって死んでいった。 運命に翻弄されたかのように。 微温湯に浸かったまんまのわたしには絶対にわからない。 | ||||
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ここ数年,森達也,諸永祐司が下山事件に関する新しい観点の著作を出しているが,それら2者と本書は,実はほぼ同じ新情報を基に著されたもの。 その元ネタは,柴田氏の取材活動によるものだ。 彼の力量と言うよりは,彼の親類縁者に事件関係者とおぼしい人がいたという偶然が大きかったようである。 いずれにせよ,森氏,諸永氏は,いずれも伝聞情報をもとにしていたわけで,実際,両者の下山事件に関する著作は,読後感としても迫力には乏しかった。 その意味で,ここ数年の著作の中では一番だと思う,のだが。 全体として,本書の出来もすばらしいとは思えない。 理由は,結局のところ,柴田氏自身も,自分の得た情報を紹介する以上にはこの事件を消化し切れていないように思われるところにある。 過去に指摘された事項のうち,そもそも検討の俎上にすら上っていない点も多々見受けられる。 また,錯綜する情報の取捨選択も首尾一貫しない。誰を信じ,誰を信用しないのかすら曖昧だし,自己の目指す結論に都合のよい情報だけをつまみ食いしているように見える。 著者がそれを自覚し,読者に白状しつつ筆を置くのならばそれもありだろう。 なにせ,これはあの下山事件を扱っているのだから。 しかし,本作は,著者なりに結論を得たとしつつも,肝心の部分では伏せ字を多用し,結論を明示することを避けている。これでは,結論が出たという彼の独白も空々しく響くのみだ。 森氏,諸永氏に自己の取材結果を先に報じられた焦りがあったのかも知れないし,身内の犯罪に触れる部分にはこれ以上踏み込めなかったのかも知れないが,しかし詰めの甘さは致命的であった。 ドキュメンタリーとしての満足度は残念ながら高いとは言えない。 小説だと思って読めば,この評価くらいにはなるであろう。 | ||||
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下山事件に関する最新の書。解説で櫻井よしこも絶賛しているが、以下のように問題点も多い。 1)まともな法医学的考察をしていない。例えば、著者は総裁が血を抜かれて殺されたとしているが、 鑑定書を作成した東大の桑島講師は失血死の可能性を否定している(著者はこれには全く触れていない)。 また、最新の法医学による検証を一切していない。 2)法医学、油、染料、血痕等については、自殺説から説得力のある論証があるが (『下山事件全研究』など)、 それに対して反論はおろか言及さえしていない。 3)事実確認が杜撰。 4)著者の親族からの情報が信憑性に欠ける。 5)引用のしかたが不自然かつ不誠実(関口由三氏の著書など)。 6)自説に有利な事実のみを取り上げ、それ以外はおそらく意図的に無視している。 7)憶測の割合が多すぎる。 特に1〜3で挙げた基礎の部分をなおざりにしたまま 根拠の薄弱な推理(陰謀論)に没入している点は致命的だ。 著者は「〜と考えたほうが納得がいく」「〜と考えれば辻褄が合う」といった表現を多用し、 憶測に憶測を重ね思うままにストーリーを作り上げていくが、 それでもなお事件を説明しきれておらず、推理自体にすら問題がある。 また、亜細亜産業社長Y氏を実名で名指しているにもかかわらず、事件の首謀者とされる人物及び その他数名の名を伏せている。この二重基準も理解しがたい。 名を伏せたのは「客観的な物証が存在しなかったため」らしいが、 ではY氏が事件に関与したという客観的証拠を著者は示せているのか? 読後感としては、ノンフィクションを読んだような気分には到底なれなかった。 それは憶測に次ぐ憶測に辟易したのと、著者の親族から提供された、 あまりに出来すぎた話を信じられなかったからだろう。 著者曰く、プロパガンダは九割の真実に一割の虚偽を挿入すると、より真実味が増すのだという。 果たしてこの本にはどれほどの真実が含まれているのだろうか。 | ||||
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本人の大叔母の話から始まって、戦後の闇の中で蠢いたと思われる祖父及び 亜細亜産業の話として語られている。 その話を孫の視点から描くこの作品は迫力があるし、面白い。戦後史の1ページとしては 評価されるべきではないか。 ただし「下山事件」としてはどうかというと疑問がある。 ほとんどが、50年もたった証言と想像である。状況証拠の積み重ねでは説得力は無い。 ましてや「殺害の動機(「国鉄民営化」や「汚職ネタ」)」には根拠がない。 下山総裁は6月1日に就任している。殺害の約1ヶ月前だ。どうしてそんな人物を「GHQ」 や「三菱」や「矢板機関」は総裁に就任させたのか?全く疑問だ。 個人的には下山総裁は「自殺」か「事故死」であると思う。 しかしそれでは面白くない(「本が売れない」「視聴率がとれない」等)から、 今後も謀略論が幅を利かすだろう。新たに出てくる本や番組は「謀略論」をベースに書かれるだろう。 しかしそれは真実とは程遠いとは思う。 | ||||
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矢板玄との対面の場面は、こちらまで息を飲むような緊張感が漂う。 最初は分厚さに少しひるんだが、話がテンポよく進むし、抑揚がついているので、 あっという間に読み終わってしまった。 この本に書かれていることが事実かどうか別にして、 読み物として非常に面白いし、優れた本だと思う。 他の下山事件にかんする著書を読んだ後でこの本を読むと、 なぜだか妙に説得力があって、自分の中では下山事件が解決してしまった、 そんな感覚に陥る。 | ||||
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秦氏の『昭和史の謎を解く』では、本書でもとりあげられた遺体の衣服に大量に 付着していた油の問題や、東大教授の死後轢断という鑑定については、本書と 全く正反対の解釈を与えている。 とはいえ、自分の「ルーツ」を事件に絡ませて展開するあたりは、どこまで 事実なのか?だが、読み物としてはとても面白い。 フィクサー矢板との面会シーンはあまりにできすぎていて、ちょっと信じがたい。 「冒険小説協会大賞」「日本推理作家協会賞」W受賞作と帯にあるが、つまりは フィクションってことか? | ||||
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著者を発端にした先行2著作に比べて,たしかに考察の範囲が広く読み応えがありました。 ただ,三菱にもっと突っ込んで欲しかったかな… それと,ナッシュに関しては森氏と著者とどちらがほんとのことを述べているのかな?と… 私にはナッシュに関して身内にまずいことがあるのか,隠しているような感触を持ったのですが… あ,瑣末なことですね… | ||||
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戦慄すべき傑作。ただし読了後、真実の感触に爽快感を味わえると同時に、その真実のどうしようもなさに暗澹とさせられる。 往時の国鉄は利権に絡む汚職の温床で、政財界の巨大資金源だった。下山は当時、この利権構造の清算を模索していた。他方、著者の祖父が在籍していた亜細亜産業もこの利権構造の中にあって…(p402)。 さらに大きな構図もある。国鉄独立・利権解体は民営化を視野に置いたものだった。ところが1949年当時の国際情勢下で、日本を中・ソ・北朝鮮に対する前線基地と位置づけていた米国にとって国鉄は軍事施設に他ならず、接収の可能性もあった。利害関係が錯綜する。 ここで著者は、ドッジ・プランで打ち出された1ドル=360円の単一為替レートが日本の「値段」の暴落を意味し、米資本による国鉄買収も現実味を帯びた点を指摘する(p437)。日本政府は、この米国と虚虚実実の外交的鍔迫り合いを演じていた。とすれば、こうした関係の網の目の中で、下山の死を望んでいたのはいかなる勢力か? そしてその核心部に立っていたのは誰だったのか? 著者の論証にほぼ説得された私は、身動きもとれぬまま天を仰ぎたくなった。 ついでながら、上記のように単一為替レートを位置づけるなら、株持ち合い・護送船団方式などの必然性も理解できる。またドルショック後の変動為替制度への移行、円の値上がりによって、20年かけて「アメリカの投資家は天文学的な利益を得」(p428)たのだという事実にも気づかされた。 | ||||
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森達也の本を読んだら、どうしてもこれが読みたくなり、本屋へ走った。なぜならば、謎の解明を求める読者にとっては森の本はあまりにも不充分で、欲求不満が高まってしまったからである。当然だ。 もう一つ、森側から一方的に語られた、森と「彼」と「朝日」の確執、これについての真実を見究めたいとのミーハー心である。…その答えはこの本の中にあった。 解答は「斎藤茂男」である。 本作には、著者と斎藤が森抜きで本音の語りをする場面がある。斎藤亡き今、そのサシの会談が存在したのかどうか、疑問といえば疑問であるが、逆にこの場面がなくても作品には何ら影響がないことを考えると、事実、というように見たい。 著者が斎藤に己の一族の秘密を打ち明けるところまで、二人の関係は深まっていた、ということができる。 そして、森の本によれば森自身は、斎藤からこのことを聞かされていないようだ。…二人の秘密、だったのである。 「森」と「彼」の間にあって、慎重に中立の立場を取り続けた斎藤は、実際は森抜きで柴田との接触、情報交換を続けていた。 そして斎藤が自分の死後、その調査資料をすべて託したのは、森でも柴田でもなく、朝日の諸永であった。…この遺言に、私は斎藤の周到な気配りを感じる。結果的に斎藤は自分の遺産ともいえる資料を託すほど森を買っていなかった。また、柴田は当事者の一族であるから、自分より情報を持っているはずだ。 だから、諸永というチョイスなのだ。 そして、柴田が諸永をどう見ているかというと、森に対しては吐き捨てるような表現をしているというのに、諸永に対してはそうではない。ないどころか、諸永の本から引用までしている。当然、悪意が無いということだ。…というわけで、この本により、「下山事件」をめぐる一連の騒動の人間関係が浮き彫りとなり、謎が解けたような気がして、そういう点では満足であった。しまった、事件について書けなくなってしまった。 | ||||
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諸永裕司『葬られた夏―追跡・下山事件』、森達也『下山事件(シモヤマ・ケース)』に続く、下山事件を現代的に捉え直す動きの決定版。本当に、決定版。情報の厚み、迫真の度合い、論考の広さ深さなど、いずれにおいても決定的な本です。 なぜ下山事件に再びスポットが当たったのか、といった経緯はさておき(これらは森の著作に詳しい)、本書には、類書にない2つの大きな特色があります。 1つは「なぜ下山定則だったのか」という点。先行研究では「国鉄の人員整理がうまくいくなら誰でもよかった=誰が総裁でも殺されていただろう」という、下山氏はエクスペンダブル(誰でもよかった)な存在だとしている人が多い。柴田は、「下山だから殺された」理由をきちんと浮き彫りにし、結果的に類書のなかでいちばん下山氏の人となりをリアルに描くことに成功しています。それは「下山が日本近代史に果たした役割」を評価する作業にほかならない。今まで、この作業がなおざりだったから下山事件はわかりにくかったのだ、と言わんばかりの、著者渾身の展開です。ほんと、そう思います。下山だから、殺された。 2つめ、「GHQの仕業」とする先行研究に異議を唱えます。「GHQ」とひとくくりにしてはいけない。民政局GSがあり、抗争相手として参謀第2部G2があり、後に国務省からCIAが立ち上がってくる、この複雑な流れのなかにキャノン機関など多くの特務機関がありました。複雑な流れを丹念に追ううちに、本書は、「日本はCIAの傀儡国家だった」ことを改めてはっきりと描ききりました。これは副島隆彦の属国日本論をはじめとする世界標準の現代政治学の命題そのままです。下山事件という特異な一点を掘り進めた結果、政治史の巨大なトレンドとつながった。本書は政治学においても大きな収穫だと思います。そして実行犯も、この巨大なトレンドと無関係ではないのです。 本書は本当に面白いです。戦後史を読む人全員、読んで損はありません。 | ||||
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ノンフィクションなので事件をさまざまな角度から検証している部分と、一方で、自らの家族の本当の姿を探そうとしている部分とがクロスし、2重にも3重にも楽しめる内容。 自分自身下山事件にたいしては深い知識がないのだけれども、雑誌のレビューで読んでみようと思った。 実際読んでみると、当時の社会状況や日本の政治的な立場も、端的に説明がなされているので内容の理解には困らない。 若干、作者自身の我が出すぎていて、「この部分は思い込みではないか」と思えなくもない節が見えたのが残念。もっとも、思い込みかどうかなど確かめる術はないのだが。 | ||||
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別の書評で、「下山事件の決定版はこれ」と推薦されていたので読んでみた。 本書は、戦後史の謎のひとつである下山事件について、関係者の肉親(孫)がペンを執ったものだ。執筆の動機は、「祖父は何者だっだろう」だ。著者にとっては、祖父や自分の一族の戦後と下山事件が重なって存在していたのだ。 一族に覆い被さるタブーの存在。著者が取材を進めると、おじおばが反応する。著者の一族は下山事件を風化させようと皆で封印してきたのだ。 そこに著者が問いを発する。「あの頃何があったのか?」と。拒絶、重い口を開く者。各人各様の反応が生々しい。本書は下山事件の謎解きであると同時に家族の探索のストーリーである。そこが本書の魅力である。(ギルモアの「心臓を貫かれて」に似ています) 後半、事件の核心に迫っていくのだが、取材によって明らかになった事実と推測を組み合わせた結論は、凡そ真相に近いのだろうと思われた。事件発生の背景・手順等、納得感のある丁寧な組み立てだ。いい本です。もう少し内容を絞り込んだら満点でした。 | ||||
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タイトルと帯の解説、個人的な興味等、様々な理由から...書店で見つけて、すぐに購入しました。実際に読んでみるまでは、事件の歴史的背景や登場人物・謎について、全く知りませんでしたが、真摯な文章とストレートな問題提議が、とても良かったです。最初から最後まで、集中して読み切ってしまいました。事件の主人公であり、消息不明となった「下山総帥」は著者の柴田さんのお祖父さん「柴田宏」(しばた・ゆたか)氏と親交があり、執筆に至ったそうですが...。<大切な家族を亡くした時の気持ち>や、<親しい人との別離の寂しさ>というのは、万人に共通する「惜別の想い」なのだな、と改めて思い知らされました。歴史についても、とても勉強になる点が多く、読み応えがあります。 | ||||
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久々に読み応えがある本だ。 戦後最大の謎とされ、さまざまな憶測が飛び交ったこの事件はけして風化しないミステリーである。 赤狩り、GHQ、満州事変、アヘン、大物右翼、CIA、731部隊、三菱、三越、エリザベスサンダーホーム、昭電疑獄・・・。 出てくる人々も吉田茂をはじめ白州次郎、岸信介、児玉誉志夫、あの人もこの人も一級品であるから下山総裁轢死事件はすべての戦後を吸い込んで肥大したブラックホールといっていい。 これ以上秘められている真実を知ることは返って不幸になるような気がする。むしろ知りたくなかったと思うほど重いミステリーだ。 深く、重く、暗く、陰惨で凄まじい証言ばかりだ。 ただ、惜しいかな、最後の章はいらなかった。 著者の祖父への感傷的な部分がまったく余計だと思った。 彼が祖父や祖母やその一族に寄せる思いは本文中で充分に伝わっているのだから。 だいたい、読み終えて寄せる感傷はさまざまな人間の思惑に嵌められて謀殺された下山氏にある。下山総裁にも家族がいるのだ。 このラストの感傷と、インタビュアーである著者への相手の賛辞が何度か臆面もなく掲載されているのがひっかかった。 自らの家族の証言を天下に晒すという一種過酷な形を取ったのである。その決意は並々ならぬものがあったのだろうと推測できる。だからこそ、ジャーナリストはどんなときにも冷徹な観察眼とスタンスを失ってはならない。そう考えるとき、彼の資質に少しでも疑念が生じるようなまねをしてはならなかったのではないだろうか。 それでもこの本の面白さは一級品。 | ||||
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下山事件についてはおそらくこれが定説となっていくのではないかと思います。 ただ、実行犯のうちの何人かが実名をあかされていないので、いずれ時が来たら公表して欲しいと思います。 | ||||
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