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裏庭
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裏庭の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 1~20 1/3ページ
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綺麗でした。 | ||||
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梨木香歩さんの作品は、「家守奇譚」「冬虫夏草」を読ませていただきました。この「裏庭」は主人公の成長をファンタジーの世界で表現しており、非常に取り組みやすい内容と考えます。ただ、文章表現としては、「家守奇譚」「冬虫夏草」には及ばないところがあるようです。とても楽しませていただきました。 | ||||
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昔読んできになっていから買いました。中古ですが、とてもキレイに届きました。よんでいたら久しぶりに、引き込まれていく作品です。 | ||||
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おもしろい。すき。 | ||||
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最高の作品だ。 膨大な世界観やキャラクター、ここの底に震えました。 | ||||
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とあるネット掲示板にて、オススメな本とのことでしたので買いました。 人との繋がり方が、とても良く書かれていて面白かったです。私はメルヘンチックな異世界ものの作品が大好きなので、この本は性に合っていたみたいでした。ただ、後半は私の想像力不足なのがいけないのですが、想像するのが色々大変でした。それと、私個人が望む最後ではなかったので星を一つだけ減らさせて貰います。すみません。 色々書きましたが、この本は人によっては、色んな解釈の仕方が出来る本なので、オススメしたいと思います。 ※ネタバレになるかもしれませんが、大好きなムーミンの作品によく似た人物が出てくるので、個人的には良かったです(笑) | ||||
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読み始めて、裏庭の世界の話の部分は、すこし苦手な感じでしたが、徐々に慣れてきて、30年前に読んだ、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」のような感じがしました。 私には、最後に、照美が思った「私は、もう、だれの役に立たなくてもいいんだ」という言葉に出会うために、この長い物語を読んだのだなと悟りました。 とてもいい作品です。 | ||||
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ファンタジー大賞をとっている作品です。裏庭とは“障害をもつ子ども”という言葉の意味もある。言葉を上手く使う作者の特徴が出ています。 | ||||
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第一印象は、バーネット作「秘密の花園」に似てる!でした。(悪い意味では無いです) 1.親から充分な愛情を注いでもらえない子供が、→レストランを経営する共働きの両親を持つ小学生・照美が 2.長いこと閉ざされていた庭に入り、 →戦前にバーンズ一家が住んでいたが今は廃墟となった洋館の「裏庭」に入り、 3.そこでの体験を通して成長していく。 →「裏庭」での冒険を通して、本当の自分とは何かを考え、成長していく。 こうした大まかな流れがよく似ていると思います。とはいえ、こちらのお話はもっとファンタジーに満ちて、複雑でした。 ここでいう「裏庭」とはただの庭ではなく、もっと広い、人の心の中を映したような抽象的な世界です。「裏庭」世界の崩壊を知らせるべくなり続ける礼砲。3つに分かれた藩のそれぞれに存在する親王樹とそこに住む3つ子のおばば達。藩の人たちに蔑まれて雑用を押し付けられる、雌雄同体で通常は双子のコロウプと呼ばれる者たち。貸し衣装屋を営む「職を持つ」特別なコロウプ、ソレデとカラダ。地下深くに存在するが、そこから生きて帰った者はいないという「根の国」。世界の終わりを感じて地上へ這い出してきたハッカクモグラやクロミミズなどの奇妙な地中の生き物。大地の向こうに高くそびえ、何者も寄せ付けない空気を放つクォーツァスの峰。時々コロウプの泉に現れるという「幻の王女」。。。そんなファンタジーな世界を、ムーミンに出てくるスナフキンのような風貌の庭番スナッフと、双子の片割れと手を失ったコロウプ「テナシ」と一緒に、バラバラになった「1つ目の竜の骨」を元に戻すべく、テルミィ(裏庭での照美の名前)は旅に出ます。旅の道中はまるでファンタジーのロールプレイングゲームのようでした。しかし、物語は段々厳しく、核心に迫っていきます。旅を続ける中でテルミィは「本当の自分」に向き合わざるを得なくなります。それはつまり、自分の抱える問題(両親との希薄な関係)や、思い出したくない辛い経験(自分のせいで双子の弟を亡くした)も含めて、自分を構成するもの全てに目を向け、きちんと消化するという作業です。そうして本当の「私」を発見した照美は、一回りも二回りも大きくなって元の世界に戻ってきます。 そもそもなぜ照美は裏庭に行くことになったのかを考えてみたのですが、それは照美のおばあちゃんの仕組んだことではないかと思うのです。おばあちゃんの意思で「照美=TELL ME」という裏庭へ入る呪文が名付けられたことが縁で、照美の冒険は始まります。その冒険の中で照美はおばあちゃんに会い、おばあちゃんの愛情を感じるのです。まるで生きている間にできなかったこと(照美が生まれるずっと前におばあちゃんは亡くなっています)、家族へ愛情を注ぐということを裏庭を通して成し遂げるために、おばあちゃんはテルミィを裏庭に呼んだのではないか?と思いました。 | ||||
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「裏庭」に入るには。 純粋な心を持つ生きている人間が、裏庭を自分のものに塗り変えながら、自らその道を切り開いていかなければならない。 裏庭で「道」を進んでいく間、自分を自分でみつめて、深く問いかけをする必要がある。これまで目をそらしていた、自分の中や、周囲の人の汚いものにも、徹底的に踏み込んで、自問自答して、答えを見つけていかなくてはならない。そうしているうちに、少しずつ「裏庭」の王女になる。 主人公照美だけでなく、周囲の人たちの、魂の冒険のお話なのかな・・・。 もちろん「裏庭」が必要がない人物も登場する。深い問いかけをこの人生では必要としていない人?! そういう人は「裏庭」という言葉がもう苦手らしい。笑。 買って17,8年経つ本なのだけれど、何度も読んでしまう。 照美を始めとして、さまざまな年代の登場人物それぞれの心に、自分の気持ちを沿わせて読める本。 (このお話風に言うと)読んでいる最中も、読後に普段の生活に戻ったときにも、読者の自分の心の痛みの「剣」も、しっかり磨かれて、宝剣に変わるような気がする。 今回印象に残った場所は・・p246 「なりたいのは、私しかいない」 「もう寄せ集めの自分なんか嫌だ。他の何者にもなりたくない。私が私になりたいと思うのは息する方法を手にいれたいと思うのと同じだ。どうしても必要な事なのだ。生きていくのに欠かせないのだ。私は頭のてっぺんからつまさきまで、ぴっちり私になりきりたい」 梨木さんのご本の中では一番好きな話です。 | ||||
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2011年の秋冬に読んだこの本は、その年で読んだ中で最も最高だと思えるくらい感動的でした。 テーマは心の傷で、自分の傷の背負い方について物語に沿って述べてくれます。 人は無意識に建前の鎧を作ってしまったり、誰かに心の傷の共感を求めてしまったりと、脆くて儚い人の心の姿を魅せます。 傷は癒すモノではなく育むモノだと教えられた時、何かを受け入れる力が大きくなった気がします。 少々ネタバレしてしまいますが、 裏庭にある裏の世界の住人は、現実の表の世界の住人の鏡であるという数々のファンタジックな発想に感嘆させました。 凄くオススメで、知人にも勧めたら好評でした。 あなたも是非読んでみてはどうでしょうか? | ||||
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実はこの本を購入したのは3回目。一冊目は娘が中1、息子が小6のころ。まず私がはまり読み終わった本を息子がよんではまり、ついで娘がはまり、読み終わると、娘は書店で次々と梨木香歩さんの作品を購入。それをまた、私や息子が次々回し読みすることになるのですが、回ってくる番を待つ間にまちきれず、必ずまた読みかえしたくたくなるのがなぜかこの裏庭。 それは私だけではなく、子供たちにとっても、24歳と、22歳になっ現在でも、ときどきむしょうに読みたくなる1さつのようです。あまりのにぼろぼろになり、数年前に息子が再購入、まだまだこの先も同様に繰返し読み続けそうなので今回もう一冊で、とうとう3回目の購入になりました。 ちなみに、我が家はそれぞれが好きな作家、好きな本が大量にあり、それぞれ勝手に買いまくり、読みまくってもそれほどだぶるlことはないのですが、小川洋子さんと、裏庭と、オテル モル だけはなぜかよくかぶります。 | ||||
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中学生の頃、夢中で読んだ。テルミィと年齢が近い間に読んでいて良かったと思う。 テルミィが冒険した裏庭はおそらく象徴的な世界なのだろうけれど、その意味などを深く探索せずに読むのが吉。 テルミィに寄り添って裏庭を巡るうちに、満たされなかった心がいつの間にかふっくらと満ちているのに気づく。 たまに読み返したくなる作品。 | ||||
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この作者の作品では「西の魔女が死んだ」が、中学生などの課題図書に推薦されていて有名だと思うのですが、あちらはタイトル的にファンタジーかと思いきや現実味の多い話で、こっちは「裏庭」というタイトルながらファンタジー色の強い作品でした。 ファンタジーの基本は作者の幻想から記述される非現実的なものの描写の連続である。 この「裏庭」も例外ではなく、他に輪をかけてファンタジーであり、コロウプのような新たな生命体を登場させ、人外の理を決定づけて読者を暗闇へと突き落としていく。 主人公照美は、そんなファンタジーの世界で、非現実的な理屈の連続の中で道を探していく。 なぜ「裏庭」なのか。 おじいさんの話などに少しだけ序盤に語られるが、読んでいるうちにはすっかりそんな世迷いごとのような理屈は頭から抜けていき、照美の冒険と現実世界の平行して進行する内容の会合を心待ちに読んでいくことになるだろう。 そのうちに改めて「裏庭」に対するイメージの固定化がおこなわれ、そしてなぜこのタイトルとなったのかが納得できるようになる。 比較的描写の多い照美やさっちゃんの心の動きはともかく、登場しないのではないかと思われた父の心の動きにも感動できる。 結論といえば、科学的あるいは幻想世界的な理屈ですら測れない見事なファンタジーである。 もちろん完結はしている。 そして妙に納得させられ、他人を思う気持ちや人生について考えさせられるのは称賛せずにはいられない。 重ねて書くけどこの「裏庭」という表現の扱い(特に「庭」かもしれないが)には感心した。 なんか心が広がったみたいなのだ。 | ||||
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ずっと探していた本です。 冒険は少年だけの専売特許ではないのでは? 主人公が旅にでる→障害にぶつかる→旅から戻ってくる、という冒険もので、主人公が少年ではなく少女だったらどんな話になるんだろう?と。 この本に出会って、ようやくその願いが叶いました。 面白い!買って読む価値ありです。 ただ、面白いのですが、この面白さを表現するのが難しい。 善悪の二元論に単純化しない、いい意味での割り切れなさや、現実世界の人間関係への言及は「果てしない物語」のようでもあるし、自分自身の内面の庭を持つ、というところは「風の谷のナウシカ」にも通じる。よくわからない問答をするキャラクターは「アリス」っぽくもある。「庭」を嫌ってしまった祖母が、なぜ娘ではなく、まだ生まれぬ孫の名前に呪文をかけていったのか、読者がいろいろと考える自由が読者に与えられているのもいい。 作者の好きな冒険ものの要素を全部詰め込んだ、そんな作品なんじゃないかな。 若干駆け足ぎみで、あらけずりな印象を受ける部分があったので、☆4つ。 とはいえ、私はこの作品、好きです。またいつか、読み返すことがあると思います。 | ||||
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古い洋館とそこに暮らしたバーンズ家にまつわる秘密の「裏庭」を描いたファンタジー。近所に住む主人公の少女照美やその家族、バーンズ家の人々の過去と現在が、「裏庭」を介して不思議な糸で結ばれている話。 私の場合は、「裏庭」の中の世界の部分は余りに荒唐無稽でついていきにくかったが、現実の世界の部分は、謎めいたバーンズ屋敷の雰囲気や登場人物の配し方、話の展開が上手だなあと感じた。 私のような中高年男性も、たまにはこんなミステリアスな話を読んでみるのもいいのかもしれませんね。 | ||||
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宮崎駿を超えるんではないか?と思えるほど、想像に富んでいて、内容の濃い、こどもが主人公の本だった! 宮崎駿さんに頼んで映画化して欲しいと思う。 | ||||
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生きるということ自体に向き合うならば、それは矢張りどうあっても、繰り返し傷を抉るような過酷なものにならざるを得ず、多くの青少年のための文学がそうであるようにこれもまた矢張り過酷な物語です。 主人公は三世代分の傷を無自覚に背負っており、だからこそ恐らくはあの旅をする資格を得た。多くの人々がたどり着けなかった、あの終わりの場所に彼女が到達したのは、それらの三世代分の痛みと傷を引き受けて自己を構築することに成功した結果なのだろうと思います。 そこへついにたどり着けなかった多くの死者たちが居て、痛みに蓋をして魂の死者のように生きてきた大人たちが居て、 けれどそれらはひとつも無駄にならなかった。 そこへたどり着けなかった死者達の残したものを手繰って、彼女はすべてを終らせる場所へと辿りついた。その果てへついにたどり着けなかった多くの人々が居て、しかしその多くの人々の残したものは、確実に彼女の足許を照らす明かりになっていた。 だから結局この物語のなかでは、 無駄に終った旅はないし、意味のない命もなかった。 意味のない想いもまたなかった。 実際にわたしたちは、多くの言えなかった言葉や果たせなかった抱擁、届かなかった手、流すことのなかった涙を無数の傷のように絶えず葬りながら生きている。それらは決してゆくべくところに届くことなく、二度と開くことのない墓場に永遠に埋葬されてそして無となる。 わたしたちはそのようにして生きているのだけれど、この物語のなかでは、それら無数の果たせなかった物語が、根の国でひそかな水脈となり、すべてが行き着くべきとことへと行き着いた。こんなことは本当はありえないのだけれど、わたしはそれが本当に嬉しかったのです。 主人公を導き最後の場所へと辿りつかせたのは、他でもない、そこへ辿りつくことの出来なかった人々だった。三世代分の傷は三世代分の力であり手がかりであって、その傷ゆえに「テルミィ」は世界を蘇らせる最後の場所へ辿りつくことができた。 だから彼女の旅の終わりは、周囲の大人たち、分けても彼女の両親のひとつの旅の終わりとなったのだと思います。 この物語のために作者はとても優しい嘘をついた。このうえなく巧妙に、やさしい嘘をついた。出来ればこれが嘘だと気づけない年頃のうちに、つまりは小中学生の間に、出会ってほしい本ではあります。 他者への想いは決して無駄にならない、言えなかった言葉もいつか届く、それは確かに嘘なのですが、この嘘をまづ信じることも、これから生きてゆくなかで身を切るほどの哀しみを怒りを悔恨をやまほど経験するだろう、年若いひとには必要だと思うのです。 | ||||
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丘の麓の無人屋敷には、 現実世界と“裏庭”とをつなぐ大鏡があります。 “裏庭”は死の世界にとても近いところ。 照美は、偶然、否、必然的にも その鏡をくぐり、その異界へと足を踏み入れるのだ。 そして荒れた“裏庭”を修復させるため冒険の旅に出る。 双子の弟の悲劇的な死。 そして、自分を見ようとしない 両親との希薄な関係。 それは、現実世界において 自分の価値を見出せずにいた彼女の 成長と自立の旅でもあったのだ。 “裏庭”には 様々なジブリ的、ドラクエ的な生物が登場し テルミィ(照美)を助け導いてくれる。 地中に棲む不吉なモノもいる。 くろみみず、とかね。 そして彼女が訪れる街は どこもバランスがくずれ、ねじれが生じている。 例えば、チェルミラ。 ここでは、ヒトは絶えず傷つき血を流している。 そして癒し手と呼ばれる人たちが、 ほつれた袖を繕うかのように 簡単にその傷を癒していく。 その繰り返し。 唯一正気を保つ“おばば”は言う。 「あらわになった傷は、その人間の関心を独り占めする。 傷が、その人間を支配してしまうのだ。 本当に、癒そうと思うなら、 決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」 さるきちは、その言葉に胸がチクリとしました。 魚の骨が喉に刺さったみたいに。 さるきちのココロの傷も、 ともすれば、さるきちを支配する力を持っているのだ。 「真の癒しは鋭い痛みを伴うものだ。 傷は生きておる。それ自体が自己保存の本能をもっておる」 ただ馴れ合いの癒しは“癒し”に非ず、 それこそ、病気に依存しているコトなのだ。 テルミィはね、そうやって 多くの不可解な体験を通じ、 自分を深く、深く掘り下げていくのです。 自分の傷とは? 癒しとは? 時に、仲間に刃を向けるほどの 激しい憎悪の念に襲われたり、 実際に暴力に及んだりもします。 一方で、子ども泣きに泣いたりする。 それってね、 現実世界では忘れていた感情だったのね。 無意識に、ココロの奥に 押し込めていた感情だったのよね。 そして、最後に彼女は言う。 私は、頭のてっぺんからつま先まで、 ぴっちり私になりきりたい。 さるきちも、同じように叫んでた。 さるきちも、さるきちになりたいのだ!! 照美の母は、愛情を受けずに育ちました。 アダルトチルドレンであったともいえるでしょう。 だから照美に対してもうまく愛情が注げなかったのです。 冒険を終えた照美は、 一歩も二歩もおとなになり、 そんな母をも受け入れ、 家族のつながりを回復させることができるのでした。 さるきち、この本をベストタイミングで 読むことができたように思います。 ココロの井戸に降りる勇気をもらい、 さらに、その先にある希望を感じさせてくれる、 そんな素敵な小説でした。 ヒトってね、きっと誰しもココロに“庭”を持っていると思うの。 庭ってね、手入れをしないと荒れ果てちゃう。 でも、一方で、手を加えすぎても 整然としすぎて魅力がないのかもしれない。 草木に愛情をもって応援し、 隆盛も衰退も積極的に見つめてあげる 秩序通りに植えてなくたって、 ちょっとぐらい雑草が生えていたって、 バナナの木があったって、 それも愛嬌。 自分なりの“庭”であればいいのよね。 | ||||
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昔、英国人一家の別荘だった洋館。世代を超えて様々な物語を紡ぎ出してきたこの洋館の「裏庭」に、主人公の少女、照美は入り込んでしまいます。 裏庭の世界は、世にも不思議な異次元世界。不思議なものとの出会い。不思議で危険な体験。そして、自分自身を見つめる旅。 照美の魂の成長と、世代を超えた「つながり」の恢復が大きなテーマになっています。 「千と千尋の神隠し」をもう少しだけ複雑な世界に仕上げた感じ、というのが一番ぴったりくる案内ですかね、個人的には。 #なんとなく日本の神話がモチーフになっている感じも似てるし。他にもいろいろと。 それにしても、日本人にもこんなファンタジーを書ける人がいるんですね。さすがは梨木香歩さん。 ちなみに本作品は、1995年に第1回児童文学ファンタジー大賞を受賞しています。おそらく他作品を寄せ付けない圧勝だったことでしょう。 この作品、非常に重層的な構造をしているファンタジーなので、大人でも十分満足できる深い内容になっています。僕も一回読んだぐらいじゃまだまだ消化しきれないぐらい、いろんなものが詰まった濃度の濃い物語。でも、だからといって、重々しい雰囲気は全くありません。むしろふわふわと清々しい空気が全体に満ちていて、とても気持ちがよい。そして最後は、ぽろぽろと涙がこぼれる・・ (;u;) あぁ、ホントに素敵。 #ちょっと傷ついたり落ち込んだりしたときには、また読み返したいな。 まあとりあえず、ジブリが好きな人は読んでみましょう♪特に「千と千尋」好きなら絶対に読むべし。 | ||||
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