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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全622件 141~160 8/32ページ
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ある人が、この世の中で、なんとか正気を保とうと、努力する、物語だと、思いました。 | ||||
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人には大衆効果?というのかどうかは知らないけど、自分の評価が他人の評価から影響を受けることがあるそうです。 池谷裕二氏に拠ると、脳は感情を変更して自我を守るそうです。それが確実に真とは言えませんが、 多少はそういう面があると思います。(自分がそうですから) 1Q84はレビューやその他で結構酷評されています。 これが悪い評価の増長の理由となっている気がしてならないです。 持論ですが、純文学の小説においては、ストーリーが大きな価値を占めるのではなく、 ストーリー 文章の心地よさ、巧さ 雰囲気 書き手のスキーマのレベルの高さ などの各要素はすべて同等の価値を占める と思っています。 みなさん ストーリーの追求、批判ばかりで、 ストーリー80文章など20のような点の配分ですね。 ならば娯楽小説、東○圭吾など読んでみたらいいんじゃなでしょうか。 上記の持論評価的にこの本は唯一無二的に良作でした。 特に 人が持つ非常に微妙な心象や想起 の表現が最高だと思います。 勿論 ストーリーも面白いですよ、 みなさん 自分の心理的プライドを持ち込んで 拒絶してますが。 | ||||
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全て読みましたが, これから読もうと思っている人を対象にBOOK 1にレビューを書きます. 著者の本は何作か読んでいますが, 今頃読み終わっているあたりからも察せられる通り熱烈なファンというわけでもありません. 中立的な立ち位置から評価しているつもりです. 一番感じたのは, 読みやすくて意外にも(著者にしては)辻褄が合うことの多い物語であったということです. 異世界はいろんな著書で描かれていますが, 今回ほど読者を納得させながら話が進んだことはないのでしょうか. 現実と非現実が入り乱れる夢想的世界観は今までにもありましたが, 作中で明確な解釈はされてこなかったように思いますし, 私はいつもと何か違うなと感じました. 異世界自体がよくよく考えると非常に地味に描かれていて(ファンタジーとして捉えるならば), セックス&バイオレンスも控えめな印象でした. 読者を突き放していない点で, 初めて著者の作品を読むならこれがお勧めかもしれません。 ソフィーの世界に似ているような似ていないような, 1984とはほとんど関係がありません. | ||||
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良くも悪くも「村上春樹」だーーーって感じです。 一流のエンターテーメント、ワンダフル、エクセレントです。はい。 現在と過去、男と女、光と影、夢と現実 すれ違った過去と未来、二つの世界が、ねじれて絡みながら進行していく・・・異世界の現実世界。 好き嫌いは激しいでしょう、それでも面白いとお勧めできます。 おもしろい。はぃ | ||||
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時間はかかったが、Book3まで読み終わった読後感は、基本悪くない。 村上春樹が紡ぎだす表現というぬかるみに気や足を取られて目線を下げながら歩き終わり、目線を上げると初めて周りの風景が全体として見えたという感じであろうか。 では、かかっていた雲や霧が物語の完結とともに見事に飛び去ったかというと、それは全く期待してはいけない。 ・つまるところ1Q84とは何だったのかが究極の問いであったとすれば、それは 解決していない。 ・なぜ、1Q84という世界がなぜ必要だったのかという問いについては、それは、解決していない。 ・では、天吾と青豆のかかわりが1Q84という世界のキーとなるのかという問いについては、解決していない。 ・ドウタとマザ、リトル・ピープルとはなんだったのかという問いについて、解決してない。 というのが自分なりの整理。一方、よく読めば、全ての謎は解決したという解釈もあるのだとは思う。 推理小説のように全ての謎が推理で完結的に解き明かされることを期待していたとすれば、それは期待はずれであろう。 しかし、読んだ人の数だけ世界観が生じる含みのある作品の存在こそ、文学の醍醐味だろう。 東京の住民にとっては、身近な風景の中に、違った世界を出現させる奇跡を目の当たりにしたという面白さもある。 自分としては、「傑作」というカテゴリーで書棚に分類したい。 | ||||
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上手い。 Book2はちょっと単調感があったけれど、Book3はいい。 むしろ丁寧に濃密に物語が綴れて行く。うん。 シリーズ通しての主人公の彼(天呉くん)と彼女(青豆)に加え 3ではもう一人加わる。 このもう一人がいい。 隙間を埋め、更に密度が増している感じがします。 すれ違いながら、3つの点が一点に向けて綺麗な螺旋を描きながら 収束して行く様は美しいとさえ思えます。 3だけ読んでも面白くないでしょう1→2→3と順番に読む必要があります。 しかし、Book3を読む為に「1→2」を読んでも損はありません。 満足出来る一冊です。 #1、2を読まないと3が面白くないので星4つです。 | ||||
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ノルウェイの森、アフターダークと村上春樹の作品にはイマイチ乗れなかったのですが、もう一作だけ(あるいは完全に見切りをつけるために)読んでから村上春樹という作家の作品を考えようと、そんな思いでした。結論を先に言ってしまえば「なんだやれば出来るじゃん」(超上から目線 笑)という良い意味での裏切りがありました。 他の人がどう言うかは知りませんが、多分この作品で宗教という概念そのものはそこまで重要なファクターではないと思います。どちらかと言うと(ノルウェイの森とは対照的な)アイデンティティーの奪回の方がメインテーマのような気がします。ネタバレ防止のためあまり深い内容については触れませんが、要は天悟や青豆が宗教や現実世界(つまりは精神と物質的な社会)に屈服せず、本当の自己を確立しようとするところにこの作品の面白みはあるのだと思います。 余談ですが、ふかえり経由で青豆がXXした(Xは伏字)事をあとでわざわざ説明するのは随分親切だなあと個人的には思いました(注意深く読んでいればそれが見抜けるからです)。暗示的な表現も多いので、あまり注意深くない読者(嫌味ではないですよ 笑)はついて行けない可能性もあります。ですが、このアンチ村上であった私が寝返った作品でもあるので、単行本が出て古本屋のハードカバー版が安くなったこの機会をお見逃し無く読んでみて下さい。 | ||||
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ぐいっと読んでしまい、残る感慨は混沌と愛というイメージでした。 世界の終わりとハードボイルドワンダーランドがフェイバリットだった自分ですが、 アフターダーク以降に出てきたと思う刺す暗さと緊張感がこうなるのか、と ただ凄さに圧倒されてしまいました。 以降、大長編を出さないのではと変な不安をもってしまうほどの名作だと思っています。 | ||||
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これは主人公同士のケミストリーを描いたお話で思いの強さや大きさが読む者に迫ってきて胸が痛くなります。これほどまでに女の心や求心力にも似た人の心の多様性を描き出した作者はいつも深い魂の底に泳ぎ着いて作品を創作しているというような事をどこかで書かれていました。さすがに精神が疲弊する作業だと思いました。 | ||||
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1Q84年は不思議な世界。 そこでは我々の世界の物理法則は時として蹴破られ、リトルピープルは空気さなぎを紡いでいる。 謎と矛盾に満ち満ちており、解決は一向に与えられない。 まともではない。まともな1984年の世界では物理法則は寸毫の綻びもなく、存在意義の杳として知れぬリトルなんちゃらなんているはずもない。 1984年はまともな世界。まともな世界? 1Q84年のクエスチョンは全て裏返すことができる。 1984年ではなぜ物理法則は一切の変更なく律儀に守られ続けているのか。なぜリトルピープルは存在しないのだろうか。 「そりゃ、そうだ」 そりゃそうだの壁の向こうにはもはや論理の立ち入る隙はない。 なぜ私は今、この世界で、こうして生きているのだろう。なぜ死んでいかなければならないんだろう。 そりゃそうだの壁は分厚く高く容易にその先は見通すことができない。 1984年は不思議な世界。 人の生命の孤独な成り立ち。 自分以外の人間が何を考えているのかなんて皆目見当がつかず、想像することはできるが、答え合わせはできない仕組みになっている。 なぜか自分にだけ自分が与えられ、他の人にも「自分」が与えられたのだと漠然と感得する。 彼と我とは違う人間。あなたとわたしは異なる人間。 人の生命の孤独な成り立ち。 その中にあって不意に沸き起こる想い。 心と心がまるで通じ合ったかのような感覚。 妄想や欺瞞ではないかと恐る恐る点検する。そうではない。 それが「本当」のことであるとの直観がたしかにそこにある。 「説明することはできない。でも私にはそれがわかるの」 「心から信じる」と天吾は心から言う。 人の生命は孤独な成り立ちのものではあるが、孤立したものではない。 | ||||
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ネタバレになるので、詳細は書きません。 ダメもとで図書館で借りて読んでみました。 予想以上に面白かったです。 物語の展開が同時進行で、終盤にかけて盛り上がっていく感じにワクワクしながら読んでいました。 最初ははあ?って感じで投げ捨てたいぐらい意味がわからなかったのですが、後半で、「あー、あれはああいう意味だったのか」と納得しました。 ただ、皆さんが言われてる通り説明がくどい(笑) そこは笑いながら流しましたけどね。 BOOK2も借りたのでどうなるか楽しみです。 長文、乱文申し訳ありません | ||||
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天吾と青豆(後半は牛河)の視点で、それぞれの章が描かれる。 「海辺のカフカ」と異なり、本著では最後で物語がつながる。 純粋に安心したし、ハッピーエンドと言っても構わないと思う。 ファンタジー的な世界観と文章の上手さは、流石に村上春樹である。 登場人物の個性も際立っていた。 ただし、はやり私のような凡人には消化不良が残る。 しかし、別世界においては、この世界のルールは適応されないので仕方のないことだとは思う。 | ||||
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この作品は賛否両論いろんな評価ありますが、この作品に 個性があるということでしょうか。 青豆と天吾それぞれの物語のなかで少しずつ接点がつながっていく様子 月の二つある神秘的な世界 謎のリトルピープル 空気サナギ 引き込まれて全部続けて読んでしまいました。 面白い作品だと思います。 | ||||
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正直 続けて読もうかどうか迷ってましたが 俄然おもしろくなってきました。青豆と天吾の背景が鮮明になり そこにからんでくる牛河の存在。 読むにつれ奇妙な世界に対する違和感が薄れ リトルピープルさえも実在するような錯覚に見舞われる。1巻を読んで今ひとつと感じた方にも お勧めします。 | ||||
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旧作『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と類似の、2つの物語が並列的に進行する構造を持つ。 (本作の冒頭に登場するタクシーが、『世界の終わり〜』冒頭のエレベーターと同様の機能を果たす小道具であることも感じられる。) しかし『世界の終わり〜』と異なり、本作では、2つの物語が同一のプラットフォームの上で進行していることはすぐにわかるし、随所に張られた伏線から、読者は、いつかこの2つの物語がひとつに結び合わせられる運命にあることを知る。 そして、文章は物語の進行上過不足ないバランスを備えていて、読者は、物語類型的に必然と感じられる流れ(よく「お約束」とか「フラグ立った」と呼ばれるような流れ)にドリブンされるがままに、読み進めることができる。 作中でタマルがチェーホフの引用として語る「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」という言葉は、そのまま読者に対する(「どうぞこのまま物語に身を委ねてください」という)メタメッセージになっている。 他の評者の方で、旧作のように「心に残るものがない」と書いておられる方がいたが、その気持ちはよくわかる。エンタテイメントとして物語の流れを推し進めるうえで余分なプロットやガジェットが(旧作のように多くは)登場しないのだ。だから、あたかもRPGを1本クリアし終わったような、爽快だがひっかかりの少ない読後感が残る(しか残らない)のだろう。 しかし、別段もじゃもじゃした読後感を求めないならそれでよいのだと思う。本作はサスペンスとエニグマ(謎)に彩られ、物語的必然に衝き動かされたエンタテイメントとして十二分に成立しているし、その意味で、旧作より洗練された小説だと思う。 「うまく言えないけれど、あるいはそうかもしれない。でも、はっきりそうであるとも言い切れないんだ…」云々、そういった(好悪分かれる)独特の話法に付き合わされる頻度も減った。 必然性のないガジェットが次から次へと登場することもなくなった(ヤナーチェクの曲は最後まで繰り返し登場する作者お気に入りの小道具だ。)。 本作が出版されたのはリーマンショック直後の2009年だったが、舞台設定は20年以上前の1984年に置かれている。それは、ジョージ・オーウェルに対するオマージュという意味を別にしても、必要な時代設定だったんじゃないかと思える。人々が電話で連絡を取り合っていて、カセットテープとレコードで音楽を聴いていた時代、そういう書き割りがこの物語には必要だったのだろう。 | ||||
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私は難しいレビューなど書けるほどの 知識もないし、 ただ、読んで面白かった、感動した、心に残った か、どうかだけしかレビューできません。 で、これは面白かったです 村上春樹っぽさがところどころにあって、ほっとしたし 話の内容もわかりやすかったです シチュエーションがとても浮かんでくる内容なので 是非映画化したらいいのに・・と思いました。 そのとき青豆はあの女優に、天吾はあの俳優が、タマルや老婦人だったら・・なんて 自分なりに想像できました。 映画化といえば、「ノルウェイの森」はがっかりでしたけどね 性的描写について云々のレビューもありますが まったくそれを取り出してどうこう思うような描写はありません 普通に物語の中の一つの通過点に過ぎない 特に過激すぎて刺激を与えるものでもないし この物語を語る上で、そこだけをくり抜いて取り出してしまうのは なぜなのかな デビュー作からのファンの一人として この作品は改めて村上春樹が好きと思える作品でした。 | ||||
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この本は幼い時に 過酷な状況で子供時代を過ごさなければならなかった男女青年の物語です。 とても孤独に苦しんでいる人の内面は的確に表現されています。 本来 日本人はもっと幸福に生きることができるはず? しかしこの時代の日本では難しい 「さきがけ」のリーダーは声を聴く者として登場しています。その代償として大きな苦痛を背負わなければいけないと はるか大昔はそのように王が国を統治していたとあります。この青豆と天吾君がリーダーの後継者になる・・・ 難しい設定ですが すごい本だと思います。 | ||||
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初めて村上春樹の小説を読みました。 まだBook 1なので、なにも断定的なことは言えませんが、 構成も面白いし、まあ、ツッコミどころが無い訳でもないけれど やっぱり続きが気になります。 だから、Book 2も買いました。 私は評価の低いレビューを読むのがなぜか好きなので、いくつか読みましたが、 性描写に随分強く反応されている方が多いのが不思議でした。 性描写をする文学はダメな文学なのでしょうか? よく分かりません。 性は私たち人間の生活の重要な一部であり、(何しろそれが無ければ生まれないのですから!) セックス中(あるいは後)だからこそ出てくる会話というものもあります。 性描写をタブー視することなく、純粋な批評的精神で 低い評価をされているレビューは、とても参考になるものもありますので 読まれてみると面白いと思います。 総じて評価が分かれるという点においても、興味深い小説であります。 | ||||
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正直、いままで村上作品2作ほど読んだだけですが、どうも好きになれませんでした。(これだけ世界で有名な作家なのだから きっと面白いに違いないという幻想を基に読んだ結果ですが) 相変わらず情景描写は圧巻で、目をつむればその情景が浮かんできそうなぐらい緻密な情景描写です。 この点に関しては1Q84を読む前の2作品で思った感想でしたが、今回もその点は文句のつけようがありません。 しかし、この情景描写は英語に翻訳しきれるのか?なんて、要らぬ心配をしています。 他の2作品ではどうも内容に入り込めず、ページをめくるのが苦痛でしたが、この作品はなかなかどうして、ページを進める手が とまりません。青豆と天吾という二人の主役を別の章で交互に話を進めて行く手法です。 「一冊で『冷静と情熱の間』を書いている」感じは拭えませんが、それでも、内容の濃さはこちらの圧勝か。 しかし、本が分厚すぎる。これは文庫で読んだ方が、ページが進んで一冊が終わる達成感が早く訪れるので、無難かも。 あと2冊・・・最後まで読み切れるか心配になってきました。初めて村上作品で面白いと思えたので、頑張って最後まで読みたいけど・・・ | ||||
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過去に自分自身がなんの為に生まれて、何のために生きているのかが 分からなかったまま、自分の命が亡くなってもいい、と思ったことのある読者にとっては 『1Q84』は何かを伝えてくれるテクストだと思いました。 おそらく幼い頃、そうした何かを感じたことのある子どもとは、 自分ではどうしようもない家庭環境にいた子どもでしょう。 主人公の天吾と青豆のように。そして社会から疎外され続けた牛河のように。 そして愛し合った人間が、お互いを憎み蔑む場所を目撃し続けた私にとっても、 何かのメッセージーそれは空気のようなものなのですがーが 伝わってくるものでした。 私が受け取ったメッセージというのは、一つの物語や世界が 絶対的なものではなく、でもだからこそまた別の物語や世界が 自分の外に広がっている可能性がある…そういう可能性を探せる自分が いるーそういう希望のようなものです。 家庭崩壊に直面し、青豆のように怒りと悲しみに心を支配されていた 10代の頃にこの本が出版されていたならば 自分と社会を結びつける何かを探すための手がかりを 得ることができたのかなぁ、でもそれも私の「1q84」であり「猫の町」なの かもしれませんね。 青豆と天吾が世界を取り戻したように、 すぐそばに死の淵を歩いているような 読者への祈りと希望が込められていることを感じました。 | ||||
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