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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全622件 301~320 16/32ページ
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素直にとても面白かったです。 加えて、非常にわかりやすかった、と思います。 このBOOK3では、それまで端役だった牛河が 狂言回しの役目を果たしているおかげで、 BOOK1と2で入り組んだ話は、かなり整理されます。 しかし、このわかりやすさ、ということを考えると、 これまでの愛読者を念頭に書いているのではなく、 普段は小説を読まないような人々にも開かれているような気がします。 1と2が売れすぎたせいで、3がより平易になったのではないかと…… そして、この1Q84という作品のわかりやすさは、 やはり全世界の読者を意識しているからだと思います。 一方、ストーリーの展開について述べれば、 『君の名は』的な、ベタな青豆と天吾のすれ違いは ある意味、非常に古典的といえましょう。 そして、出会った後の二人の展開は、 (春樹的に)非常にベタで期待を裏切りません。 その描写は、かなり、あっさりですが(笑)。 個人的には、死について描かれている部分が良かったです。 ひとつ挙げれば、天吾が父の死後、遺品を整理する時が印象的でした。 社会的に見れば無きに等しいような人の人生を 肯定しているような目線が好きです。 | ||||
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全て知るのは不可能なのだ。青豆、天吾、牛河の各人物の視点に密着した記述によりこの事実がまず明確になる。彼らは其々知り得た事実を因果律によって系統立てて世界を理解しようとするが、作者は世界にふたつの月を浮かべて嘲笑う。 例え、それが因果律によって理解できなくとも、それ故に我々を不安に陥れようとも、事実が事実であることを拒否出来ない。そんなストレスに対する救いとして神は存在する。宗教が存在しうる。そして、神でないなら知りすぎてはいけない。牛河の運命がそう警告する。私はこれを現代の知識万能の時世に不可知な領域、または神聖なるものを復活させようとする物語として読んだ。 この壮大な物語は丁寧で完結で清らかな文章で綴られている。時折見せる独特の比喩表現もチャーミングだ。その文章を読むだけでも代価に値する。 | ||||
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Book3を一気に読み終えた。まずは物語の力に感服した。少なくとも私は、再生を描く9章、根元的な宗教心を描く14章、父親の死を描く21章の物語から確かにメッセージを受け取った。 この物語は光をあてる角度により様々な色を発する多面体のような物語ではないだろうか。それぞれの読者の内面構造を反映する。そのようなものとして、ここに書かれている多くのレビューをおもしろく読んだ。 私はBook2のレビューに「日本人の1%が同じ時期に同じ本を読んで、共通の内容について話題にできるという現象が現れたらおもしろい」と書いたが、村上春樹は本当にそれを達成した。われわれが今直面しなければならないテーマが、この物語には託されていると思う。 読後にBook1,2で感じたのと共通の違和感はそのまま残った。 村上春樹は「カフカ」以降親子関係を描くようになったが、そこには孤独や恋愛や暴力や高度資本主義社会の生活を描くときのような筆力の冴えを未だ感じない。生育歴の犠牲者として親に対する憎悪の果ての無関心を抱き続ける主人公(天吾と青豆)、という薄っぺらなステレオタイプとしてしか親子関係を描けていないので、彼らに感情移入するのは難しい。 一方で、牛河が人生の最後に思い起こした情景が芝生を走るミニチュアダックスだというのはいかにも切ない。牛河に感情移入できるのは、彼が自らのゆがみの由来を眺める視点を獲得したうえで、自分の人生を選択しているからであろう。 Book4が書かれるのであれば、「小さなもの」を授かった二人が親となった後にそれぞれの生育歴に対しどのような視点を獲得し、親となっていくのかがテーマになるはずだ。もし彼がノーベル文学賞を受賞するのであれば、この問題をクリアしてからにしてほしいというのが、ファンとしてのささやかな願いだ。 | ||||
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根幹のテーマはシンプルだ。新興宗教をからめてはいるが、基本的には主人公二人の精神的な結びつきを壮大に表現したかったのだと思う。それこそが、この危険に満ちた世界を乗り切っていく唯一の舵なのだと。 それを裏付けるかのように、物語は他にもいろいろな組み合わせのペア(二者関係)が登場するが、それぞれ全てが(物語の言葉を借りて言えば)マザとドウタのような関係に思われる。思えば他者との関係というのは全てがそういう役割に集約され、それがすなわち原子核と分子のような結びつきとなり、人間関係の最小単位が構築されるのだ。もちろんうまくいくものもあれば、なかにはうまくいかないものもある。ただそういった他者との関連性もまた、派生した主題の一部であろう。 ストーリーの展開は濃密だ。例えていえば1センチのものを表現したい場合、10等分して1ミリずつ描いていくのを普通とすれば、1000等分して0.01ミリずつ描いていくような感じである。しかし退屈ではない。当たり前だが、0.01ミリの世界には、1ミリの世界とは全く違う景色が広がっているのだ。テーマがシンプルな分、物語にはこの密度の濃さが必要だったのではないだろうか。というかおそらく作者は、そういう小説を書きたかったのだ。たった1行ですむ事を、原稿用紙数千枚で表現するというような。 しかし村上春樹以外、いったい誰がこんな小説を書けるというのか。純粋といえばこれほど純粋な話はない。純粋という言葉すらも不純に感じしてしまうぐらい、この物語は凄すぎる。しかしそれゆえにもしかしたら、この現実世界にこの書は崇高すぎるのかもしれない。村上春樹は、いつのまにかそんな次元に行ってしまったのだ。空に浮かぶ月のように。 | ||||
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ある水準を越えた作品では、何を書かないかは何を書くか以上に大事だ。 出版史上最大の成功を収めた本書で、作者は何を書かなかったのだろうか。 天吾の母親のこと。「ふかえり」や青豆の「味方」の人達や天吾の「父親」がそれぞれ一人ひとり独立した人間として考えていたこと。 そして3巻の物語を読む我々は、書かれなかったこと故にこれを特別な物語として楽しむことができる。 4月にはじまった1Q84年の物語は、今回12月で完結した。 1Q84年の1月から3月まで、そして最終ページで二人はどこにいるのかは、書かれることはないのだ。 | ||||
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僕は大学時代から村上春樹のファンだ。 でも、というか、だから、というか「アフターダーク」の時には途中で投げ出されてしまったような終わり方に失望し、アマゾンにもそういうレビューを書いたことがある。 一度は村上さんの作品に失望した僕だけど、そのときに書いたように、それでも期待し続けただけのことはあって、村上さんは「1Q84 Book1」で見事に期待に応えてくれたかに思えたが、「同Book2」では、やはりこの本も「アフターダーク」同様、混沌のままに終わるのかと少しがっかり。 ところがまさかのBook3。これで落ちが着けるのではと大期待しながら読んだ。 Book3を読んで抱いた印象は、この本はafterオウムの村上さんの集大成(Book1のときの感想と同じ)ではないか、ということ。章立ての形式からしても、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の、「世界の終わり」の時空と「ハードボイルドワンダーランド」の時空とが交互に描かれ、最後それが見事に結び合うのを一つの頂点として、「アフターダーク」ではそれを超えようとして失敗した(ように僕には見える)が、「1Q84 Book3」では「天吾」「青豆」「牛河」の3人の軸で順繰りに語られ、さらに各々の章で時間がずれている、そしてそのずれは読み進まないとわからないため、三人が探し、探され、追いつ追われつする中で、たとえば「天吾」の章では、「青豆」は、「牛河」は、すでに読んだあの時間にいるのか、それともあの時間はまだ来ていないのか、とドキドキハラハラするので、章立て形式も「世界の終わり・・・」よりも更に技巧的(良い意味で)になっている。 内容の面でも、村上ワールドは更に豊饒さを増し、膨張するイメージを確かな筆力で描写している。こんな表現、並の作家にはできないと思う。 P.551「二十年間という歳月が天吾の中で一瞬のうちに溶解し、ひとつに混じり合って渦を巻いた。そのあいだに集積されたすべての風景、すべての言葉、すべての価値が集まって、彼の心で一本の太い柱となり、その中心をぐるぐるとろくろのように回転した。天吾は言葉もなくその光景を見守った。ひとつの惑星の崩壊と再生を目撃している人のように。」 おそらくこの言葉に表現されている、時空の融合のようなものは村上さんが自身の人生に重ねて感じていることそのものなのだろうと想像する。単なるでっちあげの世界ではないから力強い。 日本経済新聞の数日前の夕刊の最後の頁にこの「1Q84」に関する特集記事が載っていた。今朝古紙回収でその新聞も出してしまったので、本文を辿ることはできないが、批評家にも概ね好評で、「わかりやすいように、しつこいほど饒舌な文章」だが、「新しい地平を開拓した」旨のことが書かれていたように記憶する。ただ、一人の批評家は酷評しており、「何も解決されていない」「だからBook4が出るはず」とあった。しかし、僕はこの批評家の感性を疑う。一体何を読んでいるのだろうかと。解決はされている。解決というよりも主人公たちの決断はされていて、それは作者の決断でもある。Book4をこの批評家が期待するのは牛河のその後だろうが、それをどう描くにしても明らかに蛇足だ。読者が好きなように想像すればよいだけの話。だから僕は、賭けてもいいが(何を?)Book4は出ないと思う。 現代日本の最先端をいく作家の、集大成をリアルタイムで読める2010に、それなりの経験を積んだ中年として生きていられる僕は幸せだと思った。いつも同じような、幸せを噛みしめる括りで申し訳ないけれど。 | ||||
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会社から帰る途中、夜空を見上げて、 あれっ?月がひとつしかない・・・ あっ、そうか、ふたつあるわけないよなぁ。 って思うくらい、どっぷり浸かって読んでました。 月がふたつ無い世界にいることに違和感を感じるぐらい・・・ どなたかも書かれていましたが、 村上春樹さんは、私にとっても、 私のために小説を書いてくださっていると思わせてくださる作家のひとりです。 1,2で不完全燃焼に感じて保留していたものが、 3では、すっきりした感じをうけました。文句なしに面白かったですよ。 4も出るんですか?それはそれで楽しみです。 | ||||
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BOOK 3 の展開については賛否両論あるようですが、最後まで読ませる筆力というものは、やはりすばらしいと思うのです。 できれば毎日少しずつではなく、一気読みしてフルマラソンを完走したような達成感を味わってほしい気がします。 作品中重要な舞台となっている池尻大橋近辺の高速道路を眼下に見下ろして日々暮らしているのに加え、1984年を生きた中年としてはディテイルをとても身近に感じました。(BOOK 3 に出てきた「赤坂のホテル」って閉館が決まったあそこのことですよね、きっと。。。) | ||||
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面白かったです。 続きが読みたくて、夜更かしをして、数日で一気に読みました。 ただ感動するとか、そういった類の感情がわいて来ないですね。 それとここまで性的な部分は必要なんですかね?? 私はそれほど小説を読むタイプではないのですが、ちょっと引いちゃいます。 それでも面白かったです。 買って損は無いんじゃないですか。 | ||||
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私はこれまで出た春樹さんの作品はほとんど読んできました。 しかし、彼の「記憶」に対する考え方がいまひとつしっくり理解できていませんでした。 しかし、この第3巻で理解できたように思います。 人生は物語である。 物語の中に私は含まれる。その物語は自分の強い思い、大事に思っている人の強い思いが作っていき、いやおうなく自分とその人を含みながら進んでいく。 強い思いは強い記憶から生まれる。 好きな人との大事な記憶は心の中を常にともす小さな光になり、生きていく自分の足の少し前を照らす光になる。 春樹さんにはきっとそのような光となる記憶があるのだと思います。だからこそこの本を書けたのだと思うし、小説家としてたぐいまれなる成功を手にしたのだと思います。 私自身にとってそんな光となるような記憶はあるのか?ないことはないけれど、強い現実の風の前では吹き消されてしまいそうです。 第3巻では牛河が殺され、彼の魂の一部が復活をしようとして終わっています。 また、牛河が知っている天吾の母の本当の死因について天吾はまだ知りません。そして、天吾はそれを知りたいと思っています。 そして、青豆と天吾の子供は果たしてどんな運命をたどるのか。 今までの春樹さんの作品と違い、登場人物のほぼすべてに子供がいることも注目ポイントでしょう。 子供とは血=記憶を受け継ぐものだと春樹さんは考えているのでしょう。 では、春樹さん自身が子供を持たないのは、彼自身が子供に受け継ぎたくない記憶があるからなのでしょうか。 私も子供がいませんが、本当に一生いないままでいいのか、また悩んでしまいます。 ともあれ、第3巻はつぎの月が1個しかない新しい世界へのブリッジ的役割の作品となっていると思いました。 | ||||
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僕は、年を取ることに対して感傷的でやたら主人公が泣く初期春樹作品よりも、オウム事件と神戸大震災以降、世界の闇や暴力に本格的に対峙することを始めた中期以降の春樹作品の方を評価する読者です。そんな僕としては、本書の背景として導入されている宗教や闇社会、天皇制の隠喩(=「さきがけ」は丸山眞男的な中心のない体制である)、心の通わない親子、私刑(/死刑)などの重いモチーフがどう料理されていくのかということが、このお話を読む上での興味の中心です。 「原理主義やある種の神話性に対抗する物語」を作ることが作家の役割であり、「大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う」と作家自身は読売新聞でのインタビューで2009年に語ったそうですが、この「対抗」の部分に至る前段として、背景となる神話性や暴力を描いたのが一・二巻だと言えるでしょう。前段にかけるには500頁で二冊はちょっと長いんじゃないかとは正直思いますが、じっくり書いている作者に付き合う根気が読者にも求められちゃってますね。なお、本書の後半では、やっと「空気さなぎ」のあらすじが明かされますが、美少女作家が書いたからといってベストセラーになる内容じゃないよね、これ(笑)。でも、同じくらい取りとめのない「1Q84」がブームになってる僕らの生活の現実とパラレルだと言えなくもないんだよな。 | ||||
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物語りに引き込まれる、という点では「さすが」という感じです。 読後、気になり続けた点は「なぜ牛河さんにあのような結末が必要があったのか」です。 この作品は彼の暴力についての思索の結論なのではないでしょうか。 1Q84といういわば観念の世界で繰り広げられる暴力の物語りを経て、青豆と天吾は望んでいた幸福を手に入れます。 カルト的宗教集団が自分達の信仰や利益のために暴力を用いたり、幼い子供をその道に縛ることは確かに非難されるべきことです。 しかし、青豆が自分の幸せを望み始めた途端に、今度は牛河の存在、さきがけの追っ手が立ちはだかる。彼女が天吾との幸福を実現するためには、それら立ちはだかるものが除去されねばならない。たとえ自らの手を汚すことがなくとも、誰かの手が汚れている。 人として当たり前の幸福を、当たり前のように手にするという小さな幸せは、無垢なものではなく、誰かの犠牲の上に成り立っている。 幸福であっても、暴力とは無関係ではいられない人間の哀しさ、それゆえにその小さな幸せをかけがえのないものとして守っていかなければならないことを語りかけているように感じます。 3人の視点で物語りが語られていく、というのも、青豆と天吾の二人が幸福を求める物語りであっても、そのために暴力的に排除されていく者が忘れられてはならない、そんな思いを表しているような気がしました。 | ||||
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村上春樹ならではの世界観は変わっていないように見えるが、過去の著作を振り返ってみると、文体もテーマもちゃんと筋道をたどって変化しているのがよくわかる。また、テーマや文体は、少し前の短編、中編小説で試みがなされて、それがちゃんと今回の長編に活かされているのがわかる。長く読み続けるのが楽しくなる作家だ。 読み終えた直後でまだ自分のなかで整理ができていない。自分の頭が物語にうまく馴染んでいない気がする。もう少しして、クールダウンしてからもう一度読み返したい。そうしたら、「世界の終わり〜」や「ねじまき鳥」に対するのと同じような愛着が出てきそうで今から楽しみだ。 | ||||
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1Q84はBOOK1&BOOK2を読んだ感想は、村上春樹は旨くなった分、味が薄くなった。 分厚い単行本2冊をすいすい読めてしまうのは、10年前までは無かった。 しかし、BOOK2を読み終える頃に、グッと面白くなってきた。 この頃はBOOK3が出ることは決まってなかったのですが、続編は必要だとおもってました。 それだけに期待していたBOOK3 青豆と天吾、よかったと素直に感想 しかし、BOOK3完とあったのはBOOK4もあるかもってこと? ・発射されていない銃 ・青豆に宿った命 ・天吾が1984年に持ってきた原稿 ・1Q84年でリトルピープルが紡いだ空気さなぎ このようなものが放置されたままBOOK3は終わった やはり、このまま終わるわけにはいかないような そして、BOOK4もすぐ買うでしょうね 村上春樹の新作が出ることが、うれしい。 | ||||
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以前の村上作品に登場したことのある、牛河さんが、このBooK3では準主役級の扱いになっていて、びっくりです。以前は牛河さんが嫌な奴だと思っていたのですが、この物語では彼のあまりの報われなさに、つい彼を応援していました。続編がでるなら、牛河さんに少しでも救いや希望があるように、期待しています。誰か、他にも牛河さんファンの方、いませんか?(いないか) | ||||
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1Q84はBOOK1&BOOK2を読んだ感想は、村上春樹は旨くなった分、味が薄くなった。 分厚い単行本2冊をすいすい読めてしまうのは、10年前までは無かった。 しかし、BOOK2を読み終える頃に、グッと面白くなってきた。 この頃はBOOK3が出ることは決まってなかったのですが、続編は必要だとおもってました。 それだけに期待していたBOOK3 青豆と天吾、よかったと素直に感想 しかし、BOOK3完とあったのはBOOK4もあるかもってこと? ・発射されていない銃 ・青豆に宿った命 ・天吾が1984年に持ってきた原稿 ・1Q84年でリトルピープルが紡いだ空気さなぎ このようなものが放置されたままBOOK3は終わった やはり、このまま終わるわけにはいかないような そして、BOOK4もすぐ買うでしょうね 村上春樹の新作が出ることが、うれしい。 | ||||
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待ちに待ったBOOK3。 一気に読み進めました。 ボリュームもさることながら、内容も充実している。 村上春樹の文章が大好きなので、すごく幸せな時間を長く味わうことができました。 何度も読み返す作品のひとつになりました。 | ||||
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(一部ネタばれあり) この1Q84年において、青豆は二つの世界が存在する可能性があったことを知る。 ひとつは、お互いのことを強く求めていることに気づくことができるが、お互いが交わることのできない1Q84年。 そこでは、自分か相手のどちらかしか存在を許されない。 もうひとつは、お互いのことを強く求めていることの可能性にさえ気づかない、1984年。 book1/2で、青豆は1Q84年に迷い込み、そして死んだ(はずだった)。 しかし彼女が死ななかったということが描かれたbook3は、エピローグに近いと思う。 それは、さきがけのリーダーが語っていた、二人が手をとって1Q84年を脱出するという、もうひとつの結論として(猫の町から脱出するように)、 青豆の愛情の純粋さが生み出した答えであり、読者である僕らが望んだものなのだと思う。 いずれにしても、「愛がなければ安物芝居にすぎない」という言葉のとおりでは? book3を読み終えた後、改めてbook2のリーダーの言葉を読み返すと、より深い理解ができる。 | ||||
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今回も期待通り、とても読後感が良かったです。 いつも村上春樹さんの作品は、読んだ後の心の感じ(余韻)が、悪くない感じの不思議な感覚が残って好きです。 あと、時間を置いてまた読むと、その時によって、自分が笑ったり、涙が出たりする場面が全然違うのも好きな理由です。 | ||||
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10歳の頃の、子供から大人の性へ未分化の、そのあたりの体験をずっと忘れない人は、多いのか、少ないのか? 個人的な体感と重なる、そういう人が多いから売れているのかどうか? 人生は不条理だらけで、理屈では、生きる意味など見つからない。アナタが生きているこの世だから私も生きていよう。生きる意味はそれでいいのだと思う。 Book4以降も続くのかしらん? 原理主義的でも、規範的でもない温かさ。登場人物の体温を想像しつつ気配を楽しんでいる。 インターネットと携帯のない世界も好き。(とネットで投稿しているけれど。) | ||||
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