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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全622件 221~240 12/32ページ
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ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を聴きながらこの文章を書いている。物語の冒頭で現れ、重要な意味を持つ音楽だ。 作品を読み終えたばかりで、意識が昂揚し、震えている。それを差し引いても、『1Q84』は現時点での村上春樹の最高傑作ではないか。三人称で、独創的で深みがある長編小説を書こうとする氏の試みは、鮮やかに、畏れすら抱かせるほどに成功している。 今年2月のエルサレム賞受賞に際してのスピーチの冒頭、村上春樹は、自らを「職業的な嘘の紡ぎ手」と述べた。巧妙な嘘をつくことによって、真実を新しい場所に運び出して、それを新しい光で輝かせるのだ、と。 1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件の後、村上は、オウム信者、事件被害者にインタビューをし、また公判にも足を運び、2冊のノンフィクションを上梓した。『1Q84』の中で、宗教団体が大きな役割を担って、象徴的に、メタフォリカルに現れるのは、村上がその経験を通して世界観を更新したからに違いない。 『1Q84』の中には、『空気さなぎ』という別の物語が現れる。『空気さなぎ』は、『1Q84』の中で生み出された物語でありながら、実は『1Q84』のメタ物語として機能していることが明らかになる。「青豆」という女性と「天吾」という男性の二人の物語が交互に語られ、やがて交叉する『1Q84』の展開は、いくつもの「仕掛け」によって重層化されている。村上は、説得力と深みをもった一流の「嘘」を紡ぎだしている。真実(例えば、作品中で象徴的に現れ、最後まで正体を明かされない「リトル・ピープル」など)は、多くの場合、捉えどころがない。しかし、村上は、その「尻尾を捕まえ」見事に光を当てている。 すぐれた物語は、1つの宇宙として現れる。それは、仮構でありながら、現実の私たちを包み込み、慰撫し、意識下の部分に触れ、揺さぶる。『1Q84』は、広大で深遠な1つの宇宙だ。 | ||||
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内容に対しての、たくさんの賛否両論のレビュー、 これこそ、作品に力がある証拠です。 1984年、パラレルワールドの分岐点。 通常の1984と差別して 1Q84と命名した。 それがタイトルにもなっている。 実は僕も1984年を分岐点として 新たな違う人生を経験している。 それが、この本との距離を縮め そして不思議な世界に僕を誘う 1Q84(2)が早く読みたい 僕の心はすっかり この本の虜になっている | ||||
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ストーリーの展開が新しく、次々にページをめくることになり楽しめた。 ただ、話の本筋がわかるまで、200Pぐらい読まないと分からない。 読み始めてどこに向かって話が進んでいるのかわからないので、ちょっと しんどかった。 しかし、かなりじわっと話が進み、200P以降少しづつ紐解かれていくので、 読み進むペースが早くなった。 例えば、東野圭吾の初期の作品のように、最後の最後で一気にストーリーの 雰囲気が代わり、驚かされるようなものに近しい。 これのスローバーションのビックリ展開で惹きつけるものがあった。 なので、私、的には新しい感じがしておもしろかった。 本書には性的な描写があり、 これだけ流行っている大きな要素の1つだ。 性的表現は、話とは別にとりあえずはあきないし、興味が単純にわく。 東野圭吾の作品でも流行ったのはこういった描写が一因している。 あくまで、作品としてのスパイスなので、ストーリー展開はやはり一流で、 違和感なく、綿密に計算されて構成を立てられているので、 結論おもしろかった。 | ||||
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雑誌に特集が組まれ、謎解き本が出版されなど、何かと話題の本作だが、 いくら細かく切り刻んだり結びつけたりしてもこの本がなぜこれだけ人気なのかを 説明できているわけではないと私は思う。 これまでのレビューにあるように、女性の体の描写に不快感を抱く読者がおり、 文学の死を叫んだり、社会に対して襟を正せとどなったり、宗教を分かってない などとこき下ろしたりとさまざまだが、この作品に求めているものが読者によって 異なっているということだろう。 レビューにとらわれずに読んで、楽しんでほしいと私はお薦めする。★5つの レビューが参考にならなかったと切り捨てられることが多くとも、あえて減点無し でお薦めしたい。迷っているのなら読んでみたらどうだろうか。 この小説は創作であり、著者が有名だからという理由で比較対象とされる現実の 物事に対する配慮や正確性を求められる必要はない。性的な表現もいつもの村上氏 の味だ。主人公はクリーンである必要はなく、対抗する宗教団体も「悪の組織」で なければならない理由はない。読む側がそこに個人的な規範を持ち込むから、その ように不ぞろいな反応が起こるのだ。 あわせて千数百ページの長編を概観することは不可能だが、この物語を通して 作者が語りたかったことのひとつはこうだと想像する。現実社会が実は曖昧で不安定 であり、人々は揺るがない(ように見える)枠に自ら入り込んで生きたがり、その中 で正しいと思われた価値観が、枠の外では反社会的であったり、違法であったりする。 それを描くことで、人々は社会の成り立ちの不確かさや目に見える物事の裏に隠された 「深み」に思いをはせることができる。文学的であることは、公平公正で正義を身に まとい、理想を標榜することとは無関係だ。まして、勧善懲悪的な構図やスリルを 演出することとも違う。 ストーリーに入り込んで楽しめたこと以外に私が面白いと思ったのは、著者本人の ものと思われる哲学的な認識が登場人物によって語られていることろだ。特にBook1の 第22章にある「時間と空間と可能性の観念」を人間が脳の発達によって獲得したと いう記述とそれに続く説明については私の考えに近く、納得したところだ。 全体を通してヤナーチェック作曲の「シンフォニエッタ」が登場する。この曲を私は 高校の頃、実際に演奏したことがある。Book1の冒頭にこの曲が登場したとき、その 重厚な響きを頭の中で蘇らせることができたことも、この小説に入り込むことができた 要因のひとつだろうと個人的に思っている。もちろん、この作品に登場するいかなる 曲や文学作品に触れたことがなくても、ストーリーを、とりあえず目の前に広がった 現実として読み進めれば、最後まで飽きることなく読み通してしまうことだろう。 小説は解釈より「ノメリコミ」が大切!読み進めている最中の気持ちが大事だ。 ストーリーを追体験してつかの間の楽しみを得るためにこそ小説は読まれるべきだと 私は思う。 | ||||
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雑誌に特集が組まれ、謎解き本が出版されるなど、何かと話題の本作だが、 いくら細かく切り刻んだり結びつけたりしてもこの本がなぜこれだけ人気なのかを 説明できているわけではないと私は思う。 これまでのレビューにあるように、女性の体の描写に不快感を抱く読者がおり、 文学の死を叫んだり、社会に対して襟を正せとどなったり、宗教を分かってない などとこき下ろしたりとさまざまだが、この作品に求めているものが読者によって 異なっているということだろう。 レビューにとらわれずに読んで、楽しんでほしいと私はお薦めする。★5つの レビューが参考にならなかったと切り捨てられることが多くとも、あえて減点無し でお薦めしたい。迷っているのなら読んでみたらどうだろうか。 この小説は創作であり、著者が有名だからという理由で比較対象とされる現実の 物事に対する配慮や正確性を求められる必要はない。性的な表現もいつもの村上氏 の味だ。主人公はクリーンである必要はなく、対抗する宗教団体も「悪の組織」で なければならない理由はない。読む側がそこに個人的な規範を持ち込むから、その ように不ぞろいな反応が起こるのだ。 あわせて千数百ページの長編を概観することは不可能だが、この物語を通して 作者が語りたかったことのひとつはこうだと想像する。現実社会が実は曖昧で不安定 であり、人々は揺るがない(ように見える)枠に自ら入り込んで生きたがり、その中 で正しいと思われた価値観が、枠の外では反社会的であったり、違法であったりする。 それを描くことで、人々は社会の成り立ちの不確かさや目に見える物事の裏に隠された 「深み」に思いをはせることができる。文学的であることは、公平公正で正義を身に まとい、理想を標榜することとは無関係だ。まして、勧善懲悪的な構図やスリルを 演出することとも違う。 ストーリーに入り込んで楽しめたこと以外に私が面白いと思ったのは、著者本人の ものと思われる哲学的な認識が登場人物によって語られていることろだ。特にBook1の 第22章にある「時間と空間と可能性の観念」を人間が脳の発達によって獲得したと いう記述とそれに続く説明については私の考えに近く、納得したところだ。 全体を通してヤナーチェック作曲の「シンフォニエッタ」が登場する。この曲を私は 高校の頃、実際に演奏したことがある。Book1の冒頭にこの曲が登場したとき、その 重厚な響きを頭の中で蘇らせることができたことも、この小説に入り込むことができた 要因のひとつだろうと個人的に思っている。もちろん、この作品に登場するいかなる 曲や文学作品に触れたことがなくても、ストーリーを、とりあえず目の前に広がった 現実として読み進めれば、最後まで飽きることなく読み通してしまうことだろう。 小説は解釈より「ノメリコミ」が大切!読み進めている最中の気持ちが大事だ。 ストーリーを追体験してつかの間の楽しみを得るためにこそ小説は読まれるべきだと 私は思う。 | ||||
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私は、海外に住んでいる者です。この本がベストセラーになったということは知っていて、日本に帰った時に買って帰ろうかと思いましたが、本が重いのと(その頃は、文庫本はでていませんでした)アマゾンでの評価も、それほど良くなかったので、読むことはないだろうと思っていました。たまたま、こちらに住む日本人の方がBOOK1、2を面白いから、ということで貸してくださいました。私は、女性なので、特に青豆、のストーリーが面白く、一気に青豆のを読んでしまいました。正直言って、天吾のストーリーは、性的なことが多く、いまひとつ、面白くなかったかも?でも、描写がすごく良く描かれていて、自分がまさに、その場にいるような感じにさせてくれます。私、個人的には、やはり奇妙な体験をしているので、いつ、そういう異次元の世界に入り込んでもおかしくはない、という気にもさせられます。また、Book3に登場する牛河さんは、気の毒としか言いようがないです。でも現実の世界にも、牛河さんのような人が大勢いるのでは、ないでしょうか?私は、個人的にBOOK4が出てほしい!絶対に買います。 | ||||
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だけどやっぱり春樹氏が好きなんだな。 この小説の評価は難しい。現代のオウム真理教問題等のカルト問題を真正面から捉えようとしたことは大いに評価すべきだと思われる。 村上春樹氏以外にそのような問題を直視し作品にしている人間は稀有だからだ。ただ、物語が進みにしたがってそれらは影を潜めてしまった。 その中途半端さが非常に残念であり、本作品の評価が分かれるところだろう。 ただし、その後には学生時代にかすかに人生が交錯し、互いのことを密かに思い続けるお互い似た境遇にある二人の主人公へと焦点が移って 行く。淡い記憶を確かめるように二人が出会い、手を取り合って月を眺めるシーンはやはり静かに心を打つ。 ずっと村上春樹氏のファンだった。後期の作品については首を傾げるものが多くなってしまったと思っていた。この度の作品についても 中途半端な部分が目立ち、結局なに?と思う場面もあった。特にこれがBOOK2で終わっていたら後味の悪い作品だったが、BOOK3になり、 二人が結ばれた場面を読み、だけどやっぱり私は村上春樹ファンなんだなと胸を張って思いました。 | ||||
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村上春樹の本は8割ほど読んでいますが、私は昔の作品群のほうが好きです。 でも、1Q84も面白くないわけではないです。 特に1は続きが気になってどんどん読みました。 ヤマギシ会、オウム真理教、エホバの証人などを想像して読むと現実味があります。 村上春樹の書く女性ってそんなに都合いいですか? 私は女性ですが一度もそう思ったことがなく、わりと共感できるのですがおかしいのかな。 | ||||
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テレビで女子アナが「兎に角エロイ」と宣伝していたので、買わないことにしていたこの作品だが、読んでみたら社会派小説でした。文学小説を愛する人たちの中に、性的表現に嫌悪する人が多いという事実もあるので、その女子アナの紹介のしかたは大変にまずかったと思います。 IQは、15年ほど前の例の宗教団体の事件について書かれた作品です。村上春樹さんの勇気に感服しました。これを出版したのが、あの時代だったら、村上春樹さんは、あるいは殺されていたかもしれません。 そうでないとしても、宗教の問題というのは、ある限定した人たちの間ではの話ですが、大変にデリケートであり、地雷になりやすいと思います。 IQ1では、起承転結のうちの、起から承へうつるあいだのお話だと思います。 はじめのうちは、テレビの前宣伝が脳裏に焼きついていたので、あまり期待はしていませんでしたが、途中であの事件の事だ! と気がついてからは、もう釘漬けです。 話が、例の事件にまでたどり着く間も、登場人物の心の深く深く深いところまで、本当によく描写されています。はじめのうちは、ちょっと退屈かなと感じましたが、IQ1を読み終えてIQ2を読み始めたころには、かえってその冗長とも思われる人物描写が、いい味をきかせてきます。 わたしは、たとえそれがベストセラーであっても、自分が読んでつまらないと感じた本はすぐに売り飛ばしてしまいますが。村上春樹さんの本を売り飛ばしたことは一度たりともありません。本当に才能があると思います。これからも面白い作品をじゃんじゃん書いてください。 | ||||
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やっぱり村上春樹の小説にはずれないですね。早く3を読みたい〜!でも・・・3読み終わったら続きが気になってしかたないんだろうな・・ | ||||
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面白いです。ただ、やっぱり難しいです。難解で有名な純文学作品だったりすると腰を据えて読み解こうと頑張るんでしょうが、こうすらすら読めてしまうと、つい考えなしに読んでしまいます。村上作品を読み解くには、上辺の面白さだけに囚われない、中身とじっくり向き合う覚悟が必要かも。 | ||||
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教団の描写が興味深かった。 リーダーのカリスマ性。組織が共有しているストーリー。そこに巻き込まれる人々。 それは『アンダーグラウンド』なるリサーチを通して著者に聴こえてきた声のように映った。 ストーリーを元に宗教は信条を築き、洗脳によりリアルな世界に住まわさる。 『1Q84』は自分が信じ込んでいる世界をQuestionせよと私に問いかける。 | ||||
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何度も自分で小説を書いてみようと努力はするもののこんな長編を書くこと自体が困難でしかも常に話題をふりまくだけの力強さや主張が尽きないことに経緯を現したい。ネタバレにはしたくないけど、読みやすいが、長い!という感は確かにある。でも、どんな作品にも著者の魂は宿っている。それを手放しで批判するような人は自分にはとうてい実現できないマネをする村上春樹氏への憧れが、嫉妬心に変わり勝手な責任を押し付けているように感じられる。僕は、彼に憧れる。だからスタートすることにしました。これを使います。↓たった一晩で正しく・美しく・売れる文章を書く方法 プロ・ライターの奥義伝承マニュアル [DVD]村上春樹のような小説が書いてみたい。だから、批判ではなく、行動する。そう決めました! | ||||
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青豆は女性を虐待する男たちを法の埒外で仕留める仕置人的女性。ある日を境に月が二つある世界に紛れ込んでしまったようで、彼女は今の自分がいる時代を1Q84年と密かに名づける。その青豆はある宗教団体内で教祖が少女たちをレイプしているという情報を得た。 天吾は予備校の数学講師。小説家志望であるがまだ一冊も本を世に送り出したことがない。出版編集者の小松に言われて、17歳の少女が書いた小説を仕立て直すことになる。その作品が見事新人賞を獲得するが、少女の父親はある宗教団体で教祖的な存在であることを知る。 昨年ベストセラーとなった村上春樹の3部作を今さらながら手にしてみました。 まずは第1巻の感想ですが、大変読みやすい作品だというのが第一印象です。もちろん物語はまだ緒に就いたばかりなのでしょうが、律儀なほどに交互に語られる青豆と天吾の不思議な日常は、興味がつきることなく、頁を繰る手が休まることがありませんでした。 『アンダ−グラウンド』以来、オウム真理教事件に関心をもってきたと思われる村上春樹ですし、オウム教徒の大半と同世代の私にとってこの『1Q84』は身近なものを感じさせる何かが全体を覆っているように感じられました。 記憶が確かならば『約束された場所で―underground〈2〉』の中で、ある理科系のオウム教徒が小説に関心をもてないということを語っていたと思います。 彼らは理数の世界の物事が明快であることを愛でる一方で、フィクションの世界がそうではないということに居心地の悪さを感じているようでした。 そのことを思い起こすと、この『1Q84』の中の天吾の次の言葉が、大変意味深いものに思えます。 「物語の森では、どれだけものごとの関連性が明らかになったところで、明快な解答があたえられることはまずない。そこが数学との違いだ。物語の役割はおおまかな言い方をすれば、ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって、解答のあり方が物語的に示唆される。(中略) それは理解できない呪文が書かれた紙片のようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。」(318頁) おそらくこの「実際には役には立たない」けれども「可能性を含んだ」呪文としての物語が、第2、第3巻で紡がれていくのだろうなと予感を抱きつつ、とりあえず第1巻の頁を閉じた次第です。 | ||||
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「さきがけ」のリーダーを殺害した青豆の行方を追う牛河。安全な場所への移動を拒み、ひたすら天吾に会うことだけを思い続ける青豆。一方天吾は、自分の部屋にふかえりを匿ったまま、眠り続ける父と対峙するため父のいる街へと向かう。天吾と青豆は再会できるのか?彼らはもとの世界に戻れるのか? 月がふたつある1Q84の世界にいるふたり。青豆はそれが不可抗力ではないことを知る。「いるべくしているこの世界。」そう感じたとき、青豆はこの世界にいる意味を考え始める。その考えの行き着く先には天吾がいる!命を懸けた青豆の思いは届くのか?1984の世界に再び戻ることができるのか?この作品を読んでいると、確かな世界などどこにも存在しないような気がする。何を信ずるべきか?信ずるに値すべきことはいったい何か?自分が今ここに存在するのはいったいなぜか?世界の本質、人間の本質が、作者に問われている。読み手はその作者の問いに答えられるのか?答えられずにたじろいでいる自分がいる。たぶん、これから一生をかけてその答えを見つけなければならないのだろう。次はどんな世界が、天吾と青豆を待っているのか・・・。楽しみと不安が入り混じる。本当に深いものを抱えた作品で、読み応えがあった。満足♪ | ||||
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村上春樹作品といえば「あきらめようよ。現実を受け入れよう」と主張する作品がほとんどだった。君たちは理想郷を思い描くけれど、僕らは現実の世界で生きていくしかないんだ。ここで現実を受け入れるしかないんだ、と。この作品では駄目だと思ったら場所を移せと言っている。30年前「風の歌を聴け」で同じ作者が主人公に言わせたのは、「どこも同じさ」というセリフだった。でも同じじゃない。月が二つある世界に留まっちゃいけない。猫の街に留まっていたんじゃ、どうにもならないこともある。そこでは一歩を踏み出す勇気が、親しい人に別れを告げる勇気が、そしてうまく行かない理由が自分にあるのではない、環境が変われば自分はうまくやれるんだ、と自分やまだ見ぬ別世界の可能性を信じることも、必要になるのだろう。興味深い登場人物がたくさん現れるけれど、彼らの一人一人について、猫の街に留まってしまった人なのかどうか、留まってしまったのだとしたらなぜなのか。いろいろ考えてみると話が長くなりすぎるほどテーマが詰め込んである。天吾の父親はまるで古い村上春樹作品の主人公が年老いた姿のようにも見える。完全に自立し、誰にも何も期待せず、諦めてしまった人の姿。神や救世主に依存するカルト信者たちと、完全に絶望し生きる力を失った老人。逃げた先で悲劇に見舞われた不倫女。暴力夫から逃げ出せない妻。愛されることを諦めた野獣。救世主の正体を確かめる勇気が湧かない人々。猫の街に迷い込むことも、そこに住んでいる誰かに会いに行かねばならないこともあるだろう。でもそこで死後の救済を待ち続けるような人にだけはなっちゃいけない。汽車が迎えに来なくても、線路を歩いてゆく行動力が必要だ。 | ||||
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松本清張さん、宮部みゆきさん、堂場瞬一さんなどが好きです。多くの本を読んでいますが、村上春樹さんの本は初めて読みました。楽しみました。「深い」と思いました。このコーナーに、辛口の意見が多い事に驚きました。「次が楽しみ」と思いながら、一気にBook2, Book3まで読みました。これだけ辛口だ、という事で、他の作品を読むのが楽しみになりました。本気でそう思っています。無理してません。 | ||||
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現代のノストラダムス、村上春樹氏の作品です。あまり詳しくは説明しませんが、本書の内容を今(2010年11月現在)の日本の政局に当てはめると、ぴったりくるんじゃないかな?と個人的には思ってます。 | ||||
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何だろうこの感じは、、、と想い出させるところが、村上春樹なのかなといつものように思う。「個」へのコダワリとでも言おうか、とっくにどこかへ置いてきてしまって、小市民の顔をした自分の深層をノックするかのよう。天吾と青豆の物語が、BOOK2までいくと、交差するのがサプライズできた。それと、作者の「ノルウェイの森」でもそうだったが、新鮮味の無いパターン化した性表現、それに出現頻度もくどいと思わせる。ひょっとして、トラウマかなにか、フロイト風に言えば、かなり抑圧された欲求が影響しているのか。経験に乏しいのか。。でも、こちらも癖のある読者の端くれとすると、何も美文に酔いたい訳でもなく、啓蒙されたい訳でもなく、読書する一時、異次元に居られるような一瞬でも、が過ごせられれば、まずは良しとしたい。 | ||||
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やはり世界に引き込む力は3巻もすごい。思わず夜空の月が一つであることを確認してしまいます。死と生や時間の流れに論理性のない世界、そんな世界を成立させています。第4巻に繋げられる含みもちりばめられながら、3巻が終わっています。 | ||||
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