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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全622件 201~220 11/32ページ
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BOOK1,2,3とも発売当初に読んでしまっていたのだが今般ゆっくりと再読。 最初に読んだ時には、あまりにそれとわかる宗教団体の描写に、 社会的に大丈夫か?と無駄な心配をしたりしていたが、 時を置いて再読することにより、ようやく文字通り 「青豆」と「天吾」の物語として読むことができている。 BOOK3までもう一度読み終えてから、この部分は語りたい。 この大著のメインキーワードはもちろんリトル・ピープルなのだが 本書BOOK 1にて既にその答えは一部明かされている。 「リトル・ピープルは目に見えない存在だ。(中略)しかしそいつは 着実に我々の足元を掘り崩していくようだ。(P422)」 3/11とその後のごたごたを見る限り、日本にはまるで 1Q84の世界の如くリトル・ピープルが跳梁跋扈しているようだ。 それがイコール○○だ、と紋切り型に喝破できるのであれば、 氏はこんな大著を記したりはしない。それを判りにくい、 答えが出ていないという声を上げるのはお門違いというものであろう。 冒頭から相変わらずの村上節で、決して取っ付き易い作品ではない。 しかし今、日本の外で暮らし分かったことは、書店にまともに 何作品も並ぶ日本の作家は氏だけだということだ。 長い作家生活の中で、少しずつその作品世界は広がっている。 それを心地よく思わない昔からの読者も多いであろう。しかし 「何はともあれ、私はこの人生を生きていくしかない(p443)」 という地に足をつけた決意は、世界の人たちも待ち続ける、 確かな歩みが続いていることの何よりの証だ。 | ||||
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こんなに、読んだ後に内容がどうだったか覚えていない小説も数少ない。面白く読み終わるんですけど、なあんにも残りません。良かったよではなく、まあその時間つぶしには悪くないというかなんなんでしょう。これだけの長編を読ませておいて、なあんにもないというのはあんまりじゃありませんか。村上マジックに手玉にされてる嫌な感じです。 | ||||
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子供は親を選べないし、牛河さんの容姿が醜いのは、運が悪かったとしか言えない。確かに、作家の牛河さんの描写はいささか残酷だけど、牛河本人は、はたして、自分を「残念な人」と見ていたのであろうか?牛河本人が劣等感を持っていたであろうか?劣等感を持っている人間に、読者がひきつけられるであろうか?彼は自分の醜い容姿をそのまま受け入れているように思う。ただ、彼は、好奇心が強すぎる。森の奥に入りすぎたため、殺されてしまった。タマルによって殺されてしまったが、タマルが殺さなくても牛河は死ぬべき人間だったように思う。 牛河を「死」へ導いたものは彼自身の「好奇心」であろう。 事実、牛河は、天吾の母親の秘密を知ってしまった。天吾の父が墓場まで持って行った”秘密”を。 しかし、牛河はその秘密を誰にも言わず、死ぬ。 BOOK3終わりでは、とりあえず青豆と天吾のハッピーエンド。 でも、 ・天吾が書いている小説 ・青豆のお腹の子ども が気になる とりあえず月がひとつの世界に戻ってきたが、作者はしかるべきときに4を出版する? 私は、最近3冊いっき読みしたが、BOOK2でとりあえず終了した作品に続編3が出たとのこと。 いや、2や3で終わるはずがない。 これは作者の読者に対する計画的犯罪のような気がする。 それとも、好奇心はこの辺でおしまいってこと?! | ||||
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村上春樹の熱心な読者とは言えない自分だが、この1Q84はのめり込むように読んでしまった。BOOK 2は、BOOK 1の前提や世界観の説明臭さも影を潜め、より率直にストーリーが展開し、引きずり込まれた。 特にこのBOOK 2は、BOOK 1で多用された性描写(まぁ、他の小説に比べてみればたいしたことないけど...)も少なくなり、よりストレートな展開だったので集中して読めた。 ふかえりが象徴する不可思議な出来事が、10歳の時に運命的な出会いをしながら、決して交わることのないように思えた天吾と青豆の人生を再び交えようとするところなんて、最後のページまでドキドキして読み進めてしまった。 この作品は、近年稀に見るような圧倒的なベストセラーでありながら、他の村上春樹作品ほど評価を受けていないように感じられるが、久しぶりに村上春樹の単行本を読む私には、改めて、村上春樹のストーリーテリングや描写の巧者ぶりを再認識させられる作品だった。 次は、BOOK 3。久しぶりに徹夜してでも読みたい本だ。 | ||||
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実は、村上春樹自体はあまり読んでいない。というのも私が80年代に学生時代を過ごしていた時から、ネコも杓子も村上春樹ばっかりだったので、天邪鬼な私はいつしか離れてしまっていた。でも、やっぱりスゴイ。 『ノルウェイの森』以降、単行本を買って読むのを止めてしまった自分だけど、彼が翻訳した本とか雑誌に掲載された文章は読んでいる。結構、好みの文章を書くとは思っていたけど、今回も良かったなぁ。やっぱり食わず嫌いはダメだね。ベストセラーでも、いいものはいいんだ、と改めて反省した。 小説の中身も、実は私好み。まだ、この第1巻ではパラレルワールドっぽい設定やメタ・フィクションっぽい話も垣間見えるだけで、全てが明らかにされているわけではないし、天吾、青豆、ふかえりといった主人公たちの関係がどうなるかも分からないけど、読むのが止められないぐらい面白かった。 どこか、ピンチョンの小説を思わすところも私好み。第2巻、第3巻も続けて読もう。 | ||||
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どうしようもないレビューばかりに呆れて、書かざるえません。 売れると、どうしても叩かれやすい。 結論から言うと、私は、長編短編、全ての村上作品を読みましたが、この作品は、集大成と言ってもよいくらい素晴らしい出来だと思います。 これが村上春樹の世界なのです。 もしも、この本のレビューで星1つだとすれば、はっきり言ってどうしようもない人間です。 ただのアンチか、本気で言っているんだとすれば、病気でしょうね。 その人には、評価する能力がないと思う。じゃあ、逆にどんな本が、どんな文章が素晴らしいのか質問したくなります。 プロ野球の「イチロー」を否定するようなものです。 ボール球でも手を出すとか、足が速いだけだとか…。 ひいき目に見ないでも、最低でも星3つにするべき本であることは間違いありません。 | ||||
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今この瞬間に読了を終えました。 完璧な読了感。 この本に出会えた事 村上春樹氏はもちろん いろんな人や出来事に感謝したい気持ちで溢れています。 ミステリーのように 三者(あるいは二者)が追い追われて 物語が巡り会うまでの心地よいスピード感。 ぐっと引き込んでくれます。 かつての「僕」一人称の作風とはちがって 明快でシンプルな印象を受けました。 その作品は 時に謎を多く残したまま物語が終わってしまうことも多々ありました。 今回は 思うにそれぞれの物語を余す事無く書く事で ちゃんと収束に向うように構成したのかとも思います。 すべてを読み終えた後では既に遅いのですが 仮に 天吾の章だけを読み進めていけば 青豆は ミステリアスだけれど説得力のあるヒロインとして浮かび上がってきたのじゃないかと思います。 往年の名作たちのように。 | ||||
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理科の実験のとき天悟が青豆に助けの手を差し伸べたことがきっかけだった。 ほかには誰もいない教室で天悟の手を握りしめながら、その少女は天悟の顔をまっすぐ見ていた。 そう、そこには月があった。まだ夕暮れには間があったが、そこには月がぽっかりと浮かんでいた。 三日目の夜に、山羊が大きく口を開けた。そしてそこから小さな人々がぞろぞろと出てきた。 『白雪姫と七人のコビトたち』みたいだ、と少女は思った。 私はたぶん、ふかえりと天悟がこしらえた「反リトル・ピープル的モーメント」の通路に引き込まれてしまったのだ。 そのモーメントが私をこちら側に運んできた。 青豆はまわりを見回した。つまり、私は天悟の立ち上げた物語の中にいることになる、と青豆は思う。 1984年も1Q84年も、原理的には同じ成り立ちのものだ。君が世界を信じなければ、またそこに愛がなければ、 すべてはまがい物に過ぎない。 天悟くんは今に至るまで君以外の女性を誰一人、心から愛したことはない。それは疑う余地のない事実だ。 | ||||
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ここにいることは私自身の主体的な意思でもあるのだ。 彼女はそう確信する。 そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由はたったひとつしかない。 天悟と巡り合い、結びつくこと、それが私がこの世界に存在する理由だ。いや、逆の見方をすれば、 それがこの世界が私の中に存在している唯一の理由だ。あるいはそれは合わせ鏡のようにどもまでも反復 されていくパラドックスなのかもしれない。この世界に私が含まれ、私自身の中にこの世界が含まれている。 私たち二人の意思がひとつになり、この入り組んだ物語を立ち上げ、進行させている。 それはおそらくどこか深い見えないところで行われている作業なのだろう。 だから顔を合わすことがなくても、私たちはひとつに結びついていられる。私たちが物語をつくり、その一方で物語が私たちを 動かしていく。 あれ以来、おれが彼女のことをずっと思い続けていたのと同じように、彼女もおれのことを考えていた。 それは天悟には信じがたいことに思えた。この動きの激しい迷宮にも似た世界にあって、一度も 顔を合わせることもなく、人と人の心が変わることなくひとつに結びあわされてきたということが。 ここを去ることにとくに心残りはない。・・・青豆が一緒にどこかに移動したいというのであれば、 迷いなく行動を共にすることができる。 何があっても、どんなことをしても、私の力でそれを本物にしなくてはならない。いや、私と天悟くんとの二人の力で、 それを本物にしなくてはならない。 | ||||
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今更ながらbook3を読了。 別な世界に迷い込んで、 現実には起こりえないと思えるようなことが自分の身に降りかかり、 それが起きた理由は説明できない。むしろ、意味などはじめから存在していない。 人の身に降りかかることすべてに、意味があるのが当り前のように思いがちだけど、 そんなわけないじゃない。 個人的には他の村上春樹さんの作品を読んで感じるのはそんなことが多いが、 これもまさにそう。 むしろbook2で終わっていてもそれは作品としてありだと思っていた。 しかしあえてbook3を出され、少しでも読者に対して謎を残さないように配慮されたのではないかと思えるほどでした。 これはネタバレになってしまうのかもしれないけど、 個人的にはハッピーエンドで話が完結しているようにみえて、 少々驚いています。 もっと何か、すっきりしたのかしないのかわからないような感じになるのかと思っていたので、意外に思っています。 明るい未来がイメージできるような結末は私は好きなので、 ★5つにしました。 長編ですが、どの作品もそうですが、これも読み込む価値はあると思う。 | ||||
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村上春樹氏は本当に稀有な小説家です。 1度目は物語の展開と文体で一気に読ませ。 2度目で細部に気づかされて。 そして3度目で人生を考えさせられる。 (できれば少し時間をおいて) そして至極の言葉の集まりでもあります。 最低でも3度は読んでみるべきです。 世には多くの批判もあるようですが そうしてから批判してもらいたいものです。 村上氏の本質が分からないのは もしかしたら人生の宝物を見過ごしているかもしれません。 すべての氏の長編小説がそうです。 だから私は氏の作品だけはすべて手元に残っています。 氏のインタビューからも分かりますが かなり意識して創作されています。 勿論1Q84のそういう作品です。 50代のオヤジでも十分満足できる作品です。 | ||||
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「アフターダーク」の形式と同じです。 2人主人公がいて、場面が順番に変わります。「青豆」の章と「天吾」の章。 慣れるまでは、場面の切り替わりに、ついていくのが大変でした。 おもしろいから、その場面をもっと読みたいのに、切り替わるのですからつらいです。 と言いながら、やはり、たとえようもなくおもしろいです。 謎に包まれた展開で、これから先どうなるのか、はたまたどうもならないのか、わくわくします。 | ||||
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天吾と青豆の再会直前の時の天吾の「本当に青豆なのだろうか?」みたいな太文字の部分が無理やりというかわざとらしくてちょっと残念でした。疑わないなんておかしいだろう、という読者の声にこたえたかのような感じがしたので。看護婦の「胸と尻は必要な容量を備えていた」という表現には笑ってしまいました。 | ||||
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大ベストセラーになり、メディアでも大々的に取り上げられた作品、 でも、ここの評価はイマイチ 村上春樹の小説は、晦渋な言葉をあまり使わず、伏線は有って無いようなもの、比喩を多く使い、海外のブランドと小説家を取り上げる傾向と自分は判断してる なので、普段は小説を読まない人から好かれ、読書家には厳しい目で見られるのではないだろうか 自分の読書量は、その中間程度、その目から見て、この小説は面白い ノルウェイの森は☆2つ、だったが、これは☆4つ BOOK1、2は☆5つ、3は☆2つだ 文学を楽しむという事は、物語を楽しむ事であるが、村上春樹の小説は文を楽しむ事が本編で、物語はおまけと思っている そして、BOOK3は物語として☆1つも無いと思っている | ||||
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以前は村上春樹の作品はあまり好きではありませんでしたが、 1Q84はあの頃そんなことがあったな、と思い出しながら ねじれた時空に自分も迷い込んだ気分になり、入り込んでいけました。 3部作という長い話しにもかかわらず、時間を忘れどっぷり浸り、 表現力豊かな描写が、かつて自分が歩いた道、 町並みにダブらせる事ができ、リアルに感じられました。 自分の選択しなかった未来も、1Q84の世界の中に存在しているかもしれません。 | ||||
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私がこの作品を読んで感じたことは、「村上春樹はやさしくなった」という事です。 これまでの村上作品には、 何か救いや希望の無さ、冷たい風にさらわれたような、時が止まってしまったような、そういう印象を感じていました。 ですがこの作品は違っていました。二人の主人公にはある種の救いと希望が用意されています。ストーリとしても 分かりやすく読者が置いていかれるような感覚も薄く、文学的な普遍性とエンターテイメント性のバランスがうまく 調和していると感じました。 個人とシステム、私と世界というこれまでの小説と同じテーマ・世界観を残しつつ、読者と一緒に新たな ステージに進みたいとう氏の純粋な野心を感じさせる一冊です。 昔の作品のリズム・メロディー感が好きな人には物足りなく感じるかもしれませんが、私はありだと 思っています。 | ||||
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book3まで読みました。久しぶりの長編ということで期待していました。一般の広い読者を意識しているなと思いました。いろいろ言う人はあると思いますが、村上さんが言っている「小説はテーマを提供する」という意味では成功したと思います。 | ||||
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外国語がどんなに得意な人でも母国語よりも上手にあやつれる人はいない、というのを聞いたことがありますが、小説の登場人物もそうではなかろうか。書き手の知性や個性を超えられるキャラクターは、登場しない。村上春樹のファンはそれを知っていたはず。そして、小説が好きな読者もそれを知っておいた上で読むべきものであって、『1Q84』を通して今さら村上春樹論を展開する必要があるのだろうか? ホテルの1室でこの小説は終わる。そして、終わる間際に、僕には青豆がバブル期のメークをした、ごくごく普通の当時の女性としてイメージできた。 「バブル」の本質を描いた傑作だと自分は解釈しています。経済的もしくは家柄的には最底辺で人生が始まった登場人物達が、シュールな世界で繰り広げる冒険談を愚かしいまでの平文に『朝日ジャーナル』的な教養を散りばめながらも糸井重里司会の『YOU』をフォローするほど垢抜けてもいなく、あまり縁がなかったであろう女体とフリーセックスとDCブランドを遠巻きに見ているかのような、時代を辺境から見ていた小市民的な視点がなんとも逆説的に「バブル」! ちなみに、醜男こそ自分の中に「女」を見つけ、同性(男)にも相手にされないから「俺は野郎に興味はねえ」といった発言をしがちなのでのすが、この小説に出て来る牛河はそういう点で説得力が無さ過ぎる、と思いました。 | ||||
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作者としては珍しく?ストーリーの展開(及びそのテンポ)で読ませる構成になっていて 読んでいて自然に引き込まれ、非常に面白かった。 村上春樹の長編というと(特に初〜中期のものは)、ストーリ展開で読ませるというよりは どちらかといえば、複雑に絡み、入り組んだ心理描写の糸を読み手に紐解かせるような 展開のものが多く、それに疲れた挙句、根底に流れる救いようの無い孤独感や喪失感に 苛まれることになり、そこまで極端では無いものでも根底に流れる鬱っぽさに気持ちが 参ってしまうものが多かった。 心に強く訴えるものはあるがしかし、“面白い”と言える物では私にとっては、なかった のだ。 例えば、「ノルウェイの森」などは作品として優れていても、面白いか面白くないかの 評価軸では少なくとも私は全く感想を述べられない。 その点、本作には分かりやすい“面白さ”がある。 軸をなす2つの話の展開が比較的テンポよく進み、早く次を知りたいと思わせるドキドキ感 で飽きることがなく、“面白い”と素直に感想を述べられる。 ストーリーは、“何かどこかが正常と違ってしまった1984年”という設定で、架空の世界 を表現していながらも、途方も無く現実とかけ離れた物語として描かれてはいない為、 “もしかしたらこんなことって有り得るかも・・・”的に(あるわけないですが)、頭の中で ストーリーをイメージさせ易く、題材も過去にあった社会的な出来事をモチーフにしたもの であることなど、十分に私の興味をひいた。 又、村上春樹らしく登場人物の描写が非常に緻密なので、ストーリー自体が浮つかず しっかりしていることにも好感を持った。 別々の物語が一体となった時、本作が“20年前の過去一点に端を発する二人のラブスト ーリー”であることに気付かされて(いい意味で)唖然とさせられ、物語の世界観も私は 拒絶感無くスムーズに受け入れられた。 個人的には、新しい村上春樹を見た思いがし、読んで大変によかったと思っています。 (実はまだ、読んだのは2巻まで、3巻は買ったばかりでまだ読んでいない。) 冒頭のタクシー運転手のセリフに“あんなこと言うタクシー運転手はいないだろ”とか、 又、性描写への非難しかしない人達は、私に言わせればピント外れも甚だしい。 “個人の感想”なので批判するつもりは毛頭無いが、そのうちに“月が2つ出ている なんてわけわからん”と言う人が出てくるに決まっているとも思うが、お話にはならない。 少なくとも、様々な小説を読みなれている方の感想・レビューでは無いでしょう。 (本作の場合、確かに少し特異なものも含まれてはいますが、この程度の性描写は官能 小説では無くても一般小説で普通にありますよね・・・。本作でなぜそれが比較的大きく 取り沙汰されるのか全く不思議です。) 本作は読みやすい部類だとは思いますが、総じて村上作品は暗喩による言葉の置換えの 多い文体や複雑な心理描写の上に成り立つ作品構成が、平易なものとは言い難い部分が あるのでその結果、比較的はっきり読み手を選びます。 少なくとも普段、読みやすい軽いものばかり読まれている方や、いろいろな作家の小説 を読み慣れていない方には難しい(面白さが分からない)、若しくは、合わない、ことが 多いはずです。 突き詰めれば、単に好みの問題だけの場合もありますが、この作家の場合は、一部、 読み手の読解力に作品の評価が左右される場合も多くあるでしょう。(面白いと思わない なら読解力が無い、と言っているわけではありませんので念のため。単なる好みも当然、 作品の評価に影響するはずでそれはごく自然なことです。) その意味からは、元来、万人受けする作家ではないはずなので、宣伝効果(或いは「宣伝 しないこと効果」)ではあるのでしょうがバカ売れの状況には確かに疑問があります。 つまり、全ての人にとって“売れているから面白い小説”とは全く言い切れない。 “これが何故、ベストセラー本なの?”という比較的多くの感想がそれを示している。 傾向としては本作にもそれを僅かに感じますが、村上作品の根底に流れる鬱っぽさが 私には合わず(ずっと昔に読んだ「ノルウェイの森」を引きずっているかもしれない)、 実はあまり好きではないのですが、軽くて読み応えの薄いものばかり読んでいると、筆力 のある作家として、時々読みたくなる作家の1人です。 | ||||
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「参考になった」と言われがちな 世間の一部評判から照らし合わせてピックアップした (ので、ごくごく断片的なポイントに特定されたことをお許しください)私の感想。 普通の感覚で読んでいる限りでは、 作者が「男性の欲望を書き連ねている」というような印象は、特に受けない。 例えば、男女複数いる主人公のうちのたったひとりが、 自ら何もせずともモテモテだったからといって、 それが作者の願望だというふうには、どうしても結びつけられないのだが。 結びつくとしたら、それはただの安直な「決め付け」というものだろう。 また、小説の中に、今回は多種多様な性的描写は出てくる。 が、しかし、普通に読んでいる限りでは、 それが作者自身の嗜好だという理解には、どうしてもならない。 それもまた、安直な決め付けだろう。 (「性描写が自分にとって不快だった」という意見が出る可能性は、 十分あり得る内容だとは思うが。 ただ、これは「児童文学」ではなく、ただの「文学」である。 多種多様な性描写が出てくる事は、少なくともこの程度は、もともとそんなに珍しいことではない。 「子供に読ませるんじゃなかった」と感じた人がもしいたとして、 この内容でそう感じるというならそれは、うっかり読ませたあなたが悪い、という範囲だということだ。 作者のせいでも、出版社のせいでも、本屋のせいでもない。 この内容でいちいち「成人指定」なんてつけるバカはいない。) 話の中の部分的な要素について、いちいちそんな決め付けをされて おまけに不快がられてしまうんじゃ、 小説家は、何もかけなくなってしまうよなあ。 「国民的小説」じゃないのだから。 国営放送ドラマでも、国語の教科書でもない。 村上春樹の小説は、そういった位置にあるものでは、そもそもなかったですよね。 村上春樹は、ここまで大ブーム「みたいに」ならないほうがいいんだよなあ、と思った。 決めつけ、思い込みも「世間の評判」のうちだとしても、 そんな評判を「参考になった」としてしまう人もたくさんいたりするので、 どうなんだろうなあ、と思う。 また、作家に対して失礼な決め付けをする読者は、 その作品自体を、読者自身で勝手につまらなくしてしまっているだけ、とも思える。 で、レビュー本筋、私個人のこの本に対する評価は、 あえて星ひとつ減らして4つ。 村上春樹の作品に対しては、「過度に」期待をしているからである。 しかし、もしこれがはじめて読む作家の作品であれば、 5つ付けていたかも。 なんだかんだいって、唯一無二の世界観を持っている作家だし、 誰の真似でもない、 そういう「唯一無二」の表現を持っている人を、私はそれだけで高く評価してしまう。 特異な表現世界で、あれだけのページ数を読ませるのだから、 それがきちんとエンターテイメントとして成立して面白いのだから、 やっぱりすごいことに変わりはない。 でもまた同時に、あまり「大々的多数の人向け」ではないのかなあ、 とも思える世界でもある、ということだ。 次回作、まだまだ期待してます。 万一もしBOOK4が出たら、即、買って読むと思います。 | ||||
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