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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全180件 101~120 6/9ページ
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BOOK1、2では脇役にすぎなかった牛河、「ねじまき鳥」にも登場するあの嫌な男が、BOOK3ではずいぶん魅力的なキャラクターに変貌している。彼はこれまでに明かされなかった謎を解く探偵役として重要な役割を果たしていく。 3巻を通して読むと、この小説が純愛をテーマにしていることがよく分かる。 物事が収まるところに収まった感じの結末はやや不満。 | ||||
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終わりじゃないよね? 終わりなら予定調和すぎる 1Q84は4Qで完結へ | ||||
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これは終わってないと思う。 続編でるでしょ。 いずれにせよ、今まで書かれてきた テーマが織り込まれていて 村上作品の集大成のような規模感を感じます。 | ||||
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村上さんの小説はほとんど読んでいます。 この小説も面白かったです。 ただ、村上作品に好きな順番に並べると、 「1Q84」はベスト5にも入りません。 「1Q84」には村上さんのダサい部分が他の作品より強く出ている気がします。 青豆が自分自身に「クールにやるのよ、青豆さん」って語りかけるようなとことか。 ナルシスというかキモイというか。 「世界の終わり…」と同じで一章ごとに登場人物が交替する構成も嫌いです。 ふたつの話が交わりはじめてくるとすごく気持ちよいのですが、 前半とかは、いい感じで話に集中しはじめたときに章が変わったりしてやきもきします。 話自体はとても好きで3巻が出るのも待ち遠しいですが、 あの村上春樹がこんなに長い時間かけて書いた作品ならもっともっと面白くてもよかったはずなのに、 という気がします。 別の世界へと移動する、個性的で不思議な女の子が出てくる、 得体の知れない不気味キャラが出てくる、など過去の作品と似ている部分も多く、 よくも悪くも村上さんらしい小説なので、好き嫌いは分かれるのではないかと思います。 個人的には、「1Q84」が200万部売れるんだったら「ねじまき鳥クロニクル」は400万部売れないと納得できません。 | ||||
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今まで、村上春樹の小説は、短編、長編を問わず、すべて読んでいます。 この1Q84を読みはじめてまず思ったのは、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と似た話の進め方だということです。春樹作品は基本的に、パラレルワールドを描いている場合が多いですが、これを明示的に描いているのがこの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」です。1Q84も作りはこれと同じで、別々の世界がひとつの接点で結ばれていくという感じです。 また、「海辺のカフカ」で登場した中田さんのように、ある種の特殊能力を持った登場人物。ドラゴンクエストのように何かを探し続ける人たち。 さらに、「ねじまき鳥クロニクル」で取られた3部構成戦略。1Q84が3部構成で終わるのか4部以降も出るのかはわかりませんが、「ねじまき鳥クロニクル」の全3部のうち最初に刊行されたのは第1部と第2部だけで、第3部以降が存在するのかどうかということは最初は明らかにされていませんでした。一種のマーケティング手法かもしれませんね。 というわけでこの1Q84という作品は、上記3作品を平均化したような、ある意味村上春樹の集大成を言える作品ではないかと思います。しかしそれでいて、上記3作品を超える面白さは、個人的には感じませんでした。 | ||||
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私たちの世界である「1984年」と,それとは微妙に異なる「1Q84年」が交錯し, 「月はひとつ」とか「警察官の制服はこんな感じ」といった常識が覆される。 作者は,新聞のインタビューで「仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある・・・そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。 ほぼすべての登場人物に名前を付け、一人ずつできるだけ丁寧に造形した。その誰が我々自身であってもおかしくないように。」 と述べている。 なるほど,登場人物の日常の細かい書き込み。 長い放尿だった,だの,今日の夕飯はどうのこうのと材料や調理法まで書いてある。 ・・・しかし,男性主人公はともかく, 女性主人公の方は,プロの殺し屋であり,顔をしかめたときの異形,非常識な男の誘い方・・・ どうも生身の人間というよりアンドロイドか別の世界から来た人のようである。 なので,作者の意図が,読者に主人公と自分を重ね合わせることを期待していたとすれば失敗だと思う。 ただ,女性主人公の非現実的な雰囲気は,作品全体のファンタジー性を盛り上げており, 不可思議なエピソードの連続も,「まあ,ファンタジーなので。」と納得がいくから,これはこれでよいのかもしれない。 上巻の感想なので,ここまでにしておくが,この小説,下巻まで読み終えても話として完結した気が全くしない。 これだけ大々的に宣伝して多くの読者をつかみ,BOOK3まで引っ張るからには, メッセージを抽象的に伝えて終わりではなく,物語として完成させてくれることを望む。 | ||||
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本書は、出版社の巧妙な戦略が功を奏して、本来であれば、村上春樹の作品を読まないような人をも巻き込んで、空前の大ベストセラー小説になっている。かくいう私も、一応、彼の作品は3つ読んではいるものの、これだけ騒がれなければ、まず、本書を手に取ることはなかったと思っている。しかし、そんな人々が、果たして本書を楽しんで読めるかという点になると、なかなか厳しいと思う。 まず、本書は、物語の焦点がどこに合っているのかがなかなか見えてこないので、退屈を感じてしまうところがある。実際、私も、本書は発売直後に買っているのだが、途中で他書に目移りし、最近まで、本書に戻ってくる気になれなかったのだ。それでも、ひとたび物語の焦点が合い出すと、次第に読者を引き付けてはいくのだが、やはり、本書の最大の問題は、難解だということに尽きる。村上文学の特徴は、「文章は平易だが、作品は難解」といわれているのだが、まさに、本書は、その典型のような作品なのだ。 私には、1Q84年という概念が、よくわからない。並行世界でもなく、仮想世界でもなく、世界は1Q84年に変更され、1984年はもうどこにも存在しないといいながら、主人公らだけが入り込んだ世界ともいい、ほとんどの人が知覚できないともいう世界とは、一体、どんな世界なのだろうか?また、青豆のある究極の選択で運命が決まったはずの天吾が、その直後にふかえりと行ったある行為が、なぜ、必要なことだったのかも、よくわからない。 村上春樹は、「ノルウェイの森」では、「100%の恋愛小説」といわれた純文学で勝負していたのだが、「海辺のカフカ」といい、本書といい、現実離れした、奇妙で難解な別の世界に入り込んでしまっているようなところがある。そもそも、本書で扱われているテーマは、1Q84年だとかリトル・ピープルなどという、わけのわからない設定のもとでしか語れないようなものなのだろうか? | ||||
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書き出しからグッと引き込まれる 文章力はさすがです。 特に第1巻の冒頭部分は凄かった。 2巻では、核心に迫ろうとする部分で はぐらかされているもどかしさがありました。 読後もなんとなく1Q84の世界にいるような 気分を感じました。 内容から得られるものは特になかったですが 3巻も読んでみようと思います。 | ||||
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作家としてはすごい人なのだろうと思うけど、読み終わってすぐ感じた事はこの人はこれだけのものを書いて読者に何を伝えたかったのだろという疑問だった。 社会的に問題になった事件をこんな形で創作してしまうところに現実離れした摩訶不思議なものを感じた。サリン事件の背景に何があったのかが問題ではない。そういう風に陥ってしまうことに人間の弱さみたいなものがあるのだろう。集団心理と言えば言えなくもない。 でもこの本は、そんなことも論じていない。ただ自分勝手な摩訶不思議な世界を描いて見せているだけだ。 ただ言えることは、この本を手に取り1ページをめくった途端にもうとりこになってしまう不思議さだ。物語の中に引きずり込まれ後ずさりできなくなり、あとはもうひと思いに最後まで一気に読み進むしかなくなってしまう。そして、月は本当は2つあっても不思議ではないと思い始める。 だから、最初に戻ってこの人の作家としての偉大さを感じずにはいられない。読者を村上ワールドに引き込む力はすごい。 | ||||
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ヒロインは、長いアイスピックをエモノとして人を殺すわ、つばを吐くわ、「ちんちん見せろ」というわで、キャラクター小説かと思わせる側面が強い気がするのは気のせい? そして、そのヒロインはスタイルがよく、ルックスはいいか悪いかで言えばいい方、経験人数は少なくないが、あそこが新品同様と言えるぐらい(26歳まで処女で現在30歳)SEX回数は相当少なめで、ちょっと禿げた男性が好きっていうのは、作者の趣味か? どの作品だったか忘れたけれど、「人は長く生きれば生きるほど磨耗していく、禿げはその磨耗の証で悪くない」みたいなことを書いていた作品があった。 他には、日米安保に直接言及した作品はなかったけれど、今回は言及している(作者の年齢から言って、当事者ではないにしろ、言及しておかしくなかったけれど) 性表現の多さ(過去作品と比較して) と色々と気になる部分が多い。 最近自分が読んだ小説(『アンダーワールド』、『堕ちてゆく男』、『楽園への道』etc)と比べると相当軽い。何か物足りない。でも、それなりに面白く、すいすい読み進んでしまう。 完結を待たずに評価を下すのは速いと思われるので、とりあえずBOOK2以降を読んでみようと思う。 | ||||
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文体は、素晴らしいです・・ 細部まで、リアルに想像することができました。 でも、構成がアニメチックで、時間つぶしに読む少女漫画?のような スカスカの恋愛小説、そんな薄っぺらな深みのないイメージでした。 心に響くものがなく、共感できる部分もありませんでした。 期待が大きすぎた感があります。 (2冊目読み終えた時点での感想です。) 2冊で完結しているものだときいていましたが、 最後あまりにもブチッと切れているので 続きがあるように感じます。 しっくり来ないけど、終わりなんだよね… という終わり方ではなく、 あまりにも尻切れトンボな終わり方なので、 「これで完結。」で納得できちゃう人は、 村上春樹の作品が好きなのではなく、 村上春樹ブランドが好きなのでしょう…多分。 | ||||
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BOOK2に入り、青豆が最後の大仕事にとりかかるあたりで、ストーリーが動き出します。 このBOOK2で見え始める「恋愛小説」の部分は、私はそれなりの評価はしているため、BOOK1より評価は上にしました。 「からだを求めあう男女関係」を結び続けてきたあまり、真に求めている(求めるべき)「心のつながり」の存在があったことに気付かなかった(もしくは忘れかけていた、避けて通っていた)ことに気付く過程を、ありきたり感なく描けていると思います。 といいつつもこの評価なのは、この小説の宗教的部分というか、ファンタジー的部分が全く理解できなかったからです。 私自身、ファンタジーは嫌いではないのですが、どちらかというと、最初から最後まで徹底的に「非現実的な話」か、現実世界と非現実世界が共存している場合でも、その境界線がハッキリしている話の方が好きです。 そのためこの小説のように、現実と非現実の境界線が実にあいまいな場合、例えば「リトル・ピープルは、現代社会の何かを意味しているのだろうか」などと考え込んでしまい、あまり話にのめり込むことはできませんでした。 | ||||
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前置き:この評論は元来140文字限度のミニブログ「ついったー」にて行なったものであって、その段落のひとまとまりが、一ついーと分に相当している。 1Q84読了。オーウェルの1984は「大きな物語」としての歴史、国家、政府、社会が、ビッグブラザーという語り部に支配され、個人の魂が窒息させられる。ムラカミの1Q84は「小さな物語」としての小共同体が、リトルピープルという語り部に支配され、個人の魂が窒息させられる。 1984の世界と1Q84の世界と、その違いを象徴するのが月だ。月が2つある世界では、月が1つだけの世界とは微妙に違う歴史が進行する。月が諸物の運命を支配している、ということだろうか。ここで小生は、ハインリッヒ・シュリーアがストイケイアを「星の神々」と意訳したことを想起させられる。 1984のストイケイア、ビッグブラザーは、全体主義国家という「単一の物語」を用いて人類を分散管理している。それに従う者は、魂の窒息と引き換えに、平凡な日常の生活を保障される。だが、ひとたびそれに背けば、過酷な運命がふりかかる。ストイケイアは禍福の神なのだ。 1Q84のストイケイア、リトルピープルは、ポップカルチャーという「多数の物語」を用いて、それとは知られることなく人類を分散管理している。ところが、ある小共同体の少女が、その世界の成り立ちに関わるカラクリを、小説という媒体を通して暴露してしまうのだ。 リトルピープルという禍福の神は、ヨリシロとなる人間の緩慢な死と交換にして「空気さなぎ」を作り出している。空気さなぎから生まれ出て来るのは、理解不可能な死か、理解不可能な他者か、どちらかだ。他者の他者性は自己の死と表裏一体、ということであろう。 この「空気さなぎ」から生まれ出て来る他者アルイハ死は、それなくしては世界が成り立ち得ない、根源にあるところのカラクリである。人は他者なくしては、生きることができないから。人は、他者から生まれて、他者の死を看取りつつ、自己の死へと連れて行かれる存在だからである。 人の始源が「他者アルイハ死」にあるならば、テンゴの始源である父親が生物学的父かどうかは、もはや重要でない。他者である父を看取るテンゴは、看取りの行為において、人生のベクトルを取得する。自己の彼岸にある他者から始められた自己が、他者の死を経て、自己の死に向う、というベクトルである。 テンゴが「自己の死」へ向うベクトルを取得したとき、テンゴのための空気さなぎが静かに殻を開き始める。そこにはテンゴにとっての永遠の憧憬としての他者たるアオマメが眠っている。自己の死へ向うベクトルは、他者アオマメへ向かうベクトルと完全に同一である。他者と自己の死は同一なんだから。 テンゴが他者アオマメに向かって生きるという実存的決断をする終章で、そのアオマメが生物学的に生きてるかどうかは、もはや重要ではない。他者イクオール死、であることのゆえに、死者アオマメは「真の他者」として、他者の他者性のうちにお隠れになっている女神的存在になっているのだ。 準絶対他者アオマメに向かって生きるベクトルが、自己の死に向かうベクトルと同一化したことによって、死のベクトルを得たテンゴは、また、ほんとうに生きることのできるベクトルをも得たことになる。このベクトル上で、その命尽きるまで、テンゴの平凡な日常が展開され、彼は生きることができるのだ。 「他者アルイハ死」から始まり、他者の死を経て、「自己の死アルイハ他者アルイハお隠れになった神としての準絶対他者」へ向かうベクトル。このカラクリを基本構造に使って、リトルピープルは「多数の物語」を語り、多数の小共同体を生み出して、人類を囲っているのである。これが1Q84の世界像だ。 1Q84のベクトルはキリスト教のパロディーだろう。後者は、絶対他者たる神を始源とする人間が、絶対他者たる神の十字架の死を経て、お隠れになった神ソシテ再び来たりたもう神へと向かって行くベクトルである。このベクトルに生きることを自己の死へと向かうベクトルに選んだ者がキリスト者である。 キリスト教のベクトルもまたリトルピープルのカラクリに過ぎないのか? テンゴとアオマメが1984の世界で属していた小共同体「証人会」はキリスト教の暗喩であろう。この証人会は1Q84の世界には存在しないのだ! つまりキリスト教のベクトルはリトルピープルの手の外にあるということになる。 リトルピープルのベクトルは、キリスト教のベクトルに似ている。しかし、キリスト教のベクトルは1Q84の世界には存在しない(証人会の不在)それが1Q84の世界における終末論の希薄さの原因であろう。このことは、キリスト教のベクトルがリトルピープルのカラクリでは「ない」ことを示唆する。 キリスト教のベクトルはだれが作ったカラクリなのか? 無神論全体主義のビッグブラザーではない。すると、どのストイケイアが作ったんでもない「ほんとうの物語」がキリスト教のベクトルかもしれないということになる。こういう読み方をするならムラカミの1Q84は高度な護教小説ということになる。 結論:「大きな物語」でもなく「小さな物語」でもない、しかし「大きな物語」をも「小さな物語」をもその根底から規定しているような「ほんとうの物語」が、1984の世界と1Q84の世界の差異分として、お隠れになってあるのである。この差異分こそが「Q」だ。 追考 1Q84の「Q」が、1984と1Q84との差分としてのキリスト教のベクトルだとして。しかも、ストイケイア(ビッグブラザーorリトルピープル)の手によらざる「ほんとうの物語」としてのキリスト教のベクトルだとして。では、なぜそれが「証人会」という暗喩で示されているのか? 最後の問い。 1984のストイケイア「ビッグブラザー」が語る大きな物語が提示するのは、国家、政府、社会が一体化した全体主義国家、バビロンである。メインストリームのキリスト教は、残念ながらこれに迎合して来たふしがある。古代の帝国教会、中世の教会国家、近世の国家教会、現代の体制翼賛的教会である。 国家主義的キリスト教だと「ビッグブラザーの掌中の道具としてのキリスト教」ということになってしまう。これを回避するには、アーミッシュなどの反国家主義的キリスト教を提示すれば良いのだが、いかんせん本邦では馴染みが無い。そこで、戦前戦中の「灯台社事件」がある某団体を選んだのではないか? 某団体が反国家主義的とは言え、現実にはその統治のシステムは擬似国家的である。また、戦中米国で行われた体制迎合方針を日本の「灯台社」の明石氏が批判して破門されているから、全くストイケイアの影無しとは言えない。そこで某団体に類似した、しかし、それそのものでない団体を描いたのであろう。 教会は、1984が批判する世界像と1Q84が批判する世界像との狭間にあって、あの1984と1Q84との差分の「Q」である「ほんとうの物語」としてのキリスト教のベクトルを追い求めていかなければならない。それゆえ「Q」はQEDのQではない。Quest(探求の旅)としてのQである。 キリスト教のベクトルが「ほんとうの物語」だとしても、ビッグブラザーorリトルピープルの誘惑に勝って「ほんとう」を守り続けるのは難しい。教会が暴力装置を使って住民を管理したり、精神操作を使ってメンバーを管理したり。1984と1Q84が描く「個人の魂の窒息」に加担することがあろう。 このQuestに生きること自体がベクトルである。ワタクシという存在は、絶対他者タル神を始源とする。神を見ることは自己の死を意味する。その神が死ニタモウタ(十字架)その神がフタタビキタリタモウタ(復活)その神がフタタビキタリタモウ(再臨)その神に身を投げ向けて生きるベクトルである。 | ||||
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正直に言うと今回の1Q84は過去の作品に比べて(海辺のカフカは読んでないのでそれ以外で)幾分質の落ちるものだった印象です。 たとえBOOK3、もしくはBOOK4で完結したとしても。 村上春樹は内面の混沌とした感情を表現したり、一人で思いをめぐらせ完結する流れを表現するのは非常に巧みですが、人との会話形式で感情を吐露させるような表現はそれに比べると数段質が落ちてしまうのか?羊をめぐる冒険でも似た様なパターンがありましたが今回はテーマが違っていたため雑になってたというか、そんなもんか?的な浅はかさみたいなものを感じました。 また著者が昔から拘っているものに対する描写と、そうでないものだけど登場人物の設定にしたものの描写にクオリティの差がありすぎて冷めてしまう部分もありました。 しかし上記のネガティブな条件をふっ飛ばしてしまうほどさらりとした文体と展開の鋭さは相変わらず冴えてます。 娯楽小説としてみれば十分寡作であると思います。 著者はこの作品で大きく方向転換をしたようです。 いままでは主人公「僕」が箱庭の中で物語を展開する「内に向いた」作品でしたが、今回のテーマは「愛」だったり親子関係だったり。モチーフにしたカルトやフェミニズムにも著者自身の問題提起があったのだと思います。テーマが内面から外に向かっていったようです。 そして書きたいことが沢山あるが故にどれも今ひとつ心に響かない。 フェミニズムからくる暴力やカルトの描き方には決して良い意味ではない驚きはありましたが。一つ一つの表現の質が今までの作品よりも雑に感じました。 親子関係に関しては深い部分が表現できていたと思いますが、自己愛と性愛の印象が強い村上春樹がそれ以外の愛を表現しようとしてもそれ以上に優れた表現が出来ていないというジレンマを感じました。 かなりネガティブに描いてきましたが、これだけの文字数ある小説を多くの人にさらりと読ませてしまう著者の文筆家としての力量は素晴らしいと思います。 村上春樹を絶賛する人も嫌悪する人もいますがレビューやブログの感想をみていると両方に的を得た意見があると思います。 一方盲目的に肯定したり、逆に全てを否定する人たちもいますが。 私はそんなに言うほど崇高な文学とは思えないし、毛嫌いするほど悪くない優れた娯楽小説家だと思います。 | ||||
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中学2年生が考え出しそうな、安易な人物設定が目立つ。 お金持ちは、株で大成功。 ボディーガードは、ゲイの元特殊部隊員。 男主人公は、元数学の天才児。 女主人公は、必殺仕事人。 秘密少女は、片言にしか喋らない。 もうひとつ。 本当に あそこまでの性描写は本当に必要だったのだろうか? 本書では、女子高生・婦警・人妻・熟女・幼女がレズ・複数・アナル・SM・幼児プレイ・近親相姦を繰り広げる。 「村上春樹」の本は万人が読む。 保護者なりは、上記の性描写が含まれていることを了解した上で購入するようにしたい。 | ||||
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中国の国慶節休暇を利用して、Book1・2を一気に読破しました。村上春樹は高校三年の模擬試験の題材 だった、「風の歌を聴け」の衝撃的な出会いから、ほぼ前作読んでいます。ただ、最近は観念的な作品が 多く、若干のめり込めない気持ちでした。今回の作品は、私のお気に入りの作品(ベスト1・2になるか も)「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のテイストで、次の展開が非常にやきもきして、 読み進めました。 ただ、「世界の〜」と違って、一字一句かみしめるようには読めず、かなりの部分を斜め読みをしてし まいました。村上作品は大分読みこなしているので、それでもストーリーと世界について行けたのと、す こし冗長かなと思われる部分があったからです。これも自分が世の中を色々と経験して、それほど新しい 情報について感動を受けにくくなったのかも知れません。 それにしても、齢60にしてこのようなみずみずしい小説が書けるのですから、すばらしいと思います。 これも、日々ストイックにジョギングをして体を鍛えているのと、好きなことしかしない潔さ(それによ って失う物があっても構わない)があるからなのかも知れないと思いました。 1984年と近い過去を題材にしていますが、今の小説やドラマに必須の携帯電話が全く出てこないのが、 新鮮でした。ポケベルはちょこっと出てきますが...。現在は公衆電話もほとんど使わない時代になって います。私が高校生の時は電話といえば、固定電話か公衆電話でした。好きな女の子の家に電話を掛け るために、よく公衆電話BOXに行ったことを思い出しました。彼女のお父さんやお母さんが出た場合(ほぼ 100%だった)のシュミュレーション(21時以降は、夜分遅くに、、、など)を頭の中でしたことが思い出 されました。コミュニケーションが現在ほどconvenientではなかった時代で、相手とのすれ違いや初めて 電話を掛ける時の勇気などが試されました。今では携帯のショートメールによって、気軽にコミュニケー ションのとっかかりを得ることができます。現代社会は失敗しても傷がつかないようにお互いに予防線を 張っているような気がします。当時は初めて電話を掛ける時は、心臓が口から出てくるぐらい緊張した思 い出があります。 「1Q84」は私にとってベストの村上小説ではないですが、そんな昔の思春期の恋愛を思い出させてくれる作品 でした。 | ||||
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「性交」と「射精」という単語を使わずに小説を書いてください。 これらはあまりにも直截的で情緒のかけらも見られませんので。 性が重要ならば言葉がもつイメージも大切にして欲しいのです。 | ||||
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私がこの本に抱いた印象を例えるならば、「9・11」が一番近い。 私はあの日、まだ小学生だった。 テレビに映るビルの映像を、意味もわからずに見ていたのだ。どのチャンネルでも同じだったから、見せられるままに見ていたという方が正しい。どうやらアメリカで何かが起こったらしいが、大人たちもよくわかっていないようだった。カメラでさえ映すものが見つけられなくて、仕方なくビルの周りをヘリコプターで飛び回っている感じだった。 そんな時に、一台の飛行機がビルに静かに突っ込んでいったのだ。 私も、母も、テレビのレポーターさえも、それがどういうことかわからなかった。 わかっていたのは、幼稚園児の弟だけだった。 弟はその映像を見ながら「今、飛行機がぶつかったね」と言った。 私は同じ画面を見ながら「そんなわけないよ」と答えた。 そんなことが、あるとは思えなかったのだ。 この本は、そういう感じがする。 青豆と天吾という二つの塔に、飛行機が突っ込む。その時、世界は私たちが知っていたはずの世界とは違うものになってしまったが、それをわかる大人はいない。どこか蠱惑的な美しさを持つ、とても恐ろしいことが起きているのに、誰もわからない。 この本は面白かった。 けれど、怖い。 誰を殺しても、たとえ物語が終わっても、この話が過去の話だったかもしれないのかもしれないけど。 私たちの生きている世界は、ある。 あるとは思えなくても、ある。 | ||||
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青豆と天吾の物語を交互に1章づつ描く形をとっているのだが、 説明なのが重複している箇所があり。なので「そこのところは もうさっきわかったよ」と省いても差し支えない場所が たくさんある。 ストーリーはなかなかおもしろい。しかし、飽きやすい気がする。 食べ物にたとえると、インスタントのカップラーメンみたいで たまにこのようなストーリーを読むと面白いが、読み終えると しばらくこの手のストーリーはもういいやと思うでしょう。 | ||||
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やっぱり村上春樹だったかな・・・というのが率直な印象です。 発売前からのマスコミ報道が、私の期待感をものすごく煽ってくれたので楽しみに読んでみましたが、う〜ん・・・良くも悪くも村上ワールドだ!との結論に至りました。 それは前評判と実際とのギャップが私自身そう感じさせたのかもしれません。 でも、1Q84自体は純粋に楽しんで読めました。ごちそうさまでした。 | ||||
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