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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全180件 41~60 3/9ページ
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1Q84は、村上春樹の集大成である。 だから、村上春樹ファンにとっては物足りないのかもしれない。 アフターダークに見られた新たな試みに比べたら、陳腐に思えるのかもしれない。 しかし、決してこれは間違えた試みではない。これは村上春樹を、できるだけ分かりやすく解説した、自身の解説書だからだ。そう思って読めば、三部を読み終えたときに、爽やかな読後感があるはずだ。 おそらくこれには続きがある。なぜなら1月から3月が欠けているからだ。 それをどういう象で生み出すかは、春樹の裁量でもあるが、時代と社会の裁量でもある。 みなが、春樹を否とするならば、決してその1月から3月は日の目を見ないだろう | ||||
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うーん…。 一旦読み始めたので、途中で辞めてはもったいないと思い読み切りました。 話がいまいちとしか言いようがありません。 何より、青豆と天吾に魅力がなく、読んでいて応援できないので最後もだから何?というか、一緒に喜べないというか。 自分勝手で、理屈っぽくて。二人とも真面目でいい子のように見せかけて、自分のことしか考えてない。だから友達いないんだよ!みたいな(笑) 正義のための殺しだとしても、ちゃんと考えが書かれていないので合理性がなく、ただの勝手な犯罪に思えて納得いかない。 恋にしろ父親の病気の話にしても、こじつけっぽい。 小松やふかえりは、散々ひっぱっておいてほったらかしだし、天吾がいつ違う世界に移動?したのかもよくわからない。 「わたしにはそれがわかる」と言われても、分からない。 謎めいて面白いのと、意味不明なのは全然違うのに! 3冊一生懸命時間と労力をかけて読んで思ったのは、いわゆる中二病というか、そういう自己陶酔的な感じがあって、それは作者と読者が若いときにだけ許されるのではないのかな。ということと、3人称の語りや視点を変える語り方によって登場人物の魅力の無さ、自己中心的なところ、幼稚なところがより際立っているということ、そして作者は恋でも家族愛でも友情でも、説得力を持って感情を書くのが恐ろしく苦手というか、できないんだなということでした。 いくらスキルがあっても、作者に人生経験や人間的な魅力がないと魅力的な小説は書けないのじゃないかという気がしました。 若いうちは「理解されない孤独な僕」でもいいけれど、それが年を取ってくると鼻につくというか。自分のことしか考えない、というのは幼児性・未熟性であって、年を取ったら「自分、自分」じゃ品がないのではないでしょうか。 最後の最後で青豆がタマルに殺されたりしたら面白かったのに…なんて思いました。 あと、作者自身の口癖なのか、「〜。たぶん。」「〜。おそらく。」これに我慢ができませんでした。笑 気持ち悪い! | ||||
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3冊目はどうもね、という印象だけや。まあ全部もそうだったんだけど。1冊目の出だしだけが映画的。 | ||||
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(私は、熱烈な村上春樹ファンでなく、通りすがりの、一読者の感想です) 以下、ネタバレの感想を書いています。 3巻をとおしての感想としては、私はBOOK2の中盤で、窮屈に感じました。思えば、青豆・老夫人の怒りが『おびただしい落雷のさなかに失われてしまった』という表記がありますが、まるで読者も、本に対する期待感や楽しみなども、失われた気がします。というのも著者特有の表現、性的表現の多用で、物語を楽しむ気をなくし、また著者の宗教観も見え初め、読者にとっては違和感を感じるせいかもしれません。 (著者は、物語の中で描くカルト的な宗教を、その宗教によって翻弄される人達を通して、肯定的に書いていると思います。)それがBOOK3に入っても続き完結に向かうため、ただただ単調で長いだけと感じました。 しかし終盤のミステリアスなタマルに興味を感じて読みました。BOOK3では、青豆主観ではなく、タマルを通しての青豆を描かれたら全く違っていたかもしれません。またSF的な言い方ですが、平行世界を描いた物語としては、賛辞を送ります。 基準点を3点とし、今回は3点としました。 | ||||
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20年以上前「羊をめぐる冒険」の出版を待ちきれずに雑誌「群像」 を読み、その面白さに引き込まれました。 また 訳本、特に Raymond Carverは、原書で読むようになりました。 それから、だんだんと村上作品に疎遠になって行きましたが、短編や、 音楽 特にJAZZに関するエッセイは、とても面白く、今も読み返します。 この話題作、3冊の長編を 仕事-決算という毎度の心理的な重圧 の「反作用」もあってか、遅ればせながら手にとって 通勤の道すがらに読み終えました。「”やれやれ”学生時代 試験前に文庫本を手に取る習慣がまだ抜けない。」 さて、本作ですが百家争鳴のコメントも判るような気がします。 物語を進める脇役、また猥雑さも平板に思える。 純粋さも「ノルウェイの森」を思わせるサナトリウムで培養される 病的で違和感を感じる。 文章は 「内田百閧」が、逆に印象に残るぐらいで、 無論 長編の物語を牽引していくには、そこに 拘泥できないのでしょうが、でも 比喩がうまい とも特に思えない。 でも、結末?の青豆と天吾の戻った世界の「エッソの虎が逆向き?」 「牛河の口から出たリトル・ピープルは?」等 気懸かりと言えば 気がかり。続編が出たら、読みたい、ということは、やはり 面白かった、ということでしょう。 | ||||
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長い物語の2巻目です。 (私は、熱烈な村上春樹ファンでなく、通りすがりの、一読者の感想です) 私はBOOK1には、基準点を3点とし、4点の評価をしました。続きが楽しみで、このBOOK2を読み始めましたが、中盤以降は、著者特有の表現を窮屈に感じ、楽しんでいない自分がいました。 (村上春樹作品に馴れ親しんでいる方とは感想が変わると思います) ただBOOK3まで読んだ感想としては、BOOK3の中で疑問や不思議に思ったことは、BOOK2の中に隠れていて『あの時、ああいう事だったんだ』というようなセリフや描写がある気がしました。 また、中盤以降が物語の転機となります。 基準点を3点とし、中盤以降の窮屈さ、しかし上記に述べてるセリフや描写の、感想で評価を3点としました。 | ||||
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良い作品の判断基準が、読み終えた後に、また読みたいと思うかどうかである。 残念ながら、ノルウェーの森のように再読したい、と少しも思えなかった。 結論から言えば、会話と話の流れが一方的過ぎるのである。 会話のやり取りで、釈然としないのは、発言した後のセリフが全てお見通しのような返しで収まっている点だ。 謎めいたセリフやら、難しいくだりを発言した後に、みんな物分かりがよいもんだから、このセリフが重要なのかどうかが全くわからなかった。 春樹氏は、人と会話するのが嫌いなのではなかろうか? 2つの月、リトルピープルの世界観が良かっただけに、残念である。 | ||||
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村上春樹の小説がはじめて面白いと感じた。 10年前と比べ、自分の世界が拡がったことを気づかせてくれた。 本書は作中の言葉をかりると「多義的で暗示的」である。 読み手ひとりひとりに多様な解釈をさせ、各自が自分に向けられた暗黙のメッセージを受信する。 ストーリーが進むにつれ幻想的な世界に引き込まれる。 実際に月が二つあるのではないかと、何度か夜空を見上げたりもした。 こういうラブストーリもいいね。 | ||||
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BOOK1後半から引き継いだオカルト的な緊張感をBOOK2で見事に始めの方で牛河と天吾の電話で受け継いでいる。 読んでいて冷や汗ものの感覚だ。 牛河の描写はとても身なり外見ともにこの上なくセンスが無く悪くな感じがして想像するだけで面白い。 醜悪な外見とは反対に温厚なところが見受けられて、この正反対な内と外とのキャラクターにはとても興味を引かれる。 タマルの心情や過去の風景が殺伐としていて何かにすがるように生きている幼馴じみなどが読んでいて興味深かった。 これらの登場人物で面白くスラスラと読めてしまうが 青豆の暗殺をした後での読みどころである短かい逃亡シーンで稚拙さが出てしまっている。 逃亡に電車やタクシーを使おうとするところなど会社帰りのOLではあるまいし、 ましてや行き先を告げてしまうなどかなりの失態だ。 暗殺前の持ち物検査も子供を相手にしているようで緊張感もスピードダウンしてしまい逃亡で読むページも遅くなってしまう。 もうちょっと一流のサスペンスなら用意してある架空ナンバーの車で逃げるなどのサバイバル要素や偶然の重なり合いで 逃げ切る逃亡劇を用意して欲しかった。 せっかく強く長い腕を持っている組織が相手なのに。 作者はあまりこのシーンは重要と考えてはいないのか力を抜いているような気がする。 それか恋愛小説主流で慣れていないのかとても残念だ。 暗殺を終えてから面白さがスピードダウンしてしまうがこれからの牛河の登場が期待で何とか読み終えた。 | ||||
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最近実用書しか読まないので久しぶりに文学的なものを期待して 尚且つベストセラーな気軽に読める本をと、かなり期待して手に取りました。 読み始めはヤナーチェックなど聞いたことが無い音楽の不思議な雰囲気の感じと少女が著した本の題名に 牽引されるかのように読み始めました。 でも出てくる登場人物がどの人物もまるでがっかりするような設定で思わず読むのを止めようかと思いましたが 後でどうしてなのか訳がわかってきてホッとしました。 中盤からは緩やかな坂がだんだん急になってきて目が離せなくなってきますので すらすら展開が開けて話しが面白くなってきます。 そしてあと数ページで読み終わるところで一瞬で怖くなるような数行の描写で 急に背筋が凍ったのは私だけでしょうか。 性描写については読んでてかいつまんだように出てきてかなり不快感は否めませんが、けだるい感じは良く伝わってきます。 帯紙に異世界、現代的エロスとかそのあたりの記載があれば最初から読むときにギャップは防げたのかも。 | ||||
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村上春樹さんのファンです。既刊の小説は全て読んでいます。 村上さんの小説には答えが書いておらず、村上春樹のみぞ知るその答えを読者がおのおの想像していくのも醍醐味のひとつです。 しかし、カフカ辺りから、なんとなく思うようになりました。 『あれ?村上春樹って実はなんにも考えてないんじゃね?ただ思いついたままに不思議っぽい作り話だけ書きつらねて雰囲気つくれば、辻褄合わせなくても裏も意味もなんにもなくても、あとは勝手に読者があれやこれや想像してくれるからそれでいっか…みたいな。そんな感じじゃね?』 …と。 今回の作品はそれが顕著にあらわれているように感じました。 | ||||
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村上春樹が1Q84のBook4があり得るかもしれないとコメントした、というニュースを聞いて愕然としました。 書かないつもりだったのか...と。 今までの村上作品から考えても、私にはこれで完結しているとは思えません。 謎が残っているとか、人物の活躍が不十分だとか言っているのではありません。全部が解決し大団円になる作品なんてこれまでもなかったのだし。 けれど、これまでの主人公は皆、おかしな現象や周りのたくらみや自らの冒険から出る想いを深く沈殿させ、その上澄みを丁寧にすくって、清明なのか白濁しているのかわからない独特の世界を見せてくれていた。でもBook4の主人公2人が、そこまでの深み、軽みを見せてくれているようには思えません。言うなればまだ世界を攪拌中ではないか。 何年かたったら、たぶんこの作品は作家にとって重要な転換点だったと考えている自分がいるような気がするのですが... ただ、今の時点、Book4でなくても、別の長編であってもいいから「村上春樹のこの先」が見えない時点では、過去の作品との比較だけで劣ると考えざるを得ません。 早く「転換点だった」と振り返ることのできる「この先」を見せてください。未読の方は、それを待ってから読んでも十分だと思います。 | ||||
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まだbook2、book3は読んでいません。 このbook1のみの感想です。 かなり有名な本なのでさぞ面白いのだろうと期待して 読みました。 そしてがっかりしました。 話がなかなか進まず、物語の展開に関係のない (もしかしたらこれから関係が出てくるのかもしれませんが) 描写や比喩、情景の説明、セックスシーンなどがだらだら 描かれていて退屈だと思ったからです。 さくさく進む話が好きなので、 この著者の方の書き方が私にはなじまないんだと思います。 途中で読むのをやめようと思いましたが、 ここまで人気なのだからもったいないと思い読み続け、 そしてbook1の最後の方でやっと物語の続きが気になり始めました。 2と3は読まないでいいかと思っていましたが、 1を読み終えて続きを気になる気持ちがますます強くなったので この物語最後まで読もうと思います。 ということで評価は後半にさしかかるまで☆1でしたが 読み終えた今は、続きがかなり気になるので☆3にします。 | ||||
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ん…個人的には青豆の一途な女心に惹かれて読み続けましたが、なんとなく3は駄作な気がします。あまり話は進みませんし、まだ続くの?と思ってしまうような終わり方。村上春樹さんの作品自体あまり好きでは無いので、その中でも少しは楽しめた作品でした。 | ||||
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1Q84の3巻は、それまでの作品と比べると、あまり臨場感がなかったように思います。ただ、このシリーズの中で出てくる、『めくらなやぎの話』というのが気になって、『めくらやなぎと眠る女』という短編を読んでみたら、なだか1Q84とリンクしているような気が、した。『めくらやなぎと眠る女』という作品は、めくらやなぎという植物の花粉をつけた蝿が耳からもぐりこんで女を眠らせるという、話をモチーフにした作品です。めくらやなぎはある程度の年になると、上に伸びるのをやめて下へ下へと伸びていき、暗闇を栄養源にするのだそうです。 結局のところ、1Q84の青豆も天呉も、上に伸びるのをやめて下へ下へと伸びていって暗闇を栄養源にしていたら、青豆は1984から1Q84に移動して、天呉は現実の1984から猫の町へ移動してしまったということなのではないでしょうか? この作品の続きが出るだの出ないだのというレビューがありますが、まったく説明せずに物語を終わらせてしまうのが村上春樹氏の作品なので、このまま何も説明しないほうがかえってよいのかも知れないと思いました。 マザとドウタは、ふかえりと青豆。パシバとレシバは、教祖と天呉なのでしょうか? そうすると、青豆のお腹の中にいるちいさなものの意味が、なんだか特別なもののように思われます。にしても、それだと、青豆は教祖を殺害しているし・・・うーーん。リトルピープルは、誰かの死体を通って口からやってくるという設定が、なんだか死を連想させる村上春樹氏らしい発想だと思いました。 | ||||
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村上氏の、ブランド思考にも似た、素人作品にもよくある、やけに上品さに固執するところ、ニヒルやクールさがカッコいいと思わせんばかりの表現がやけに気になる。その固執によって吊り上げられた表現や口調、扱う様々なマテリアルから、非現実さと不自然さをたびたび感じざるを得なかった。裏にはそれと相反するものを執拗に嫌う心理があると思えてならない。くどいと感じる説明や言い回しは、削ると長所も失われるだろうから、仕方ないと思える。2巻から様々な点が線で結ばれ、幹太くなり、ストーリーの像が浮かび上がってきて、好きになった。説明臭いのも、話が見えてきて、興味が沸いてきたら「まぁいいか」と思えるようになった。個人的には何故か牛河という人物は嫌いではない。気取らず人間的なところが。 | ||||
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※この作品の良し悪しは置いといて この作品や作者を異様と思えるほど持ち上げたりする人たちがいる。 彼らはどういう必然性があってそうしているのだろう? ※作品について自分が感じたこと 自分は芸術も文学も理解する能力はない。 でもこれが文学だとしたら彼はなぜ「アンダーグラウンド」書いたのだろう? 1Q84が文学だとしたら現実の事件や犠牲者はそのための踏台なのだろうか? もはや羊も山羊も言い訳にならない。 本の中で羊がどうであろうが山羊がどういう役回りをしようが、現実の地下鉄では人が死んだ。 1Q84もアンダーグラウンドも同じように紙でできた本だけれども現実の地下鉄では人が死んでいる。 この本をどんな人が読むかは作者も想定しきれないはず。 そうであればなぜちょっとでも新興宗教に関することであのような書き方をしたのだろう。 作者の真意がそこにないとしても微妙な事柄についてはあらゆる読者層を想定すべきだったと思う これをかくならアンダーグラウンドは書くべきじゃなかった。 どちらかにすべきだった なぜこの本を異常なまでに持ち上げられる人たちがいるのだろう? 彼らは意図してそうしているのか? そうしてまで読み手に感じさせる感情は絶望に近いものだ。 かつての作品は喪失感がむしろ共感を呼んだのかもしれない。 でもこの本には過去を思い起こさせる喪失感ではなく、明日を思い起こさせる希望を尊厳レベルでいったん否定させられた気分になる。 人々の日々の行いを否定はしていない-ように見せかけて-実は強く否定しておいて、 その後はたぶん読者は主人公と共にただそれはそこにそういう風にあるもの どうであれ存在するものとして認識しろということなのだろう。 でもこの本を読んだときに感じる不快感にも似た陰鬱な感情はこの本の中にあるものじゃなく、読者の心や人生にあるものだ。 人の心の嫌なところを作者はつんつんと突いただけだ。 はたしてそれが文学なのだろうか? もしこれが文学というのなら別に文学はエラクないや もっと痛快な読み物で時間をつぶした方が有意義だと思う。 | ||||
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はっきいって、ブームにのってよみはじめました。 青豆と、天吾という人物にわかれていて私の場合には、青豆を先に読んから天吾をという順番で読まないと続けて読むと内容がわかりづらいです。なんとか青豆book2 で読み終えましたが、天吾はbook2の途中で今のところやめています。book3も読む予定でいますがどうなるかわかりません。 | ||||
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もうすでに作品に対する詳細なレビューはたくさんあるので、内容が重複するので、少し違う視点から・・。私個人は1は普通に面白かった、2は読むのが辛かった(度を超えたファンタジーや気持ちの悪い性描写についていけなかった)。3になったら、主役のはずの青豆と天吾の存在感がむしろ薄まってしまった感が。それは牛河やタマルのキャラクターが濃くなったからだが、私は牛河の人物・心理・行動描写に非常に興味を魅かれた。牛河の殺人(される)シーンはひどい。詳細で簡易な道具と方法。これを真似る思春期の学生のいじめや、大人の殺人事件が起こってしまうのではと思ってしまった。あそこまで殺人シーンを詳細に描く労力を、もっと空気さなぎとリトルピープル、処女懐胎に割いてほしいところだ。タマルも寡黙ながら、完全無欠な秘書兼ボディイガード的なキャラクターが良かったのに、中半でしゃべりすぎ、若干魅力が薄れそうになったが、青豆との別れのシーンでのタマルは良かった。また、ふかえりは3巻でも最後まで謎に包まれたままだったが、牛河と望遠鏡越しに見つめ合う描写は、それだけでふかえりという存在を語っているようで、ふかえり、牛河ともに良かった。牛河は根は悪い人物ではないのだ。それだけに殺されたのが残念。違う視点は・・、宗教、NHKに対してここまで悪いイメージを多くの人々に与えてしまうのはいかがなものかということだ。宗教=悪、犯罪かのようにこれでもかこれでもかという粘着質な表現や描写。社会的な視点でこれが残念。日本人は無宗教者が多いのをいいことに?まじめに信仰を持っている人や、エホバの証人の方、NHKに関わるすべての方に失礼ではないのかと。(オウム真理教はともかく!)超有名作家として社会に与える影響というものにもう少し配慮があるべきではと個人的には思った。 | ||||
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やはり蛇足だった。 BOOK2を読み終えた時点で、先が読めた。そして、概ねその通りだった。だから自分にとってこの本は、仮説を検証する場となった。言い換えるなら、テストの答え合わせみたいなものだ。結果は80点。まずまずだ。 この作品で、作者が提示したテーマとは、一体何だろう。自分なりに解釈すると、次のようになる。《今いる世界が現実。でも、一つじゃない。》少し説明を加えると、誰でも、価値観・人生観が変わった、といった経験をお持ちだろう。何か、ふとしたきっかけで、そういう瞬間が訪れる。周りの風景が、違って見える。気がつくと、世界が変わっている。そして、それが紛れもなく、現実だ。青豆と天吾がそうだったように…。この作品を読んでいると、自分が生きているのは,実は1Q84の世界なんじゃないか、といった感覚にとらわれることがある。現実の世界が曖昧になる。BOOK3を読み終えて分かったことだが、必要なことはBOOK2までに、全て書かれていた。だから、この本の存在価値は、個人的にはあまり高くない。でも、この物語には不思議な魔力がある。読み終えた時、何故か夜空を観たくなった。今夜の月は、何個かな…。 | ||||
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