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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全180件 21~40 2/9ページ
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とくに最後の章、終わったはずなのに? "リング"の、最終日がまだあるー、のときみたいに ドーンという効果音が聴こえましたほんとに 心臓止まるかと思った | ||||
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純文学はむつかしそう。そうおもって敬遠してたけど、手にとってみたらSFで以外でした!! | ||||
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以下は全編を通じての感想です。 これだけ長い小説を一気に読ませる「技術」はさすがだと思いましたが、そのような技術や村上春樹という偉大な名前を取り去ってしまったら、はたして何が残るか…。 もともと幻想的な作品ですから不条理は承知の上ですが、ストーリー的にもどうでしょうかねぇ。やたら伏線が多い割りにはうまく回収されていないみたいだし、主要登場人物でも最後どうなったのか分からない人もいて、いまいち消化不良。主役の男女二人の結びつきも薄っぺらだし、二人そろって元の世界に戻ってハッピーエンドというのもいかがなものでしょうか。あと、牛河さんって、いったい…。 | ||||
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牛河さんまで朝食にクラッカー食べてます。ワインは飲んでなかったかな。相変わらずの村上節でしたが、羊や世界の終わりよもう一度って訳には行かなかったですねやっぱり。きっと次の小説も読んでしまいますけど。 | ||||
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主人公の感情繋がりは貧着し過ぎ、ファンタジーと言いながら遊びすぎ、後半はくどくどしく10歳の子供の手握り。本当に共感しにくい。さすがの大家で表現はあらゆる豊富だが、全体構図筋つまの合わなさにもったいない。読後に何も残らないのは読者の心声。 | ||||
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第1章 見かけにだまされないように 第2章 ちょっとした別のアイデア 第3章 変更されたいくつかの事実 第4章 あなたがそれを望むのであれば 第5章 専門的な技能と訓練が必要とされる職業 第6章 我々はかなり遠くまで行くのだろうか? 第7章 蝶を起こさないようにとても静かに 第8章 知らないところに行って知らない誰かに会う 第9章 風景が変わり、ルールが変わった 第10章 本物の血が流れる実物の革命 第11章 肉体こそが人間にとっての神殿である 第12章 あなたの王国が私たちにもたらされますように 第13章 生まれながらの被害者 第14章 ほとんどの読者がこれまで目にしたことのないものごと 第15章 気球に碇をつけるみたいにしっかりと 第16章 気に入ってもらえてとても嬉しい 第17章 私たちが幸福になろうが不幸になろうが 第18章 もうビッグ・ブラザーの出てくる幕はない 第19章 秘密を分かち合う女たち 第20章 気の毒なギリヤーク人 第21章 どれほど遠いところに行こうと試みても 第22章 時間がいびつなかたちをとって進み得ること 第23章 これは何かの始まりに過ぎない 第24章 ここではない世界であることの意味はどこにあるのだろう | ||||
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1〜3巻を3日で一気呵成に読んだ、いや、読まされた。これが村上春樹というものか。 色々なファクターが謎のままに放置されているし、性描写はとってつけたようなぎこちないものだが、まあよい。再読?再読に値する、と思わせるものは何もない、今のところ。これまた村上春樹というものか。 | ||||
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先程読み終わりました。 とにかく長いです。 でもプルーストに比べればまだましです。 女性主人公、青豆も閑でプルーストを読む羽目になりますが、 ゲルマント家あたりでどうやら力尽きたようです。 無理もありません。 で、1Q84をプルーストと比べれば、という訳にはまいりませんが。 本作品、難点を挙げればキリがありません。 例えばくどいピストルの描写、柳屋敷の女主人の貧困なリッチぶりには辟易しました。 が、百人百通りの読み方を許容する、という点では 現代の作品であり、楽しめる人、賛美する人、あきる人、怒る人、その他いろいろあり。 私は、長ったらしくなってしまった「潮騒」、ダフニスとクロエの翻案、 と感じました。 この三百を超すレヴュー集の方が、本作品よりも楽しめるのかもしれません。 作者もニタニタしながら読んでいるのでしょう。 でも粋な味、後味の豊穣さがしないのは、賞味期限切れ。 中古を廉価で買って読む、が賢明でしょう。 老舗のふくよかな味ではありませんが、 なんとなく最後までは読ませる力はあるようです。 まあ、これだけ長編を書きまくれば仕方ないのでしょう。 | ||||
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読み始めていきなり殺人シーンが出てきてびっくり。 オウム、証人、大地、山岸、赤軍をまぜて、いつも通り食う寝る快楽を しっかり具体的に描いています。 DVを憎み人を殺すことを正当化する婦人。 「あなたは正しいことをしている。」 気がつけば私もその気になっている。 宗教組織から逃げ出した女の子が、しっかり唱えて宗教の本質に戻る。 そこまで市場調査をしなくてもよいのではと思うが、でもやはり主題は思い出と記憶でしょうか。 全6巻、3週間の通勤時間を楽しみました。 続編はいつ出るのでしょうか。 | ||||
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These sentenses below are quoted from 1Q84-2(2009). 物語としてはとても面白くできているし、最後までぐいぐいと読者を牽引していくのだが、空気さなぎとは何か、リトル・ピープルとは何かということになると、我々は最後までミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままになる。あるいはそれこそが著者の意図したことなのかもしれないが、そのような姿勢を〈作家の怠慢〉と受け取る読者は決して少なくないはずだ。...、著者がこの先も長く小説家としての活動を続けていくつもりであれば、そのような思わせぶりな姿勢についての真摯な検討を、...迫られることになる...。(p123,l2-8) ...空気さなぎやリトル・ピープルを自分自身の内部にあるものとして眺めるようになっていた。それが何を意味するするかは、...正直言ってよくわからない。しかし...それはさして重大なことではない。その実在を受け入れられるかどうか、というのが何より大きな意味を持つことだ。そして...それらの実在性をすんなり受け入れることができた。(p124,l16-p125,l1) ...読み終えて「ミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままに」なっている善男善女に対し、...同情の念を抱かないわけにはいかなかった。カラフルな浮き輪につかまった人々が困った顔つきで、疑問符だらけの広いプールをあてもなく漂っている光景...(p124.l5-8) ...世界はもっと混乱したものになるかもしれない。そんな事態がもたらすであろう無力感を思えば、人々をミステリアスな疑問符のプールにしばし浮かばせるくらい、まだ罪の軽いほうではないか。(p124,l14-16) 説明されないとわからないのであれば、説明されてもわからないのだ。(p213,l5-6) It's same to you, Murakami san. | ||||
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1Q84 という奇妙な題名を見たとき、かの 1984年の第1四半期(1月から3月)かと思いましたが、パート1は4月から6月になっていました。冗談みたいですが、その齟齬が暗示的です。 結論を申し上げますと、不満足でした。それらがどういう点であったかを含めて以下に書きます。 冒頭の青豆という女性の登場はおもしろい。高速道路の渋滞からのがれるため、階段を降りて何とか一般道路(246)にたどりつき、地下鉄に乗る。それから目的地で「仕事」をする... という展開は斬新でした。急ぎの「仕事」が何かというところで興味をそそられます。 しかし、ストレスを発散するためだけの青豆の無軌道な性行動の描写は過剰。私は飛ばし読みしました。俗受けをねらったのでしょうか? それだったら、もっと達者に書ける小説家はいっぱいいます。女性警察官の登場も伏線かと思いましたが、あっけなく消えてしまいます。もっと活用できたのに。性描写につきあわされただけの使い捨てです。 もう一人の主人公である天吾は、名前からして何ものを感じさせますが、おもしろく読める部分もあります。しかし、また飛ばし読みしたくなる性描写が含まれており、やはりページかせぎの雰囲気が。 本書に登場する反権力団体は、何となく 新島淳良が早大を辞職して加盟した「ヤマギシ」、連合赤軍、オウム、を論理的必然性もなくごっちゃにしたようなもので、同時代を生きた者としては、なんだこの程度の認識か.. という感想。 ユートピアを装った反ユートピアから脱走したハンディキャップをもった少女。この少女が語り部となって小説化される物語は、奇妙キテレツ。このあたりは、なかなか読ませます。しかし、だんだん変な方向に進んでゆきます。ところで、リトルピープルですが、一人あらわれてもピープル。パーソンではないのかな。 最後の青豆の行動は不可解。また、銃の描写を延々と読みたいのであれば、大藪春彦にしなさい。こういう瑣末よりは、ストーリーラインがブレていないことが大切。まだまだ書きたいことがありますが、春樹ファンとしても★★★が妥当でしょう。 | ||||
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『風の歌を聴け』が雑誌「群像」に掲載されたときからの読者です。 『世界の終り…』で作家の構成力に感嘆し、 『ノルウェーの森』で強引な牽引力に距離を置き始め、 『ダンス・ダンス・ダンス』で、何やら中年男のマスターベーションを見せられているようで辟易し、 『海辺のカフカ』で感情移入できなくなり、 『1Q84』ではBOOK2までは作家の提供する世界観に身を委ねるまでのリハビリが成功し、 次の展開、次の展開と惹きつけられたにも拘わらず、 BOOK3で、やっぱり小道具を出しっぱなし=回収せず、お得意のもやもやの中に溶融した物語が ご都合主義的に残念な形で収斂していくのを唖然として眺めることになりました。 この作家は、物語の枠を作るのには大変長けていて、ディテールの描写から構成に独自のものがあり それはかつて作家の魅力となっていたようです。 しかし、連続する「〜のような」の「〜」の部分の新しさが失われ、表現よりもその手垢が目につき鼻につき、 初めは洒落ていた小道具も、大部分が、時の残酷な風化作用により陳腐なものとなり果てたな気がします。 物語を閉じる力について考えさせられます。 出だしは快調、小道具も斬新。描写も過不足ない。 時折出てくる抹香臭い、あるいは金言ぽい断定口調には飽き飽きしてきたものの とうに盛りを過ぎたかつてのプロ・スポーツ名選手が、ぐいぐいと押していく力が減退し、 技巧のみで累々と読後のページ数を稼いでいる。そんなイメージと重なります。 作中の摩訶不思議な出来事について、 「あれはどうした」「なんだったのか」のまま読者は置き去りにされます。 この作家は一向にこういった「謎」の放り出しを止めません。 それが、いつしか持ち味となってきたということでしょうか。 おそらく、この謎めいた小道具の始末をつけないことが、 自作の神話化を促すと思っている節があります。 幸い、この『1Q84』はBOOK2までは、「これからどうなっていくのだろう?」という期待感が 奇跡的に持続したものがあると思います。 でも、いつものように期待感は裏切られることになります。 あとは読者で勝手に意味づけをしろ、というのでしょうか。 よく言われる「都市に住む孤独感」や大切な人・物を失った「喪失感」に読者は大きく共感するということ。 それは多分、人生を始めたばかりの頃に直面する「寄る辺なさ」や頼る者がいない「頼りなさ」や、 これから出会い、また直面するであろう困難さや、自分の夢の実現への「不安感」と「焦燥感」の綯交ぜになる 落ち着かない時期を過ごす若者にアピールするエレメントをふんだんに この作家の紡ぎ出す文章が含んでいるせいでしょう。 しかし、人は時の流れとともに歳をとり、なんらかの形で成熟していきます。 読者も成熟していきます。 「不安感」や「焦燥感」を持て余していた若者も ルーティーンに気を取られ、その時々のブームに気を取られ、飽食と言われれば鼻白むものの、 皮下脂肪と健康診断の結果に「いつまでも若くない」と「人並みに」嘆息するようになるものです。 そういった、かつての自分が感受性豊かだったと思っている若者は、 よほどのマゾっ気でもない限り、 「おい、もうちょっと(この展開は)なんとかならないんかい?」と 読後に呟くことになります。作家のクセを真似れば「やれやれ」というところです。 すでに新作を読むことが知的(?)ファッションとなっているこの国で、 読後さらに再読するコアな読者がどれだけいるかと疑問に思ってしまいます。 小説を読んで得られた感動は、それが心地よいものなら、必ず読者は、 直後か日を置いてかを問わず、 まるで初心者の放火魔のように物語の流れの中の心に残ったある地点に立ち戻ってきます。 それは再読によって得られる新たな感動を得たいと思うからか 作品から得られた感動を再確認したいからでしょう。 1回目に通読したとき、心に残ったのは、登場人物の男女が一点で出会うまでの 膨大な書割を構築した作家の構成力でした。 それはあたかもテーマパークのよく出来たアトラクションの電動カートに乗せられて 次から次に出てくる場面に心奪われ考える暇もなく出口までやってきて、 「ああ、面白かった」という類の体験ではなく、 この国に点在するアトラクションとしての「急流の川下り」よろしく、 練達の船頭さんがあわや危機一髪っぽく演出しながらすいすいと下っていく その手腕に見とれているようなものでしょう。 肝心の景色はというと、同じようなものばかりが連続するので、いつしか 大きく揺れたときだけ「キャー」とか言ったり、「キャー」とか嬉しそうに叫んでいる同乗者を 「何をこのくらいで(騒いで)」とややうんざりして眺めていたり。 そこでしなくてもいいような話しを思い出してしてみたり、 とにかく、とても薄められた感動といえない感動が、 通奏低音のように鳴っていて、 気がつけば鳴っている、気がつかなければそのまま。 もちろん気がつかなくても気にも留めない。 この作家が「不幸」なのは、 ファッション化したと同時に文学物語のもつコアな感動を 読者に与えられなくなったこと。 すなわち50年後には跡かたもなく消えてしまっている、 そういう予感を与えるポジションにいるということです。 | ||||
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自分にはこの作者の作品は合わないのかもしれないと思うので、食わず嫌いせず、ぜひ一度手にとって(図書館でもいいので)確かめていただきたいが、 人間が嘘くさくて魅力がなかった。そして、どうも中途半端なドロドロした細かい心理?描写で、きつかった。 期待した分、がっかりした。 でも文章自体は上手い、1巻は断念せず読んだし、文庫本で読んだのでまあ値段相応ということで☆3つ。 しかし大御所であっても凡作はあるでしょうに、盲目な商業主義のせいで間延びした駄作になってしまってる気がします… | ||||
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物語の世界観も大分明らかにされてきたものの、よくわからない部分が多い。 この「よくわからない部分」が気になってどんどん読み進めてしまいました。 この気になる感で最終巻も読んでしまうと思います。 | ||||
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ちょっとくたびれてました。!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! | ||||
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更に加速して物語が終盤へ〜〜〜〜〜 しかし、複線がそのまま本線へ繋がり、同じトーンの連続でちょっと飽きる。 面白い、ほんと面白いのだが・・・緩急、急カーブがあるともっとよいのだが・・・ それでもおもしろい、お勧めできる物語です。 | ||||
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青豆雅美29歳。本人は地球人と思っているが、生後まもなく地球に送り込まれたQ星人。 親切な地球人が子供として育てることにしたものの、青豆には幼児期から奇怪な点があり、両親や周囲の子供とはかならずしも親密になれない。青豆自身はその理由を両親の属する宗教団体にあると解釈している。 地球人として育つように改造を受けているが、顔をしかめると形状が大きく変化して元に戻すのに数分を要する。また、微笑むことができないなど、改造が不完全な部分も残っている。 成熟するとある程度は体の形状を意図的に変化させられるようになる。 本来は暴力的な性格であり、青豆は無意識にスポーツによって発散しているものの、成長するにしたがってその衝動は抑えがたくなり、正当化する理由をみつけては密かに人を殺している。 生後30年程度で成熟して単体生殖が可能となる。強いストレスを受けることによって青豆は妊娠した。Q星人であるという認識がないため、一方的に天吾を父親に指名する。 手からホルモン的な物質を分泌し、他の生物をコントロールすることができる。常時分泌しているわけではない。 初めて分泌(地球人の女としての初潮に相当)した時は強力であり、天吾はその感染者。 感染者は恋愛感情に似た感覚を抱くだけでなく、分泌者を見た場合は直ちに認識することが可能であり、その命令には逆らうことができなくなる。 天吾は無理やり父親扱いされ、柳屋敷のマダムやタマルも感染者で青豆の殺人を助け、隠ぺいする作業に従事させられている。 さきがけは、リーダーがQ星人の死体を発見することによって宗教団体に変化した。Q星人をリトルピープルとしてあがめているものの、科学的な調査も行っており、リーダー殺害現場で発見した青豆の分泌物を意図的に牛河に感染させる実験を行っている。 感染者もQ星人と同様に2つ目の月(Q星人の大型宇宙船)を見ることができる。なお、2つ目の月は地球に常駐しているわけではない。 Book4では、2つ目の月が再び現れ、ついに潜伏中のQ星人の意識を覚醒させる。地球はQ星人に支配されてしまうのか! 注意:上記はあくまでも現在構想中の内容であり、Book4発行時までに大幅に変更される可能性があります。 | ||||
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あまりに話題となり、BOOK3を前日から並んで買う人がいるということで、いまさら購入するのもどうかと思い、3冊とも図書館で予約を入れて読みました。 不思議なことに、一番後から予約したBOOK3から手元に来たため、不思議な感覚でBOOK3から読みました。 なぜBOOK3が一番に手元に来たのか不思議でしたが、その後同時にBOOK1&2が手元に来たときにその謎が解けました。 手元に来たBOOK1はボロボロなのに対し、BOOK2はほぼ新品状態。 つまり、大きな話題になったため、とりあえず予約したもののBOOK1を読破したものの(もしくはBOOK1すら途中でやめたか)、BOOK2に進んだ方がほとんどいなかったのではと推察します。 もちろん、途中で挫折した方はBOOK3の予約を入れる訳もなく・・・・。 つまり、コアなファンでない一般の方の評価はあまり高くないのではないかと思われます。 他人の評価はさておき、私の感想としては「よく判らない」というのが正直なところです。 まあ、普通の小説かな? 個人的には、並んで買うほどのものではありません。 ただし、読み始めた小説は面白くなくても最後まで読むのが身上ですので、BOOK4が出たら図書館で予約すると思います。 ところで、販売数は巻数が大きくなるほど少なくなっているのでしょうか? | ||||
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今から3年前、ハードカバー版が発売された頃は、村上春樹の新たな世界に期待をしていた。 オウム事件の林泰男死刑囚に関心を持っていた作者が語っていたように、 「月の裏側に一人残されていたような恐怖」をどのように物語として描くのだろうと。 それから作品は大ベストセラーとなり、時が経ち、文庫化もされた。 オウムの菊池容疑者、高橋容疑者も逮捕された。 BOOK2の大部分は青豆のハードボイルド活劇に比重が置かれている。 雷と大雨が降りしきるこの一夜の緊張感は物語として我々読者をとても楽しませてくれる。 「空気さなぎ」の内容も然り、我々は青豆を通してその摩訶不思議な世界を認知していく。 それに比べて天吾の章は退屈がたっぷりと詰まっている。 「世界とハードボイルド」のように目を焼きつけられ、影を引き剥がされるわけでもなく、 「ねじまき鳥」のように井戸の底に監禁され、バットで殴られ殴り倒すわけでもない、 ましてや「カフカ」のように血で血をぬぐう殺人があるわけでもない。 ひたすら受身として、ここではないどこかへ導かれていくだけなのだ。 それはレシヴァとしての役目と言えば、そうなのかもしれないが、 かの教祖のように満身創痍という苦痛が天吾には与えられないまま物語は進んでいく。 大部分の読者が「退屈」だと感じるのは、この部分ではないかと思う。 ただ、天吾が劇中作の中に紛れ込んでいくというストーリーは、 オウム事件の真っただ中に知らず知らず入り込んでいった容疑者たち、 その抗いきれない力に飲み込まれた孤独を物語として編み出しているのかもしれない。 それを読み解き感じるには、たった1〜2回の読み返しでは足りないのかもしれない。 しかし、天吾くん。君は言われるほど、孤独ではないはずだ。そう思わないか? | ||||
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結論から書くと、 「またこのパターンかいな」と思える部分が非常に多い。 たとえば、 「ひとり暮らしで、まあまあの収入があり、友人は作らず、自分でささやかなご飯を作って食べ、音楽を聴いて過ごす……。なんでいつもあえて、そういう孤独な人ばかりなんだろう?」 と、ついつい思ってしまうのだ。 人並みにたくさん友人がいて、人並みに職場の同僚なんかとも関わって、人並みに家族とも普通に交流を持って……それでも孤独をかかえている人間、みたいな物語を、一度でいいので村上春樹で読んでみたいと思う。 人は人と関わって葛藤を乗り越えることで初めて大人になる、なんて説教じみたことは言いたくないけれど、人とほとんどかかわろうとしなくて、なおかつそんな主人公に都合よく理解を示してくれる編集者とか、色っぽい不倫相手なんかが現れるものなのだろうか? 甘いんじゃないか? 十代の頃は春樹作品を好んで読んでいたけれど、私なりに世間に揉まれてアラフォーになった現在では、「この小説では私は成長できないなあ……」と思ってしまう(別に小説に自分の成長を求めるわけではないけれど、それでも)。 それと、つくづく「女性」「若者」を描けない人なんだな、と思った。 若い女性があんな言葉遣いを? 「いまどきの若い女性」と「あばずれ」をイコールだと思ってるんじゃないか? 青豆とあゆみの会話を読んでいると、急に堅苦しい男性風になったり、あばずれになったり……。 特に青豆の、関西から来た薄毛の男性に対するものの言い方は何なんだろう。 若い女性がすべてあんなものの言い方をして、あんな行動をとるものだと、まさか春樹氏は信じていないだろう(と思いたい)が、小説家としてこれからも書いて行きたいのなら、一度しっかりと今の日本の人々に向き合った方がいい。 それも特殊な人々ではなく、市井の人々に。 それと、(特に日本の)女性の大多数は性行為というものをあんなに渇望していない。 そんなものがなくても淡々と楽しく生きていける女性の方が圧倒的に多いのだ。 どうもそのあたり思い違いしているみたいだ。 読んでいて不快感を覚える女性も多いのではないか。こちらも一度でいいから、そういうものとは無縁にしなやかにたくましく生きている女性の物語を、村上春樹で読んでみたい。……べつに村上春樹でなくてもいいか。 いろいろ不満を述べてしまったが、小説としては(少なくともBOOK1は)ハラハラドキドキしながら読めるような要素もあるので、★3つ。 | ||||
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