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海辺のカフカ
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海辺のカフカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全345件 161~180 9/18ページ
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下巻に入って、ダムが決壊したように勢いよく物語が流れ始めました。 この物語の壮大なスケールが氷河の底に沈んでいたマンモス像の化石が浮かび上がるように見えてきます。 恐らく読む人毎に受け止め方に差異が生じるでしょう。 そのことを文中で語っているようにも思えます。 メタファーという言葉が繰り返し使われています。 暗喩といった意味かと思いますが、世界の出来事は何かの暗喩であり、この小説も暗喩になっているのでしょう。 自分の中で眠っていた想像力を目覚めさせる作品です。 想像力という人間に与えられた能力を世界は育んでゆかなければならない、という主張が込められているように思いました。 想像力の狭量は、やがて非寛容さを生み、テーゼが一人歩きし始め、理想は簒奪され、社会システムを破壊してゆきます。 その想像力が現代では急速にしぼんでいるという危惧。 文学(芸術)や恋(のような体験)は人間の想像力を養いうる最良の経験です。 これしかないと思いこんでいる現実を少し別の角度でみてみれば、それだけが現実ではないことが見えてくるのではないか、そんなことを感じ取りました。 何かを経験し、それによって僕らの中で何かが変わります。そのあと自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛が一段階上にあがっていることを知ります。 自分の世界が一回り広がっていることに。それは恋と同じです。 文中で大島さんが語るセリフです。 そしてこれも大島さん「世界はメタファーだ、田村カフカくん」 | ||||
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15歳の少年の家出の話と、第2次大戦中の出来事がどうからんでくるのか、戸惑いましたが、これが村上ワールドなのでしょうね。東京するめクラブを読んでから、小説家というイメージとは別に、普通の人目線もお持ちの方だなと見方が変わりました。その延長としてこの本を読むと、難しい建前はともかく、人物描写、会話のやり取り、音楽シーン、街中の風景などが、非現実的なストーリーと相反してとてもわかりやすく、楽しんで読みました。レビューの評価は両極端でそれもよくわかります。実際にあるのでしょうか、甲村図書館。本好きな私にとっても、図書館で暮すなんて、夢のような話です。ページが進むごとに、現実か、異次元なのか、不思議な世界に引き込まれ、時間を忘れてしまいました。とてもおもしろい本でした。 | ||||
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抜群に面白い小説です。 小説というジャンルの醍醐味を味わえる作品です。 フィクションを読むための想像力が必要であるということを自覚させられることになるでしょう。 その想像力は人生において物凄く重要なものだったのじゃないか、ということを考えさせられました。 小説、物語は古代から常に人間の歴史とともに存在します。 物語は人に必要なものなのですがそれが何の役に立っているのかはっきりわかりません。 もしかすると、人間の想像力と関係しているのかもしれない、というテーゼを著者は示しているようにも感じられました。 上巻は23章で構成されています。 ゆっくりとした出だしの交響曲のようで、徐々に主旋律と副旋律が重なりながら壮大に奏でられてゆきます。 これからお読みになる方もおられますので、ストーリーは省きますが、筋立てが面白くて、話がどこに進んでゆくのかワクワクしながら読み進めます。 著者の知的なたくらみによってもたらされた小説の楽しみが詰め込まれた作品です。 | ||||
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村上作品の中で一番しっくり来たのがこれだなあ。それまでの作品では、クラシックから60年代の洋楽まで、ただその名前を挙げるだけだったり、「カラマーゾフの兄弟」の兄弟の名前を言って「今の日本にどれかけ言える人がいるだろうか」などとうそぶいたり、要するに知識をひけらかすところが鼻についてしょうがなかった。この「海辺のカフカ」でようやく、ホシノさんがベートーベンの「大公トリオ」に感動する心を通じて、作家の音楽論というか、批評眼を目にした気がした。ベルグソンの古典的名著「物質と記憶」を、さくらがカフカ君のイチモツをくわえながら「ふっひふほひほふ」という場面は大爆笑した。ベルグソンも形なしだ。 途中で大島さんがカフカ君を高知の別荘みたいなところに連れて行く場面。大島さんの「自然というのはある意味では不自然なものだ。安らぎというのは、ある意味では威嚇的なものだ。その背反性を上手に受け入れるにはそれなりの準備と経験が必要なんだ。だから僕らはとりあえず街にもどる。社会と人々の営みの中に戻っていく」(p324)というセリフはずっとぼんやりと感じていたことをずばり言われた気がした。 それからナカタさんは村上春樹の小説の中でも、ずば抜けてすばらしい人物だと思った。村上氏が理想とする「カラマーゾフ」のアリョーシャを描くことに成功していると思った。 | ||||
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久しぶりに読んだなこれ。 というかここのレビューに酷評多くて驚きました。 オレの個人的な意見ですが、謎が全部キッチリ明かされなくてもこの話の主題にとっては問題ない気します。 この謎はいつ明かされるのか?さっきのアレは何やったのか?みたいな読み方するとよくわからん事なるし、その読み方では確かにこの小説はつまらんです。それが合う小説もあるやろうけど。 それより想像した方がおもろい。 突飛な展開、露骨な性描写、全部何かの象徴として機能して、最後に向かって緩やかな必然を描いていきます。 気持ちいい謎解きもいらん。 どんでん返しもいらん。 ただここに少年カフカを中心とした物語があるだけ。 オレらの世界とはまた別の、「海辺のカフカ」って小説世界の中で彼が失い、得たモンの中から、オレらは皆1人1人違ったものを学びとれる。 想像力やと思います。 素っ頓狂な春樹さん批判をするのは簡単やけど、書き手の想像力にちゃんと真摯に向かい合ってこその読書の楽しさです。斜に構えて、なめてかかって読めば、それなりのものしか返ってこないです。 まぁ文体が苦手とかはもう仕様がないと思いますが。 オレは大好きです。 これから先も読み続けると思います。 海辺のカフカ。お薦めです。 | ||||
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読み終わり感じたのは、やはり難解な作品であったということ。とはいえ、起承転結がはっきりしているこれまで読んだことのある作品と比べて魅力が劣っているかといわれればさにあらず。むしろ相当に面白い作品だった。抽象的で夢の中を漂っているかのような世界観が強く魅了する。その世界にどっぷりとはまり込んでしまい、熟読してしまった。この世界観に入ってこれるかこれないかで評価が分かれているのかもしれない。 | ||||
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ストーリーの枠組みは、田村カフカを中心に描かれるストーリーAと、ナカタサトルを中心に描かれるストーリーBが同時に展開され、それらは上巻ではほぼ交わらない構成になっている。ストーリーAは人間が成長していくうえで通る心理の葛藤や成長があり、ストーリーBはどこか掴みきれないファンタジーのような世界観があった。Aだけだとありきたりだし、Bだけだと意味不明になる。両ストーリーが絶妙に触れ合いながら話が展開していくところが魅力的だった。 お気に入りの一節 「人が何かを求める時、それはまずやってこない。人が何かを懸命に避けようとするとき、それは自然にやってくる。」 | ||||
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白と黒があること。それを受け入れながら人は成長して愛する心を持って生きてゆくことなんだよ、というメッセージをもっと感じたくて読みました。 | ||||
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この作品は文中にメタファーとともに、多くのテーマが内包されている印象を持った。 それだけに、散漫な印象を持つ人もいるかもしれないが、 その内包されたテーマの中に、自分に置き換えられる要素があれば、この作品は重要な意味を持って動き出す。 それはある種のトリガのように作用して、自分に内在する問題や葛藤と向き合い、答えを出すことを求めてくるだろう。 田村カフカ君と同じ15才の少年が読んだ場合において、それはより顕著に現れると思う。 | ||||
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面白かった。 虚構性の度合いが強くて、荒唐無稽な所へ踏み込んで行く。 まぁ神話・寓話的なリアリティのレベルを許容しうるかにより、評価は違うので。 評者の内実が明らかになってしまう。 トラップは仕掛けられている。 絵を眺めるように、味わうべきもの。 テキストをそのまま受け取ること。 | ||||
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確かに、僕も、この薄っぺらい高尚さが漂う文章に嫌悪を感じなくはないですが、村上節で展開されるワンダーランドな世界観には、やはり魅力を感じます。作中に登場するベートーベンやハイドンの音楽とはイメージが違いますが、視覚的な表現の中に、音楽を感じることができます。そういうところが好きです。 何が言いたいとか、哲学的な部分は別にシカトしても構わないと思います。万人が氏の思想に順応出来るわけではありませんし、メタファーとか言ってる時点でぴしゃりと分からせる気もないでしょう。それが小説というものなのでは。 | ||||
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時間を忘れて読み耽ってしまった。 初めて拝見したのは本書が刊行当初の頃だったかな。春樹氏の作品はどうも生理的に苦手意識があったため冷やかしのつもりで読んだのだけれど、意外や意外に夢中になるくらいおもしろくて、著者に対する評価が一辺してしまうくらいだった。 ストーリーに関しては入り組んでいるわりに、そんなに難しい内容ではないだろうし、深く考えて読む感じでもない。これは単純に合うか合わないかだけだろうな。 ちなみに私はナカタさんとホシノ青年のエピソードに尽きる。田村カフカや甲山図書館もいいのだが、過去の著者の作品になかったキャラクターとストーリーに気持ち良く裏切られた感じが心地良かったのもあって。 もう一つは著者の構成力の凄さかな。これは娯楽なのか文学的なのかよくわからない内容かもしれないが、そんな余計なことがどうでも良くなるような感じ。 なので娯楽作品と捉えてるのかも。 余談で申し訳ないですが、春樹さんの熱烈なファンは『ノルウェイの森』が最高って人が多いのかな。 私は『風の歌を聴け』以来に凄く良かったと思えたのが本書でした。 そして『1Q84』も何も考えずに単純にスラスラ読めて楽しかったんだよな。 実は、春樹さんの作品は、あれこれ考えながら読むようには出来てないのかも。 | ||||
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村上春樹を読むきっかけはモスクワに赴任した友人が、地元の人から日本人と分かると、「ムラカミハルキを知っているか。」と必ず聞かれると、当地での評判の高さを聞いたことです。 ドストエフスキーを読むロシア人が何故それほど好むかを知りたかったからです。 取り敢えず短編集を読んで拒絶反応がなかったので「海辺のカフカ」を読んでみました。 読み始めてストーリーテラーだなと感じました。 普段は通勤や待ち時間にしか本を読まない私ですが、週末も大公トリオを聴きながら読み進めました。 疲れないし実に面白い。早く次が知りたくなる。 少年の頃、家出や一人旅を経験した人間には堪らない。 何を書いてもネタばらしになりそうですが、文字を書くことを生業とするムラカミハルキが文字を燃やし、記憶、思い出の大切さを訴えた長編小説でしょうか。 メタファーという言葉を何度も使いますが、最後に隠喩という言葉に置き換わります。 巧みな掛け合いと記号化した固有名詞、実態としての食欲、排便、睡眠をしっかり敷き詰め、間に性欲を置き、話を展開させます。 「火宅の人」「死霊」「罪と罰」以来の久々に面白い小説でした。 最近の本の装幀は奇抜なデザインと分厚い用紙で必要以上に本を大きく重たくする傾向にありますが、老眼の世代に近づく私には、字の適度な大きさと、しっかりとした薄手の書籍用紙で作られた簡素な単行本はありがたかったです。 | ||||
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私はいつも小説を漠然と読む。作者の'伝えたい事'や物語のツジツマ、必然性の完全さにはあまり興味が無い。 登場人物のひとつひとつの世界の引力に対する反発、ひとつひとつの'部分'に共鳴するのが好き。違いを考えるのも好き。 私は想像力がないので、他人事には涙は流さない。 なんだか小さい頃にみた悲しい夢に入り込んだみたいになつかしい世界観。 自分の失ったものを思い出して、自分事として感じ取る事ができる部分の積み重なり。 '失ったもの'がある人にとっては、じわじわっとしみ込んで来る物語なのではないかな? 別に救われるわけでも、自分が変えられるわけでもなく。でも読めてよかった、嬉しいんです。 | ||||
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15歳の誕生日、少年は家を出た。一方、ネコ探しの老人ナカタさんも、西へと向かう。 暴力と喪失の影を抜け、世界と世界がむすびあうはずの場所を求めて―。 物語を通して随所に散りばめられたメタファー。訳すと「隠喩」。 それをみつける事が、この本の醍醐味であろう。 例えば、こんな文がある。 「開け放しにした窓から世界をすこしでも完璧なものにするために、小さな蜂が入りこんでくる。」 これは、主人公とそれを取り巻く人間関係が一つに纏まっていくことを暗示するメタファーだと、私は察する。人によっては、別の意味として理解する事もあるだろう。でも、それでいい。それがいい。 それこそが、村上春樹独特の「純文学」の世界観なのではないだろうか。 | ||||
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15歳の誕生日、少年は家を出た。一方、ネコ探しの老人ナカタさんも、西へと向かう。 暴力と喪失の影を抜け、世界と世界がむすびあうはずの場所を求めて―。 物語を通して随所に散りばめられたメタファー。訳すと「隠喩」。 それをみつける事が、この本の醍醐味であろう。 例えば、こんな文がある。 「開け放しにした窓から世界をすこしでも完璧なものにするために、小さな蜂が入りこんでくる。」 これは、主人公とそれを取り巻く人間関係が一つに纏まっていくことを暗示するメタファーだと、私は察する。人によっては、別の意味として理解する事もあるだろう。でも、それでいい。それがいい。 それこそが、村上春樹独特の「純文学」の世界観なのではないだろうか。 | ||||
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村上春樹の本は『ノルウェイの森』を読んで以来である。その感想を映画でたとえるなら、「邦画」ではなく「洋画」を観ているみたいだった。 この『海辺のカフカ』の感想も然りである。メインは15歳の少年の家出物語であるが、別の章ではナカタさんという猫と話しが出来る老人が登場する。その他ユニークで愛すべき人物が脇をかためていて、更に先の読めないストーリー展開はまさしく読書の醍醐味を教えてくれる。 個人的に一番面白かったのは私が15歳で家出をしたなら、そして時間をつぶす手段を考えるなら図書館だろうなと思ったが、カフカ君もそこへ行ったのでびっくりした。 下巻に入ってからはナカタさんの章の方が面白く、それが全体を引っ張っていった感がある。 ごく大雑把に言えば、少年の自立と再生が主題であるが、これがベストセラーでしかも若い読者が多いという事実を知るにつけ、日本もまんざら捨てたものではないなと思った。 | ||||
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これが村上春樹さんの本ではじめて読んだ作品で、大ファンになり彼の作品はほとんど読みました。 全てを知って生きるとはどういうことか。 何も知らずに生きるとはどういうことか。 過去にとらわれた人生と、過去がない人生、 どちらが幸せなのだろうか。 カフカとナカタさんの心理を比較しながら、人生について考えさせられる作品です。 | ||||
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かつてこれほどまでに絵に描いたように理想的な生活を送る15歳の少年をあなたは目の当たりにしたことがあるだろうか? 答えは恐らくノーである。 『日々精進』をモットーに日々の生活を送ってきた私ですらこの少年の自己鍛錬への異常なまでの志の高さには度肝を抜かれた。 もし、読者を代表し評価をつけることが許されるのならば、本作は読者に対する強い影響力を備えた唯一無二の作品であることを認めざるを得ない。 事実、読み進めていくうちに興奮に似たようなものを覚えた私は、居ても立ってもいられなくなり冒頭の数十ページを読み終えると、すぐさま近くのジムへ車を走らせた。 | ||||
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村上作品を鼠3部作から大体読んだ後だからかもしれませんが、すんなり作品世界に馴染め、楽しめました。 特に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が好きな方は入りこみやすいかも。 村上的な無意識の波動? による曖昧な物語とリズムが、体質的に合うかどうかでしょうか。 私の場合はうまくはまれて、どんどん母親の子宮へ帰っていくような気分になっていきました。 それでちょっと癒やされた気分。「癒やされた」という人は他にもいるようですね。逆ももちろんあるでしょう。 うつっぽくて疲れているときに読むと、いいかも? (でも確かに、教養主義はちょっと鼻につくなあ) | ||||
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