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海辺のカフカ
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海辺のカフカの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全345件 61~80 4/18ページ
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「語られないことで語られる大切ななにか」は、ある時期からの村上春樹の長編小説の一貫したテーマのひとつだが、『海辺のカフカ』はすこし書きすぎている感じがする。書かなくても(明かされなくても)いいことまで書いているように思う。書かなくてもいいことまで書いているとしたら、それは『ねじまき鳥クロニクル』の反響を受けてのことかもしれない。 とはいえ小説はおもしろい。発表順に小説やエッセイ、紀行文、その他を読むことで村上春樹の精神の遍歴のようなものがうかがえてとてもおもしろい。 | ||||
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村上春樹作品のマイベストは人それぞれあると思いますが、私にとっては本作が、「風の歌を聴け」から「騎士団長殺し」までの村上春樹作品中、ダントツの最高傑作だと思っています。 今回4回目の再読となりましたが、やっぱり凄いと改めて思います。読み終えるのが惜しい。いつまでも読み続けていたい、そう思わせる力が本書にはあります。 しかし、なぜぞれほどまでに心惹かれるのだろう。 思うに、まず純粋にお話が面白いということがあるかもしれません。 本作は、村上春樹のユーモア感覚が爆発しています。 カーネルサンダーズと星野青年のやりとりなどは大笑いです。 少年時代の経験により中身が空っぽになった老人ナカタさんの人物設定も絶妙で、猫さんと話をしたり、「はい、ナカタはウナギが好物であります」との話し方もユニークです。 このナカタさんをほっておけない星野青年の存在感も良いです。 小説の構成も趣向を凝らしており、戦後間もない頃を舞台としたアメリカ国防省の極秘資料や新聞記事、教師の手紙を引用するなど、ミステリアスな雰囲気も漂います。 この教師の手紙やジョニーウォオーカーの登場により直接的に「暴力」の存在が描かれます。 この「暴力」の存在については「ねじまき鳥クロニクル」あたりから直接的に取り上げられているテーマです。 そして村上春樹が得意とする「メタファー」が前編を覆っています。 15歳の田村カフカ少年の章に登場する魅力的な図書館の青年大島さんはこう言います。 「世界の万物はメタファーだ。」と。 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」での「世界の終わり」の世界を彷彿させる場面もあります。 ナカタさんに「影を半分失った」と言わせるあたり、まさに「世界の終わり」の世界が意識されます。 また、村上春樹はその作品の中に、文学作品や音楽を本当に魅力的に紹介する場面がよくありますが、本書を読むと、夏目漱石「坑夫」が読みたくなり、ヴェートーヴェン「大公トリオ」が聴きたくなります。たとえば「坑夫」については次のように触れられています。 「ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く惹きつけるー少なくともある種の人間の」 つまり本書が強く心を惹きつけるのは、本書がある種の不完全さを持った作品と言えるからなのかもしれません。 | ||||
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人生に立ちふさがる深淵を覗き込んだ古の人々は、異界の存在を確信したと言います。 人知を超えた世界との遭遇は、人生のあらゆる矛盾と不条理を呑み込み、「禊ぎ」や「生まれ変わり」と称して、次の一歩を踏み出すきっかけを与えてきました。 「海辺のカフカ(下)」では、少年の数奇な体験を通じて、現代に異界をよみがえらせます。 【生霊のさまよう図書館】 佐伯さんは甲村図書館で過去の思い出を書き綴りながら、死が訪れるのを待っていました。 彼女の想念は、夜になると生霊と化し、死んだ恋人の影を求めて姿を現します。 「たぶん私は、あなたがいらっしゃるのを待っていたのだと思います」 「ナカタの役目はただ、今ここにあります現在、ものごとをあるべきかたちにもどすことであります」 ナカタ老人は、苦しみの終りを告げるために、佐伯さんのもとへやって来たのでした。 彼女のこの世での未練は、老人の手によって焼き払われ、波乱の人生が幕を閉じました。 【過去から未来への懸け橋】 父なるものを殺し、母なるものと交わり、姉なるものを犯したカフカは、やがて死を覚悟します。 「この樹木の厚い壁の中で、道ではない道の上で、息をすることをやめ、意識を静かに闇に埋め、暴力を含んだ暗い血を最後の一滴まで流し去り、すべての遺伝子を下草のあいだで腐らせてしまうんだ。そうすることによってはじめて僕の戦いは終わるんじゃないか」 孤独と絶望の中で人生の深淵を見た者にのみ、異界の入り口に至る資格が与えられます。 それは先の戦時中に異界を体験したナカタ老人が懸け橋となって、カフカへと引き継がれました。 【カラスと呼ばれる少年の闘い】 カラスと呼ばれる少年がリンボで挑んだ「父なるもの」の正体は、この社会を覆う不条理なシステムでした。 「私は猫たちの魂を集めて笛をつくった。(中略)私はここに集めた笛を使って、もっと大きな笛をひとつこしらえようと思っているんだ。もっと大きくて、もっと強力な笛をね。それだけでひとつのシステムになってしまうような特大級の笛だ」 弱きものの犠牲を集めて世の中を維持し、さらに個人の自由を奪って肥大化していく社会の現実。 残念ながら今の私たちには、その現実に対抗する力も知恵も持ち合わせていません。 【異界の復活】 カフカがたどり着いた異界は、日常を写し取ったような穏やかな場所でした。 彼はそこで亡くなった佐伯さんと再び出会い、心を開いて語り合い、そして生まれ変わります。 「お母さん、と君は言う、僕はあなたをゆるします。そして君の心の中で、凍っていたなにかが音をたてる」 本物の死は私たちの想像を超えて、意識を通わすことのできない隔絶なのに対し、異界は私たちの日常の隣にあって、たとえ幽霊や妖怪がいたとしても人間味のある温かな場所です。 そのような神話的世界は、今を生きる私たちにとって、これからも心の支えとなるのではないでしょうか。 | ||||
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村上春樹さんの作品は一度読んだだけでは解りづらい。メインテーマに沿って、さまざまなモチーフが複雑に組み合わされて構成されているからだ。そのモチーフとは、村上さんが蓄えてきた膨大な知識、神話や文学、聖書や詩、音楽、自身の体験、孤独やトラウマも含まれているだろう。海辺のカフカもノルウェイの森も、骨格となっているのはコンラッドの「闇の奥」やロードジムか。それに加え、神話やダンテの神曲などの古典(イザナギもオルフェウスもウェルギリウスも死んだ女を探し求めて黄泉の世界を旅する。舞台が四国なのも=死国としたのか)、また、しゃべる、預言する猫は不思議の国のアリスを、ナカタさんや星野青年は、オズの魔法使いに出てくる心がうつろなロボットや脳みその無いカカシをイメージさせるし、何かに導かれ西の国へ旅する。さらに、『坊っちゃん』(高松が舞台であり漱石もコンラッドのファン)、映画『地獄の黙示録』(原作は闇の奥)の兵士ウィラードも思い起こさせる。それらのモチーフに共通しているのは、何者でもない若者が異界を旅し、闇の支配者を倒し、帰還する、という世界共通の神話や物語だ。それに加え、オイディプス王、金枝編、作家のカフカ(父親と確執)といった父親殺しのモチーフが散りばめられている。現実世界の支配者として父親が、闇の世界の支配者としてジョニー・ウォーカーが交互に出てきて、これはピーターパンのフック船長と共通している。この『海辺のカフカ』という作品には、若者が大人になるための通過儀礼として、旅、恋と失恋、性と生、自我の芽生えと親との戦い、親の死、心の闇が描かれている。人はそれらを乗り越えて成長していくのだと。ただ、これもあくまで解釈の1つ。読み手や読む次期や、あるいは心の状態によって様々な読み方ができるのが村上作品の良さ。 | ||||
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昔の人たちは、神話や伝承の形で様々な心象風景を表現し、時代を超えて語り継いできました。 象徴的な親殺しや子棄て、姦淫が登場する物語は、親子の葛藤を克服して自我の自立を促しているとも言われています。 本書は、主人公の少年が経験する幻想的なストーリーを通じて、今を生きる私たちに求められる現代の神話を提示しているように思えます。 【思春期の砂嵐】 「君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。その激しい砂嵐を。(中略)何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。」 カフカ少年は、自身の心が生み出す抑えのきかない暴力や、性欲の衝動に振り回されています。 それは、新たな創造へ向かう若者が乗り越えなければならない、古き倫理観の壁を象徴しています。 それを乗り越えられない者は、エディプスコンプレックスを抱え、私の様な凡庸な大人の一員となるのでしょう。 【自己の再生】 ナカタさんは両親から受けてきた暴力と、疎開先での偶発的な出来事が原因で魂を砕かれ、抜け殻のような人生を送って来ました。 「君はこう考えなくちゃならない。これは戦争なんだとね。それで君は兵隊さんなんだ。(中略)今ここで君は決断を下さなくてはならない。」 ジョニーウォーカーによって、ナカタさんの中から怒りや憎しみ、そして勇気が引き出され、彼は魂の影と再会します。 反抗期に表出するそれらの感情を失っていなければ、彼は不幸な人生を回避できていたのかもしれません。 【母と息子の物語】 「君のお母さんは家を出ていくときに、君ではなく、血のつながりのないお姉さんのほうを連れて行った。(中略)君はそのことでもちろん傷ついている」 母に棄てられた憎しみと同時に母に対する愛しさが、カフカ少年の心の奥底に封印されていました。 その矛盾した複雑な心情を受け入れるために、少年は仮説上の母である佐伯さんと向き合います。 それは、生霊を通じて出会い、図書館の記憶を介して対話し、森の奥の異界で互いに理解が深まります。 「海辺のカフカ(下)」では、少年は「世界でいちばんタフな15歳」になるために、全ての呪いを成就させ、新たな神話を体現していきます。 果たしてカフカ少年は、「オイディプス王」のような神話の世界の英雄になることができるでしょうか? | ||||
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この文庫を購入したのは、5年前になります。 それから、私は、海辺のカフカの舞台上演を、楽しみにしていました。 フランク・ギャラティの脚本に思いを馳せました。 私が『海辺のカフカ』の舞台に音楽をかけるとすれば、 ラストには、山崎まさよしの『明日の風』なんだよなぁ…なんてことも、想像していました。 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『海辺のカフカ』の世界が表裏一体であるように、 阿川佐和子と福岡伸一の『センス・オブ・ワンダーを探して』と小川洋子と河合隼雄の『生きるとは、自分の物語をつくること』の世界もまた表裏一体を成しているかもしれない…と、他の本を読んでも、『海辺のカフカ』のことを考えていました。 『海辺のカフカ』は、当時、私の脳内で必ず変換される高頻出ワードでした。 「ぼくはまるで即興的なジャズの演奏家のように肉体的に本を読み、まるで身体で世界をキャッチできるように、自分の身体の感度に注意しながら動物のようになりました。」蜷川幸雄「舞台『海辺のカフカ』のパンフレット」より 蜷川幸雄の舞台を観たとき、別世界を観ました。 感じ方は人それぞれ…と、ひとことで済ますのは簡単ですが、 さまざまな感想を得られる程に、影響力のある作品だと思います。 少なくとも、 私には村上春樹作品のなかで、ダントツです。 | ||||
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この文庫を購入したのは、5年前になります。 それから、私は、海辺のカフカの舞台上演を、楽しみにしていました。 フランク・ギャラティの脚本に思いを馳せました。 私が『海辺のカフカ』の舞台に音楽をかけるとすれば、 ラストには、山崎まさよしの『明日の風』なんだよなぁ…なんてことも、想像していました。 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『海辺のカフカ』の世界が表裏一体であるように、 阿川佐和子と福岡伸一の『センス・オブ・ワンダーを探して』と小川洋子と河合隼雄の『生きるとは、自分の物語をつくること』の世界もまた表裏一体を成しているかもしれない…と、他の本を読んでも、『海辺のカフカ』のことを考えていました。 『海辺のカフカ』は、当時、私の脳内で必ず変換される高頻出ワードでした。 「ぼくはまるで即興的なジャズの演奏家のように肉体的に本を読み、まるで身体で世界をキャッチできるように、自分の身体の感度に注意しながら動物のようになりました。」蜷川幸雄「舞台『海辺のカフカ』のパンフレット」より 蜷川幸雄の舞台を観たとき、別世界を観ました。 感じ方は人それぞれ…と、ひとことで済ますのは簡単ですが、 さまざまな感想を得られる程に、影響力のある作品だと思います。 少なくとも、 私には村上春樹作品のなかで、ダントツです。 | ||||
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独特な雰囲気のまま終わってしまった。二人の主人公で二つのストーリーが並行して進み、関連しそうでしない。それぞれの出来事や会話が現実のものなのか夢なのか分からないくらい独特な表現でした。殺人事件や旅やセックスや空想や夢や色々なものがぎゅーっと詰まった作品でした。好きか嫌いかという感想すら言いにくい作品でしたが、別の作品も読みたいとは思いました。 | ||||
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村上作品の長編小説を読むのは初めてでした。 ものすごく高次元の世界に連れていかれてしまったような気分になりました。潜在意識の一番深い層を刺激されたような、登場人物たちの、あるいは村上さん自身の魂の奥深くまで潜り込んでしまったような、そんな気持ちです。こんな本は初めてです。上手く言葉で言い表せません。 | ||||
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恥ずかしながら初めて村上春樹作品を読みました。2つのストーリーが並行して進み、独特な作風と一風変わった登場人物、不思議な設定等が色々と入り交じる。想像していた以上に興味深いと思いました。下巻にも期待。 | ||||
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すごく面白かったです。時間をおいてもう一度読もうと思います。 | ||||
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たぶん1回読むだけではよく理解できない作品です。自分の場合、これを書いているのは2回目に読んだあとです。絵や音楽と同じように、文学も自分なりに理解できればよいのでは。私にはこの小説の中に複数の世界観がいくつも見え、それらの世界観同士が接するときに包容や葛藤、軋轢を感じました。 また、登場人物の成長物語としても読むことができます。主人公だけでなく、佐伯さん、ホシノさん、ナカタさんそれぞれの物語として。 時間をあけてまた読みたい作品です。 | ||||
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村上氏の意欲作。本来は言葉に出来ないことを、懸命に一番適切な言葉に置き換えていく作業。お疲れ様でした。これは決して少年の成長物語でもなければ、幻想的な世界でもなければ、何かを比喩して書かれているのでもない。私にとっては自分自身に起きた現実の出来事と、それにまつわる言葉にできない思いをすっきりと言葉・小説の世界に展開してくれたので、痛快と言える作品。一生に一度の、雷に打たれたような出会いを実際に経験したことがない人にとっては、この作品を読んでも実感としてこの作品の素晴らしさは理解できないのだと思う。(「理解できない」と言うよりも、「感得できない」と言った方が適切か)若い時期に雷に打たれたような出会いを経験してしまった佐伯さんが、雷に打たれた人の物語を本にしたいと切望したのは当然だし、ナカタさんの先生の身に起きたことも、雷に打たれたように出会った旦那さんのことを一途に思っていたからこそのこと。その場にナカタさんが偶然居合わせ、雷に打たれたような強烈な経験をしたことも避けようがなくそうなってしまった出来事。一人一人の身に起きた雷に打たれたような、そうとしかならない強烈な体験は、本来その人固有の出来事だけれど、それを田村カフカという一人の主人公を軸にして紡ぎ合わせていく構成・技量は素晴らしい。 | ||||
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15歳の少年 カフカ が タフであろうとする。 そのために、家出をするが、 少年くらいのころは 家出をしたいものだ。 それで 自分を見つめなおすことが できれば しめたものだ。 子供から大人に変わるときの危険な年頃。 多感で 一人ぼっちで 孤独を感じる頃だ。 ムラカミハルキは この小説で何を言いたいのだろう。 未完成であることの大切さ なんだろうか。 図書館が好きで 筋力をつけている少年 15歳 という設定から 苦労をしている。 話す内容は ずいぶん大人びている。 夏目漱石の『坑夫』の評価などは 実に確かなものだ。 主人公は 「目の前に出てくるものをだらだらと眺め、 そのまま受け入れているだけです」(222頁)という。 ナカタさん が サリン事件での後遺症のような存在として えがかれ、猫語が話せるという設定はおもしろいね。 小説でしかできないが さて、ナカタさんが どうやって 15歳の少年と絡んでいくのか? 図書館の大島さんは 地主の金持ちで 血友病 という設定。 何かしら どこかに問題を持っているヒトが ムラカミハルキの登場人物である。 大島さんはシューベルトの二長調のソナタに対していう 『ある種の不完全さを持った作品は、 不完全であるがゆえに人間のこころを強くひきつける。 ・・・質のよい稠密な不完全さは人の意識を刺激し、 注意力を喚起してくれる』(233頁) 美容師のサクラだけが まともかもしれないが、ちょっと危ういのである。 田村カフカは どうしようもなくなって サクラさんのアパートに逃げ込む。 そのときに サクラさんのいろんなことを 想像する。 15歳のころは 童貞であり 想像することが 唯一の楽しみかもしれない。 私たちの頃は 外国雑誌を見ても 金髪で豊満な女子のあの部分が 黒いマジックで塗ってあった時代だ。 それを 消しゴムで 一生懸命 消してみたけど 紙が擦り切れて 真っ白なものを見るだけだった。 いまの15歳の少年は 夢がない。最初から見えてしまっている。 かわいそうなもんだ・・。 という話は 脱線しているが。 田村カフカは サクラさんに、ちんちんを握られながら さわっていけないといわれて・・ 『サクラさんの裸を想像していいですか?』(190頁) と聞く。 ふーむ。そんなことを聞けるわけないだろと思うが、聞いちゃうのだ。 それが、ムラカミハルキらしい。 そしてカフカは アイヒマンの本を読みながら 「想像力のないところに責任は生じない」(278頁)といい 続けていう 「夢の中から責任は始まる。その言葉は僕の胸に響く」(同上頁) それが佐伯さんの彼が意味もなく大学紛争のバリケードのなかで 意味なく殺されて、 大島さんは言う 「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、ひとり歩きするテーゼ、 空虚な用語、簒奪された思想、硬直したシステム、 僕にとってそういうものを心から恐れ憎む。」(385頁) これが 「海辺のカフカ」の重要なミッション にほかならないかもしれない。 想像力のなきものを侮蔑し、想像力を持つものの責任を語る。 さて、これから 一体どのような想像力で 田村カフカは 立ち向かうのだろう。 想像力とは 裸を思い浮かべるためだけにないとは思うけどね。 ムラカミハルキのテーマが 『父親を殺し 母と姉と交わる』ということだった。 15歳という田村カフカの設定は 父親を殺すに ふさわしい設定なんだろうね。 ギリシャ神話、シェークスピアにつながっていく。 古典的なテーマを どうやって処理するのだろう。 田村カフカは 画家の父親に 予言される。 『父親を殺し 母と姉と交わる』 そして 父親は殺された。 ムラカミハルキは 父親を語らないが この本では 父親は 殺すべき対象として 登場する。 想像するチカラで ナカタさんに殺させたのだろうか? ナカタさん は 中野区をはなれ、 カフカのいる場所に 近づいていく。 ナカタさんは 猫と話すことができたのが ジョニーウォーカーを刺し殺すことで その能力が失われる。 しかし、また違った能力を授かることに、 大島さんのカミングアウト。 それは 女であって女でなく オトコであってオトコでない。 そのような設定をおくことで 田村カフカに さまざまな方向を 見つけ出すことができる。 田村カフカは いかにして カフカ に迫っていくのか? | ||||
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ナカタさんとホシノクンの 珍道中が よかったな。 これだけで ひとつの物語になりそうだ。 ホシノクンのイメージが ムラカミハルキにつながる。 想像の中 夢の中で 物語は進行してる様だ。 想像していることが 現実に起こる。 夢の中でのことが 現実に起こる。 そして 現実と非現実が 融合した世界にも迷い込む。 『父を殺し、母と姉と交わる』という父親の予言を 田村カフカは 仮説の世界で、夢と現実のなかでおこなう。 奇妙な 世界のズレを 追い求めていく。 カフカは 自分が変身した 話しを書いたが、 ムラカミハルキは 自分以外の 世界が変身することを書こうとしたのかもしれない。 ナカタさん のミッションが 何故与えられたのかわからない。 ナカタさんは ジョニーウォーカーを殺したが、 田村カフカと関係はない。猫をあくまでも守るということだった。 その関係がないにもかかわらず・・・田村カフカを追いかける。 そして、ナカタさんは一度も 田村カフカと会わない。 「入り口の石」が 共通項となって つながっていく 佐伯さんは入り口の石は 歌で暗示し、しっていた。 しかし、なぜ 大島さんのお兄さんが 入り口に向かったのか 説明はされない。 佐伯さん は 何故図書館に舞い戻ってきたのかわからない。 そういう、物語の破れは あっていい。 田村カフカは 世界で一番タフな15歳。 それは 母を許す ということに絞り込まれる。 そして 仮説である 母の血を受け継ぐ。 父は憎むべき対象でしかないにもかかわらず。 父を許すことをしない。 この物語は マザーコンプレックス というところに 収斂していくのかもしれない。 そして ムラカミハルキのいいたかったことは、 『ことばで説明しても正しく伝わらないものは、 全く説明しないほうがいちばんいい』 見事な オチ でありました。 | ||||
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読んでいるうちに、これは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だなと感じたし、読み終わってもやっぱりそうだと思った。 カフカくんのパートとナカタさんのパートとが交互に語られ、交わらないけれども密接に関わりあいながら物語は進んでいく。 図書館があり、森があり、トレーニングがあり、死者がいて、幽霊もいて、硬くなったアレと優しく導かれるソレがある。 石野卓球の曲は冒頭でああ石野卓球だなとわかる。 もちろんそこにはいくつものヴァリエーションがあるのだけど、決して瑣末ではないそれらの差異を石野卓球という概念がすっぽりと覆ってしまう。 村上春樹もそれと同様であって、多くの非凡な物語があり、それぞれがそれぞれに独創的であるのだけど、たとえば「やれやれ」の一言で「村上春樹的なもの」に内包してしまう。 TMNetworkのGetWildがその特徴的な4音(デンデンデンデン)だけでGetWildを表現してしまうように。 その境地に達すると、いちいち「新規性(もしくは新奇性)」に拘る必要が失われてしまうのかもしれない。あだち充がキャラクターの描き分けにさほど拘らないように。 本作は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の再構成であり、もちろん新たな、あるいは別の要素もある。 カフカくんのパートとナカタさんのパートは「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」ほどには明確に分かれていないし、カフカくんは森には残らなかった。 「GetWild」と「GetWild'89」は、似ているようで別物なのだ。 「ダンス・ダンス・ダンス」あたりまでは熱心な村上春樹の読者であったけれど、「ねじまき鳥クロニクル」あたりから少し距離を置くようになった。 新作のニュースが気になりながらも、結局本作に辿り着くまでに10年以上かかってしまった(本作の初出は平成14年で、私が読んだのは平成28年)。 それでも、私自身が2ヶ月前に東京からバスで高松へ旅行したばかりで、その偶然の一致を思うと、私にとっては「これより早くても、これより遅くても」具合の悪い、ここしかないという運命的なタイミングだったのかもしれないし、「それはずっと前から決まっていたことなのよ」と言われている気にもなる。 もし本作を読んで「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が未読であれば、是非併せて読むことをお薦めしたい。 その共通点と相違点を照らしながら「すずきのリゾット」でも食べたらよいと思う。 | ||||
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村上春樹の長編は、いつもながら終盤に向かって、ハラハラ・ドキドキの連続だ。長編は「ノルウェーの森」を除き、すべて面白い。駄作「ノルウェーの森」が一番売れたのは皮肉なことだ。この作品も、村上ワールドを堪能できた。ナカタさんが死んで、しばらくして泣いたホシノさんの場面、主人公カフカがラストシーンで流した一筋の涙、何とも言えず、胸が震える。この作品の唯一の失敗は、森の奥深くで佐伯さんが語った、息子を捨てなければならなかった理由だ。無理矢理こじつけるしかなかったのだろうが、明らかに失敗である。生き霊に呪われた一枚の絵に引き寄せられた主人公達が、四国の図書館に引き寄せられ、生き霊は退治され、呪いが解け再生された絵を、主人公が引き継良いで、新たに成長していく。鳥肌の立つ展開だ。村上春樹の解説本では、清水良典著「村上春樹はくせになる」と、宮脇俊文著「村上春樹を読む」が傑作だが、「海辺のカフカ」に対する深い洞察は、清水良典氏の方が上。ジョニー・ウオーカーが佐伯さんの恋人の生き霊であることを解説しているが、まさに秀品だ。ま、とにかく「海辺のカフカ」は、息子を捨てた理由の欠陥を除き、鳥肌の立つ、酔わせてもらえる名作品である。 | ||||
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村上春樹の長編は、いつもながら終盤に向かって、ハラハラ・ドキドキの連続だ。長編は「ノルウェーの森」を除き、すべて面白い。駄作「ノルウェーの森」が一番売れたのは皮肉なことだ。この作品も、村上ワールドを堪能できた。ナカタさんが死んで、しばらくして泣いたホシノさんの場面、主人公カフカがラストシーンで流した一筋の涙、何とも言えず、胸が震える。この作品の唯一の失敗は、森の奥深くで佐伯さんが語った、息子を捨てなければならなかった理由だ。無理矢理こじつけるしかなかったのだろうが、明らかに失敗である。生き霊に呪われた一枚の絵に引き寄せられた主人公達が、四国の図書館に引き寄せられ、生き霊は退治され、呪いが解け再生された絵を主人公が引き継良いで、新たに成長していく。鳥肌の立つ展開だ。村上春樹の解説本では、清水良典著「村上春樹はくせになる」と、宮脇俊文著「村上春樹を読む」が傑作だが、「海辺のカフカ」に対する深い洞察は、清水良典氏の方が上。ジョニー・ウオーカーが佐伯さんの恋人の生き霊であることを解説しているが、まさに秀品だ。ま、とにかく「海辺のカフカ」は、息子を捨てた理由の欠陥を除き、鳥肌の立つ、酔わせてもらえる名作品である。 | ||||
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村上春樹氏は、いつまで探し続けるのだろう。もう一人の自分探しの旅を… 彼を一番理解していたあちらの世界に行ってしまった自分に一番近い価値観を持った人(半身の男か女)を探し続ける旅を永遠としている。 彼自身がずっと絵の中に入り込んでしまったようで、それを見続ける読者は又このモチーフかと思いつつ、絵の中の作者から目が離せない。 なぜなら自分も絵の中に引き摺り込まれそうで毎回恐ろしい気持ちになるからだ。 ゆえに読後感はいつも最悪だ。でもその最悪な気持ちを又体験したくて次作も見てしまう。 まるで麻薬 そんなあっちの世界とこっちの世界の境界線上にある物語なので、精神的不安定な人にはあまりお勧め出来ない。 健康な人が時々危うい気分になりたい、そんな時に手に取ると良いだろう。 | ||||
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僕は小説にだって、ミュージシャンの演奏を聴いた後の様に「ああ、良かったな」とだけ思えるものをアリなのではないかと思うんです。 この小説はすっからかんにも感じるし、何かしらの考えることがあるようにも思えます。 僕はこの作者の「押し付けがましい力強さ」を一切感じさせないところが好きです。 頭を空っぽにして読むことをオススメします。 | ||||
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