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ダンス・ダンス・ダンス
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ダンス・ダンス・ダンスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全134件 81~100 5/7ページ
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いやはや、うん、面白いね、これは。「羊」よりも「カフカ」よりも退屈せずに読めたと思う。特に「僕」が映画館に入ったあたりはからは面白いぐらいにページが進んだ。まずこの作品の特徴は主人公がいつもに増して前向きで、饒舌で、行動的な所だろう。基本的な性格は前「三部作」と大した変化はない(むしろ「僕」が自らを振り返って内省する場面は前作を凌いではるかに多い)のだが、羊男の啓示を受けてから、主人公はことあるごとに「踊る」ことを意識する。考えても意味がないなら、やってみるだけさ、と言わんばかりに。そしてこの作品全体にわたって彼と行動をともにするユキという名のツンツンな女の子が何ともいえずナイスキャラで、作品にとっていいスパイスとなっている。一度でいいからキレイな女の子に「ふん、馬鹿みたい」なんて言われてみたい草食男子は一読の価値はあるだろう。 ただ主人公とそれを取り巻く世界が騒々しく、饒舌で、風刺的な作風である分、作品そのものの奥行が失われ、より漫画的、エンタメ的になってしまった嫌いは認めざるをえない。羊やノルウェイが「静」だとすれば、これは明らかに「動」な作品だ。またこの作品が明るいだけでなく、「死」という暗く、本質的な問題提示をしていることは他の作品同様で、何らかの示唆を与えはするけど、答えは決して示されず、これまでの一連の春樹作品の中でも「途上」的な意味合いはひと際強い印象を受けた。そういった意味では夏目漱石の「それから」にも似ていると言えるかもしれない。 | ||||
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「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」では、セックスと死に対して、どこか比喩的に、曖昧に描かれていましたが、この作品でははっきりと書かれています。 「風の歌を聴け」で、セックスシーンと死人が出ない鼠の小説を優れていると評価している主人公はこの作品中での殺人や愛する人とのセックスを中々認められません。 ユミヨシさんとの関係や五反田君の告白のシーンで主人公のとった態度にそれが表れています。 ハリウッド映画が示すように、殺人とセックスは最大の娯楽でもあります。しかし、村上春樹はそういう安易な娯楽を否定したかったのではないでしょうか?もしかしたら、小説のような虚構のなかでも意味なき殺人とセックスは罪だと考えているのかもしれません。 それでは何故、この作品で殺人とセックスが描かれているのか?それは前作の「羊をめぐる冒険」で殺人とセックスが出てこない小説を書きつづけてきた鼠が死んだからだと思います。 これはどういうことかというと、主人公は自分が小説の登場人物ということを意識的にしろ、無意識的にしろ気付いている、という視点からこの物語を眺めると理解できます。 鼠=僕=村上春樹という公式がどこまで正しいか、それが問題にはなってきますが、少なくとも小説に対してこの三者が同じ思いを抱いているとすれば、本当は殺人やセックスが出てくる小説(または世界)を拒否したい、けれども何らかの理由で書かざるを得ない、そういうジレンマが今作のテーマになっているのではないでしょうか?、 そして、その何らかの理由とは、その娯楽性から売れる作品を書くためであったり、人間の根本的な部分を描くためには避けては通れないことだったりするからだと思います。ごく簡単に言えば。 また、そういったことから戦うのではなくて、拒否と逃避をしながら主人公が流浪(ダンス)する様は少し滑稽ですが、草食系男子という言葉がある現代ではわりあい共感しやすいのではないでしょうか。 | ||||
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基本的に、このころまでの村上春樹の小説は死と向き合うことで成り立っている。 ノルウェイの森に見る「死は生の対極にあるのでなく、その一部である」という考え方がそれを端的に表していると思う。 「風の歌を聞け」「1973年のピンボール」とそれほど死を強く感じさせなかったこのシリーズであったが、親友「鼠」の死を語る「羊をめぐる冒険」ではその色合いがだいぶ変わってくる。静かな視点で死を見つめるようになる。 そして本作である。表紙のイラストに見るように、「僕」は影となる「死」と向き合って踊り続けなければならないらしい。 鼠の死、五反田君の死、キキの死、片手の詩人の死。そして、残された死体は一体だれなのか・・・。 現実世界の煩雑さと彼岸となるドルフィンホテルの静かさは対照的に描かれていく。 耐え難い死への引力の中、効果的に光るのがユキの存在感である。 1Q84のふかえりにしてもそうだが、村上はこうした霊感少女を非常に魅力的に書きあげる。 「僕」が生きること(ダンスすること)を選ぶ根底にはユキの存在が大きく関わっているのは言うまでもない。 ユミヨシさんがその代用として扱われているのがまたにくい。 たまにユミヨシさんの性格にユキが憑依しているような場面もあり、それはそれでミステリアス過ぎる。 とここまで書いたが、本書は大学時代、大好きで大好きで何度も読みふけった小説なので冷静な評価ができない。 私の青春の一部なのだ。ということで★5つ。 | ||||
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基本的に、このころまでの村上春樹の小説は死と向き合うことで成り立っている。 ノルウェイの森に見る「死は生の対極にあるのでなく、その一部である」という考え方がそれを端的に表していると思う。 「風の歌を聞け」「1973年のピンボール」とそれほど死を強く感じさせなかったこのシリーズであったが、親友「鼠」の死を語る「羊をめぐる冒険」ではその色合いがだいぶ変わってくる。静かな視点で死を見つめるようになる。 そして本作である。表紙のイラストに見るように、「僕」は影となる「死」と向き合って踊り続けなければならないらしい。 鼠の死、五反田君の死、キキの死、片手の詩人の死、そして、残された死体は一体だれなのか・・・。 現実世界の煩雑さと彼岸となるドルフィンホテルの静かさは対照的に描かれていく。 耐え難い死への引力の中、効果的に光るのがユキの存在感である。 1Q84のふかえりにしてもそうだが、村上はこうした霊感少女を非常に魅力的に書きあげる。 「僕」が生きること(ダンスすること)を選ぶ根底にはユキの存在が大きく関わっているのは言うまでもない。 ユミヨシさんがその代用として扱われているのがまたにくい。 たまにユミヨシさんの性格にユキが憑依しているような場面もあり、それはそれでミステリアス過ぎる。 とここまで書いたが、本書は大学時代、大好きで大好きで何度も読みふけった小説なので冷静な評価ができない。 私の青春の一部なのだ。ということで★5つ。 | ||||
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基本的に、このころまでの村上春樹の小説は死と向き合うことで成り立っている。 ノルウェイの森に見る「死は生の対極にあるのでなく、その一部である」という考え方がそれを端的に表していると思う。 「風の歌を聞け」「1973年のピンボール」とそれほど死を強く感じさせなかったこのシリーズであったが、親友「鼠」の死を語る「羊をめぐる冒険」ではその色合いがだいぶ変わってくる。静かな視点で死を見つめるようになる。 そして本作である。表紙のイラストに見るように、「僕」は影となる「死」と向き合って踊り続けなければならないらしい。 鼠の死、五反田君の死、キキの死、片手の詩人の死、そして、残された死体は一体だれなのか・・・。 現実世界の煩雑さと彼岸となるドルフィンホテルの静かさは対照的に描かれていく。 耐え難い死への引力の中、効果的に光るのがユキの存在感である。 1Q84のふかえりにしてもそうだが、村上はこうした霊感少女を非常に魅力的に書きあげる。 「僕」が生きること(ダンスすること)を選ぶ根底にはユキの存在が大きく関わっているのは言うまでもない。 ユミヨシさんがその代用として扱われているのがまたにくい。 たまにユミヨシさんの性格にユキが憑依しているような場面もあり、それはそれでミステリアス過ぎる。 とここまで書いたが、本書は大学時代、大好きで大好きで何度も読みふけった小説なので冷静な評価ができない。 私の青春の一部なのだ。ということで★5つ。 | ||||
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皆さん真面目なレビューをしているので、やや別の角度のレビューで参ります。 ストーリーも勿論、この作品は「文章そのもの」を楽しめる稀有な小説です。 村上春樹の小説を読んだことがある人ならお分かりかと思いますが 彼の小説には独特な言い回しやジョークが溢れています。 特に「ダンス・ダンス・ダンス」はこれが顕著で 随所で思わず笑ってしまいそうになります。 一番印象に残っているのが途中に出てくる僕と五反田君の会話です(滑稽さという観点で)。 詳しく書くとネタバレになってしまうのですが…。 「僕が寝たいのは女房だけだ」 「素晴らしい。神の言葉のようだ。記者会見を開いた方がいい」 こんな感じの会話があるんです。 この会話が面白いと思ったら、即買いです。絶対に損はしません。 | ||||
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村上春樹さんの作品を多く読んできましたが、これは、一番のお気に入りになりました。 ミステリーであり、社会派小説、青春小説であり、純愛小説、そして同時にエロ小説。 たまりません。 最初から最後まで楽しみました。止まりませんし、飽きませんでした。 最後の閉じ方も好きです。 | ||||
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村上春樹さんの作品を多く読んできましたが、これは、一番のお気に入りになりました。 ミステリーであり、社会派小説、青春小説であり、純愛小説、そして同時にエロ小説。 たまりません。 最初から最後まで楽しみました。止まりませんし、飽きませんでした。 最後の閉じ方も好きです。 | ||||
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この作品は大好きです。 村上作品独特のリズム感は相変わらず気持ちいいし、この作品は洗練とリラックス感があります。 「あんた幸せにはなれないかもしれないよ」 この本の中で一番好きなセリフです。 その後に、 「でも踊るんだよ、なるべく上手く」 と続きます。 (細かくは違うかもしれません) 静かな慢性的な絶望と、そこからの脱却(最後少し希望の光が射す)。 | ||||
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物語に、序破急は必ずしも、必要ない。 読中読後に、自身が内包されている世界の、時の刻み方、 密度といった基調が揺らぎさえすれば良い。 そんな、自身の感覚が澄む、少し憂鬱な気分を与えてくれるのは、 彼だけ。 | ||||
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いるかホテルの従業員用エレベータを16階で降りれば、そこは一転暗転 ブラック・アウトの世界、そこは「みんながここに含まれてしまう不思議な結び目の世界」「あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ結び目、危険で通り抜けることすら怖ろしい結び目の世界」。 結び目をほどくために「僕」は嬉し恥ずかし13歳少女ユキをロリコンギリギリのテクニックを駆使して、二人で新しいダンスステップを見つける旅に出る、東京から札幌へ、札幌からハワイ・ワイキキへ。ワイキキでは昔の元カノ・キキに導かれてダウンタウンの不思議な部屋へ……ウキキキ。そこでめっけた6つの白骨は誰の白骨・・・・・・・ 「羊をめぐる冒険」の続編であり、羊男を訪れる真っ暗闇の探検は、ムラカミ文学屈指の「恐ろしさ・ミステリー」である。本当に怖いシーンが…… | ||||
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『羊をめぐる冒険』から四年、新たな冒険が始まる。 村上春樹の三部作、まだ続きがあったんだねぇ。 村上春樹が綴る観念的な表現と不思議な世界。 それは彼の真骨頂だが、こんなにも感情豊かに描いた作品が他にあっただろうか。 客観的な描写で淡々と進行する村上作品とはまた違った感覚を覚える。 「踊るんだよ。音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」 「でも踊るしか無いんだよ。それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。」 「だから踊るんだよ。音楽の続く限り。」 「僕」の所属する二つの世界と、「僕」がこれまで失ってきた様々なモノ。そして新たな出会いと出来事。 これらがどのように繋がっていくのか。 刻まれ始めたステップは加速していく…。 | ||||
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本作品は1970年代を舞台に書かれたこれまでの3部作とは異なり、初めて時代が1980年代となる。 考え方のシステムが重要とされた1970年代。 何でも金で買え、考え方でさえも適当なのを買ってきて繋げばいいという高度資本主義社会である1980年代。 時代が変わり、人が変わりそして考え方が変わる。そんな1980年代の新しい価値観の中を生きる主人公の僕の姿は、今の時代を生きる我々にも切に訴えかけてくるものがあり、とても考えさせられた。 またそのエピソードの一つとして出てくる配電盤のくだりはたまらなく面白い。 話が進むにつれ、物語の主体は「死」が大きくなってくる。 「いつも死というものが僕の脇にいる」「死というもの通して世界と繋がっている」 ノルウェーの森とはまた違った物語を通して村上のもつ死生観が味わえる。 主人公の僕の踏むステップとともに展開するこの物語は十二分に読み応えがある素晴らしい作品だと思う。 | ||||
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登場人物が次々に亡くなる物語はいささか気鬱になります。主人公の周りからかつてのガールフレンド、知り合った外人、友だち等々。なんでこんなに亡くならねばならんのだろう思いながら読んでいるうちに物語の中へ引き込まれていくのです。「キキ」なんてヘンな名前だなぁ。魔女の宅急便だし(笑)。 | ||||
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考察1 村上春樹は小説に何をのせたのか?う〜ん。表と裏? 生と死?正直分からないのだ。ただ、物語としては非常におもしろい。引き込まれる。僕が個人的に受け取ったメッセージは、「世の中には、下らない事・もどかしさ・ジレンマ・矛盾等々、そういう実に下らないものに支配されていると思える時がある。生きることがバカバカしくも思える。だけど、生きろ。考えるな(人生の意味なんて考えるな)。音楽が続く限り(命がある限り)ステップを踏み続ける(生き続ける)のだ。周りが感心するくらい上手なスッテプを踏み続けるのだ(周りが感心するくらい健全な人生を生きるのだ)。」ということかな。実に泣けてくる。http://ameblo.jp/rameblo0/entry-10714085708.htmlに続きあります。よろしくです。 | ||||
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少ないんですね。村上春樹の中で一番好きな作品。ジョークが理解されない主人公。着実に死んでいく登場人物。繋がっていく物語。かなり、いいですよ。他の作品を読んでいなくても、楽しめます。個人的に、"失われた王国"等、様々な短編に形を変えて出て来た優等生の友人が、五反田君の形を持って長編に登場したのが(そして一つの結末を持ったのが)、すごくよかったです。 | ||||
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村上春樹の小説は、どちらかというと毎日少しずつゆっくり読んでいっていたが この作品はミステリー小説っぽいこともあり、先が気になってどんどん読み進んでしまった。 登場人物はそれまでの青春3部作ともかぶるところはあるが、ストーリーの連続性はない。 しかも、もう「青春」ではなく主人公もすっかり大人になっているので、それまでの3部作とはほとんど別物だ。 五反田君、ユキといった登場人物たちも魅力的で、単純に「面白い」といえる作品。 それにしても、村上春樹の小説を読むと無性にビールが飲みたくなる。 | ||||
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ここにはあらゆる人間の世界観と感情が渦巻いている。 また、時間が経って分かるのは、バブルといわれた時代のにおいがハッキリと刻印されている、ということ。 私にとっては心に積もった澱を取ってくれるフィルターのような小説です。 | ||||
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仮面を着けて生きることが要求される高度資本主義社会で、 自分を捨てることなく、生き抜く人々が描かれています。 けれど、それは困難な生き方であり、 タフでハードな世界にあっては、 失うものがあまりにも多すぎる。 仮面をとったり、つけたりしながら何とかバランスをとる僕。 仮面を着け続けて、自分が崩壊していく五反田君。 仮面を着けることができないユキ。 etc…。 それでも、この現実社会で生き抜くしかない。逃げることはできない。 自分を見失うことなく、ダンスを踊り続ける登場人物を通して、 この社会での生き方を考えさせられます。 「踊るんだ。 音楽の鳴っている間は踊り続けるんだ。 なぜ踊るなんて考えちゃいけない。 意味なんてもともとないんだ。 どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、 きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。 まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。 使えるものは全部使うんだよ。 ベストを尽くすんだ。 とびっきりうまく踊るんだ。 みんなが感心するくらいに。」 「繋がっている。 僕としては、この線をだどってみるしかない。 この糸を切れないように注意深く辿っていくんだ。 とにかく動くこと。 立ち止まらないこと。 こっちの世界に居続けるんだ。」 | ||||
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青春三部作の続編。 とは言え、「羊をめぐる冒険」との間には「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ノルウェイの森」が挟まっており、6年の歳月が経っている。 予期せぬ方向に話は展開し、死んでしまった鼠との約束を果たして帰路についてから数年。 「僕」は素晴らしく綺麗な耳を持つ「キキ」を探して、あの「いるかホテル」を目指して札幌へ降り立つ。 羊男に追われるようにして消えた「キキ」はどこにいるのか。 たどり着いた「ドルフィンホテル」は以前とまったく異なる近代化された高層ホテルへと変貌を遂げていた。 「羊をめぐる冒険」において「僕」を誘う案内人は「キキ」だった。 そしてこの物語の案内人は13歳の女の子「ユキ」。 芸術家と作家を両親に持つ美貌の少女は、時に不思議な能力を見せる。 物語は彼女をキーとして、様々な人間関係と事実関係が交錯していく。 何の手がかりもつかめないまま日々は過ぎるが、ふとしたことから再び羊男に出会う。 そこで羊男が「僕」与えたアドバイスは「とびっきり上手く踊ること」。 音楽が続くかぎり。 「僕」はステップを踏み始める、正確に、上手に。 奇妙なつながりを見せながら展開する話は、最後には意外な展開を見せる。 そして「僕」はひとまわりして再び「いるかホテル」のフロントで働くユミヨシさんの元へ帰っていく。 これだけの長編を最後まで淡々と、それなのに飽きもせずに一気に読ませる村上春樹のテクニックに驚嘆する。 私はこの本を読んでまだ飲んだことがなかったカクテル「ピナコラーダ」に憧れた。 今でもあのココナッツミルクの香りがするカクテルを飲むと、ハワイでの「僕」と「ユキ」の開放的なシーンを思い出す。 | ||||
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