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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全558件 281~300 15/28ページ
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普通に楽しく読めた。欠点もあるだろうが、面白さがそれに勝る作りで良いと思うな | ||||
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上巻302p・下巻293pの読み応えある作品です。 全て読みきれるか不安に思う方もいるかと思いますが、 終始平易な文体で書かれ、また随所にユーモラスがちりばめられているので、飽きがこないようになっていると感じました。 登場人物全てが色濃い存在で、かなり親しみを感じる人物もいれば、激しく憎しみを覚えてしまうような人物もいました。これほど感受移入してしまうのは、一人一人に弱い面や人と明らかに異なるあるからだと思いますが、その弱い面や自分の偏向性を皆が見つめています。それゆえに登場人物全員が読者を魅了します。 時々性描写があり、赤面してしまう方もおられると思いますが、僕はこの性描写も好きです。なぜなら、ただ売れるために書かれたものではないと強く感じるからです。むしろこれがないと「愛」の形が表明的なものとなってしまい、作品全体が壊れてしまいます。激しい描写もありますが、僕は村上さんの性に対してオープンな姿勢が好きです。 非日常的経験や、ドキドキ感を味わえることは間違いありません。 | ||||
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この本を読み終わったとき、(JOHNがLIVING THIS CRAZY WORLDと歌ったように) 世界はなんて無常なものだろうとおもった。人は必ずいつか死ぬし、時間は自分が何をしていようが無常に過ぎていく。時間は限られている。誰もが運命から逃れることは出来ない。そばにあるものは必ずいつかなくなるし、その重要性に気付くのは、いつだってそれをなくした後だ。誰もが自分の理想を追い求め、理想を実現するべく前に進もうとするが、なにもかもが思い通りになるはずはなく、自分の居場所もわからず、理想の森をさまようことになる。そういう意味で、この世界全体がノルウェイの森であり、そこかしこに野井戸があいている。野井戸の深さは落ちた人にしかわからない、ワタナベが直子の闇の深さを認識できなかったように、人の心の闇はその人自身にしかわからないのだ。だが、それでも、この世には愛がある。愛だけは世界を救うことが出来る。だからレイコさんはBeatlesを歌ったのだろう。この本には人生の教訓、楽しみ方、うまくやりぬく方法がつまっている。つまらないという人もいるが、この本が面白いという人ばかりだったら、世界はゆがんで、教室は静まり返り、窓の外を眺める人ばかりになるだろうと思うので、それはそれで良いと思うが、僕はこの本を好きな人と友達になりたい。ちなみにこの本を読むときは「SEA CHANGE」、読み終わったら「KID A」を聞くのが良いと思う。 | ||||
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88年ころの高校2年生か、3年生のころに読みました。残っている印象は、やたら人が死ぬ、やたらすぐに寝るということだけでした。ただ、面白くて一気に読んだ記憶があります。2010年、39歳、レイコさんの年で改めて読み直しました。それも初めての病気入院のベッドの上で。やはり面白い。一日で一気に上下二冊を読みました。そして、ああ、こんな話だったのかと初めて読むように面白く読めました。何が面白いのかと考えるに、表現の軽妙さもさることながら、主人公のワタナベくんのこだわりのなさ、川に流されるように漂う感じが物語が次にどうなるのかと読ませられてしまうのだろうと思います。ただ、最後、さすがにワタナベくんとレイコさんの話には驚きましたが。あら、びっくり、そうくるか、とさすがに39歳でも思いました。 | ||||
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今更なんですが読んでみたわけです.下巻はこれからですが,当然の事ながら「1Q84」からの流れです.この小説は1987年に書かれており(小生はまだ学生(大学院で研究室に泊まり込んで実験に入り浸り)だった頃),村上春木の文章にも年齢(ここでは若さ?)を,今(23年後の2010年)からすると「ういういしさ」を感じるような印象です.内容を今更書き表すまでもなく,『はっ』とするようなシリアスな部分と,いつもながらの性描写が特徴の村上春樹文学,読者が若かりし青春時代に引き戻されてしまうことがその魅了だと思います.さて,この小説の中に描かれている『(精神的に)切れる』状況に対してヒトはどのような行動を取るのか,その悲しい一つの選択肢が「自殺」であり,現代社会の大きな問題になっている事実があります.実は村上春樹は30年近く前に年間自殺者3万人を超える状況が来ることを予想し,人の心のケアー(今で言うメンタルヘルスの重要性)が如何に重要であるかを説いていたのかもしれません? 時代背景はかなり昔であるにもかかわらず,取り上げているテーマに陳腐性が感じられないところがすごいと思いました. | ||||
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初めて読んだときには、はっきりいって何がいいのか全くわからなかった。それどころか性描写が多かったり、まわりくどい表現に嫌悪感すら感じた。しかし、2回、3回と読み返すうちに、人間の内面の描写の奥深さに感嘆し、この作品を見る目が180度変わった。村上春樹作品全般にいえることだと思うが、この人は人間の心の奥、喪失感や孤独を描くのが本当にうまいと思う。この作品もしかりだ。登場人物の心の動き、孤独や悩み、葛藤や喪失感が実にうまく描かれていると思う。村上作品はかなり好き嫌いが分かれるし、あわないと感じる人の気持ちもわかる。しかし、この作品を評価するのであれば、2回以上読んでみてからにしてほしい。 | ||||
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とにかく、この本が好きだ。初めて読んだ時から、何度読んでも、何年経っても好きだ。初期村上作品に登場する「僕」と同じ性格であろうと思われる「ワタナベ」と「直子」、そして「緑」との若き日々を記録した物語。どうしてこれほど、この物語が若い頃から私の心に居着いて離れないのだろう。それも性的な描写がふんだんに盛り込まれているにもかかわらず。まずは、登場人物のキャラクターに依るところが大きいのだと思う。この物語以前の村上作品には、とにかくクールな人物ばかりが登場し、やや浮世離れしていた感はある。しかし、「ノルウェイ」ではみんなが生きている。特に「緑」の生へのエネルギーは読む者を快く圧倒する。静的で内向的な「直子」とは非常に対照的であるところが、物語を面白くする。その間で「ワタナベ」は揺れ動く。こう端的に書くと、若者がただ二人の女性の間を揺れ動くだけの物語になってしまうが、まったく違う。これ以上深く書くとあらすじになってしまうのでやめておくが、そんな薄っぺらい話ではない。故にあれから20年近く経った今読んでも心を打つ内容なのだ。なぜならそれは、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」このテーマが、この小説の頭から最後まで一貫して色濃く流れているからだ。だから、悲しいほどに物語の中の「性」的な描写が「生」の象徴として違和感なく流れていく。改めて読み返して、この本からも自分は影響を受けていたことをまた見つけてしまった。数年前まで、酒のツマミにピスタチオを好んで食べていたのは、そういえばこの小説の影響だった。 | ||||
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「作品の売上部数=傑作」という単純な判断にはならないとは思いますが、この作品のクオリティは売上に比例して村上春樹の作品の中でも最高傑作と言えると思います。内容云々では無く、読んだ時のはまり具合、衝撃、読了後の感覚、余韻など全部ひっくるめてこれほどエキセントリックかつノスタルジックかつナルシスティックな作品は無い、と思いました。賛否はあると思います。しかし、村上春樹に興味があるのであれば避けては通れない作品である事は確かです。 | ||||
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二十代後半で別の作品を読んで嫌いになって以来だが、四十歳近い今、それでも根強い昨今の評価が気になり。性やエロティシズムを俯瞰したり、ある程度自己が安定した今なお、内容や話自体はやっぱり好きにはなれないものの、楽しみ方は私なりに多々発見できた。若者に特有の自己と相反する他人との距離感と境界に対する考え方。高度成長時代のカオスを思春期時代で過ごした若者とその時代の空気のひとつという捉え方で読んでみたり。意味や答えや共感、とにかく何をも求めていはいない。心を限りなく忠実に表現しようとしたのではないだろうか。その時どう感じたか、考えたか、考えてもわからないことはそのままに、ただ生きること、正常か異状か、何が正しくて間違っているなかという違いについてこだわる潔癖さ、人が人を、自分を理解することの不可能さ、無意味さ、でもなおそうせずにいられなさについて語られる。少しおかしなキャラクターに社会に対する不満やうっくつを語らせるところは巧いのかずるいのか。。はっきりと断定したり押しつけないところがいいのか。カオスをカオスのままに簡潔に表現し、読ませるところが称賛されるのか。世代と世相へのうっくつに悩める若者がそんなに多いのか。(それに比べ自分の青春時代のお気楽さといったら。)読みやすく、だれもが論議に参加できる。論議によっては人の心模様も露わになる。好き嫌いと面白い面白くないが複雑に交差する。こうして新たなカオスを人々や個人の中に生み出してしまうところがたいへん興味深い。そんな私もまた「下劣な連中」「インチキなやつら」の一員なのかも知れないが。さあ、見知らぬ他人の皆様、年代とあわせてご意見をきかせておくれ。ただし、純粋でまだ悩みも知らない柔らかい心の若者、不安定な気分に揺れている人にはおススメしたくない気がする。 | ||||
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村上春樹はすごい作家だと思いました。平易な読みやすい文章は象徴的で、意味を読者に委ねる空間が空いているような独自の世界。まるで翻訳しているような気分になりました。ここからは、私なりの翻訳。スプートニクの恋人ではあちら側の世界としていたものが、この作品では直子の療養施設の近くの森にあるという架空の井戸穴であり、直子は結局そこに落ちてしまったのかなと思います。(スプートニクでは、あちら側は"ここではない別の"世界として描かれており、意味は少し違うと思いますが)無駄に多いとされる性行為の表現に関しては、心と身体が深いところで共鳴するようなものに関しては、それは生を意味しているのではないかと思います。生は、生々しいものだからです。直子の身体は、本能は、生きることを望んでいた。だからこそ20歳の誕生日に、直子の身体は"井戸に落ちないであろう"僕を求めたのではないでしょうか。ですが、愛するものを失った哀しみは、残されたもののなかに死の種を植え付けます。直子のなかにある死はあまりに深く、癌細胞のようにその進行を止められなかったのでしょう。直子と対照的に描かれているのが緑ですが、彼女もまた両親を亡くした死と縁が深い人物です。ですが、彼女は自分のなかの死に対処し、生きる意思をもって生きています。僕は緑と直子、生と死の世界の境目を行ったりきたりし、最後は緑を選びますが、直子は死に、あとには深い喪失感と井戸穴のある風景が残ります。現在の僕は、文字通り、死を自分のなかにしまい込みながら20年の歳月を生きてきたでしょう。どこまでも深く暗い穴のある井戸の、場所を確かめながら。それは、見えていれば落ちないから。 | ||||
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きっと批判されてる方はこの本に「何か」を求めて読んだからではないでしょうか。 恐らく村上氏はすごく純粋な気持ちで書いたんじゃないかなと。 話の構成とか深みとかは意識せずに。 たまに出てくる変な例えは小学生的で、 セックスあれこれは思い行くままの中高生的で、 社会に大しての考え方、自殺、環境は大人で。 だから純文学と言っているのかな、なんて思いました。 だからこそ滲み出る純粋さ、繊細さは計画的な小説では出せないものに思います。 頭と心がカチコチの人は嫌いだろうな。もったいない。 映画化楽しみです。松ケンも菊池凛子さんも好きなので。 | ||||
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20年以上ぶりに再読した。同世代の作家たちが、学生運動華やかりし頃の自分探しを 題材にして私小説的なものを世に送り出して脚光を浴びていたが、この作品は、最終 ランナーが先行者をぶち抜いてしまったように、普遍的な輝きを今でも放っている。 ストーリー性と言うよりは、複雑で不可解な人間心理の葛藤を丁寧に解きほぐして いこうとする作者の姿勢と、性的な行為の描写を、その背景にあるものまで、文面に 浮き立たせるかのような才能が、本作品の成功の理由ではないだろうかと思った。 | ||||
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この作品を読むと、学園闘争というイメージでしかなかった1970年代の学生に対するイメージが変わる。熱狂していたのは一部の学生だけで、大多数はこの作品の「僕」のように日々悩みを抱きながらも淡々と生活していたんではないかと思う。当時の学生をリアリティをもって描かれている。 | ||||
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昔売れていた頃、まだ小説なんてそんなに読んだことも無かった頃に買ったノルウェイの森。 でも結局上巻の途中で挫折してしまった。 大学生でも無ければ恋の1つもしたことのなかった僕には何一つリアルに響いてこなかったからだと思う。 あれから十何年が過ぎて、自分でも考えていなかったような人生を送り、恋をし、 来月、6年間同棲した彼女と別れることになった。 それは僕にとってどこまでも果てしない喪失感であり、僕は何かに取り付かれるように映画や音楽、 とにかく感傷に浸れるものを探していた。 雑貨屋で積まれていたノルウェイの森を手にとって、僕はすぐにレジに向かった。 あれから十数年、今回はびっくりするくらハマった。 一人一人の悲しくも悲しすぎない生き様が、いろんな自分や彼女にリンクした。 毎日少しずつありがたく読み、今日ようやく読み終えた。何一つ無駄の無い、最高の作品だった。 僕は完全にノルウェイの森の中にいた。 そして僕は、また何十年後かに、この小説を読もうと思った。 その時、僕は何をしていて、どこにいるか分からない。 また違った感想を持つだろう。そして、彼女のことを想い出すだろう。 | ||||
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傑作ですよ。やっぱり。 自分にとって、とても大切でかけがえの無い作品であることを 新ためて思い直しました。 20年前の忘れかけてた大学時代へ連れてってくれるんですよね。 あの味わった恋愛の素晴らしさとか、ひとりぼっちの辛さとか 思い出されます。 誰かは「直子」であり、誰かは「緑」であり、「永沢」であり。 他の村上作品にはない、心を揺さぶる「しっかりとした言葉」がいいですよね。 ボールペンで赤線を引きたくなりました。 それと、ほんとに街の風景描写が上手いですよね。 だからあの時だけじゃなく、あの場所へも連れてってくれるんですよ。 1Q84を読んだことを期に、今までの村上作品を読み返しています。 今回読んでみて、やっぱり「ノルウェイの森」は村上作品の最高峰であると 再認識しました。 この作品は、大ベストセラーで社会現象にもなったことから 中々「ノルウェイの森が好きだ」と人に言えないですよね。正直かっこ悪くて。 そんな人、多いと思います。だから、すごく損していますよね。この作品は。 ちょっと可哀相ですよね。傑作なのに。 そろそろ、ちゃんとした公正な評価をする時期なんじゃないでしょうか。 確かに唯一のリアリズム長編ですから、村上作品の傍流ではありますけどね。 おそらく、作者がこのような作品を二度と書くこともないし、誰にも書けないし。 この時代の村上春樹はもういないんですよね。 この作品は、時は流れ、過去には戻れないことをいろんな意味で感じさせてくれると 同時に、村上春樹の偉大さ、有難さを新ためて思い出させてくれます。 そう、ほんと彼の存在は、つくづく有難いことなんですよ。 | ||||
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村上春樹作品を読むのはこれが2作目。前回は1Q84を読みました。 元々自分は、恋愛小説をほとんど読みません。好きなのはミステリーとファンタジー。ノルウェイの森を読むキッカケは1Q84を読んで他の村上作品に興味を持ったのと、「映画化」と本の帯に書いてあったからです。 37歳の主人公が飛行機の中でビートルズのノルウェイの森を聴きながら大学生の頃の切ない記憶を想い出して行く。高校時代の親友の恋人・直子と、同じ大学の緑という2人の女性への恋愛物語。全体的にしっとりとしたストーリー展開。特に嫉妬や裏切りみたいなドロドロな展開はなく、過去の経験を語って淡々と進んでいく。そんな中に生と死のテ−マがあり、軽い恋愛小説で終わっていない。若さ故か、主人公の周りの人間で自殺しちゃう人が多いのはいかがなものか(苦笑)下巻まで読んでの感想は、切ない。心の傷を癒すのは簡単でないと知っているが、もう少しハッピーな展開になってほしかったな。 映画を観るかはわからないが、読んで後悔はしていない。 | ||||
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本書が出版された頃、評者は高校生だったのであるが、当時純文学のミリオンセラーということで随分話題になりました。クラスの女子などが赤と緑の本を学校に持ってくるのを見て「ケッ」と思ったのを良く覚えてます。 さて、時が流れもう若くは無い昨今に、評者は読んだわけで有ります。評者自身はわりと気にいったのですが、正直、「なんでこの男目線の本が、女子に人気があったの?」と思ったわけであります。 さて昔、エロ本から人生の多くを学んでいた頃、男の劣情を引く女性の順番は一姦二狂三娼であるという一文を読み、妙に納得した覚えがあります。評者なりに付け加えれば、一部男子は劣情を超えてロマンスを感じてしまうわけで、心の病を抱え且つ死んだ友人の彼女だった直子さんは、このうち二つの条件をほぼ満たすわけで、さらに美人なわけで、そりゃもうその手の男にとってはど真ん中なわけです。 しかも現実の心の病は、身体症状も結構でるので、いつまでも美人ではいられず、周囲もその煩わしさにウンザリして来るわけで、5年も10年も続かず美しい思い出として終ったのは、有る意味幸運というか都合が良い話だと思うわけで、何の取り柄もないワタナベ君が、魅力的な直子さんと関係を持つに到っては、「これはモテない男の妄想を美化しただけじゃないか」と思うわけです。 しかも年上のレイコさんとまでいい関係に成っちゃって、さっぱりボーイッシュな緑ちゃんとまでいい感じに成っちゃって、村上さん、青少年の脇目の先までちゃんと押えてます。 別にケチをつけてるわけでは無いですよ。えー、僕はこの小説大好きですよ。だって「僕の妄想を盗んだ」ような作品ですから。 でも何故にあんなに女性に人気があったの?そこが分からない。 もしカッコだけじゃなく本当にこの本が好きな女性がいるなら、是非会って、お茶でも飲みながら話をしてみたい。 | ||||
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とにかく読みやすい文体と内容である。ストーリーにメッセージ性はないと思われるのだが、 (リアリティはあまりない)人物たちを描いた害のない架空の物語だと思えば、十分楽しめる。 セックスの描写が多いが、セックスに関心がありながらも、関心があると公言することに恥ず かしさを感じる女の人たちが、文学作品として堂々とそうした描写を読めるという点は、この作 品の売り上げが伸びた理由の一つだろうし、そういう文章は社会にとって必要だろうと思う。 ただ、自殺を多用して読者の気を引くのは、小説として品がないと思う。一般的に、自殺は、 どうしても謎を残すので、読者に先を読ませるとしては有効かつ容易だが、この小説の自殺の多 さは、やはりやり過ぎだと思う。一つ一つの自殺に込められた意味が、小説中で全く消化されて いないと感じる。 また、この小説ではセックスに至る道筋があまりにも容易な場合が多い。現実社会では、毎週 末バーで声をかけてホテルに行くのが「実際にやってみると本当に簡単だった。」ということは ないし、初めて会った女の子と、「どちらから誘うともなくホテルに入った。」りすることはな い。 精神的に問題がある人たちやその療養所が出てくるが、これも、現実のそういう人たちを理解 する上で参考になるとはあまり思えない。 一方、表現や発想のおもしろさはすごい。「雨にうたれた猿のように疲れている」とか、「春 の熊くらい好きだよ」とか、なかなか思いつくものではない。 いずれにしても、自殺やセックスシーンを多用したりしつつも、読者を引き付ける力には、抜 群のものがある。この小説が何の意味も、訴えかける点も持っていないにしても、おいしいもの を食べたり、熱中できるテレビゲームをしたりすることには深遠な意味はないが快楽はあるのと 同様に、この小説にも大きな存在意義があり、同様の小説があるなら、自分はまた読みたいと思 う。 | ||||
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映画化を前に一度読んでみようと思い購入。純愛物語と聞いていましたが、なかなかどうして大人の内容。中学生の子供がいるのですが、性に対する理解の入り口にいる時に読むととても良いなと感じました。 | ||||
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愛することが人にとって必然の行為であり、ごく自然にたやすくできること。また困難をともなって深く傷つくことでもあるという、人と愛のいろんな関係について語っているとおもいます。 描写に音楽や文学の固有名詞をからめていて、それを知らない人にはわかりづらく感じるとおもいますが、そんな知識はまったく必要ないとおもいます。素直に日本語を感じとれば、この作品のよさを理解できるとおもいます。 ただ、そういった表現の多さが、この作品の価値を理解することを妨げているとおもいます。 また冗談めかした表現も多く、それがこの小説を読みやすくしているとおもいますが、伝えたいことをボカしてしまっているとおもいます。 | ||||
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