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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全558件 221~240 12/28ページ
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言わずと知れた村上春樹の代表作です。 作者がローマに住んでいた時に書いた本です。あまりに売れた事がショックだったようです。 (このあたりの事情は「遠い太鼓」にあります。) その時の作者の孤独感やその時前後の住環境などが作品に反映されています(とかってに思います)。 評価平均が最高点でないのは有名すぎるから、と思います。 他の作家には絶対書けない独特の静かな不思議な落ち着きのある文章です。 村上春樹の本はレビューで具体的になんやかや書くものではないです。 よんでこれほど浸れる本は他にあるでしょうか、作者のワールドを堪能して下さい。 | ||||
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全体を読了して、何とも言えない虚無感を感じさせられる作品でした。 知人が次々と自殺して、生存している人も去っていってしてしまった僕(ワタナベ)はどうなってしまったのだろうという疑問が残りました。これを推察するのは、今の自分には難しいとしかいえません。 しかし、何となくこの僕(ワタナベ)に共感できてしまう部分もあり、不思議な感触をした作品でした。 他の多くの方も書かれている通り、過激な性描写が多いので、おいそれと人に薦められない作品ではありますが、読んで損はない作品だと思います。 | ||||
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賛否両論ある村上春樹作品ですが、その入門として読んでみました。 まず、情景描写が非常にしっかりしており、70年代には生まれてもいない自分でもその風景が目に浮かべることができ、違和感なく入り込むことができました。 次によく話題となる性描写ですが、確かに生々しいものがあり、分別がついていない年齢の人にはオススメできないといえます。ただ、ひどい嫌悪感を持つというほどの描写ではないと私は思いました。 以前、作者が翻訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)』、『グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)』の二作品を読んだことがあるのですが、今作中に登場もしており影響を受けているのだと感じました。明確な細部は明かされず、不安定な時期である主人公の心理を描写するというのは、前者に通じるものがあると感じました タイトルに書いたとおり、これより他に優れた作品は存在しないとは断言できない作品ではありますが、興味深い作品だとおみました。 | ||||
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昨年、待望の映画化が成されるので、23年ぶりに「ノルウェイの森」を読んでみた。 書店に行くたびに、なんとなく再読したくない気持ちが意識の深いところから起こり「ノルウェイの森」を避けてきた。正確には村上春樹自体を避けてきた。『1Q84』が昨年ビック・ヒットしたが読んでいない。 青年の頃に感動出来たものには羞恥心を感じるし、再読してどう感じるのかということには恐れも感じるのだろう。 「ダンス・ダンス・ダンス」なんかはマシだった。当時に読み取った作者のメッセージをいまだに思い浮かべる。「何故、人は生きるのか?」という主人公の疑問に、羊男が答える。「何故という理由なんか考えてはいけない。 人生はダンスみたいなもの。なんで踊っているのだろうなどと考えたらダンスを続けられない。それと同じで理由なんか考えずに生き続けるだけだ。常に全力で、いつも無心で。」そんなメッセージだったと思う。いつの時代にも必要な観念だと思うのだ。 その点、「ノルウェイの森」は悲恋の物語と把握していたから重いのだ。恋いが叶わないだけでなく、その女の子(直子)が自殺しちゃうのだから、なおさら重い。まだ「セカチュウ」の方が病死なので気が楽だ。今回読み返してみて、自分の意識の深いところがどう感じていたのかよく分かった。 直子だけでなく、主人公の”僕”が関わる主要登場人物の過半数が自殺している。高校生時代の唯一の友人がまず死に、前後して直子の姉、寮で同室の”突撃隊”も もしかしたら自殺かもしれないし、ハツミさんも数年後に自殺。今の時代には重すぎるのだ。 1987年の出版時に巻かれた帯に「100パーセントの恋愛小説」とあったが、ラブストーリーとして読むとキツイのだ。 事実、今の若い人の読書感想は評判が悪い。重いだの、湿っぽいだの、最後まで読む気が起こらないだの、23年前の一世を風靡したブームは、今の時代では無理なのかとも疑いたくなる。 蛇足の話だが、この物語の自殺した登場人物や現実世界の自殺する人も、大正・昭和初期に美談として受け入れられた心中よりは良い。「ノルウェイの森」でも心中する人は誰もいない。現実の社会でも心中って少なくなった。一時期、ネットで集まった知らない人同士で自殺することが問題になったが、これは心中とはちょっと違う。心中とは死語の世界でも一緒に居たいという気持ちから行うものなのだ。 僕自身も今回の再読で、「嗚呼、重いなぁ」と感じた。今の若い人の気持ちが分かる。 しかしそれは、恋愛小説として読むから気分良くないのだ。繰り返すが 、1987年の出版時に巻かれた帯には「100パーセントの恋愛小説」とあった。しかしこれは講談社の販売促進作戦であって、村上春樹が「ノルウェイの森」を恋愛小説としてはいないのだ。 その証に、この長い小説の始めと終わりに2度も同じ文章が出てくる。それも太字で。 それは、 「死は 生の対極としてではなく、 その一部として存在している」 という”僕”の気づきだ。 死者が生きている自分と違う世界に行ってしまうと思うから、死は辛いのであり恐ろしくなる。でも、魂が肉体を離れることが死だと仮定したらどうだろう。肉体が無くなっても魂が近くにあっても不思議でない。物理学が基礎である人間の科学では、非物質である魂はその存在を証明出来ない。しかし、物理学が抜本的に頓珍漢かもしれないのだ。2,000年前に祈祷が医療だった頃はこれが正しいと思っていたようだし。 心中が美談になった時代も、死が対極であって離ればなれに成りたくないという心情がそうさせた。 村上春樹は「ノルウェイの森」で、死と生について語ったのだ。 ”僕”は自分の気づきを確認しながらも直子に対する記憶が無くなるのを恐れるが、愛する人を忘れるのが離ればなれという対極ではないのだ。 なぜなら、あなたが人を愛した時、 その肉体という物質を愛したのではなく、非科学的な魂を愛したはずだから。 | ||||
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賛否両論ある村上春樹作品ですが、その入門として読んでみました。 まず、情景描写が非常にしっかりしており、70年代には生まれてもいない自分でもその風景が目に浮かべることができ、違和感なく入り込むことができました。 次によく話題となる性描写ですが、確かに生々しいものがあり、分別がついていない年齢の人にはオススメできないといえます。ただ、ひどい嫌悪感を持つというほどの描写ではないと私は思いました。 以前、作者が翻訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)』、『グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)』の二作品を読んだことがあるのですが、今作中に登場もしており影響を受けているのだと感じました。明確な細部は明かされず、不安定な時期である主人公の心理を描写するというのは、前者に通じるものがあると感じました タイトルに書いたとおり、これより他に優れた作品は存在しないとは断言できない作品ではありますが、興味深い作品だとおみました。 | ||||
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性描写を批判する人がいますが、この小説には性に関することが必要だと思います。 性交によって内側にある淀んだ感情を共有し、また同時に拒絶をもしているのです。 文学には性が不可欠だと思います。 そして小説を執筆していると書かなければいけない場面や執筆者自身が予測不可能な展開になる場合があります。これは小説を執筆している人には分かるかと…… 春樹氏はのめり込んで作品を執筆するタイプの作家ですので、特にそういったことが多いでしょう。 最後に春樹氏の小説を批判する人は彼の作品を全て読んだのでしょうか? 批判するならするで全てを読んでからする方が人間として正しいのでは? 太田光の様に | ||||
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未来はどうなるか? 若さゆえの苦悩を思い起こさせる。 | ||||
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村上春樹作品を20数年ぶりに読んだ。 20数年前友人に村上春樹さんの作品が面白いから読んでみて、と薦められ 「羊をめぐる冒険」を読みました。 それ以来村上氏の作品を手にしていないのですから、当時の感想は言わずもがなです。 友人は今でも村上ファンです。 よく気に入った作品を読み返していたりします。 ではなぜ当時私は村上作品を面白いと思わなかったのか、 今なら答えがわかります。 当時彼女はボーイフレンドがいて、恋をしていました。 当時私はロックに夢中でマンガを愛読し、ボーイフレンドはいませんでした。 二人の共通点は読書をしないとこでした。 二人の相違点はボーイフレンドがいるかいないかでした。 ボーイフレンドのいる彼女は村上春樹の作品をきっかけに、読書の世界を楽しむように なりました。 マンガを読みロックを聴いている私は、現実の世界の男の子とつきあったり、セックスをしたりする ことに興味を持つことはなかったのです。 早い話が、子供だったんですね。 そんなお子様が村上作品をよんでもピンと来るはずがありませんでした。 村上春樹の作品が気に入るかそうでないかは、案外これだったと思います。 80年代に高校生や大学生だった読者でリアルタイムで村上作品の信者になったものは 片っ端から恋愛していたし、それについて結構真面目に悩んでいたのだと思います。 遅れて成長した自分はせめてもう少しはやく村上作品を再読すればよかったかな、 と今は思っています。 | ||||
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物語に、序破急は必ずしも、必要ない。 読中読後に、自身が内包されている世界の、時の刻み方、 密度といった基調が揺らぎさえすれば良い。 そんな、望まれた、少し憂鬱な気分を与えてくれるのは、 彼だけ。 | ||||
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レビューとしては人による本だと思いますが、僕はおすすめしたい本です 恋愛小説です。世界の終わり〜の次に読みました。 死は生の中に潜んでいるというのはよく分かる気がして、実際人は突然死ぬことがあり、僕もそれを経験していたため「本当こんな感じだよな」と思えることがありました。 そして個性的な登場人物が何人もいて、主人公に影響を及ぼすのですが、やはり直子と緑の二人が印象的でしたね。 また先が読めないのでワタナベ、直子、緑が最後何を選び結果どうなるのかということを楽しめながら読めたと思います。生と死どちらを取るのかということも…。 最後に☆5としなかった理由ですが、著者も重々承知のようですが、ある程度人を選ぶ内容だと考えたからです。では。 | ||||
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率直に言って好きです。結末も序盤からわかってしまいますが、綺麗な表現でところどころ切ないです。とくに蛍の光を眺めて、それに手を伸ばす箇所が美しく、主人公の男の子の寂しさが伝わります。けれど私はあまり「可愛いよ」だの「好きだよ」だの、違う相手にぽんぽん言える勇気はありません。章が変わるごとに別の女の子に「好き」と言っていますが、だったら直子が去ってから会わなければいいのに、死んでから会えばいいのに、と思ってしまいます。 よく喪失と再生の対比を売りに小説が販売されますが、この作品は概ね喪失ですね。緑が再生側に立っているかどうかも疑問です。むしろ主人公は緑を手にする機会を取り損ねたように思えます(もちろん緑もワタナベ君を取り損ねている)。下巻の最後に「どこでもない場所で緑を……」とありますが、場所(自分のいる位置)も失っている。 キャッチ・コピーは素敵ですけど、「物語の終わりはどうであれ、前向きに行こう」という方にはおススメしません。切なさを煽るキャッチ・コピーには騙されず、作品自体と向き合ったら考えさせられる作品ではあります。 | ||||
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確かにアホほど人が自殺していきます。 これだけ回りで人が死ぬと、自分はもしかして死神ではないかと 勘違いしていまうくらいですね。 性描写も男の都合のいい考え方で書かれていて、それはぁ・・・ という場面が多々ありました。小説だからね・・・。 主人公はもんもんとその中を生きている。学校や社会に寄生し ないで、自分と自分の回りのひとたちだけと繋がっていわば自由 に暮らしています。学生だから仕方ないか・・・。 でもその淡々と生きている主人公が一番大切な人を失ったとき 壊れますよね。今にも自分が死にそうなくらい。 でも生きる。 傷付いても失っても、生きようとする。死と対峙することで 生の重みが増すっていうか、強靭になっていきます。 がむしゃらに生きて、大人になって段々タフになり、図太くなり 無関心になっていく私たちはこういった感受性を忘れてしまう。 この本はその感情を掘り起こしてくれます。 最後のレイコさんとの性も生きていく者同士の儀式みたいな もので、レイコさんはワタナベに抱かれることによって今までの 生活を浄化させたのだと思います。そして生き残った者は改めて これからお互いに強く生きていくのです。 | ||||
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初めて読んだときは高校生のときで、村上春樹、エロくない? と衝撃を受けた覚えがあります。 そのときの衝撃が強かったので、 大学のとき再び読んだのですが、何となくいい本のような気がするようなわからないような.......。 先日も映画をやっているとき、思い出したように読んでみたのですが、 やっぱりよくわからない......。 歳や経験を重ねればわかるようになるのか、 それともいつまでたってもわからないのか、もう1回だけ読んでみようかな〜と思っている作品です。 | ||||
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ワタナベ君が 優しくて 何でも受け入れてくれて 読んでいて 幸せな気分になりました。きっと 20年前じゃわからなかったな 今だから この優しさがうれしくて 自分も優しさだけで生きたいと 思いました。ただ 1960年代の大学生って 結構 奔放だったんだな と思いました。一部だけの人ですか? | ||||
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なんともいえない気持ちになる本です。 何度も読み返したので、まるで自分の青春の一部であるような、過去の記憶の一部のような感じがします。 初めて読んだ時は高校生のときで、さらっと読んでしまって、話そのものと言うより性描写が目につき、 「なんでこんな誰とでもやっちゃうのかな」とワタナベの都合のよさに釈然としませんでした。(特にレイコさん。) が、それから何年か経ち、東京での大学生活を経験したのち、読み返すと全く違った思いを抱きました。 ものすごく、人は孤独で、永遠に一人で、だからどうしても他者との繋がりを求める。 セックスはそんな孤独な他者同士が行う祈りであり、救済なのです。 そして、死にながら生き続ける私たちの死への反抗でもある。 ワタナベは、優しく見えるけれどとても残酷でもある。なぜなら彼は嘘をつかないから。嘘をつけないから。 思った通りに行動するし、思った通りにしか行動できないから。 それで多くの人を惹きつけ、かつ、傷つけてしまう。 村上作品の中でも異色のリアリズム感が、手触りまで感じられそうで私は好きです。 こんなに時間がたってもみずみずしくて、これからも、若者がいる限りこの作品の輝きは失われることはないと思います。 むしろ、ひとりひとりの繋がりが無くなり、「個」になっていけばいくほど、この作品は必要とされてくると思います。 これからも、読み返すたびにまた違った感想を抱くことになるのでしょう。 この作品はそっとしまっておきたい、大切な宝物です。 | ||||
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映画が公開になったのをきっかけに久しぶりに読み返してみました。 好き嫌いは別にしてこれだけ吸引力のある小説は今までに読んだことがありません。 死を全面に出した作品であるにも関わらず、読後感がすっきりしているのは、 やはり作品に出てくる登場人物がみんな生を望んでいるからなのでは。 閉塞感の漂う時代ではあるけれども、本質的に、皆「生きたい」と願っているからこそ この作品が現代社会に受け入れられてるのではないでしょうか。 素晴らしい作品だと思います。 | ||||
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読後感がすごくいいとは言えませんが、独特の魅力がある小説だと思いました。ただ、好きになれない表現とかもあって星5つは無理ですね。でも伊坂幸太朗さんや東野圭吾さん、それに神崎和幸さんのように、才能のある作家さんの小説を読むのはほんといいですね。 | ||||
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この小説は、心に問題を抱える人たちが、多く、登場する。そして、日常生活での苦痛をなんとか乗り越えようとして戦う心が、書かれている。読者は、ワタナベ君の(作者)の鋭い観察眼を共有しながら、病む心を知ることができる。小説には、種類の異なる心の病いが登場する。冒頭は、主人公のワタナベ君が、17年前の出来事を、飛行機の中で突然、思い出し、気分が悪くなるところから始まる。この時、肝心のことは思い出すのに時間がかかると書いている。その理由は何か?実際の小説の文章を以下に書くと、それらははっきりしているので、手をのばせば、それらを指でなぞれそうなくらいだ。しかし、その風景の中に人に姿は見えない。あれほど、大事そうに見えてたものは、彼女やその時に僕や僕の世界は、みんな、どこにいってしまったのだろう。・・・・僕の頭に直子の顔がうかんでくるのに、少し時間がかかる。そして、歳月がたつにつれてそれに要する時間は、だんだん長くなってくる。・・・まるで、夕暮れのかげのように、それはだんだん長くなる。そして恐らく、夕闇の中に吸い込まれてしまうことになるのだろう。と書かれている。ワタナベ君は、直子さんの死に、深い心の傷をかかえている。すぐには直子さんの顔を思い出せない。そして、時間がたつほど、思い出すことが難しくなるであろうと予想している。なぜ、ワタナベ君は、大事なものを思い出せないのだろうか?実はそれが、人の心のしくみであるからだ。動物は、つらいことを最初に忘れるようにしくまれている。その結果、ストレスを軽減させて、生存が可能となる。そうした事実を、著者が心で感じ取って文章に書いたものであろう。最近の脳科学は、ストレスへの対抗力は、海馬、歯状回の働きであうことを明らかにした。記憶は何度も思い出すたびに強化されてしまうことがある。PTDSなどが典型だ。記憶は、物質として残るようになっている。しかし、苦しい思い出は早く忘れるように、脳は調節を行う、こうした医学的知識は、最近、固まってきたものだと思う。この知識以前に、著者は、人に備わる能力に、するどい感覚で、自然に気づき、上記の文章がうまれたのであろう。この忘却能力は、うつを克服する時にも使われるであろうが、人によってはうまく働かない場合がある。そうした人は、苦しいことが重なり死んでしまうのかもしれない。後に自殺する直子さんの場合は、彼女の苦しい心が、小説の冒頭で語られている。彼女は、一人で深い井戸に落ちることを想像している。以下が、小説の文章上の方には、光の円が小さく・・・小さく浮かんでいるの。そんなところで、ひとりでじわじわと死んでいくの。すでに、直子さんはこのように絶望的に考えているが、小説の冒頭では、ワタナベ君に助けを求めていて、直子さんには、まだ余裕があったと想像できる。結局、直子さんは、性と愛の問題の解決がつかず、変化を恐れ、変化から立ち直ることができず、どんどん悪い方向へ、自分自身を追いこんでしまったようだ。突撃隊も、偏執狂で病んでいる。小説には語られないが、彼も不幸な顛末となっている。彼の気持ちは、ひとつだけぬかすってわけにはいかないんだよ。・・・・・一つぬかすとさ、み、み、みんなできなくなっちゃう主人公のワタナベ君も病んでいる。彼の心は以下のように語られている。死は、生の対極としてではなく、その一部として存在している。この小説は、さまざまに病む心を書き、その顛末を具体的に筋書きの中で示すことにより、人の心がかかえる不安について問題提起している。そうした病気の心を描くことにより、病気から抜け出す方法について、示唆しているのではないかと思う。これを読むと、すでに心の問題をかかえる人は、何か展望を見出せるかもしれない。あるいは、心を病む人の周りの人たちの理解が進むかもしれない、そして、サポートの提供につながるかもしれない。いづれにしろ、誰もが、心を病む現代に、この小説は、さまざまな示唆と展望をあたえてくれるような気がする。 | ||||
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簡単に言えば、主人公が二人の女の子の間で揺れる大学生活を描いたストーリー。 正直、主人公が哲学的に物事を難しく考える場面が多くだらだらと悩みが続き、そんな考えるなよとつっこみたくなることが多かったです。。 こういう点で好みは分かれるんでしょうかね。 ただ、最近は内容が薄っぺらい本が溢れている中でシンプルなストーリをここまで艶やかに表現豊かに描けるのは本当にすごいと思ったので星は四つに。 感受性が強い人は物語にひきこまれて読み終えた時には暗くなってしまうかもしれません。 友達が失恋した時に読みたくなると言ってましたがなんとなく分かります。 恋愛について考えさせられます。 | ||||
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「羊をめぐる冒険」を読んで村上春樹のファンになった私には、発売当時は納得できない作品だった。時代がバブルということもあって、赤と緑の上下巻のカバーはクリスマスプレゼントと同様に扱われ、がっかりしたものだ。内容も私の一番好きな「ねじまき鳥クロニクル」「ダンス・ダンス・ダンス」など不思議ワールドとはまったく違う作風で非常にリアル。それも、あとですべて納得できた。これは村上氏の自伝に近いもので、この作品を書かなければ、彼は次に進むことができなかったのかもしれない、ということを・・・。事実、この作品は海外で書かれているはずで、村上春樹の強い決意のようなものを感じた。全共闘世代なのに、恋愛小説を書くのは勇気が必要だったかもしれない。結果的に世界の若者に受け入れられた理由は「青春」の哀しさと危うさを、普遍のものとして、きちんと描けているから・・・だから共感を呼ぶのです。何度も読み返すたびに、価値はゆるぎないものになっていく。直子派とみどり派に分かれたが、私はみどりが好きだった。「蛍、納屋を焼く」の突撃隊が登場したのも嬉しかった。そして、まさかこの作品が私の大好きな「青いパパイヤの香り」の監督で映画化されるとはびっくり!!映画はまだ、見ていない。賛否両論は当然だろう。だって、映画化は困難だと言われ続けたのだから。 | ||||
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