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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全172件 101~120 6/9ページ
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しっかり読みましたが、残ったものはこの小説、色んな意味で浅くね? でした。フィクションとはいえ、全てが嘘っぽく感じるのは、一つに登場人物の背景の説明がなさすぎるからではなかろうか?(まぁそれが狙いなのかもしれないけど)賞を取ったものが良いとは限らないし、星を5つつけるなんてぶっちゃけ不思議でしょうがない。ってか面白い。 | ||||
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私もこの作品を読んで、おもしろい部分もあると感じたうちの一人であります。たとえば、ヘッセの『車輪の下』やトーマス・マンの『魔の山』の読書描写、ビートルズやジャズの曲の描写などに関してです。が、しかし、私は日本の自殺者数の数を増やしている複合的な要因のうちの一つとして、読者の数も多いがゆえに、このような作品も寄与しているのではないかと考えています。いや、一番問題なのはテレビやマスコミの自殺報道のありかたがまずあげられるでしょう。日本では自殺の問題に関しては普段の風潮としてはそれを取り上げること自体がタブーとされているのに対して(その問題の予防に関して教育の時点で真面目に論じたり教え続けているアメリカなどの国では、自殺率が少なくとも日本に比べて有意に低いのです)、有名人が自殺したり誰かが自殺したりすると、これでもか、というくらいにセンセーショナルに報じたりしています。しかし、日本の自殺の報じ方はWHOの自殺の予防のガイドラインのいくつもの項目を堂々と破っている行為でもあるのです。人間誰でもストレス過多になるとおかしくなることはあるわけで、たまたまそのおかしくなった時にそのような報道がなされていると、そういう方法があるのかという正常でない発想になったりして正常な判断ができなくなってしまう可能性はないわけではありません。いわゆる群発自殺というやつです。ですから、諸外国からすると完全に浮いたそのような報道のありかたをそろそろ考え直す時なのではないでしょうか。話は少しそれましたが、本題に入りますが、私は、たとえば『風の歌を聴け』などの他の村上春樹作品などでも感じるのですが、それらの世界の中では、自殺というものがあたかも当たり前のような、あるいは普通に肯定されているような、あるいは美化されているような印象を受けるのです(もちろんすべての作品がそうだと言っているわけではありません)。私は自殺はよくないことだと考えていますが、その理由としてウェーバーや新渡戸稲造が黒板に文字を書くことすらままならないうつ状態に陥ったにもかかわらずそのあと復活を遂げて、以前にもまして活躍したような事実を知ると(たとえばウェーバーがあの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いたのはその後のことです。もし、ウェーバーがうつになった時点で自殺してしまって『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がこの世に存在しなかったら、と思うとぞっとしませんか)、もったいないということが一つまずあります。もうひとつは自殺によって周りの人でとても傷つき苦しむ人がいるということがあります。まず前提として日本国民に共有されなければならない認識は、自殺は異常なことで決して普通のことではないんだ、という認識です。そういう当たり前の認識が欠けているどころか、このような作品によって、自殺は普通のことなんだという間違った認識を持ったり洗脳されてしまったりすることの方が逆に問題です。しかも、高校生前後などのとても影響を受けやすい時期にこんなものを読んで自殺を肯定するような認識を持ってしまって実際に自殺が起こったりしたならばこんなによくないことはありません。権威に弱い日本人がたとえばフランツなんとか賞とかを取った著者のことを信じこんで、自殺を肯定するような世界観が蔓延することの方がむしろ危険だと考えています。物語でどんなに感動を感じたとしても、それが結果として人を幸せにせず不幸にしたとしたら、なんのための文学や芸術だかわかりません。私は、文学や芸術は人を幸せにするためにあらねばならないと考えています。ゲーテの『ファウスト』は秀作だと考えていますが、『若きウェルテルの悩み』は殺人作だと考えています。そのあとウェルテル効果とかいっておそらくは死ななくてもよかったような命がたくさん自殺したそうです。直接ナイフで刺して殺したというわけではないですが、『若きウェルテルの悩み』を読まなかったら死ななかったという人に対しては、実質上は殺人を犯していることになるのではないでしょうか。ですから、村上春樹の大罪というのは、影響力のある著者であることがかえって、日本の間違った自殺認識を作ったり助長したりしているのではないかということです。繰り返しますが、自殺は肯定するものでも美化するものでもありません。繰り返しますが、自殺は誰でもなりうるストレス過多の状態によってなる異常な精神状態から起こる異常なことであって、普通に肯定することではなく異常なことだという当たり前の認識を日本人全員が共有することが重要です。 | ||||
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期待値が大きかったせいか、残念な気持ちで読み終わってしまった。村上春樹特有の言い回しで文章を読ませる力は感じられるも内容に乏しいと感じてしまったのと、書いた時代の古臭さを感じてしまう。病に関する事や性に関する受け止め方が古く、現代の感覚とのズレが生じてしまい、素直に感情移入出来なかったのかも。一昔前なら良かったのですが…という残念な結果でした。またもう少し時間がたてば違う取り方になるかもしれません。ノルウェイの森 上 (講談社文庫) ノルウェイの森 下 (講談社文庫) | ||||
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見覚えのある、赤と緑の表紙。当時、気になっていたけれど手にしたことがなかった小説でした。今回は映画化ということでトライ。が。とてつもなく読みにくかったです。難しい言葉や漢字を使っているわけではないのだけど、描写説明がくどい。ちょっとノスタルジックな表現に雰囲気。でもそれがあけすけで、「この人、相当自分が好きなんだなア」と思いました。自分の好きな言葉や空気感をだすことは大切ですが、それが最初から多すぎると飽きるというか。発売当時は時代にあっていたのかもしれませんが、2010年に読むとなると厳しいです。とにかく言葉が恥ずかしかった〜「こんなに説明しなくてもわかるよ!キャー、やめて〜」と叫んでしまいました。なので上巻の冒頭しか読めずに断念。すみません、すみません。 | ||||
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村上春樹なんかを、なぜ読むのか? なぜベストセラーになるのか? そんな日本人は、普段いかに本を読んでいないかが分かる。 村上春樹だけをちょっと読んで、それを過大評価するのは間違っている。 もっと良い作家、もっと面白い本は、いくらでもあるのに。 西洋かぶれの、軽薄で安直な村上春樹は、日本のゴミだ。 | ||||
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この「ノルウェイの森」には確かに魅力があります。その語りたい真意が難しいかどうかはしりませんが、読みやすいです。確かに、多くの方の批判にあるように登場人物たちの行動には根拠がないです。でも、この小説に登場する人たちのような感情を抱くのは誰しもが経験していることです。そして、根拠のない行動は誰でもします。まあ、そういった文学的な価値があるかは私には分かりません。 ただ、僕はこの本は「悪書」であると断言します。ただ読みやすくて、性描写やおしゃれだなぁと錯覚させる横文字の音楽を無駄に並び立てることで、私たちに得体の知れない魅力を与えるのです。でも、この小説を読んで何を得ると言うのでしょう。私たちは人間です。動物ではありません。一時の感情や衝動で生きていくわけにはいかないのです。それとも、この小説に登場する人々のように傲慢にも「この腐った世界と大衆」と社会を見下すのが高尚な人種なのでしょうか。 あまり本を読んでいない免疫がない方には、とてもおすすめできません。無意識に精神が蝕まれます。 | ||||
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村上春樹作品を何か読もうと思い、たまたま手に取りました。今は後悔してますけどね。たしかに文章は上手いですよね。舌を巻きます。天賦の才なのでしょう。自由自在に言葉がどこまでも延々と続きますが、あれほどの才能を使ってどうしてこんな「病んだ」だけの話を書いたのか私にはよく分かりません。それをかくも多くの人々がどうしてここまで絶賛するのか。真剣に読まされてしまった分、かなりぐったりしました。心地よくない余韻。作者が自分の才能の使い方を間違えて生み出してしまった、このかくも不愉快な余韻。金を払ってこんなもの読まされるのは、かないませんね。村上作品は「危険」なのでもう読みません。この作品も二度と読みません。この作品のよさが分からないなんて、なんて「低俗」な奴なんだと思われてもかまいません。ただ、勉強にはなりました。救いのない話が、日本ではこんなに商売になるのだということだけは知りました。役に立つかどうかは分かりませんけど。 | ||||
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人気の村上春樹氏の作品に触れてみたく思い、代表作であるノルウェイの森を選びました。昭和の世界観が好きで、私の生まれた年に書かれたこともあり、期待していました。上巻の途中までは読み進めましたが、そこから中々進みませんでした。主人公に何の魅力も感じませんでしたが、直子や緑には少し感情移入していました。が、人としてどうなんだろうと思う言動が多くがっかりし、途中から軽く流し読みしました。上巻の最後を読めば、下巻を読みたいと感じると思ったので、最後まで目を通しましたが、全く下巻を読む気になりませんでした。話の構成も大事ですが、魅力を感じる人物、応援したくなる人物が居ることが、面白いと感じる要素なのだと認識しました。一冊で村上春樹氏を批判する気はありません。が、批判するために他の作品を読む気もありません。 | ||||
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人間関係は簡潔で 時代背景もほとんど主人公たちには影響無し長い性描写を除けば 極めて短くなる話 | ||||
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よくよく考えてみてほしい。 いい大学を出て、女性にも困らない、インテリの超もてもて男が 孤独だ、喪失だ、などとほざいている。 性行為もやり放題(しかも女性から誘ってくるケースが多い)、 知識も非常に豊富で就職にも将来にも困らなそうだ。 僕は春樹アンチではない。 実際この小説の最後に出てくる漁師の言葉には心を打たれる。 ただワタナベは理解できない。 もっともっと何もなく、学歴もルックスも知識もなく 将来に希望ももてない人間は大勢いる。 孤独や喪失の定義は人それぞれだが、 もっともっと直子に何かできたはずだし、 (彼女のキズがどれだけ深くとも・・) 結果がアレであっても彼女を一途に愛する事もできたのではないか。 100%の恋愛小説というキャッチコピーは悲しい。 自分だったら直子が苦しんでいる時に他の女性とペッティングする 気分にはなれない。それがやけの行為であったとしても、 直子に想いをはせて、一途に愛し続けただろう。 最後に緑に電話をかけるシーン。 やり場のない喪失感を投げかけたい気持ちを投げかけたいのは山々だが、 本当の喪失というものは「電話をかける相手もいない事」にあるのではないだろうか。 これは今の時代背景と合わない小説なのだと思う。 当時だと星は5つ星だったのかも知れない。 ただ今の喪失と過去の喪失が合わなくなってしまっている気がする。 これは仕方のない事なのだろうか? 直子がキズつき続ける中で もてもてワタナベ君はひたすら異性との関係を楽しむ・・。 それを純愛とは自分には思えない。 | ||||
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文学性とか精神性とかに言及している人がいるけれど 昔の名作をそんなに読んだことないのでよく分からない。 私はただ、周りに流されて流されて、いろいろやっちゃう主人公がいやだった。 何をしようというのでもなく、ただ生きてるだけの主人公がいやだった。 けれどそれが、この本そのものだと思う。 好きだという人は、きっと主人公のようなさみしさを抱えて、人生の虚しさを感じている人なのかもしれないと思った。 さみしくて、自堕落になって、だからこそ感じられることがある。ひたっていられる感覚がある。 私はそれがイヤでやめた人間だから、嫌いだけれど それを感じていることが良いことか悪いことかは、人によって判断が分かれることで、絶対の答えなんてない。 同じように、この小説も、良いか悪いかはっきり言えないものなんだろう。 これに高い評価をつけられるのが、私はいやだ。こんな自堕落な小説を高評価にしてほしくない。 でも批判されるのもいやだ。 さみしい心を表現した、大切な作品だ。この感覚に近い心の支えにもなっているだろう。だからこそ逆に、拒絶する人もいるかもしれない。 くったり疲れきっている背広のような小説だ。 素晴らしい背広だとは思わないけれど、そこに生きた軌跡があり、誰かを支えた記憶がある。 私は自堕落が嫌いだから嫌いだけれど「こういう人間がいる」ということを知る物語としては、よく出来たものだと思う。 何より、読みやすかった。文章力がすばらしい。 感性にヒットしたら、はまっちゃう気持ちはわかる。 自分の好みだったらどんなに良かったか。 これだけの文章力で書かれた作品は、なかなかないんだもんなぁ。 | ||||
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日本語としてどこかぎこちない翻訳小説風な文体が、「ある所にモテるにいちゃんがいましたとさ」というだけの話なのに、やたら「読む」に対する自己陶酔を煽るんだよね。とにかく登場人物が生きていない。トレンドを意識して作られた人形にしか見えない。サナトリウムが出てくる辺り、こんなものまで商売道具(あまりに薄っぺらである種の「ハッタリ」にしか思われない)に使うのかと噴飯ものだった。後年、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の登場人名(スメルヂャコフ)を自身の書のタイトルに使ったやり口も、恐らく全く同じ思考回路を通って出てきたものと思う。究極の軽薄小説。卵の側に立つとか、(そりゃそうだ、潰れる筈の卵がなければ氏は永遠にヒーローになれないのだ)いい加減くすぐったいイスラエルでの演説もそうだが、手垢にまみれた「ピンチ」の場面で俄然張り切る浅ましさ。 | ||||
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この作品がどうして売れているのかわかりせん。 また、どうして評価されているのかわかりません。 | ||||
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普段小説などあまり読まない僕にとって、そのハードカバーの表紙は重い石の扉を開けるように、入り込むのに勇気がいるのだ。 重い石の扉をあけると、その中には何とも不思議な空間が広がっていた。 簡単にいえば、大学生の主人公が高校生の頃からの知り合いの女の子と恋愛をするのだが、うまく歯車がかみ合わず・・・・いゃ、この物語は簡単にあらすじが書けない。簡単にほどけそうな絡み合った糸を解こうとしても、解けば解くほど新たな糸が出てくるような ・・・ それにしても、読後感は最悪だ。 途中で結末が見えて、その通りになるのだが、あまりにも悲しすぎる。 月のない雨の夜に飛んでいたカラスが、方角を間違えて力つき、漆黒の海に沈んでいく姿を照明なしで撮影し、真っ暗な映画館で上映しているのを見るぐらい、くら〜ぃ気分になり、嫌になる。 読み進めるときはその不思議な空間に落ちていくのだが、落ちた結末が井戸の底というのはあんまりだ。 暗い気分になりたい方は是非どうぞ ( '△`)=3 | ||||
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女の子の登場人物(直子、緑、レイコ)が 有り得ないセリフや行動ばかりなので 多分女性が読んでも感情移入できず しらけてしまいます。 女の子は好きな人がいても 肉体関係をそこまで求めません。 (子供が欲しいとか、別の目的があれば別ですが) ロマンチックな雰囲気で一緒にること自体に 喜びを感じる人が多いと思います。 強いて言えば、少年漫画に出てくる 理想的な?女の子です。 大して魅力のなさそうな男の子が 複数の女の子に好かれて 積極的に身体で奉仕してくれるなんて きっと男性の妄想上では 素晴らしいんでしょうね。 | ||||
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この作品が書き下ろされたのは1987年。物語は、名作であればあるほど、どんなに年月を経ても長く読みつがれていくものだと思う。同時に物語は、その作品が生まれた時代の空気を常に運んでいるものだと思う。その意味でも、この小説は80年代の様相を強く身にまとっている。軽い。甘い。流れている。作者はあえてこの空気を書きたかったのかと思うほど、深みがないように感じる。 当時、ここまで如実に「僕」という男が直面している問題の重さをすりぬけ、人間のあいまいさ・性行動の辟易さを描写した作品はあまりなかったのではないだろうか。それだけに、この主人公と同じ年代の若者の気持ちをつかんだ・・結果、ベストセラーとなったのではないかと今になって振り返る。 あの時代を過ぎ、現在改めて読んでも、やはり人物個々が抱える状況の深刻さと裏腹に、物語の深淵が見えないように感じた。 ハルキ小説・・・・非常に読みにくい(共感度の低い)作品のひとつです。 | ||||
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私の好きな作家の井坂幸太郎が、ポスト村上春樹と呼ばれていたので試しに買ってみたのですが、僕にはイマイチでした。まず、主人公以外の人の心理が僕には全く分かりませんでした。さらに主人公にあまり共感出来ませんでした。最後にちょっとこの作品は、性描写が僕には多過ぎるように感じました。この作品は個人的に井坂幸太郎ファンには合わないと思います。しかし、ライ麦畑やエイジなどの作品が好きな方には合うかもしれません「作品批判では有りません」なんか長々と文句ばっか書いてすみません。でもこれは僕の意見です、あなたの考えが僕と同じとは限りません。ぜひ、この本を読んであなたの意見を聞かしてください。なんか宣伝みたい『笑』 | ||||
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多くの人に読まれている作家なので、私が「感動できなかった」と述べても、世の中に何の影響も与えないはずですから、思ったままを述べます。 一度読んでいたはずなのに、登場人物の記憶はもちろん、物語の展開まで、すっかり忘れてしまっていた自分自身にびっくりした。一度読んでいたはずなのに。ここまでまったく記憶が残らなかった作品というのも自分としては珍しい。 記号のように意味を持たない登場人物の希薄さ。次々に自殺してしまう人々。自殺しない人は消失してしまう。 見苦しいほどに生きる。あるいは懸命に生きる。生存することに執着しながら、死んでゆかねばならなかった。そういう人たちの本を好んで読むので、この本のように、「面白かったけれど、何の記憶にも残らない」。そういう本は、あまり読みたくない。それが結論だ。たぶんもう、彼の作品は読まないと思う。 | ||||
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性を生きることとして表す小説だから、やりおわれば死ぬ。 だから、簡単にやるし、簡単に死ぬ。 本来ある葛藤は、描かれているようで描かれない。なんとなく誰もが感じたノスタルジーを追い求めた小説なんだろうか? 時代が1980年代。小学生だった私が読むべき本ではなかったが、その時代が青春時代であればしっくりくるのだろうか? 主人公以外のやり終わった人間は、死ぬわけだから小説では美しい別れだったレイコもその後は死ぬだろうと思われる文面だし、もうセックスをしないと決めた直子も死ぬ。 暗喩が多いので、作者の意図している部分がどのぐらい読者に伝わってるんだろうか? 嫌なのは、それを小説数ページ読んだだけで分かったので、あとは情緒のない官能小説にしか感じなかったことだ。 青春の葛藤を著者が鼻で笑っているように思えて仕方なかった。この中で著者は主人公ではなく、少し斜にかまえた永沢さんなのだ。 今まで読んだ中で一番後味のわるい小説だ。 | ||||
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結局何を伝えたい話なの??って思ってしまいます。どうして売れたんだろう?? | ||||
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