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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全274件 1~20 1/14ページ
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ハートフィールドが実在しないと分かった時は心底驚きました。 | ||||
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子供が読書感想文を忘れていて、慌てて買った本。 短くてすごく助かったらしいです… | ||||
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すごく気になって、即買いにも 対応してくれる、ありがたい! | ||||
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こちらの原作もクールですね 言ってることの自己矛盾を知りつつ、英語とのギャップが無い 商品も丁寧な配達でした | ||||
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村上春樹の出世作とも言える、今や彼の古典です。この話から何を読み取るかは、読者次第。 | ||||
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正に僕らが生きた時代、場所がここにある。 | ||||
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迅速かつ丁寧な梱包でした。 商品もきれいな状態でした。 | ||||
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自分は最近読書を始めた。何を読めばいいのかわからないので、大学の同級生に聞いてみた。そしたら、村上春樹が自分は好きかなと言っていた。おすすめは?と聞くととりあえず風の歌を聴けでも読んでみたら?と言われたのがきっかけである。正直読み終わってみてよくわからなかった。何を言いたいのかいまいち掴めなkったと、薦めた友達に言ってみると、それが正しい、確かに俺もよくわからなかったと言っていた。しかし、心に響いた言葉が何箇所かあった。ネズミが言った言葉に強い人間なんかいない強いふりをして生きているだけである。人間なんかみんな同じさ。というセリフである。確かにそうだと思った。自分より能力がある人が心配や不安がないわけがない。村上春樹という作家は、こんな文章を書くんだと初めて知った。 | ||||
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35年振りに読んだ。ペーパーのは本棚にあるが電子ではどうだろうとは買ってみた。不思議と細部もよく覚えていた。自分は高校生の時に読んだが、自分の中高生の子供達には勧めるのを少し抵抗がある。ただ本は自分でみつけるものだからいっか。 とにかく満足です。このまま1973年に入ります。 | ||||
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素早い対応 | ||||
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本を読まなくなって10年。 職場の上司がメールの文末に添える詩を読んで、なんだか本を読んでみたくなりました。 学生時代に1行読んで諦めた村上春樹。今なら読めるかもしれないと、レビューを頼りに、この作品を購入しました。 残念ながら、私の感性は、そう簡単には変わらなかったようで、読み終えた感想は、やっぱりよく分からなかった、になります。 ですが、青春時代の終わりを知っている、一生再会できない人がいる事を知っている私には、懐かしさと爽やかさ、寂しさを感じる事が出来ました。 最近は、歳を重ねることに不安すら感じていましたが、若い頃には分からなかった感覚に気付けるというのは、なんて楽しいことだろうと思いました。 久しぶりに読んだ本が、この作品で良かった。 | ||||
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比喩を多用した文体に苦手意識があったが、これは爽やかに読み通せた。この作品の瑞々しさが気に入った。入門書みたいなものかもしれない。 | ||||
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しばらく間をおいて、3回目の通読である。はじめて読んだ時は、斬新な感動であった。年を経て読んでも、若い時代のほろ苦さ、二度と出会うことのない人達の思い出、喪失感と切なさ、これらを見事に描いていると思う。文章は荒削りで完成されたものではないが、ハッとさせる村上ワールドは健在である。完成度は高くなくとも、後の長編「ノルウェイの森」よりも遥かに心に響くものがある。完成度は高くなくても、見事な傑作である。 | ||||
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30年近くぶりに読んだ。 当時はなんとなく文体がかっこつけてるなあというにおいを感じていたのだけど、今読むとそれは本当に選ばれた言葉なんだなということがわかる。これは年の功なのだろうか。 鼠くんを思い出した。そうだこんなんだったなあ。 当時は先輩から文庫本を借りてそのとき出ていた村上春樹の本は全部読んだのだった。 言葉を紡ぐって大変だな。自分もこういうレビューを書いているけど、もっと文章を考えようと思う。 | ||||
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30代のごろ夢中で読んだ本をキンドルで読み直していますが読みやすくて助かります。 | ||||
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なんだかよくわからないのですが、心地よいのです。 自分でも小説が書けそうな気がしてしまうのはなぜだろう。 | ||||
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急に読みなくなり10年ぶりに読み返しましたがやはりすごくいいです。 | ||||
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本作は村上氏のデビュー作。どれも似ているといえばそれまでですが、デビュー作にしてすでに村上色が大いに出ています。 その特徴といえばやはり主人公。 やや厭世的・衒学的・理知的で、運動を定期的に行う。周囲に無関心気味、微妙な比喩を繰り出し、相手と若干かみ合っていないような会話もしばしば。近い知り合いが死ぬ。キザめな音楽からの引用や文学からの引用の数々。そして濃厚な性描写(でも冷静)。こうした要素がウイットに富んだ軽妙な文章で綴られる。 ・・・ そんな主人公が出る作品が売れたわけですから、やはり主人公のような人物が、時代のロールモデルというか憧れ、だったのでしょうか。 思えば私も、文学、音楽、運動、全部好きでした。が、いかんせん男子校上がりで女性にはモテなかった。だから彼女(今の嫁さん)ができたら、もうのぼせ上っちゃって、冷静どころではなかったですねえ笑 ということでついぞ主人公のような人物にはなれませんでした。だからこそ冷静なエロにあこがれたものです。知的で社交のできるむっつりスケベ。これが村上作品の主人公にたいする私のイメージです(大分偏見が入っていますが)。 ・・・ 他方、今の10代、20代が本作のような村上作品を読んだらどう反応するんだろうか?とちょっと気になりました。 若者気質も時々刻々と変化します。今の若者にとっては村上作品の主人公はちょっと「面倒クサ」「わけわからん」とかなるのではないかと感じました。今の若者は全般的にもっと覚めていてかつストレートなコミュニケーションを好むような気がしました。言っても若者なんて自分の子供とその友人数人くらいしか知りませんが。 ・・・ ということで10年ぶりか20年ぶりくらいに読み返した村上春樹氏のデビュー作でした。昔は熱読し今も好きですが、2022年の今、1970年代の作品にやはり「時代」を感じざるを得ませんでした。 本作はじめ村上氏の作品が今後10年20年と残っていくかは予測できません。もし残るのならば、そこに某かの普遍的価値・気分のようなものが捉えられているということなのでしょう。あるいは、昭和の名著として学者による注釈が巻末についたうえでやっと読み継がれるような、化石のような物語になるのでしょうか。結果は空の上から見守るしかありませんねえ。 | ||||
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そもそも小説の冒頭で言及されるデレク・ハートフィールドは架空の人物なので、この小説は虚構であることを前提として出発している。 この小説は三層に分かれている。一番底にある層はハートフィールドの作品で登場する火星人が「喋ってるのは君自身こちらはヒントをあたえているだけだ」と言う、生もなければ死もない〝風〟のいる虚無の世界。この世界と第二層はジェイズ・バーを通じてON/ OFFで繋がる。必然的というわけではなく繋がりやすい場所になっていると言えよう。 鼠はその〝風〟のために何か書こうとしてあげている存在である。鼠の親は金持ちであり、戦後日本資本主義のメタファーになっている。それを憎み、含まれることを拒否しながらも、どこへも行けないで留まっているイノセントで弱い存在が鼠だ。 鼠は最下層にいながら第二層に半身を置いている。第二層は主人公「僕」の属する世界。この世界はラジオDJによって ON /OFFで第一層、通常の世界と繋がる。これもまた必然的ではなく、繋がることもあるという装置であろう。主人公はまだ完全には第一層とは繋がることができない。なぜなら主人公は思ったことの半分しか語ることのできなくなった、「半分の存在」だからだ。それを象徴するように、ラジオDJによって第一層の世界から知らせが届いても、主人公はカリフォルニア・ガールズを借りた女性に返すことができない。 主人公の残り半分はもちろん鼠である。高校の終わり頃、「僕」は思ったことの半分しか口にすまいと決意するのだが、ちょうどその頃、鼠と出会い、その三年後に三番目に寝た彼女を自殺により失う。卵が先か鶏が先かといったいった話になりそうだが、鼠が戦後日本資本主義の世界を生き抜くため強い「僕」を作り出したという方が自然だろう。実体がどちらかはまた別だ。「僕」が会話、文章など伝達手段を駆使したON/ OFFの繰り返しの末に第一層に浮かび上がったときに必然的に鼠も第一層に浮かび上がり、そこで再び出会い一つになることが理想であろう。そのとき、あるいはどちらかが消えてしまうのか、その問題は次作へと持ち越されたテーマだ。 ところで本作にはケネディの名が四度出てくる。資本主義によって生み出された金持ちと貧乏人との格差、つまりはケネディは不公平の象徴だ。鼠はケネディー・コインのペンダントを胸に吊るしている。 鼠の創作した小説の中でケネディの名を口にする女が登場し、その後、ジェイズ・バーで主人公と小指のない女が出会う。小指のない女もケネディの名を寝言で口にする。そして、主人公の失った三番目に寝た女の唯一残る写真はケネディが頭を撃ち抜かれた年のものだとの言及がある。 三番目に寝た女が自殺して、主人公が自分の存在理由を無くしたとき、鼠はジェイズ・バーを通して小指のない女を「僕」のために第二層に送り出したのである。小指のない女は極めて第三層に近い存在である。 「僕」は「強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ」と鼠に対して言う、鼠は「嘘だと言ってくれないか?」と真剣になる。なぜなら、その言葉を「僕」に口にされた瞬間、イノセントを残して強い「僕」を送り出したはずであった鼠は存在理由を失ってしまうからだ。 ライトな文体で大いなる虚無を見事にものしている。読後、世界の虚しさにとてつもなく切なくなる。 | ||||
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村上春樹を知る原点となる本 | ||||
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