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さぶ
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【この小説が収録されている参考書籍】
さぶの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.47pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全120件 81~100 5/6ページ
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栄治、さぶ、おすえの3人もがんばっていたが、その中でおのぶの存在がひときわ光る。このおのぶのおかげで3人はやっていけたのだと思う。 | ||||
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この本「さぶ」はとても良い本です。 購入値段が安くて飛びついたのですが、想像とは違いあまりにも小さく、古びた(焼け)状態で大切に残しておきたい一冊の為、少し高くても新品をもう一度購入する予定です。 | ||||
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なぜ、さぶ? 最初から最後まで栄二の話。 栄二というテーマならそこそこの作品だとは思う。 | ||||
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本書は青年の人間的成長を描く物語であり、また無私の貢献とは何か、才のあるべき人間の心のあり方とは何か等、重いテーマを上質なエンターテイメントにくるんだ佳作である。評者は、他の筆者の著書は「樅の木は残った」くらいしか読んだことはないのだが、本書もそれに勝るとも劣らない名著であると思う(最後がややひっかかったが)。 # 江戸時代に「人足寄場」のような、犯罪者の更正施設があったことを知らなかった。作ったのはあの「鬼平」長谷川平蔵である。寛政の改革の時代である。これだけでも勉強になった。 | ||||
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読後感が最高です。 本当にこの作品に出合えてよかった。 | ||||
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本の紹介文やレビューに、「どんでん返しの結末」「まさかの結末」とあり、 結末知りたさに読みました。 それがいけなかった。 私自身は結末に気を囚われすぎて、内容を充分に味わえなかった。 すごく勿体無い読み方をしてしまった・・。後悔。 本そのものは素晴らしい内容です。若い子に是非読んで欲しい一冊だと思います。 世の中には不条理に思うことが多々あること、物事が単純な損得ではないこと、 信じてくれる人が居てくれることの大切さ・・・ これから長い人生を生きていく若い子に、是非一度考えて欲しいのです。 勿論、どの世代が読んでも満足できます。栄二や”さぶ”の全てに共感はできなくても、 どこかに重ね合わせる部分があるのでは? 早速、中学生の娘にも薦めます。 ちなみに・・結末は当初の予想通りでした・・・。 結末に気を囚われていなければ、 愕然としていたんでしょうが・・。 やはり、残念。 | ||||
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物語はさぶにはじまり、さぶに終わる。しかし舞台の中心に常にいる主人公、それは栄二だ。だから作者のポジションも栄二サイドだ。その栄二(=作者)が「おれの無二の親友、さぶってえのはこういう奴なんだ」と読者に語りかける物語、それが「さぶ」である。そしてそれは同時に作者にとっての理想の友人像と重なる。 ではその理想の友人さぶとはどういう人物なのか。一見すると二人の名前は栄二と三郎だから、名実ともに兄貴分は栄二の方である。しかし、世間を渡って行くための器用さ以外に、作者は人間を見るための第二の物差を用意している。それが「さぶ」の大きなテーマである。 そのような、第二の物差で見た場合、大きく成長するのはさぶではなく栄二だ。読者の目がくらまんばかりに流転する栄二。その三年間「おらがわるかった」と自分で噛み締めながら、日々の仕事に、そして足しげく栄二の元に向かうさぶの言葉は感動的ではあるが、それすら栄二にとてつもない激情をおこしてしまう。そしてそんな栄二のそばにさぶは最後まで変わらぬ友情を持って立ち続けるのだ。人間の高貴がここにある、と言いたいところだが、読み進むうちにだんだんある疑惑がもたげてくる。本当にこんな人間がこの世にいるのだろうか、と。 少なくとも私はさぶにはなれない。友人のために自分の仕事を投げ打つことなど、私には到底できそうにもない。 振り返ってみれば驚くべきことに、第二の物差で見るとさぶは最初から完璧な人間として登場するのだ。そういう意味で所詮さぶはこの世に実在しない理想の友人である。栄二の身に何がおころうとも、常に栄二の身を案じ、献身的に支え続けるその行動は、もはや人間のそれでは無く、超人、あるいは、神である。そんな疑惑を栄二は代弁してくれる。「人間わざじゃあねえ」と。 ここで作者はもう一つの大きなテーマを投げかける。それは人間の罪だ。ついに明かされる真犯人。だが、作者が問題にしているのは真犯人が誰かではなく、罪を告白するに至った過程だ。「これは一生、どんなことがあっても云わないつもりだった」と固く決意しながらも、犯人が心の中にさぶを思う時、自ら罪を告白せずにはいられなくなるのだ。このことから、ごく当たり前の結論が導き出される。そう、さぶは誰の、どんな罪人の心の中にでもいる。人間がごく自然に生まれながらに持っている友情、善意、良心。それこそがさぶの正体ではあるまいか。そしてさぶは言う。「人間のすることに、いちいちわけがなくっちゃならない、ってことはないんじゃないか」と。女衒の六の唐突な死。その死の謎も結局こういうことだったのではあるまいか。 真犯人に向かって栄二は言う。「おれはいま、おめえに礼を云いたいくらいなんだよ」と。犯人の罪、そして、さぶ。栄二の成長にはどちらも必要だったのだ。私達人間は、心の中のさぶによって犯した罪を告白し、そしてまた、心の中のさぶによって、お互いの罪を許し合いながら生きて行く。「さぶ」は、還暦を迎えたそんな作者の願いが、栄二という若者を通じて私達の胸を打つ傑作である。 「おらだよ、ここをあけてくんな、さぶだよ」 さぶは私達の心の戸を叩かずにはいられない。 私達もまた、そんなさぶの声に耳をすまさずにはいられない。 | ||||
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齋藤孝さんの「読書力」で紹介されていたため購入。 高校生から大学にかけて、山本周五郎作品は短編中心にはまったっけなあと懐かしく思いながら読んだ。 最初は栄二に対して「そうそう、いるいる、こんな奴。器用に生まれたし見た目もいいんだけれど、それだけに周りに対する感謝の気持ちが足りないんだよなあ…傲慢な奴だなあ」と思いっきり人ごととして読んでいた。 そしてさぶはというと、いい奴なんだけどあくまで残念な存在。心の中にはとっても清らかでいいものをもっているのに、一生報われず終わる、そんな人が今の世の中にもいっぱいいるんだよねえと、一人納得顔で読んでいた。 つまり、思いっきり上から目線。 それなのに、栄二が人足寄場で過ごす場面を読み進めていくうちに、だんだんと気付かされていく。栄二ほど才能がなく、栄二ほど見た目が良くなくても、自分も相当「栄二度」が高いということに。 特にわたしにとっては、岡安が栄二に「風の肌ざわりに秋を感じたり、送られてくる花の匂いをたのしんだりしたことがあるか」と尋ねるシーンが大きな転換点となった。 人はついつい自分の境遇や不運を嘆いたり恨んだりしがち。でもそんなとき、その人は身の回りに吹いているおだやかでやさしい風に気付いていない。その風の中には、もくせいの香りのように、周りの人たちの優しさや今自分がこうして在ることの幸せが満ちているのに。 そんな気付きを得ながら、栄二と共に、だんだんとさぶのすごさにも気づいていった。 またしても、周五郎マジックにはまりました。 | ||||
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きっと自分の周りにも「さぶ」がいてくれる。ぐずで、のろまで、ただただまっすぐな「さぶ」。とかく世界は要領や効率に偏り始め、知恵や才覚に頼りすぎる観があるように思われるが、昔も今も、本当に大事なのはカメの並足の如く、1歩1歩信念を確かめながらまっすぐに歩んでいくことなんだね。 | ||||
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まさしく人間社会。世の中には善悪で二分するほど単純な事はなく、自分と他人との人間関係から、国と国との高いレベルでも矛盾がある。いつしか私の父が「人生ではどんな人間であれ、ほんの些細なことでも、自分を誘惑するものであったり、人生を投げてしまいたくなるようなことがある。そこでふんばれるかどうかで人生が決まる」と言っていた。この本を読んで、その意味が本当によくわかった。小説なのでもちろんフィクションであるが、自分が生きる上で出会うこと、忍耐、誘惑、怒り、友情全部含まれており、たかが小説とあなどれない。決して堅苦しくなく、登場人物一人ひとりに生い立ちを彷彿とされる書き方だと思う。悩み多く、誘惑多い若者に読んでほしい。 | ||||
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まさしく人間社会。世の中には善悪で二分するほど単純な事はなく、自分と他人との人間関係から、国と国との高いレベルでも矛盾がある。いつしか私の父が「人生ではどんな人間であれ、ほんの些細なことでも、自分を誘惑するものであったり、人生を投げてしまいたくなるようなことがある。そこでふんばれるかどうかで人生が決まる」と言っていた。この本を読んで、その意味が本当によくわかった。小説なのでもちろんフィクションであるが、自分が生きる上で出会うこと、忍耐、誘惑、怒り、友情全部含まれており、たかが小説とあなどれない。決して堅苦しくなく、登場人物一人ひとりに生い立ちを彷彿とされる書き方だと思う。悩み多く、誘惑多い若者に読んでほしい。 | ||||
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いきなり私事で申し訳ないが、私はどうしても人を信用することができないままでいる。 傲慢の極みながら「自分は今まで誰も頼らず、誰にも甘えず、自分ひとりの力で生きてきた」。 何事にも感謝できず人間関係を築くこともないまま生きてきた私の人生は行き詰まりを迎えている。 「人を信じるとは一体どういうことなのだろう」と悩みながら本作品を手にした。 読み始めて間もなく、栄二が自分と瓜二つな感じがした。 能力はあるが独善的、理想家で正義漢であるが他人の好意を受けることを拒み自分自身のことは見捨てている。 読者である筈の自分自身のことを書かれているような、嫌な感じがした。 また、さぶに何とも言えない愛着を感じた。 この二人の関係がどうなるのか、気になって気になって一気に最後まで読んでしまった。 さぶが栄二を慕う場面で、その純粋さ、不器用さに心を打たれた。 栄二がそんなさぶを疎ましくはねのける描写に、読者である自分自身の今までの行いを深く深く恥じた。 多くの人から支えられている事実に栄二が気づかされつつも、それでも彼が頑なに否定を続けている姿、我が事のように人を信じられない悔しさを感じて泣きながら読んだ。 彼が新しい価値観を受け入れていく場面では、もう少しだもう少しだとエールを送りながら読み進めた。 そして、何よりもさぶが栄二に一生に一度のお願いを強い決意で訴える場面、そのシーンの衝撃はくっきりと映像になって自分の頭に焼きついている。 栄二に代わって、さぶに伝えてやりたかった。 「さぶ、おめえの気持ちはわかったよ。ついてきてくれてありがとうよ」 自分にとって、これはもはや読書ではなく、生涯忘れることのできない体験となった。 読み終えてからしばらく頭がボーッとなってしまったが、冷静になってみて思うことは、 こんな信頼関係は実際に存在するのだろうか、あまりにも理想的ではないか、ということ。 ・・・それでも、やはり信じたい。 現実でなくとも、私にとってのさぶは、確かにこの本の中に居る。 再び不信感が募ってきてしまったら、この本を開いてみようと思う。 私にとって、人間関係のなんたるかを教えてもらったような、そんな本。 | ||||
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才次のことがきっかけになり、この寄場にいる人間がみな、世間からのけ者にされた、という事実に気づいたのだ。ここにいるのは自分のなかまなのだ。世間のやつらは敵だが、この寄場にいる者は自分と同じように、世間から痛めつけられ、騙されたりぺてんにかけられたりしたのだ。 栄二は、寄場でたくさんの人と出あう。「あらゆる物事を、金銭の高で評価する癖」を持つ、万吉。口は悪いが、ほんとは優しい「赤鬼」。周囲からは、「手に負えない乱暴者」と恐れられるが、ほんとは「極めて温和しい小心者であり、愚かしいほど善良」な清七。……そして、岡安。 「おまえは気がつかなくとも」と岡安は一息ついて云った、「この爽やかな風にはもくせいの香が匂っている。心をしずめて息を吸えば、おまえにもその花の香が匂うだろう、心をしずめて、自分の運不運を考えるんだな、さぶやおすえという娘のいることを忘れるんじゃないぞ」 本書には石川島の人足寄場のシステムの説明があり、そのシステムに感心した。一方で、システム、形式だけではダメだ、ということも感じた。 本式にやってもらうより、たとえへたでも祝ってやろうという、友達の気持ちのほうがよっぽど有難い、万さん有難うよ さぶの名前が、三郎、であることが明かされるのは、小説の終盤に登場する、おせえによってだ。このように、さぶは、前面にはあまりでてこない。自己主張が、薄い。作者は、自己主張の薄いさぶに、しいて物語を語らせることをよしとしなかった。栄二の視点に寄り添いながら物語を語り、さぶの魅力を浮き彫りにさせた。 れいによって、まとまりのないレヴューになった。現物をご確認のほどを。 | ||||
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えっ、この本は「えいじ」が主役なの? 読み進めているうちに疑問に思っていましたが、読み終えてなるほどと納得。「さぶ」がいてこそ、英二が存在する。「さぶ」がいてこその作品でした。英二が罪をきせられて心がかたくなになっていくのが「さぶ」と対照的に描かれています。というか、「さぶ」はぶれない人間なのです。読み終わり、「友」のありがたさをしみじみと実感させられました。 | ||||
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先ず、「山本周五郎」先生の名を耳にしてご想像されるのは、多くの方々は『樅の木は残った』ではないでしょうか。私もご多聞に漏れず、『樅の〜』を思い浮かべた一人です。 然しながら、本作『さぶ』も、『樅の〜』に負けず劣らずの一級品と断言出来ます。 内容をご一読されると、間も無くお分かりになることと思いますが、表舞台の主人公は、三郎こと、「さぶ」の同輩である栄二で、それを陰で懸命に支え、支えられするのが、「さぶ」という流れで、お話は進みます。「さぶ」は、裏方役の主人公という設定と言っても、良いかも知れません。 二人は、表具師です。 その栄二が、云われ無き理由で、奉公先と馴染みの仕事先から咎を受け、遂には、二十三〜二十五歳のあしかけ三年間、かの、松平定信の「寛政の改革」時代に盛んであった『人足寄場』にて、艱難辛苦を味わいつつ、見事に逞しく成長する下りが出て来ます。 さて、ここでも、裏方「さぶ」や、栄二の(半ば)許婚の「おすえ」、栄二を恋い慕う、飲み屋の女中「おのぶ」が、陰日向となって、栄二の凝り固まった怨念の心を解きほぐそうと、懸命に奔走するのです。 周五郎先生の人間描写に関する図抜けた才覚は、もはやここで取り上げることは無いでしょう。本文のそこここに、人間の持つ心の美しさと、相反する醜さが相俟って、見事としか表現しようのない筆さばきです。 これは、余談ですが、私のハンドル・ネーム「しゅう。」は、周五郎先生の「周」から頂戴致しました。母が、名付けてくれました。母と私の心の絆を結ぶ、周五郎先生の『さぶ』。 人が生きるとは何か。まさしく、人生の、教科書であります。 | ||||
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学生時代以来、二度目の「さぶ」である。 そのときは、読後泣けて泣けて仕方なかった。 当時の自分が置かれた状況なども影響しているのだろうが、 本当のところ、なぜあんなにも泣けたのかはわからなかった。 その理由を求めての、二度目の「さぶ」である。 今回は泣かなかった。 ただし、大泣きした理由はわかったような気がする。 「人が生きる」ということの困難さ・困難さの逆の幸福・友情・我慢など 「生きる」上でのすべてのことがこの本に詰まっているからだろう。 今風に言えば、サブも英二もいわゆる「負け組」であるが、 「負け組」にも人生はある。 まっとうに生きていれば、何人たりとも恥じることはないと教えてくれる作品である。 人によっていろいろ感じることがあるだろうが、 私にとっては、小説の教科書とでも言うべき作品である。 もし続編があったとしたら、主要登場人物4人の幸福を願わずにはおれない。 | ||||
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山本周五郎さんてほんと文章上手いよね〜。スラスラ読める。言葉もきれい。 さて、本作「さぶ」。題名はさぶだが、主人公は栄二。この栄ちゃんがかっこいいんだよねぇ。やるときゃやるぜって感じで。 そして、さぶがいい奴なんだ。これが。 厚いけど、難なく読める。 個人的には『柳橋物語』の方が好き。 | ||||
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苦難、不当と思われる出来事での心のありようが描かれている。思い、考えが行動を決める。また、その考えを見つめている自分がいる。栄二の心の変遷を通して「人の成長」が語られている。何とは無しに助けたい、側にいたい、よくしたい人がいる。人は自らが知りえない多くのもう1人の自分に支えられているのだと思う。周りにいる人、身近に接してくれる人、何気なく声をかけてくれる人、その眼差し、一言に今こうしていることが有り難く感じられる本です。終わり方も最高ラウンド級の技で、着地もピタッと決まり、一瞬場内が静寂に包まれるようです。 | ||||
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時代劇といってもチャンバラではありません。 血気盛んな若い男性や少年に特にお勧めしたい一作です。 おそらく作者もそう考え、若く賢くたくましくも「苦労知らず」と言われてしまう栄二を表側の主人公として書いているのでしょう。 あるときまで世の中を理解したように斜に構えていた栄二は、周囲の人の思惑によってどん底に落ちます。 ひどい仕打ちを受けたことで憎悪に燃え、世間を敵と見なし復讐を誓います。 しかし親友さぶの変わらない友情と地味な性格、そしてそれまで深く関わることのなかった不幸な人々と近づき支えあって生きることで真に成長していきます。 「自分一人が強く賢いだけではやっていけない」 はたして栄二は、自分にとって“さぶ”がどういう存在であったのかを悟るのです。 人の心は、いつ、何がきっかけでどう変わるのか、まるで分からない。 親しい人やただの顔見知りにいつのまにか何故か憎まれていることもあれば、いけすかない奴と思っていた人から恩を受けたり、ふとしたことで親友というほどの仲になっていることもある。 そして変わったように見えても、実は初めからずっと変わっていないのかも知れない。 知らず知らずのうちに親しくされているのかも知れない。それは決して理屈だけで計れるものではない。 この人間ドラマは生きていく上で大切なことを幾つか教えてくれます。 ---ちなみに解釈の分かれそうな最後の場面ですが、疑わしい真偽のほどは、さほど重要ではないのでしょう。 おすえがどういうつもりだとしても、彼女を拒絶したなら、きっと不幸は繰り返されたでしょう。しかし栄二はそうはしませんでした。 物語をそこでスッパリと終わらせた作者の潔さに感嘆します。 | ||||
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青春小説と言ってしまっていいでしょう、青春小説の名作です。時代小説だから、と敬遠しないで下さい。現代の物語といっても通じる普遍性をもった作品です。みんな栄二のような気持ちを抱いているのです。そしてその気持ちは年と共に無くして行くのです。しかし栄二はみんなのお陰でその気持ちを無くして行くのです。その変化の兆しは青年にしか理解できません。そうなのです、この作品は青春時代に読まなければならないのです。でも中年の皆様もOKです。そのまま山本周五郎の「物語」に身を預けましょう。 | ||||
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